ロッキードP-80シューティングスター

Lockheed P-80 Shooting Star
ロッキードP-80シューティングスターLockheed P-80 Shooting Star

アメリカ初の実用ジェット戦闘機

スカンク・ワークスの初仕事

※文頭写真:USAF

ロッキードP-80シューティングスター(1944-1958)は、実質的にアメリカ初の実用ジェット戦闘機です。設計からわずか半年後には試作機が初飛行するという、いまでは考えられないようなハイスピードで開発されたにもかかわらず、性能的に初期の傑作といっていい出来栄えとなり、約1,700機が生産され練習機型を含めると1970年代まで使用されました。

1950年に勃発した朝鮮戦争では、突如出現した旧ソ連の高性能機MiG-15に太刀打ちできずに対地攻撃に使用されましたが、全米軍機中最高の出撃回数を記録しています。

第2次世界大戦も中盤となり、ドイツ軍によるジェット戦闘機開発とその技術が日本にももたらされることが予見され、アメリカは早急にジェット戦闘機を配備することを迫られます。

実験研究機ベルP-59エアラコメットにより、ある程度のジェット戦闘機開発・運用ノウハウを得ていたアメリカ空軍はロッキード社に開発を依頼、後に名設計者として知られることになるクラレンス“ケリー”ジョンソンが設計にあたります。この時、後にU-2、YF-12F-117Aなどを生み出す航空産業の最先端集団、スカンク・ワークスがクラレンス・ジョンソンによって設立されています。

1944年(昭和19年)、初飛行に臨むP-80シューティングスター。主翼近くには帽子を被ったケリー・ジョンソンが写っています。PHOTO USAF
1944年(昭和19年)、初飛行に臨むP-80シューティングスター。主翼近くには帽子を被ったケリー・ジョンソンが写っています。PHOTO USAF

1943年1月から設計作業が開始され、約半年後の1944年1月には1号機が初飛行、1945年部隊配備を行っており、異例のスピード開発となりました。しかしながら、テスト飛行においては時速814kmを記録し、アメリカ戦闘機の最高記録を更新します。

初期のジェット戦闘機としてはまずまずの結果を得ていたP-80ではありましたが、エンジンの信頼性や燃料まわりに不安を抱えていましたが、すでにジェット戦闘機を実用化していたドイツやイギリスに遅れをとっていたアメリカ空軍(航空軍)は、試作機の段階で3,500機という大量発注を行いました。しかし、ちょうどその頃、対独戦が終わり対日戦の終わりもみえてきており、約900機が完成したところで発注はキャンセルされます。

第2次世界大戦は終結したものの、1948年に6月、ベルリンが封鎖され東西冷戦が進行していきます。ベルリン封鎖は西側諸国の物資空輸によってなし崩しにされ1年後に説かれることとなりますが、この時、F-80はジェット戦闘機として初めて大西洋を横断してイギリスに展開しています。

F-80を改良した複座練習機T-33Aは傑作練習機として5,000機以上が生産され、半世紀以上にわたって各国で使用されるベストセラーとなりました。

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
主要なバリエーションXF-80 イギリス製エンジンの試作機。1機製造
XF-80A 試作機。3機製造。エンジン換装
YF-80A 実用試験機。13機製造
F-80A 最初の量産型。917機製造
XF-80B スピード記録用機体。1機製造
F-80B F-80Aのエンジン換など。240機製造
F-80C 最終量産型。798機製造
生産数1,715
スペック型式-
全 幅11.81m
全 長10.49m
全 高3.42m
翼面積22.07㎡
自 重3,820kg
総重量/最大離陸重量7,645kg
発動機J33-A-35(2,090kg)×1
最大速度933km/h
実用上昇限度14,264m
戦闘行動半径-
航続距離1,330km
乗 員1名
初飛行1944年1月8日
就 役1945年2月
退 役1958年
兵 装12.7mm機関砲×6
900kg爆弾
5インチHVAR

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