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マクドネルF-101ヴードゥー

McDonnell F-101 Voodoo
マクドネルF-101ヴードゥーMcDonnell F-101 Voodoo

マッハ1.7の高速戦闘機

高速機ながらピッチアップに苦しむ

※文頭写真:NASAで試験に供されるF-101ブードゥー。PHOTO NASA

マクドネルF-101ブードゥー(1954-1982)はアメリカのマクドネル・エアクラフト社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。プラット&ホイットニー社のJ57-P-13というアフターバーナーが装備された大推力のエンジンを搭載した超音速戦闘機です。

プラット&ホイットニー社は1925年に設立されたアメリカの航空機用エンジンメーカー。現在でも続いており、航空機用エンジンビッグ3の一角をなしています。

1951年1月、爆撃機の運用を主な任務とするアメリカ空軍戦略航空軍(SAC=Strategic Air Command))が戦略爆撃機B-36を護衛するための長距離戦闘機を計画し国内各メーカーに発注したことから、F-101の開発が始まります。

F-101Bブードゥー。PHOTO USAF
F-101Bブードゥー。PHOTO USAF

第2次世界大戦後に東西覇権争いが始まり、アメリカとしてはソ連中枢部に到達する核攻撃兵器が必要となます。核ミサイルがなかった当時としては長距離爆撃機により運用することとなり、護衛する戦闘機が必要となったためです。

F-101は1954年9月に初飛行し音速突破に成功しますが、空中給油の発達などによりアメリカ空軍戦略航空軍(SAC)の戦略爆撃機の護衛戦闘機計画が中止となりF-101も開発中止になると思われましたが、アメリカ空軍において攻撃機・戦闘機の運用を主な任務とする戦術航空軍団(TAC=Tactical Air Command)が救世主となります。さらにアメリカ本土の防衛を担う航空宇宙防衛軍団(ADC=Aerospace Defense Command)も関心を示しました。

こういったことからF-101は攻撃性能の強化が図られ、AN/APS-54レーダーなど電子機器を換装、核爆弾運用能力も付加されました。搭載されたJ57-P-13エンジンは21,170機が生産されたベストセラーエンジンJ57シリーズの一つ。アフターバーナー使用時には14,880lbf(6,749kg)という大きな出力を発揮しました。

その結果、最高時速は1,825km(マッハ1.7)を記録し、当時の世界最速戦闘機となりました。問題点として後々まで解消できなかったのは、翼面積の小ささと水平尾翼の形状による高速時のピッチアップ(頭上げ)でした。最高速戦闘機とはいえ、敵戦闘機を迎え撃つ要撃戦闘機としてこれは大きな問題でしょう。

アメリカ空軍では1960年代末〜70年代初頭まで運用されました。アメリカ各州の航空軍では1971年〜1982年まで、カナダ空軍では1985年に至るまで運用されました。

運用者アメリカ空軍
カナダ空軍
台湾空軍
主要なバリエーションYF-101A 試作機。29機製造
F-101A 最初の量産型
NF-101A エンジンテスト機
YRF-101A 偵察型のテスト機
RF-101A 偵察機
F-101B(CF-101B) カナダ空軍向けの機体
EF-101B 電子戦機
TF-101B 練習機
RF-101B 偵察機
F-101C 単座の戦闘爆撃機
RF-101C 単座の偵察機
F-101D/E エンジン計画機
RF-101G/H 空軍州兵向け偵察機
生産数807
スペック型式-
全 幅12.09m
全 長20.55m
全 高5.49m
翼面積34.19㎡
自 重13,140kg
総重量/最大離陸重量20,715kg
発動機J57-P-55(5,438kg/AB 7,666kg)×2
最大速度1,825km/h
実用上昇限度17,800m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,450km
乗 員2名
初飛行1954年9月29日
就 役1957年5月
退 役1982年
兵 装

マクドネルXF-85ゴブリン

McDonnell XF-85 Goblin
マクドネルXF-85ゴブリンMcDonnell XF-85 Goblin

長距離爆撃機に収容される寄生戦闘機

珍機

※文頭写真:大型の戦略爆撃機の腹の中に寄生するという発想を形にしたXF-85ゴブリン。PHOTO USAF

マクドネルXF-85ゴブリン(1948)は長距離爆撃機に収容されるアメリカ空軍の寄生戦闘機です。長距離爆撃機の内部に搭載され、そこから出撃、再度収容しようという計画から開発されましたが、試作機のみに終わりました。

第2次世界大戦後、アメリカ陸軍の一部隊であった陸軍航空隊がアメリカ空軍として独立しますが、当時は爆撃を任務とする戦略航空軍団(SAC)が大きな力を持っていました。さらに、空軍としては、最終兵器である核爆弾を運用する戦略は長距離爆撃機でなければならず、航空母艦による運用を主張する海軍に負けるわけにはいきませんでした。

しかし、1946年に初飛行したB-36戦略爆撃機は航続距離16,000kmという超長距離爆撃機であり、B-29の約7,000kmと比べても隔絶した航続性能を誇っていました。

超長距離爆撃機B-36を開発したものの、当時は未だ空中給油が確立されておらず、空軍にはこれだけの長距離を護衛できる戦闘機がありませんでした。そこでB-36の内部に戦闘機を搭載しようという計画が持ち上がりました。

寄生戦闘機、XF-85ゴブリン。PHOTO USAF
寄生戦闘機、XF-85ゴブリン。PHOTO USAF

第2次世界大戦終結後すぐの1945年9月から開発が始まり、1947年に2月にはXP-85として試作機が制式に発注されます。爆撃機の弾倉庫内に格納されるため全長は4.52mと短く、ずんぐりとした胴体をしています。試作機は1948年8月に初飛行し、母機からの発進には成功しています。

しかし、性能は見た目の想像どおりであり、敵戦闘機を空中戦において撃墜することは不可能なうえ、発進はできても母機に戻ることはできませんでした。そうこうするうちに空中給油の技術も発達し、計画は中止されました。

そもそもが? という意見もあるでしょうが、それほどに長距離爆撃機の護衛戦闘機の必要性は切実であったということでしょう。ジェット戦闘機黎明期らしい柔軟な発想の表れともいえます。こういった柔軟さがアメリカという国の侵略力の一翼を担っているのかとも思えます。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数2
スペック型式-
全 幅6.42m
全 長4.5m
全 高2.51m
翼面積8.36㎡
自 重1,700kg
総重量/最大離陸重量2,050kg
発動機J34-WE-22(1,360kg)×1
最大速度1,069km/h
実用上昇限度14,600m
戦闘行動半径-
航続距離805km
乗 員1名
初飛行1948年8月23日
就 役-
退 役-
兵 装

マクドネルXF-88ヴードゥー

McDonnell XF-88 Voodoo
マクドネルXF-88ヴードゥーMcDonnell XF-88 Voodoo

米空軍、長距離侵攻戦闘機計画の一

良好な性能ながら試作機におわる

※文頭写真:XF-88ブードゥー。PHOTO USAF

マクドネルXF-88ブードゥー(1948)はアメリカ空軍が開発した長距離戦闘機です。第2次世界大戦後、アメリカ空軍と海軍は最終兵器である核爆弾を巡って火花を散らしていました。

空軍は兵器の人体実験として日本に2発も投下したように長距離爆撃機による核爆弾運用を、海軍は航空母艦による核運用を主張しており、海軍が空軍の長距離爆撃機運用の穴としてついていたのは長距離護衛戦闘機がないことでした。長距離護衛戦闘機がなければ、近場に基地を確保することになり、それならば航空母艦を運用すればよいということです。

こういった事情から空軍は長距離爆撃機を護衛する長距離戦闘機の開発「長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画を立て、2機の戦闘機を開発していました。1機は本機XF-88、もう1機はロッキード社のXF-90でした。

本機は1948年6月に初飛行し航続距離約2,800kmとまずまずの性能を発揮しましたが、長距離爆撃機の護衛機としては性能不足であり、さらには朝鮮戦争も勃発したため計画は試作機のみで中止となりました。

マクドネル社は本機の開発を後にマクドネルF-101ブードゥーにいかしています。それは、全体の形状が似ていること、愛称が継承されていることから想像できます。

運用者-
主要なバリエーションXF-88 最初の試作機
XF-88A 2次試作機。エンジン換装
XF-88B ターボプロップエンジンを機種に追加した試作機
生産数2
スペック型式-
全 幅12.9m
全 長16.48m
全 高5.25m
翼面積32.52㎡
自 重5,507kg
総重量/最大離陸重量8,392kg
発動機J34-WE-22(1,905kg)×2
最大速度1,136km/h
実用上昇限度12,009m
戦闘行動半径-
航続距離2,779km
乗 員1名
初飛行1948年10月20日
就 役-
退 役-
兵 装

マクドネルF-4ファントムⅡ

McDonnell F-4 PhantomⅡ
マクドネルF-4ファントムⅡMcDonnell F-4 PhantomⅡ

真打、登場

艦上機にして最強の多用途戦闘機

※文頭写真:USNAVY

米海軍のマクドネルF-4ファントムⅡ(1958-)は、約5,200機が生産された最強の多用途戦闘機です。大きな機体に強力なエンジンを2発載せ、艦上戦闘機でありながら当時米空軍が保有していた高性能戦闘機群(センチュリーシリーズ)各機体の得意分野を、F-4一機で上回ってしまう程に優秀な戦闘機でした。

艦上戦闘機というのは航空母艦において運用されますから、広い飛行場・基地で運用される空軍の陸上戦闘機に比べて数多くの制約を課せられます。このことから、第2次世界大戦末期から始まったジェット戦闘機の開発において米海軍は後塵を拝していました。

米海軍は、1955年に初飛行した傑作機、チャンス・ボートF-8クルーセイダーにおいてようやく空軍機に劣らない戦闘機を艦上に配備することができました。その3年後1958年に本機F-4ファントムⅡが初飛行し、その高性能ぶりから今度は逆に米空軍が米海軍の開発したF-4を採用します。米海軍はさぞ晴れやかな気分だったことでしょう。

1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

米海軍がF-8、F-4と立て続けに傑作艦上戦闘機をうみだしていたこの時期、米海軍の航空母艦が大きな進歩を遂げていました。1955年、第2次世界大戦中に建造された排水量約30,000トンのエセックス級航空母艦にかわり、米海軍待望の超大型航空母艦、フォレスタル級が就役します。F-8はエセックス級でも運用可能でしたが、F-4はエセックス級では運用できませんでした。

この角度もファントムⅡはいい。名前といい形といいたまらない人にはたまらない、F-4ファントムⅡです。PHOTO USNAVY
この角度もファントムⅡはいい。名前といい形といいたまらない人にはたまらない、F-4ファントムⅡです。PHOTO USNAVY

フォレスタル級は、乗員約4,300名、60,000トンもの基準排水量を持ち、斜め着艦用飛行甲板(アングルド・デッキ)を採用、72機の艦上戦闘機を収容することができました。さらに、1954年以降は戦後就役したミッドウェイ級もアングルド・デッキ化されます。

アメリカの旗艦とも呼ばれたアメリカ海軍空母、USSコンステレーション艦上のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
アメリカの旗艦とも呼ばれたアメリカ海軍空母、USSコンステレーション艦上のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

航空母艦と艦上戦闘機は共に進化するものです。登場した当時、見る者を驚かせたという大型艦上戦闘機F-4はこれら航空母艦の進化に歩を合わせるように誕生した傑作艦上戦闘機でした。

アメリカ海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスのF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスのF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

防空能力においてはすでに運用されていた高性能機F-8クルーセイダーとF-4は同等でしたが、F-4は加えて対地攻撃にも秀でていました。F-8の離陸最大重量は13,000kgですが、F-4のそれは26,760kgもあります。それだけ多くの兵装を搭載することができるわけですから、艦上戦闘機において特に要求される多用途性が高まります。

アメリカのスミソニアン博物館に展示されるアメリカ海兵隊のF-PHOTO SMITHSONIAN NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM
アメリカのスミソニアン博物館に展示されるアメリカ海兵隊のF-PHOTO SMITHSONIAN NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM

速度記録、上昇記録など各種の世界記録を次々に更新したF-4の飛行性能は文句なく世界一であり、イギリス空軍が1964年に採用したのを始め、日本、スペイン、トルコ、エジプト、ギリシャなど各国に採用され、5,000機を超えるベストセラーとなりました。

アメリカ空軍のF-15と飛ぶ航空自衛隊のF-4EJ。1983年(昭和58年)夏の日米合同演習コープノース中の写真。PHOTO DoD
アメリカ空軍のF-15と飛ぶ航空自衛隊のF-4EJ。1983年(昭和58年)夏の日米合同演習コープノース中の写真。PHOTO DoD

世界を驚かせた高性能多用途艦上戦闘機、マクドネルF-4ファントムⅡは初飛行から半世紀以上を経たいまでも、数々の改修を受け世界の空を飛び回っています。

運用者アメリカ海軍
アメリカ空軍
アメリカ海兵隊
航空自衛隊
オーストラリア空軍
エジプト空軍
ドイツ空軍
イラン空軍
イスラエル空軍
スペイン空軍
トルコ空軍
イギリス空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF4H-1 試作機。2機製造
F4H-1F 追加の試作機。45機製造。後にF-4B
F4H-1 最初の量産型
F-4G アメリカ空軍の要求による敵防空網制圧機(SEAD/ワイルド・ヴィーゼル)。12機製造
YF-4G F-4Jの試作機
F-4J 海軍2次量産型。512機製造。ルックダウン能力などを加えた
F-4N F-4Bの改修機。227機改修
F-4S F-4Jの近代化改修型。構造強化
F-100A F-4Cの当初名
F-4C 空軍向け改修型。複操縦装置追加など
F-4D 空軍向けF-4Cの改修型。レーダー関連の性能向上など
EF-4D F-4Dを改修した防空網制圧機の試作型
F-4E F-4D改修型。エンジン換装、バルカン砲装備など
F-4G 空軍の敵防空網制圧機(SEAD)。F-4Eを改修
RF-4B 偵察機型。米海兵隊向けに46機が製造
RF-4C 偵察機型
RF-4E 偵察機型
F-4VG 可変翼改修型。計画のみ
生産数5,195
スペック型式-
全 幅11.7m
全 長17.78m
全 高4.95m
翼面積49.23㎡
自 重13,960kg
総重量/最大離陸重量26,760kg
発動機GE J79-GE-8B/8C/10×2(5,380kg/AB 8,120kg)
最大速度2,550km/h
実用上昇限度21,340m
戦闘行動半径960km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日
就 役1960年12月
退 役1992年1月
兵 装

マクドネルF3Hデモン

McDonnell F3H Demon
マクドネルF3HデモンMcDonnell F3H Demon

F-4ファントムⅡを予感させる機体

エンジン開発に泣かされる

※文頭写真:開発当初はエンジンの不調に泣かされたものの、最終的には、まずまずの性能を発揮したF3Hデモン。PHOTO USNAVY

F3Hデモンは、後に傑作F-4ファントムⅡをうみだすことになるマクドネル社が開発し、1951年に初飛行した米海軍の艦上戦闘機です。

第2次世界大戦の末期から始まったジェット戦闘機開発は苛烈を極めており、1950年代は米海軍だけでも10機以上が開発され初飛行しています。そして、ジェット戦闘機の黎明期は同じくジェットエンジンの黎明期でもありました。

1956年6月4日、セントルイスを飛行中のF3H-2デモン。PHOTO USNAVY
1956年6月4日、セントルイスを飛行中のF3H-2デモン。PHOTO USNAVY

本機はジェットエンジン黎明期に泣かされた機体です。米海軍は当時として革新的な大推力を持つエンジンとして期待されていたウエスティングハウス社製XJ40-WE-8(3,357kg アフターバーナー時4,944kg)を組み込んだ艦隊防空戦闘機の開発を各メーカーに要求提示しました。

6社の中からマクドネル社の案が選ばれ開発がスタートしました。大きな角度が付けられた後退翼、胴体後部を延長して配された尾翼が特徴的です。全体のスタイルはどことなF-4ファントムⅡに似ています。

1951年8月7日には試作初号機が完成しますが、XJ40-WE-8は間に合わずアフターバーナーのないXJ40-WE-6が搭載されました。このエンジンは推力が期待はずれであり、安定性にも欠けていました。

マクドネル社はGE社のJ47エンジンやアリソン社のJ71エンジンへの変更を米海軍に求めたものの1年もの間拒否され続けます。その後、J71エンジンへの変更が許可されるものの、生産途中の機から許可されます。

1953年になってやっとXJ40-WE-8エンジンを積んだ機体による飛行試験が行われますが、エンジンの不調による事故続発により5機を失い、パイロットも数名が死亡する事態に陥り、1955年7月には飛行停止処分となってしまいます。

その後、問題多発のXJ40-WE-8から開放され、J-71-A-2(4,536kg、アフターバーナー時6,532kg)に換装し、あわせて主翼を拡張した試作機F3H-2Nはやっと合格ラインの結果を出すことができ、1956年から部隊配備を開始、1964年まで運用されました。

運用者アメリカ海軍
主要なバリエーションXF3D 試作機
F3D-1 量産型
F3D-1M 空対空ミサイル(スパローⅠ)搭載
F3D-2 エンジン換装。237機製造
F3D-2M 改修型。空対空ミサイル(スパローⅠ)搭載
F3D-2Q 電子戦機。30機製造
F3D-2T 電子訓練機
F3D-3 計画のみ
生産数519
スペック型式-
全 幅10.76m
全 長17.72m
全 高4.43m
翼面積48.22㎡
自 重9,656kg
総重量/最大離陸重量17,690kg
発動機J71-A-2A(6,532kg)
最大速度1,035km/h
実用上昇限度13,000m
戦闘行動半径1,275km
航続距離1899km
乗 員1名
初飛行1951年8月7日
就 役1956年3月
退 役1956年3月
兵 装

マクドネルF2Hバンシー

McDonnell F2H Banshee
マクドネルF2HバンシーMcDonnell F2H Banshee

本格運用された初めての艦上ジェット

やっと登場した成功作

※文頭写真:F2H-1バンシー。1949(昭和24年)。PHOTO USNAVY

世界初のジェット艦上戦闘機となったFH-1ファントムに続いて、マクドネル社が開発したのがF2Hバンシーです。FH-1が初飛行したのが1945年11月、FH-2の初飛行が1947年1月11日ですから、当時の猛烈な開発スピードを感じます。

F2Hバンシーは海軍ジェット艦上戦闘機初めての成功作となり、米海軍、海兵隊の他、カナダ海軍においても運用されます。F2H-2、-3、-4と改良型も開発され約900機が製造されました。

米海軍は1945年3月、FH-1の試作機であるXFD-1を元に発展型の開発をマクドネル社に発注し、これがF2Hバンシーとなります。開発にあたって共用された部品はほとんどありませんでした。様々な改良が施されたため重量が増大、エンジンはFH-1の倍以上のパワーを持つウエスティングハウス社製J34-WE-22に換装されました。

飛行試験では良好な結果を出し、1947年5月に生産が発注されました。1948年8月には初号機ロールアウト、1949年3月から部隊へと配備されました。初号機がロールアウトした1948年8月には早く搭載燃料増加、武装強化などが施された改良型であるF2H-2が海軍より発注され、1949年11月から部隊配備が始まります。

1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、F2Hは緒戦から加わりましたが本来の空戦戦闘機としては使用されず、もっぱら陸上部隊の支援など対地攻撃を行いました。これは、1947年12月に初飛行を成功させ、本機を含めほとんどの西側戦闘機を凌ぐ性能を持つソ連製MiG-15の存在によるものです。他機の例に漏れずF2H-2もまた、空中戦においてMiG-15に対抗する能力はありませんでした。

その後、燃料増大、レーダー装備、武装強化、空中給油装置などが追加されたF2H-3、さらにレーダー、エンジンを換装したF2H-4と改良されます。

朝鮮戦争中の1951年(昭和26年)8月25日、朝鮮半島に展開するアメリカ海軍空母USSエセックス艦上のF2H-2バンシー。PHOTO USNAVY
朝鮮戦争中の1951年(昭和26年)8月25日、朝鮮半島に展開するアメリカ海軍空母USSエセックス艦上のF2H-2バンシー。PHOTO USNAVY

半世紀近く活躍し、不朽の勇士と呼ばれたアメリカ海軍空母コーラル・シー上空を飛ぶF2Hバンシー。PHOTO USNAVY
半世紀近く活躍し、不朽の勇士と呼ばれたアメリカ海軍空母コーラル・シー上空を飛ぶF2Hバンシー。PHOTO USNAVY
運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
主要なバリエーションXF2H-1(XF2D-1) 試作機
F2H-1 量産型
F2H-2 改良型。エンジンをJ34-WE-34に換装
F2H-2B 主翼強化、ハードポイント追加、核爆弾対応
F2H-2N 夜間戦闘機型
F2H-2P 写真偵察機
F2H-3 胴体延長、燃料搭載量増加、ハードポイント追加
F2H-3P F2H-3の写真偵察機
F2H-4 最終生産型。エンジンをJ34-WE-38に換装
生産数895
スペック型式-
全 幅12.73m
全 長14.68m
全 高4.42m
翼面積27.3㎡
自 重4,440kg
総重量/最大離陸重量10,120kg
発動機J34-WE-34(1,474kg)×2
最大速度848km/h
実用上昇限度14,785m
戦闘行動半径1,160km
航続距離2,760km
乗 員1名
初飛行1947年1月11日
就 役1949年3月
退 役1959年9月
兵 装

マクドネルFH-1ファントム

McDonnell FH-1 Phantom
マクドネルFH-1ファントムMcDonnell FH-1 Phantom

世界初の艦上ジェット戦闘機

太平洋戦争末期に初飛行

文頭写真:US Navy

ジェット戦闘機は第2次世界大戦末期の1944年、ナチスドイツによって世界で初めて実戦部隊に配備されました(メッサーシュミットMe262)。戦後、勝利国となったアメリカ、ソ連、イギリスといった連合国はドイツのジェット戦闘機に関する技術やデータ、ノウハウを当然の如く簒奪し、以後、猛烈な勢いでジェット戦闘機の開発に勤しみます。

マクドネル FH-1 ファントムは米海軍が初めて開発した艦上ジェット戦闘機です。その開発は、ジェット戦闘機黎明期、しかも制約の多い空母での運用という困難を伴うものでした。さらに開発したマクドネル社は創設間もない新興企業でした。

これらの困難から飛行性能は芳しからず、円熟期にあったレシプロ戦闘機と大差ないものでした。それでも、1945年1月26日に初飛行にこぎつけ、翌1946年7月21日には空母フランクリン・D・ルーズベルトへの離着艦を成功させ、世界初のジェット機による空母離着艦となりました。

1946年(昭和21年)7月21日、空母フランクリン・D・ルーズベルト艦上で試験中のXFD-1ファントム。PHOTO USNAVY
1946年(昭和21年)7月21日、空母フランクリン・D・ルーズベルト艦上で試験中のXFD-1ファントム。PHOTO USNAVY

アメリカ海兵隊のFH−1ファントム。1949年(昭和24年)。PHOTO USNAVY
アメリカ海兵隊のFH−1ファントム。1949年(昭和24年)。PHOTO USNAVY
1951年(昭和26年)、ヴォートF4Uコルセア、ノースアメリカンT-6テキサンとともに飛ぶFH-1ファントム。PHOTO USNAVY
1951年(昭和26年)、ヴォートF4Uコルセア、ノースアメリカンT-6テキサンとともに飛ぶFH-1ファントム。PHOTO USNAVY
1948年(昭和23年)5月、あ、アメリカ海軍軽空母サイパン艦上のFH-1ファントム(VF-17A)。PHOTO USNAVY
1948年(昭和23年)5月、あ、アメリカ海軍軽空母サイパン艦上のFH-1ファントム(VF-17A)。PHOTO USNAVY
運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
主要なバリエーションXFD-1 試作機
FD-1(後にFH-1) 100機発注された量産型(40機はキャンセルされた)
生産数62
スペック型式-
全 幅12.42m
全 長11.81m
全 高4.32m
翼面積25.6㎡
自 重3,030kg
総重量/最大離陸重量5,460kg
発動機J30-WE-20(725kg)×2
最大速度771km/h
実用上昇限度12,325m
戦闘行動半径552km
航続距離1,100km
乗 員1名
初飛行1945年11月
就 役1947年7月
退 役1950年7月
兵 装