ロッキードF-104スターファイター

Lockheed F-104 Starfighter
ロッキードF-104スターファイターLockheed F-104 Starfighter

異色の戦闘機

キャッチコピーは、最後の有人戦闘機

※文頭写真:朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF

ロッキードF-104スターファイター(1954-1975)は1950〜60年代に一世を風靡したアメリカ空軍センチュリーシリーズ戦闘機の一つであり、ロッキード社の鬼才クラレンス“ケリー”ジョンソンが開発にあたりました。

F-104はセンチュリーシリーズの他の機体に比べて格段に小型・軽量に設計されています。例えばF-101の全幅12.09m、全長20.55m、F-102の全幅11.61m、全長20.55mに比べ、F-104は全幅6.62m、全長16.66mしかありません。大型・重装備を特徴としていたアメリカ軍戦闘機にあって、F-104は異色の戦闘機といえます。これは、朝鮮戦争(1950〜1953)におけるミグ・ショックが大きく影響を及ぼしています。

1950年6月25日に朝鮮戦争が始まり、当初はまともな空軍を持たない北朝鮮に対して安々と制空権を得ていたアメリカを始めとする国連軍でしたが、中国経由でソ連が介入してくることとなり、1950年11月朝鮮半島北部上空に突如としてソ連の高性能新型戦闘機、MiG-15が出現します。

オハイオ州の空軍博物館にあるF-104C。PHOTO USAF
オハイオ州の空軍博物館にあるF-104C。PHOTO USAF

ドイツから収奪した後退翼技術とイギリスから入手したジェットエンジンの先進技術を絶妙なバランスを持って融合させたMiG-15は、速度や上昇力といった運動性能、整備性、武装など、ほとんどあらゆる面でアメリカを中心とする国連軍の戦闘機を凌駕しており、安々と確保していた制空権は一気に危機的状態に陥ります。

この危機は同じくドイツから収奪した後退翼技術により開発したアメリカのF-86セイバーを配備し、激闘の末、何とか乗り切ることができました。しかし、辛くも勝利できたのはパイロットの技量や装備、射撃管制装置などに頼った部分が多く、機体そのものの性能をみると、MiG-15はF-86を上回っていました。

朝鮮戦争で捕獲され、沖縄で試験されるMiG-15bis。写真:USAF
朝鮮戦争で捕獲され、沖縄で試験されるMiG-15bis。写真:USAF

MiG-15とF-86セイバーをみると、機首に配備された空気取入口(インテイク)、後退翼、そしてほぼ同じ推力を持つエンジンなど、よく似ています。それでもMiG-15がF-86を上回る高性能を発揮していたのは、その軽量に大きな原因があるといわれます。

ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association
ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association

MiG-15は空虚重量3,582kg、F-86は5,046kgあり、MiG-15はF-86に比べて約30%軽量な機体となっており、この差が決定的な運動性能の差となって現れていると考えられました。

F-104の開発にあたりミグ・ショックの克服を目指したアメリカは技術者を現地朝鮮に送り調査を行います。その結果、無駄を省いてシンプルに取り扱える基本性能の高い戦闘機が必要との結論に至り、小型・軽量のF-104が開発されることとなりました。

朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF
朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF

試作1号機は1954年3月に初飛行し、最初はアフターバーナー未装備のXJ-65-B-3エンジンであったため水平飛行では音速を超えることはありませんでした。7月になってアフターバーナーつきのJ65-W-7エンジンに換装してマッハ1.51を記録、その後試作2号機がマッハ1.79を達成しています。

無駄をそぎ落とした小型・軽量の機体は、概ね期待された高速性能を発揮したものの、アメリカ軍はやはり重装備志向であったようで、F-104の採用は少数かつ短期間にとどまります。しかし、全体の生産数は2,578機と多く、これは日本や西ドイツ、イタリア、台湾などアメリカの同盟国や友好国など世界15か国もの国々に供与されたからです。

西ドイツ向けに改良された戦闘爆撃機型のF-104Gは、ヨーロッパ各社でライセンス生産も行われ1,122機が生産されました。G型は各部を強化し垂直尾翼を拡大しフラップを改良しています。これらの改良からは旋回性能の向上などが想像されます。

そして、このG型を元に造られたのが航空自衛隊向けのF-104J/DJ型(DJは複座型)です。1962年から導入され、三菱重工のライセンス生産により178機が造られました。専守防衛を旨とする自衛隊機であるため、爆撃能力は有しておらず専ら防空のための迎撃能力に特化しています。愛称は栄光、またその形状から三菱鉛筆ともいわれました。1995年に退役しています。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
ベルギー空軍
カナダ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
ドイツ空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
スペイン空軍
主要なバリエーションXF-104 試作機。2機製造
YF-104F 試験機
F-104A 最初の量産型
NF-104A 宇宙飛行士訓練機
QF-104A 無人標的機
F-104B 複座練習機
F-104C レーダー改装型
F-104D C型の複座訓練機
F-104DJ 航空自衛隊向け複座練習機
F-104F 複座練習機
生産数2,578
スペック型式F-104C
全 幅6.62m
全 長16.66m
全 高4.11m
翼面積18.21㎡
自 重5,790kg
総重量/最大離陸重量12,630kg
発動機J79-GE-7A(4,540kg/AB 7,710kg)×1
最大速度2,124km/h
実用上昇限度17,678m
戦闘行動半径650km
航続距離2,012km
乗 員1名
初飛行1954年3月4日
就 役1958年1月
退 役1975年
兵 装20mm機関砲×1
AIM-9 Sidewinder
爆弾900g

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