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ロッキード・マーチンF-22ラプター

Lockheed Martin F-22 Raptor
ロッキード・マーチンF-22ラプターLockheed Martin F-22 Raptor

世界最強のステルス戦闘機

圧倒的な戦闘力から抑止力をも発揮

ロッキード・マーチンF-22ラプター(1990-)はアメリカのロッキード・マーチン社が開発したアメリカ空軍のステルス戦闘機です。2005年(平成17年)から運用が開始され、現代最強の戦闘機として突出した能力を有しています。

北朝鮮のきな臭さが危険な域に達した時、アメリカは原子力空母を派遣しました。洋上を移動する巨大な軍事力であるアメリカ海軍原子力空母は、そこにいるというだけで強烈な抑止力を発揮します。

F-22は戦闘機でありながら、規模は違えど空母と同じ種類の抑止力を発揮します。このような抑止力を持つ戦闘機はこれまで存在したことがありません。

F-22については2つのキャッチフレーズが与えられています。一つは「Air Dominance Fighter」(航空支配戦闘機)、もう一つは「First look,First shoot,First kill」(先に発見、先制攻撃、先に撃墜)です。

1970年代に登場し、現在まで一度も撃墜されたことのないアメリカのF-15には「Air Superiority Fihter」(航空優勢戦闘機)というキャッチフレーズが与えられていました。F-22ではさらに進化し、航空支配という言葉が使われています。

F-22ラプター。PHOTO Lockeed Martin
F-22ラプター。PHOTO Lockeed Martin

「First look,First shoot,First kill」(先に発見、先制攻撃、先に撃墜)はF-22の性能を端的に表わしています。

これは、戦闘機は誕生した時(1915年頃)から変わらない鉄則です。第1次世界大戦や第2次世界大戦など有視界で空中戦を行っていた時代でも、レーダーやネットワークを駆使した現代のハイテク戦闘でも基本は同じです。

敵より先に発見し、先に攻撃し、速やかにその場を立ち去る。要するに、不意打ちして即離脱するというのが空中戦の勝者となる道であり、正面から正々堂々と戦うなどというのは最後の手段です。

F-22の戦い方はこうです。

ステルスにより敵に発見されることなく、優れた自身のレーダーと僚機やイージス艦など味方勢力の情報が収集されたリンク21と呼ばれるネットワークの情報を駆使して、先に敵機を発見し、ミサイルの射程圏内まで接近します。

敵機のデータを入力し、70km以上の長射程を持ち、撃ちっぱなし(fire and forget)可能な空対空ミサイル(AIM-120 AMRAAM)を発射し、即座に離脱します。超音速巡航(スーパークルーズ)能力を持つF-22に追いつくことは困難です。というよりも、敵機は何もわからずいきなり撃墜されることになるでしょう。

もし、自分より敵機に近いところに僚機がいれば、目標のデータを送信してミサイルを発射してもらう、ということも可能です。

F-22ラプター。PHOTO Lockeed Martin
F-22ラプター。PHOTO Lockeed Martin

F-22の特長

① ステルス
② スーパークルーズ
③ アビオニクス(電子機器)とネットワーク
④ 高機動性/推力偏向装置

① ステルス

ステルスというのは、隠れるということです。超音速という高速で移動し、肉眼でみえる距離(有視界)よりもはるか遠くからミサイルを発射しあう現代の戦闘においては、レーダーなどのセンサ類に感知されにくくするということは、とてつもなく重要な技術です。F-22はほとんど映らないといわれます。

F-22ラプター三面図。PHOTO:USAF
F-22ラプター三面図。PHOTO:USAF

ステルス性を高めるには概ね以下のような項目に注意が必要です。「目視発見の回避」、「レーダー反射断面積(RCS=Radar Cross Section)の低減」、「飛行音の低減」、「自身が発する電波を探知されない」、「赤外線探知の回避」、F-22は、これらすべてにおいて世界最高の技術が投入されており、レーダー反射断面積(RCS)値に関しては0.001〜0.01平米といわれています。RCS値は通常の平米表記とは違うため一概に表現できませんが、ほとんど映らないと考えてよいでしょう。

F-22ラプターの後部。全周囲ステルスのF-22は後ろから見ても角度が揃えられています。PHOTO USAF
F-22ラプターの後部。全周囲ステルスのF-22は後ろから見ても角度が揃えられています。PHOTO USAF

ステルス性維持のため兵装は胴体に格納されます。PHOTO USAF
ステルス性維持のため兵装は胴体に格納されます。PHOTO USAF
胴体側面にも兵装を格納します。PHOTO USAF
胴体側面にも兵装を格納します。PHOTO USAF

② スーパークルーズ

戦闘機が誕生した時から、スピードは生命線です。迅速に目標に到達することができ、戦闘時もアドバンテージがあり、敵の大軍が接近していようと、スピードにおいて勝っていれば逃げられます。ミサイルを発射する時でも自らの速度をミサイルに与えることができます。

戦闘機の最高速度を表すとき、F-22以前のジェット戦闘機の多くはアフターバーナーという技術を使用しています。ジェットエンジンの排気に再度燃料を吹き付けて一時的に高出力を得るものです。

急加速を可能にするアフターバーナーですが、全開で使用すると15分程度で燃料を空にしてしまいますから、緊急措置でもあります。

スーパークルーズ(超音速巡航)というのは、このアフターバーナーを使わず、通常のエンジン使用のみで超音速を実現することです。F-22はプラット&ホイットニー社のF119-PW-100を2基搭載し、マッハ1.58という超音速巡航を可能にしています。

③ アビオニクス(電子機器)とネットワーク

F-22にはAN/APG-77レーダー、CNIシステム(データ・リンク)、電子戦システムなど多様なアビオニクス(電子機器)を搭載しています。プログラムも複雑化しており、F-15の20万行に比べてF-22は220万行にも及んでいるといわれます。最近の戦闘機開発はソフト面の比重が増加しており、プログラム開発の遅れによる開発計画の遅延がしばしば報告されます。

F-22ラプターのコクピット。PHOTO Lockeed Martin
F-22ラプターのコクピット。PHOTO Lockeed Martin

AN/APG-77レーダーはアメリカのノースロップ・グラマン社とレイセオン社が開発して高性能レーダーです。アンテナが可動することで探知範囲を飛躍的に向上させた、アクティブ電子走査アレイ(AESA=Active Electronically Scanned Array)方式のレーダーとなっており、走査角度は垂直・水平共に120度、走査距離は約250kmであり、後発のF-35に搭載されているAN/APG-81レーダーを除けば最高性能のレーダーです。

3重のデジタル飛行制御システム(フライ・バイ・ワイヤ)は、パイロットが無理な操作をしても自動的に体勢を維持し、パイロットの失神などの際には水平飛行を維持するといわれています。

BAEシステムズ社の電子戦システムAN/ALR-94は機体全体に30個以上のアンテナを持つ全周囲のミサイル探知能力、460km先からのレーダー電波を探知する能力をF-22に与えています。また、同社のフレア(赤外線誘導ミサイル用デコイ)AN/ALE-52を搭載しています。

F-22はアメリカ軍を中心にNATO諸国及び同盟国が統合運用するリンク16という統合戦術伝達システムから情報を受信することができます。味方の早期警戒管制機(AWACS)、イージス艦、地上のレーダー、地上小隊の端末、司令部などの情報が集約されています。

リンク16上に敵機の情報があれば、ステルス性を損失する自身のレーダー使用を行うことなく、目標に対してミサイル攻撃を行うことができます。

④ 高機動性/推力偏向装置

F-22のエンジンは高出力なだけでなく、推力偏向ノズルを備え、±20度の偏向能力を有しています。敵機がF-22に気がつく前に遠方から撃墜し、即座にスーパークルーズ能力を駆使してその場を離脱するという戦い方が得意なF-22ですが、従来のような遷音速(マッハ0.9〜1.1)における格闘戦でもF-15を上回る機動性を持っています。

平成19年(2007年)7月13日、初デモンストレーション。離陸直後、最大出力で急上昇するF-22ラプター。Photo:USAF
平成19年(2007年)7月13日、初デモンストレーション。離陸直後、最大出力で急上昇するF-22ラプター。Photo:USAF

推力偏向装置を備えた強力なエンジン。PHOTO USAF
推力偏向装置を備えた強力なエンジン。PHOTO USAF

高度や上昇力、速度、機動性、戦闘機の運動性能におけるあらゆる分野でF-22は現在最高の能力を有しているといえます。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションYF-22 試作機。2機製造
F-22 量産型。187機製造
F-22B 訓練などに用いる複座型。開発中止
FB-22 戦闘爆撃機型。計画のみ
F-22N 米海軍向け艦載機。計画のみ
生産数195
スペック型式-
全 幅13.56m
全 長18.92m
全 高5.08m
翼面積78.04㎡
自 重19,700kg
総重量/最大離陸重量38,000kg
発動機F119-PW-100(AB 15,872kg)×2
最大速度2,575km(巡航速度1,825km)
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径1,300km
航続距離2,960km
乗 員1名
初飛行1990年9月29日(YF-22)
就 役2003年9月
退 役-
兵 装

ボーイングF-15イーグル

Boeing F-15 Eagle
ボーイングF-15イーグルBoeing F-15 Eagle

無敗の制空戦闘機

ミサイル万能論への反省からうまれた最強戦闘機

※文頭写真:1972年(昭和47年)7月、初飛行するF-15イーグル。PHOTO USAF

マクドネルダグラス(現 ボーイング)F-15イーグルは、1972年に初飛行して以来、一度も撃墜されることなく、今日に至るまで40年以上無敵の戦闘機として君臨してきたアメリカ空軍の戦闘機です。

10トン超の爆弾を搭載して超低空侵攻による精密爆撃を可能にした長距離阻止攻撃型F-15E。PHOTO USAF
10トン超の爆弾を搭載して超低空侵攻による精密爆撃を可能にした長距離阻止攻撃型F-15E。PHOTO USAF

航空自衛隊(百里基地所属)のF-15DJ。百里基地は首都圏の防空を担います。PHOTO USAF
航空自衛隊(百里基地所属)のF-15DJ。百里基地は首都圏の防空を担います。PHOTO USAF

現在、極東最強の制空能力を誇る航空自衛隊の主力戦闘機もF-15です。正確には燃料を増加し、構造強化を実施したF-15Cを基本に造られたF-15J/DJとなっています。Jは単座、DJは複座型です。

1980年に採用され約200機が運用されており、アメリカ国外最大のF-15運用国となっています。三菱重工業を主契約者としてノックダウン生産およびライセンス生産が行われ、213機が製造されています。こちらもアメリカ国外最大の生産国です。

航空自衛隊のF-15J。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-15J。写真:航空自衛隊

最初の2機はアメリカから受領し、続く8機はノックダウン生産、残りの機体は部品を国内にて製造してライセンス生産されています。ライセンス料などを含めた1機あたりの価格は120億円ともいわれます。

これを聞くとあまりに高価なことに驚きますが、日本の排他的経済水域面積は世界第6位。ロシア、中国、北朝鮮などを対岸に持つこの広大な財産を守るには、制空権の確保は生命線です。さらには、ライセンス生産によりエンジンやレーダーなど部品をすべて国産化できますから、航空機開発に必要な技術や人材を育てることもできます。

航空自衛隊のF-15J戦闘機。写真:DoD
航空自衛隊のF-15J戦闘機。写真:DoD

圧倒的な強さをみせた実戦

1991年(平成3年)1月17日、アメリカを中心とする多国籍軍によるイラク空爆「デザートストーム作戦」に始まった湾岸戦争では、MiG-21/23/25/29、Su-22、ミラージュⅢなどの敵機38機を撃墜し、F-15自身は1機も撃墜されることなく圧勝となりました。また、これに先立つ部隊配備/物資輸送に対して24時間フル稼働の空中哨戒を実施しています。

湾岸戦争で大活躍したF-15でしたが、最初の実戦となったのはアメリカ空軍ではなく、イスラエル空軍でした。F4ファントムⅡを第四次中東戦争において多く損失したイスラエル空軍は、1970年代後半、A/B型、C/D型あわせて111機のF-15を導入しました。

1977年6月、イスラエル支配下にあるパレスチナの開放を目的としたパレスチナ解放機構(PLO)がレバノン南部に置いたキャンプを攻撃するため、F-15が出撃し、その途中シリア空軍のMiG-21と交戦となり4機を撃墜しました。これがF-15最初の実戦となりました。

イスラエル空軍はまた、1982年のレバノン侵攻作戦でも数十機もの敵機を撃墜し、損失ゼロとなっています。

砂漠の嵐作戦に参加し、クウェート上空を飛ぶF-15C(先頭の3機)。編隊両端の2機はF-16A。PHOTO USAF
砂漠の嵐作戦に参加し、クウェート上空を飛ぶF-15C(先頭の3機)。編隊両端の2機はF-16A。PHOTO USAF

開発までの経緯

意外なことに、F-15は1950年台のF-86以来、久しぶりにアメリカ空軍が手にした純血の制空戦闘機です。これには様々な時代背景が絡み合っています。

圧倒的な航空戦力を持って戦勝国となった第2次世界大戦以来、現在に至るまでアメリカが制空権を奪われたことは一度もありません。常に完璧に制空権を確保してきたアメリカが、朝鮮戦争とベトナム戦争の2度だけ制空権を脅かされました。この危機と東西冷戦が20年以上、アメリカを純血の制空戦闘機から遠ざけてきました。

1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では、当初まともな航空戦力を持たない北朝鮮を相手にレシプロ戦闘機が参加できるほど安々と制空権を確保していたアメリカでしたが、ソ連が中国経由で関与するようになると、後退翼を裝備し当時最高の性能を誇ったソ連のMiG-15戦闘機が突如として出現。

レシプロ機は言うの及ばす、アメリカ軍が極東に配備していたジェット戦闘機、F-80シューティングスターF9Fパンサーでも到底MiG-15には太刀打ちできず、一時的とはいえアメリカの制空権は危機に陥ります。この出来事は突如出現したMiG-15に由来することから「ミグショック」と呼ばれ、アメリカの狼狽がみてとれます。

しかし、この危機はMiG-15と同じくドイツの先端技術であった後退翼を裝備したアメリカ空軍の最新鋭機F-86が前年に就役していたため、これを急遽極東に投入し乗り切ります。

機体の運動性能ではMiG-15に若干分があったようですが、射撃管制装置やレーダーの性能、そして第2次世界大戦において鍛えぬかれた歴戦のパイロットたちの優秀な技量により、最終的には7:1という圧倒的なキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)を持って制空権を確保するに至りました。

次の危機はベトナム戦争です。東西冷戦は過熱し、アメリカが凶悪な程に最新鋭機を続々と開発していた50年代があけてすぐ、1960年(昭和35年)12月にベトナム戦争が勃発し、1965年頃から本格的な空戦が起ります。

50年代に急速な進化を続けていたミサイルの影響により、戦闘機の設計思想は「空戦能力軽視」に偏っていました。その結果、純粋な制空戦闘機は造られず、ジェット戦闘機の対地攻撃能力の高さを活かした戦闘爆撃機、それから、ソ連の戦略爆撃機に対抗する意味と自軍の戦略爆撃機の護衛機という役割で、やたらと高速で上昇力の高い迎撃戦闘機という2種類が次々と造られることとなりました。

「高速性能に秀で高性能レーダー及びミサイルが裝備されていれば、レシプロ機のようなドッグファイトなど起きない、遠くからミサイルを発射して、高速でいなくなればよい」というわけです。現代の最新鋭機であれば概ねこれでよいわけですが、まだ早すぎました。

さらに、当時アメリカが最も脅威に感じていた核兵器を搭載するソ連の戦略爆撃機に対処するための高速性と上昇力に優れ、攻撃力が高い迎撃戦闘機の開発は過熱し、最終的にはモックアップ段階で中止になったとはいえXF-103のように、マッハ3.7、上昇限度24,500mという性能が目指されていました。

XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force
XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force

このようにアメリカ空軍が大型、高速、電子裝備てんこ盛りのドッグファイトが苦手な戦闘機ばかり造っていたところに、ベトナム戦争が始まります。最新のレーダーに中距離空対空ミサイルAIM-7スパロー(射程30km)、短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダー(射程5km)などを搭載したアメリカ空軍の戦闘機が堂々と控えていました。

ベトナム戦争ではF-105や、大型重装備のF-4ファントムⅡなどがアメリカ空軍機として参戦します。F-105は爆撃機ではないかといわれるほど爆撃能力の高い戦闘機ですから、当然、ドッグファイトは苦手です。F-4ファントムⅡはアメリカ海軍が開発したものをアメリカ空軍が採用したものです。元々艦載機ですから多目的に造られており、初期型は機関砲を裝備していなかった程ですから、ドッグファイトは想定されていなかったでしょう。

F-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
F-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

アメリカ空軍最大の悲劇は、同士討ちを避けるためにミサイルを発射する際には目視による確認を義務付ける交戦規定が施行されたことです。現在のように統合情報システムによる高度な情報交換ができない状況では、致し方ないことかもしれません。

いかに高速であろうと、優秀なレーダーとミサイルを裝備していようと、目視で敵機であることを確認するとなると、低速で近づかなくてはいけません。結局は昔ながらのドッグファイトが避けられなくなり、大型重装備のアメリカ空軍戦闘機に比べれば軽量で軽快な運動性能だけがとりえともいえるMiG-21などのソ連製戦闘機に大いに苦戦することになります。

結果、キルレシオ(撃墜対被撃墜比率)は1.5:1、2:1と散々な数字となります。高価なアメリカ空軍戦闘機を駆使して1機で安価な敵機を1.5機〜2機しか倒せないのですから。こうして制空権を掌握できない状態で行われた対地攻撃では、常にミグ戦闘機の影に怯え、ミグに遭遇したら、即座に爆弾を捨てて逃げ出すということになってしまいます。

ベトナム戦争に参加したアメリカ軍機の中で最も高い8:1というキルレシオを残したのは、「最後のガンファイター」といわれ、軽快な運動性能と20mm機関砲4門を備えたアメリカ海軍のF-8クルーセイダーでした。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

最強の制空戦闘機

アメリカ空軍はベトナム戦争の反省から、いついかなる状況であっても敵戦闘機を撃墜し制空権を確保する戦闘機の開発を始めます。これこそF-15であり「航空優勢戦闘機(Air Superiority Fighter)」というキャッチフレーズがつけられました。

沖縄の嘉手納をベースとする第44戦闘飛行隊のF-15。PHOTO USAF
沖縄の嘉手納をベースとする第44戦闘飛行隊のF-15。PHOTO USAF

空中戦訓練中のF-15E。PHOTO USAF
空中戦訓練中のF-15E。PHOTO USAF

同時期にアメリカ海軍もまた、いかなる敵機からも艦隊を守る最強の艦隊防空戦闘機を目指し、F-14トムキャットの開発を始めていました。アメリカ議会はコスト削減のため両者の統一を求めますがアメリカ空軍は強硬に反対し、F-15の単独開発を続けます。性能的な理由ももちろんあるでしょうが、F-4ファントムⅡに続けてまた海軍の戦闘機を採用ということは、メンツが許さなかったのではないでしょうか。

各社の中からマクドネルダグラス社案に決まり、開発が始まります。1972年(昭和47年)7月27日に初飛行し、試験は続けられました。試験結果はアメリカ空軍の要求をクリアしており、順調に開発が進みます。

プラット&ホイットニー社製F100-PW-221(8,090kg/AB10,640kg)という大出力エンジンを2基搭載し、最高速度はマッハ2.3を発揮。クロースカップルドデルタの大きな主翼と12,970kgに抑えらた重量は、エンジンの大出力と相まって高い機動性をもたらしています。

比較的余裕のある機体構成から、電子機器などのアップデートがしやすく、1972年(昭和47年)の初飛行から現在に至るまで1機も撃墜されることなく、運用され続けています。

F-15E。PHOTO USAF
F-15E。PHOTO USAF

ステルス能力を付与したF-15SEサイレントイーグル。PHOTO Boeing
ステルス能力を付与したF-15SEサイレントイーグル。PHOTO Boeing
運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
イスラエル空軍
サウジアラビア空軍
主要なバリエーションYF-15A 最初に製造された2機。後F-15Aに含まれる
F-15A 最初の量産型。384機製造
TF-15A 複座型。後F-15Bに含まれる
F-15B 戦闘能力を持つ複座型。61機製造
F-15C 単座の量産型。構造強化などの改修。483機製造。55機はサウジアラビア、18機はイスラエル向け
F-15D 戦闘能力を持つ複座型。93機製造
F-15E F-111の後継となった複座の長距離阻止攻撃機。レーダー、エンジン、夜間航法照準システムなどを搭載
F-15J C型を基体とした航空自衛隊向け。三菱重工がライセンス生産。139機製造
F-15DJ F-15Dの航空自衛隊向け
F-15FX 航空自衛隊次期戦闘機 (F-X)向けの機体。最新の電子機器(アビオニクス)を搭載
F-15SE ステルス性を加える改修が施されたF-15E。機体軽量化、電子機器(アビオニクス)の更新
生産数1,198
スペック型式F-15C
全 幅13.05m
全 長19.43m
全 高5.63m
翼面積56.5㎡
自 重12,700kg
総重量/最大離陸重量20,200kg
発動機F100-PW-220(8,090kg/AB 10,640kg)×2
最大速度2,665km/h+
実用上昇限度20,000m
戦闘行動半径1,967km
航続距離5,550km
乗 員1名
初飛行1972年7月27日
就 役1974年11月
退 役-
兵 装

ノースロップF-5E/FタイガーⅡ

Northrop F-5E/F TigerⅡ
ノースロップF-5E/FタイガーⅡNorthrop F-5E/F TigerⅡ

進化したF-5

ソ連MiG-21のライバル

※文頭写真:F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

ノースロップF-5E/FタイガーⅡ(1972-1989)はアメリカのノースロップ社が開発した軽量級の超音速戦闘機F-5A/Bの発展型です。運動性能の向上とともに、捜索範囲40kmと高性能とはいえないまでもレーダーが搭載されたことにより戦闘能力は大いに高まっています。

F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF
F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

F-5A/Bのライバルは9,500機もの生産数を誇り共産圏に供与されたソ連のMiG-19。MiG-19はMiG-15譲りの運動性能を持つ超音速戦闘機でした。F-5A/BはMiG-19に対する自由陣営後進国の戦闘機としては優秀でしたが、1959年(昭和34年)にマッハ2級のMiG-21が登場、F-4ファントムⅡF-8クルーセイダーなら戦えましたが、F-5A/Bでは太刀打ちできませんでした。

ソ連のMiG-21フィッシュベッド。UV-16ロケットポッドを装着しています。写真:US DoD
ソ連のMiG-21フィッシュベッド。UV-16ロケットポッドを装着しています。写真:US DoD

アメリカ空軍は、これに対抗する友好国供与用の戦闘機開発を始めます。各社案の中からノースロップF-5E/FタイガーⅡが選ばれ、1970年11月に制式に発注を受けます。

安価で整備性が高く扱いやすいF-5A/Bの良さを受け継ぎつつ、エンジンを強化、燃料搭載量も増加し、戦闘行動半径は三割方向上します。最高速度はマッハ1.6とMiG-21には及びませんが、AN/APQ-153Xレーダの搭載や緩い後退角による中低高度の高い運動性を武器に、MiG-21に対抗しうる戦闘機となっています。

F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF
F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

初飛行は1972年8月11日、1973年からアメリカ空軍への配備が始まり、その後友好国に供与されました。供与された国はアメリカを含めて20か国を超え、ライセンス生産を含めて1,400機が生産されました。サウジアラビアやバーレーン、韓国に供与されたF-5は湾岸戦争に参加するなど、供与された機体はいくつかの戦争に参加しています。アメリカ本国ではアグレッサー機(仮想敵機)として使用されました。

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
シンガポール空軍
ブラジル空軍
イエメン空軍
スイス空軍
南ベトナム空軍
イラン空軍
スーダン空軍
ベトナム空軍
インドネシア空軍
エチオピア空軍
タイ空軍
オーストリア空軍
台湾空軍
ホンジュラス空軍
チュニジア空軍
マレーシア空軍
チリ空軍
メキシコ空軍
モロッコ空軍
ヨルダン空軍
ケニア空軍
バーレーン空軍
サウジアラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションF-5E F-5A改良型エンジン強化、レーダー装備など
FR-5E 簡易偵察機
RF-5E 偵察機
F-5F 複座の練習機
F-5N スイスで余ったF-5Eを米海軍が仮想敵機(アグレッサー)として使用
F-5G F-20。エンジンを換装し単発化。電子機器を近代化
F-5S/T シンガポール空軍の近代化改修型
F-5EM ブラジル空軍の近代化改修型
タイガーⅢ チリ空軍の近代化改修型
タイガーⅣ 近代化改修のデモ機
F-5T タイ空軍の近代化改修型
生産数1,399
スペック型式F-5E
全 幅8.13m
全 長14.68m
全 高4.06m
翼面積17.28㎡
自 重4,392kg
総重量/最大離陸重量9,150kg
発動機J85-GE-21A(1,588kg/AB 2,268kg)×2
最大速度1,743km/h
実用上昇限度15,789m
戦闘行動半径700km
航続距離2,483km
乗 員1名
初飛行1972年8月11日
就 役-
退 役1989年
兵 装

ロッキードF-104スターファイター

Lockheed F-104 Starfighter
ロッキードF-104スターファイターLockheed F-104 Starfighter

異色の戦闘機

キャッチコピーは、最後の有人戦闘機

※文頭写真:朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF

ロッキードF-104スターファイター(1954-1975)は1950〜60年代に一世を風靡したアメリカ空軍センチュリーシリーズ戦闘機の一つであり、ロッキード社の鬼才クラレンス“ケリー”ジョンソンが開発にあたりました。

F-104はセンチュリーシリーズの他の機体に比べて格段に小型・軽量に設計されています。例えばF-101の全幅12.09m、全長20.55m、F-102の全幅11.61m、全長20.55mに比べ、F-104は全幅6.62m、全長16.66mしかありません。大型・重装備を特徴としていたアメリカ軍戦闘機にあって、F-104は異色の戦闘機といえます。これは、朝鮮戦争(1950〜1953)におけるミグ・ショックが大きく影響を及ぼしています。

1950年6月25日に朝鮮戦争が始まり、当初はまともな空軍を持たない北朝鮮に対して安々と制空権を得ていたアメリカを始めとする国連軍でしたが、中国経由でソ連が介入してくることとなり、1950年11月朝鮮半島北部上空に突如としてソ連の高性能新型戦闘機、MiG-15が出現します。

オハイオ州の空軍博物館にあるF-104C。PHOTO USAF
オハイオ州の空軍博物館にあるF-104C。PHOTO USAF

ドイツから収奪した後退翼技術とイギリスから入手したジェットエンジンの先進技術を絶妙なバランスを持って融合させたMiG-15は、速度や上昇力といった運動性能、整備性、武装など、ほとんどあらゆる面でアメリカを中心とする国連軍の戦闘機を凌駕しており、安々と確保していた制空権は一気に危機的状態に陥ります。

この危機は同じくドイツから収奪した後退翼技術により開発したアメリカのF-86セイバーを配備し、激闘の末、何とか乗り切ることができました。しかし、辛くも勝利できたのはパイロットの技量や装備、射撃管制装置などに頼った部分が多く、機体そのものの性能をみると、MiG-15はF-86を上回っていました。

朝鮮戦争で捕獲され、沖縄で試験されるMiG-15bis。写真:USAF
朝鮮戦争で捕獲され、沖縄で試験されるMiG-15bis。写真:USAF

MiG-15とF-86セイバーをみると、機首に配備された空気取入口(インテイク)、後退翼、そしてほぼ同じ推力を持つエンジンなど、よく似ています。それでもMiG-15がF-86を上回る高性能を発揮していたのは、その軽量に大きな原因があるといわれます。

ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association
ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association

MiG-15は空虚重量3,582kg、F-86は5,046kgあり、MiG-15はF-86に比べて約30%軽量な機体となっており、この差が決定的な運動性能の差となって現れていると考えられました。

F-104の開発にあたりミグ・ショックの克服を目指したアメリカは技術者を現地朝鮮に送り調査を行います。その結果、無駄を省いてシンプルに取り扱える基本性能の高い戦闘機が必要との結論に至り、小型・軽量のF-104が開発されることとなりました。

朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF
朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF

試作1号機は1954年3月に初飛行し、最初はアフターバーナー未装備のXJ-65-B-3エンジンであったため水平飛行では音速を超えることはありませんでした。7月になってアフターバーナーつきのJ65-W-7エンジンに換装してマッハ1.51を記録、その後試作2号機がマッハ1.79を達成しています。

無駄をそぎ落とした小型・軽量の機体は、概ね期待された高速性能を発揮したものの、アメリカ軍はやはり重装備志向であったようで、F-104の採用は少数かつ短期間にとどまります。しかし、全体の生産数は2,578機と多く、これは日本や西ドイツ、イタリア、台湾などアメリカの同盟国や友好国など世界15か国もの国々に供与されたからです。

西ドイツ向けに改良された戦闘爆撃機型のF-104Gは、ヨーロッパ各社でライセンス生産も行われ1,122機が生産されました。G型は各部を強化し垂直尾翼を拡大しフラップを改良しています。これらの改良からは旋回性能の向上などが想像されます。

そして、このG型を元に造られたのが航空自衛隊向けのF-104J/DJ型(DJは複座型)です。1962年から導入され、三菱重工のライセンス生産により178機が造られました。専守防衛を旨とする自衛隊機であるため、爆撃能力は有しておらず専ら防空のための迎撃能力に特化しています。愛称は栄光、またその形状から三菱鉛筆ともいわれました。1995年に退役しています。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
ベルギー空軍
カナダ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
ドイツ空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
スペイン空軍
主要なバリエーションXF-104 試作機。2機製造
YF-104F 試験機
F-104A 最初の量産型
NF-104A 宇宙飛行士訓練機
QF-104A 無人標的機
F-104B 複座練習機
F-104C レーダー改装型
F-104D C型の複座訓練機
F-104DJ 航空自衛隊向け複座練習機
F-104F 複座練習機
生産数2,578
スペック型式F-104C
全 幅6.62m
全 長16.66m
全 高4.11m
翼面積18.21㎡
自 重5,790kg
総重量/最大離陸重量12,630kg
発動機J79-GE-7A(4,540kg/AB 7,710kg)×1
最大速度2,124km/h
実用上昇限度17,678m
戦闘行動半径650km
航続距離2,012km
乗 員1名
初飛行1954年3月4日
就 役1958年1月
退 役1975年
兵 装

マクドネルF-101ヴードゥー

McDonnell F-101 Voodoo
マクドネルF-101ヴードゥーMcDonnell F-101 Voodoo

マッハ1.7の高速戦闘機

高速機ながらピッチアップに苦しむ

※文頭写真:NASAで試験に供されるF-101ブードゥー。PHOTO NASA

マクドネルF-101ブードゥー(1954-1982)はアメリカのマクドネル・エアクラフト社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。プラット&ホイットニー社のJ57-P-13というアフターバーナーが装備された大推力のエンジンを搭載した超音速戦闘機です。

プラット&ホイットニー社は1925年に設立されたアメリカの航空機用エンジンメーカー。現在でも続いており、航空機用エンジンビッグ3の一角をなしています。

1951年1月、爆撃機の運用を主な任務とするアメリカ空軍戦略航空軍(SAC=Strategic Air Command))が戦略爆撃機B-36を護衛するための長距離戦闘機を計画し国内各メーカーに発注したことから、F-101の開発が始まります。

F-101Bブードゥー。PHOTO USAF
F-101Bブードゥー。PHOTO USAF

第2次世界大戦後に東西覇権争いが始まり、アメリカとしてはソ連中枢部に到達する核攻撃兵器が必要となます。核ミサイルがなかった当時としては長距離爆撃機により運用することとなり、護衛する戦闘機が必要となったためです。

F-101は1954年9月に初飛行し音速突破に成功しますが、空中給油の発達などによりアメリカ空軍戦略航空軍(SAC)の戦略爆撃機の護衛戦闘機計画が中止となりF-101も開発中止になると思われましたが、アメリカ空軍において攻撃機・戦闘機の運用を主な任務とする戦術航空軍団(TAC=Tactical Air Command)が救世主となります。さらにアメリカ本土の防衛を担う航空宇宙防衛軍団(ADC=Aerospace Defense Command)も関心を示しました。

こういったことからF-101は攻撃性能の強化が図られ、AN/APS-54レーダーなど電子機器を換装、核爆弾運用能力も付加されました。搭載されたJ57-P-13エンジンは21,170機が生産されたベストセラーエンジンJ57シリーズの一つ。アフターバーナー使用時には14,880lbf(6,749kg)という大きな出力を発揮しました。

その結果、最高時速は1,825km(マッハ1.7)を記録し、当時の世界最速戦闘機となりました。問題点として後々まで解消できなかったのは、翼面積の小ささと水平尾翼の形状による高速時のピッチアップ(頭上げ)でした。最高速戦闘機とはいえ、敵戦闘機を迎え撃つ要撃戦闘機としてこれは大きな問題でしょう。

アメリカ空軍では1960年代末〜70年代初頭まで運用されました。アメリカ各州の航空軍では1971年〜1982年まで、カナダ空軍では1985年に至るまで運用されました。

運用者アメリカ空軍
カナダ空軍
台湾空軍
主要なバリエーションYF-101A 試作機。29機製造
F-101A 最初の量産型
NF-101A エンジンテスト機
YRF-101A 偵察型のテスト機
RF-101A 偵察機
F-101B(CF-101B) カナダ空軍向けの機体
EF-101B 電子戦機
TF-101B 練習機
RF-101B 偵察機
F-101C 単座の戦闘爆撃機
RF-101C 単座の偵察機
F-101D/E エンジン計画機
RF-101G/H 空軍州兵向け偵察機
生産数807
スペック型式-
全 幅12.09m
全 長20.55m
全 高5.49m
翼面積34.19㎡
自 重13,140kg
総重量/最大離陸重量20,715kg
発動機J57-P-55(5,438kg/AB 7,666kg)×2
最大速度1,825km/h
実用上昇限度17,800m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,450km
乗 員2名
初飛行1954年9月29日
就 役1957年5月
退 役1982年
兵 装

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー

North American F-100 Super Sabre
ノース・アメリカンF-100スーパーセイバーNorth American F-100 Super Sabre

世界初、実用超音速戦闘機

名機F-86の後継

※文頭写真:傑作機F-86セイバーの後継、世界初の実用超音速戦闘機として華々しく登場したF-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー(1953-1979)はノース・アメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。世界初の実用超音速戦闘機として知られるアメリカ空軍センチュリーシリーズのトップバッターです。

センチュリーシリーズとは、アメリカ空軍の100番台の型番がつく戦闘機を総じていいます。全て超音速戦闘機であり、以下の6機を指します。本機F-100スーパーセイバー、マクドネルF-101ブードゥーコンベアF-102デルタダガーロッキードF-104スターファイターリパブリックF-105サンダーチーフコンベアF-106デルタダート

超音速ジェット戦闘機が実用化し始めた時期であり、第2次世界大戦が終わり東西冷戦が日に日に熱くなっていた時代です。戦闘機の開発もいけいけどんどんといった様相で、F-100が初飛行しのが1953年5月、センチュリーシリーズ最後のF-106は1956年12月に初飛行しており、その間わずか3年半ほどしかありません。

アメリカ海軍でも同時期に試作機を含め6機が開発されていますから、アメリカ空・海はこの3年半の間に12機もの戦闘機を初飛行させているということになります。

F-100はスーパーセイバーという愛称が示すように、初めて後退翼を採用したアメリカ空軍の傑作機F-86セイバーの後継機として開発されました。

F-86は当初直線翼のそれまでと基本的に変わらない戦闘機として計画されましたが、ドイツの敗戦によりジェット戦闘機の先端技術を連合国が収奪しアメリカにもそれがもたらされると、急遽ドイツの技術を取り入れた最先端の後退翼機として開発され、大成功を収めました。

F-86の成功体験を得たノースアメリカン社は、自社資金でF-86の発展型を研究し1949年2月から開発が始まりました。写真をみればすぐ感じられるように、後継といっても形状はあまり似ていません。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スパーセイバー。PHOTO USAF

主翼の後退角はF-86の35度から45度になりエンジンはプラット&ホイットニー社製J57を搭載しました。この案を空軍が採用し1951年11月には制式に発注を得て、1952年5月には試作機が初飛行に成功します。年末には時速1,215kmという世界速度記録を打ち立てています。

F-100C型からは空中給油能力が付与され、その他、徐々に対地攻撃能力が強化されていきました。最も多く製造されたF-100D型は、低高度爆撃装置(LABS)を装備し爆撃能力を強化した戦闘爆撃機であり1,274機が製造されました。各型総じての生産数は2,294機でした。米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機として、C型が昭和31年(1956年)〜昭和38年(1963年)まで、D型が昭和39年(1964年)〜昭和43年(1968年)、D型は昭和34年(1959年)の極東ツアーにも使用されました。

冷戦が日々熱くなる軍拡時代、そして超音速ジェット黎明期、続々と米ロともに新型機が開発される中、1960年のベトナム戦争に参戦した際にはすでに旧式化しており、ソ連のMiG-17を撃墜することはできませんでした。また、挑戦的な機体が災いしてか889機という多数が事故によって失われています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-100A 試作機。2機製造
YQF-100 9機製造された無人標的機
F-100A 最初の量産型。203機製造
生産数2,294
スペック型式-
全 幅11.81m
全 長15.2m
全 高4.95m
翼面積37㎡
自 重9,500kg
総重量/最大離陸重量13,085kg
発動機J57-P-21/21A(4,544kg)×1
最大速度1,390km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離3,210km
乗 員1名
初飛行1953年5月25日
就 役1954年9月
退 役1979年
兵 装

ロッキードXF-90

Lockheed XF-90
ロッキードXF-90Lockheed XF-90

長距離侵攻戦闘機計画

洗練されたフォルムながらふるわず

※文頭写真:長距離侵攻戦闘機計画からうまれた、XF-90。PHOTO USAF

ロッキードXF-90(1949)はアメリカ空軍(陸軍航空隊)の長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画に従って開発された2機のうちの一つです。

アメリカ空軍と海軍は核爆弾という最終兵器の運用を巡り対立していました。空軍は長距離爆撃機による運用を主張し、海軍は航空母艦での運用を主張していました。空軍の長距離爆撃機運用の弱点は、それを護衛する長距離戦闘機がないということでした。

後には超音速かつ超高高度のジェット爆撃機やステルス爆撃機がうまれますが、この時代は空中給油すらありませんでしたから、ひたすら航続距離の長い戦闘機が望まれました。

こういった事情から空軍は長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画を立て、それに従い、2社がそれぞれ1機ずつ開発を進めました。一つは本機XF-90、もう一つはマクドネルXF-88ブードゥーでした。

本機はロッキード社が開発し、空軍発の本格的ジェット戦闘機として配備されていたP-80シューティングスターを基本に開発されました。主翼は後退翼化され、全体のフォルムは鋭くまとめられて見た目はとても美しく高性能を予感させます。

しかし、1949年6月の初飛行の結果はまったくふるわず、競作機のXF-88ブードゥーに劣るものでした。そうこうするうちに朝鮮戦争が勃発し、予算獲得も難航する中、計画自体が中止となってしまい、採用されることはありませんでした。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数2
スペック型式-
全 幅12.20m
全 長17.11m
全 高4.8m
翼面積32.05㎡
自 重8,204kg
総重量/最大離陸重量12,338kg
発動機J34-WE-15(1,635kg)×2
最大速度1,064km/h
実用上昇限度11,890m
戦闘行動半径-
航続距離3,680km
乗 員1名
初飛行1949年6月3日
就 役-
退 役-
兵 装

マクドネルXF-88ヴードゥー

McDonnell XF-88 Voodoo
マクドネルXF-88ヴードゥーMcDonnell XF-88 Voodoo

米空軍、長距離侵攻戦闘機計画の一

良好な性能ながら試作機におわる

※文頭写真:XF-88ブードゥー。PHOTO USAF

マクドネルXF-88ブードゥー(1948)はアメリカ空軍が開発した長距離戦闘機です。第2次世界大戦後、アメリカ空軍と海軍は最終兵器である核爆弾を巡って火花を散らしていました。

空軍は兵器の人体実験として日本に2発も投下したように長距離爆撃機による核爆弾運用を、海軍は航空母艦による核運用を主張しており、海軍が空軍の長距離爆撃機運用の穴としてついていたのは長距離護衛戦闘機がないことでした。長距離護衛戦闘機がなければ、近場に基地を確保することになり、それならば航空母艦を運用すればよいということです。

こういった事情から空軍は長距離爆撃機を護衛する長距離戦闘機の開発「長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画を立て、2機の戦闘機を開発していました。1機は本機XF-88、もう1機はロッキード社のXF-90でした。

本機は1948年6月に初飛行し航続距離約2,800kmとまずまずの性能を発揮しましたが、長距離爆撃機の護衛機としては性能不足であり、さらには朝鮮戦争も勃発したため計画は試作機のみで中止となりました。

マクドネル社は本機の開発を後にマクドネルF-101ブードゥーにいかしています。それは、全体の形状が似ていること、愛称が継承されていることから想像できます。

運用者-
主要なバリエーションXF-88 最初の試作機
XF-88A 2次試作機。エンジン換装
XF-88B ターボプロップエンジンを機種に追加した試作機
生産数2
スペック型式-
全 幅12.9m
全 長16.48m
全 高5.25m
翼面積32.52㎡
自 重5,507kg
総重量/最大離陸重量8,392kg
発動機J34-WE-22(1,905kg)×2
最大速度1,136km/h
実用上昇限度12,009m
戦闘行動半径-
航続距離2,779km
乗 員1名
初飛行1948年10月20日
就 役-
退 役-
兵 装

ノース・アメリカンF-86Dセイバー

North American F-86D Sabre
ノース・アメリカンF-86DセイバーNorth American F-86D Sabre

F-86の全天候型

良くも悪くも肝となった先進の火器管制装置

※文頭写真:全天候型へと進化したF-86Dセイバー。レーダーを収めるために突き出したノーズコーンの様子から、セイバードッグと呼ばれました。PHOTO USAF

ノースアメリカンF-86Dセイバーはアメリカ空軍のジェット戦闘機。ジェット戦闘機史上の傑作F-86セイバーを基本として開発された単座の全天候型戦闘機です。

第2次世界大戦が終わると東西の覇権争いが生じ、ソ連が開発する長距離爆撃機はアメリカの新たな脅威となっていました。これらに対処するためアメリカ本土を守る全天候型の戦闘機が必要になります。

本機は名機F-86セイバーを基本にするとはいえ共通部品は約20%にとどまったため、計画はYF-95Aという新しいナンバーで始まりましたが、途中からYF-86Dに変更されています。F-86の発展型とすることで議会の予算承認を円滑に進めるためだと思われます。

試作機は1949年12月に初飛行し1952年に就役しています。試作機初飛行から就役まで間が空いているのは、全天候型ならではの火器管制システム(FCS)の開発に手間取ったためです。

この時代の全天候型戦闘機は操縦士とは別にレーダーの操作員が登場するため、2名が搭乗する複座型が普通でしたが、F-86Dは火器管制システム(FCS)の自動化を計り単座型としていました。そのため、当時としては格段に複雑なシステム開発に挑んでいました。

このシステムはE-4と呼ばれ、AN/APG-36全天候型レーダーを中心にAPA-84コンピュータ、ロケット弾照準器などを総合的に運用し、自動攻撃能力を付与されていました。最大捜索距離は約56kmといわれています。

F-86Dセイバー。PHOTO USAF
F-86Dセイバー。PHOTO USAF

F-86と本機F-86Dの共通部品は約20%しかありませんから、全体のフォルムも異なっています。最も特徴的なのはセイバードッグという愛称の由来となった犬の鼻のような機首です。F-86の空気取入口(インテイク)だった部分に出っ張っている部分にはレーダーが収められ。空気取入口はその下に配置されています。

胴体はF-86よりも太くなり、エンジンはF-86A型のJ47-GE-13からJ47-GE-17に換装されています。上空を飛ぶソ連の長距離爆撃機からアメリカ本土を守る迎撃機という性質上、強力な上昇力と高速性能が必要であったためです。

アメリカ空軍の戦闘機としては初めて機銃が取り外されたことも大きな変更点です。爆撃機を撃墜するために武装は24連式の空対空ロケット弾であるマイティ・マウスのみとなっています。これを火器管制システム(FCS)により制御・発射します。

F-86Dは配備後も肝といえる複雑な電子機器やエンジンに関するトラブルが頻発し、整備にとても手間と金のかかる機体でした。それでも重要な機種と位置づけられていたため、改修や整備は続きました。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
デンマーク空軍
フランス空軍
ドイツ空軍
ギリシャ空軍
ホンジュラス空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
フィリピン空軍
トルコ空軍
タイ空軍
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーション-
生産数2,847
スペック型式-
全 幅11.31m
全 長12.27m
全 高4.57m
翼面積26.75㎡
自 重6,132kg
総重量/最大離陸重量9,060kg
発動機J47-GE-17B(2,460kg/AB 3,400kg)×1
最大速度1,115km/h
実用上昇限度15,163m
戦闘行動半径450km
航続距離1,238km
乗 員1名
初飛行1949年12月22日
就 役1951年3月
退 役1967年
兵 装

ノース・アメリカンF-86セイバー

North American F-86 Sabre
ノース・アメリカンF-86セイバーNorth American F-86 Sabre

歴史的傑作機

アメリカ初の後退翼ジェット戦闘機

※文頭写真:USAF

ノースアメリカンF-86Fセイバー(1947-1967)は世界で初めて試作機が初飛行したアメリカ空軍の後退翼ジェット戦闘機。傑作戦闘機との呼び声高い名機であり、約1万機もの生産数を誇り、日本の航空自衛隊も使用しました。

戦闘機の動力は第2次世界大戦後期〜朝鮮戦争の時代、レシプロエンジンからジェットエンジンに移行しつつあり、それにともない最高速度はレシプロ機の時速約750kmから超音速へと向かっていました。

朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF
朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF

速度が高速化すると機体設計が変わってきます。第2次世界大戦においてレシプロ戦闘機最大の生産国であったアメリカもジェット戦闘機開発においてはドイツとイギリスに先行されていました。

第2次世界大戦の最高レシプロ機といってもいいP-51マスタングを開発したアメリカのノースアメリカン社は、大戦の行方がほぼ定まっていた1944年後半、ジェット戦闘機の開発を開始します。

これが後に傑作機F-86となりますが、当初の試作機は性能的に競合していたXP-84(後のF-84)に及びませんでした。しかし、折しも1945年5月にドイツが敗れ、連合軍はその進んだジェット機開発の技術を収奪したため、膨大な資料がアメリカにもたらされます。

1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF
1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF

ノースアメリカン社は、アメリカにもたらされたドイツの先進技術の中でも特に主翼に角度をつけた後退翼に関する研究データをF-86の開発に取り入れます。後退翼はジェット戦闘機の高速性能を画期的に引き上げる技術でした。そしてその高速化にともなって低下する低速性能を補うための揚力装置(自動スラット)などの技術もあわせてドイツの資料から取り入れます。

空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF
空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF

F-86の試作機XP-86の1号機は1947年10月に初飛行します。後退翼を搭載した初めてのジェット戦闘機としては、「ミグショック」といわれ朝鮮戦争でアメリカを恐怖させた高性能機MiG-15が有名ですが、初飛行は1947年末でありこの点ではF-86の方が3か月ほど早いことになります。

XP-86はいくつかの改良を経ながら期待通りの高性能ぶりを発揮し、1948年にはエンジンをGE35からより強力なJ47に換装した最初の量産型が初飛行します。また、時速1,079.49kmという世界速度記録も打ち立てています。

1950年に朝鮮戦争が勃発しますが、当初北朝鮮の空軍力は無いに等しく、F9FパンサーP-80シューティングスターF-84Gサンダージェットといった直線翼のジェット戦闘機で充分な状態でした。しかしすぐに中国が参戦、中国経由で後退翼を採用したソ連の高性能戦闘機MiG-15が出現すると、上記の直線翼戦闘機では分が悪くアメリカの制空権は一挙に脅かされることとなりました。

慌てたアメリカ軍は就役したばかりのF-86セイバーを極東を派遣し、ここに史上初の後退翼ジェット戦闘機による空戦が勃発。上昇力や高々度性能などはMiG-15の方が優れていたものの、エース級を投入したことによる優れたパイロットの技量とレーダー性能によりF-86は損失78機に対して800機のMiG-15を撃墜しました。

朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF
朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF

F-86はその後も数々の派生型を生み、艦載機型も造られました(FJ-3フューリー)。アメリカでは1950年代後半〜60年代にかけて超音速機が配備されるようになると前線から姿を消していきますが、1990年代まで世界各国で使用され続けました。

2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF
2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF

航空自衛隊では、エンジンをJ47-GE-27に換装したF-86F 435機が主力戦闘機として使用されました。さらにF-86を全天候型とした発展型のF-86Dも122機配備されています。航空自衛隊曲技飛行隊ブルーインパルスの初代使用機であり、航空自衛隊では「旭光(きょっこう)」と呼ばれていました。1964年の東京オリンピックで大空に五輪旗を描いていた機体はこのF-86です。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
アルゼンチン空軍
ベルギー空軍
ボリビア空軍
カナダ空軍
コロンビア空軍
デンマーク空軍
エチオピア空軍
ドイツ空軍
ホンジュラス空軍
イラン空軍
イラク空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
ペルー空軍
フィリピン空軍
ポルトガル空軍
台湾空軍
サウジアラビア空軍
南アフリカ空軍
スペイン空軍
タイ空軍
チュニジア空軍
トルコ空軍
コンゴ
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF-86 試作機。3機製造
YF-86A 試作機。エンジン換装。3機製造
F-86A 量産型。554機製造
DF-86A 無人標的機
RF-86A 偵察機
F-86B 改良型
F-86C 侵攻戦闘機型に大幅改修。後にYF-93Aに名称変更
F-86D 大幅に改修された全天候戦闘機型。機種の形状が特徴的。航空自衛隊でも使用された
F-86G D型のエンジン換装
F-86K 主にNATO向け輸出型
F-86L D型の改修型。電子装置など
F-86E 全誘導水平安定尾翼導入型
QF-86E 標的機
F-86F エンジン換装など。航空自衛隊でも使用された
QF-86F 標的機
RF-86F 偵察機。航空自衛隊でも使用された
TF-86F 複座練習機
生産数9,860
スペック型式F-86F
全 幅11.28m
全 長11.53m
全 高4.52m
翼面積29.11㎡
自 重5,046kg
総重量/最大離陸重量8,234kg
発動機J47-GE-27(2,680kg)×1
最大速度1,106km/h
実用上昇限度15,100m
戦闘行動半径730km
航続距離2,454km
乗 員1名
初飛行1947年10月1日
就 役1949年2月
退 役1967年
兵 装