
マッハ1.7の高速戦闘機
高速機ながらピッチアップに苦しむ
※文頭写真:NASAで試験に供されるF-101ブードゥー。PHOTO NASA
マクドネルF-101ブードゥー(1954-1982)はアメリカのマクドネル・エアクラフト社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。プラット&ホイットニー社のJ57-P-13というアフターバーナーが装備された大推力のエンジンを搭載した超音速戦闘機です。
プラット&ホイットニー社は1925年に設立されたアメリカの航空機用エンジンメーカー。現在でも続いており、航空機用エンジンビッグ3の一角をなしています。
1951年1月、爆撃機の運用を主な任務とするアメリカ空軍戦略航空軍(SAC=Strategic Air Command))が戦略爆撃機B-36を護衛するための長距離戦闘機を計画し国内各メーカーに発注したことから、F-101の開発が始まります。
第2次世界大戦後に東西覇権争いが始まり、アメリカとしてはソ連中枢部に到達する核攻撃兵器が必要となます。核ミサイルがなかった当時としては長距離爆撃機により運用することとなり、護衛する戦闘機が必要となったためです。
F-101は1954年9月に初飛行し音速突破に成功しますが、空中給油の発達などによりアメリカ空軍戦略航空軍(SAC)の戦略爆撃機の護衛戦闘機計画が中止となりF-101も開発中止になると思われましたが、アメリカ空軍において攻撃機・戦闘機の運用を主な任務とする戦術航空軍団(TAC=Tactical Air Command)が救世主となります。さらにアメリカ本土の防衛を担う航空宇宙防衛軍団(ADC=Aerospace Defense Command)も関心を示しました。
こういったことからF-101は攻撃性能の強化が図られ、AN/APS-54レーダーなど電子機器を換装、核爆弾運用能力も付加されました。搭載されたJ57-P-13エンジンは21,170機が生産されたベストセラーエンジンJ57シリーズの一つ。アフターバーナー使用時には14,880lbf(6,749kg)という大きな出力を発揮しました。
その結果、最高時速は1,825km(マッハ1.7)を記録し、当時の世界最速戦闘機となりました。問題点として後々まで解消できなかったのは、翼面積の小ささと水平尾翼の形状による高速時のピッチアップ(頭上げ)でした。最高速戦闘機とはいえ、敵戦闘機を迎え撃つ要撃戦闘機としてこれは大きな問題でしょう。
アメリカ空軍では1960年代末〜70年代初頭まで運用されました。アメリカ各州の航空軍では1971年〜1982年まで、カナダ空軍では1985年に至るまで運用されました。
運用者 | アメリカ空軍 カナダ空軍 台湾空軍 |
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主要なバリエーション | YF-101A 試作機。29機製造 F-101A 最初の量産型 NF-101A エンジンテスト機 YRF-101A 偵察型のテスト機 RF-101A 偵察機 F-101B(CF-101B) カナダ空軍向けの機体 EF-101B 電子戦機 TF-101B 練習機 RF-101B 偵察機 F-101C 単座の戦闘爆撃機 RF-101C 単座の偵察機 F-101D/E エンジン計画機 RF-101G/H 空軍州兵向け偵察機 |
生産数 | 807 |
スペック型式 | - |
全 幅 | 12.09m |
全 長 | 20.55m |
全 高 | 5.49m |
翼面積 | 34.19㎡ |
自 重 | 13,140kg |
総重量/最大離陸重量 | 20,715kg |
発動機 | J57-P-55(5,438kg/AB 7,666kg)×2 |
最大速度 | 1,825km/h |
実用上昇限度 | 17,800m |
戦闘行動半径 | 1,200km |
航続距離 | 2,450km |
乗 員 | 2名 |
初飛行 | 1954年9月29日 |
就 役 | 1957年5月 |
退 役 | 1982年 |
兵 装 |