「戦闘攻撃機」タグアーカイブ

マクドネルF-110スペクター

McDonnell F-110 Spector
マクドネルF-110スペクターMcDonnell F-110 Spector

F-4ファントムⅡの空軍型

アメリカ空・海軍双方に大量採用された初めての例

※文頭写真:アメリカ海軍のF-4ファントムⅡはその優秀さ故に、メンツを超えてアメリカ空軍にも採用され、F-110スペクターとなりました。PHOTO USAF

マクドネルF-110スペクターは、アメリカのマクドネル社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。
F-110はF-4ファントムⅡの別名。F-4ファントムⅡは船の上(航空母艦)という制約からジェット戦闘機開発に苦しんできたアメリカ海軍が、苦難の末に手にした傑作艦上戦闘機です。初飛行は1958年(昭和33年)5月27日、1960年(昭和35年)から就役し1996年(平成8年)まで活躍しています。

1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF

1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF

アメリカの空軍と海軍は、ご多分に漏れずメンツをかけて何かにつけて競い合ってきました。その空軍が、花形の戦闘機採用において海軍の開発した艦上戦闘機を大量に採用するなどということは、前代未聞でした。それほどにF-4ファントムⅡは高性能であったわけですが、理由はそれだけではありません。ロバート・マクナマラという国防長官の存在が大きな要因を占めています。

ロバート・マクナマラはハーバード出身でアメリカ陸軍航空軍の統計管理局で活躍し、戦後はフォード一族以外では初めてフォードの社長となり、1960年にジョン・F・ケネディが大統領選に勝利すると国防長官として白羽の矢が立ちます。

システム分析や統計学を駆使するマクナマラは、それまで空軍・海軍それぞれが独自に行っていた戦闘機開発を統合を企図し、その手始めとして開発中であったハイコストのF-106デルタダートの代わりに、海軍が開発していたF-4ファントムⅡを採用させようとします。

1961年(昭和36年)、空軍が開発していたF-106F-4の飛行試験が行われます。速度、上昇限度、航続距離、レーダー性能、爆撃能力、整備性など多くの面でF-4F-106を上回りますが、最新鋭のハイテク防空システム、半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)の装置が搭載できないということで、F-106の生産は続行されます。

1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF
1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

しかし、アメリカ空軍がF-106に続く次期戦闘機として開発していたF-111アードバーグの開発が遅れており、その穴埋めとしてF-4が採用されることとなり、名称を空軍名F-110スペクターに変更しました。その後1962年(昭和37年)にアメリカ三軍の呼称統一が施行され、F-110スペクターから再びF-4CファントムⅡに変更されました。

空軍型F-4シリーズの決定版ともいえるF-4E型は1967年(昭和42年)6月30日に初飛行、各国へと供与され1,389機が生産されました。マクドネル社は、艦載機として開発したF-4ファントムⅡが空軍機として採用されたことで、より生産数を伸ばし西側戦闘機としては史上最多の5,000機以上が生産されました。

最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF
最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF

F-4Eは1966年(昭和41年)、日本の第2次F-X(主力戦闘機)選定によりF-86Fの後継として選ばれました。日本の航空自衛隊向けF-4EはF-4EJとして154機が調達され、そのうちのほとんどがライセンス生産されました。そして1980年(昭和55年)にF-15Jが採用されるまで日本防空の主軸を担いました。F-15Jに主役の座を譲ってからも現役にとどまり、平成28年(2016年)のいまも活躍し続けています。

航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊

運用者アメリカ空軍
McDonnell F-4 PhantomⅡの項参照
主要なバリエーションF-4C 海軍のF-4Bを空軍用に改修。空軍F-4最初の量産機
EF-4C 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
RF-4C 写真偵察機
F-4D C型の改良型
EF-4D D型を改装した敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
F-4E 空軍型F-4の決定版。1,389機製造
RF-4E 偵察機
F-4G 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
生産数5,195
スペック型式F-4E
全 幅11.71m
全 長19.20m
全 高5.02m
翼面積49.2㎡
自 重13,757kg
総重量/最大離陸重量27,970kg
発動機J79-GE-17A(5,356kg/AB 8,119kg)×2
最大速度2,370km/h
実用上昇限度18,975m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日/1963年5月(F-110)
就 役1963年11月
退 役1996年4月
兵 装

ノース・アメリカンF-107

North American YF-107
ノース・アメリカンF-107North American YF-107

名機セイバーの進化形を目指す

F-105採用により試作機にとどまる

※文頭写真:空軍博物館に保管されているF-107A。PHOTO USAF

ノースアメリカンYF-107(1956)は、F-100スーパーセイバーの発展型を期して開発されたアメリカ空軍の戦闘機です。F-100は名機F-86セイバーの後継ですから、名機F-86の究極型を目指したものともいえます。しかし、Yの字がある通り試作に終わっています。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スーパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノースアメリカン社はF-86セイバーの進化版であるF-100の開発と同時に、セイバーの血を受け継ぐさらなる新型機を研究していました。当初はF-100Bという名称で、F-100Aの改良版といった内容で1953年3月にアメリカ空軍より発注を受けます。

しかし、日進月歩で進歩するジェット戦闘機の世界、同年10月には同じ時期に開発されていたマッハ2級かつ核兵器搭載能力を持つF-105と同等のスペックを求めた内容に変更されます。

これにより、設計構想は大幅に変わり、一瞥して判るように胴体上方に空気取入口(インテイク)を設けた機体はいかにも高速迎撃機といった様相です。1956年には初飛行に成功していますが、そもそも本命であったF-105が上々の試験結果を出していたため1957年、F-105採用がきまりF-107は3機の試作機をもって開発終了となりました。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数3
スペック型式-
全 幅11.15m
全 長18.85m
全 高5.89m
翼面積35㎡
自 重10,295kg
総重量/最大離陸重量18,033kg
発動機YJ75-P-9(7,640kg)×1
最大速度Mach2(2,450km/h)+
実用上昇限度16,220m
戦闘行動半径-
航続距離3,885km
乗 員1名
初飛行1956年9月10日
就 役-
退 役1957年11月
兵 装

リパブリックF-105サンダーチーフ

Republic F-105 Thunderchief
リパブリックF-105サンダーチーフRepublic F-105 Thunderchief

爆撃能力の高い戦闘機

多大な兵器搭載量を誇る

※文頭写真:1960年代のF-105Dサンダーチーフ。PHOTO USAF

リパブリックF-105サンダーチーフ(1955-1983)は、リパブリック社が開発したアメリカ空軍の戦闘爆撃機です。軽爆撃機顔負けの爆弾搭載量を持つ戦闘機であり、当時の大型核爆弾を胴体内に収容することも可能でした。

この機体は1966年(昭和41年)ベトナム戦争において撃墜されたF-105D。PHOTO USAF
この機体は1966年(昭和41年)ベトナム戦争において撃墜されたF-105D。PHOTO USAF

1951年からリパブリック社の自社プロジェクトとして始まり、1952年にアメリカ空軍より開発の発注を受け、1955年に初飛行に成功しました。この初飛行は本命とされていたJ75エンジンが間に合わず、1956年の試作機YF-105Bに搭載されました。YF-105BではJ75エンジンの他、エリアルールやアフターバーナー可変ノズルを導入するなどしてマッハ2を記録しています。

F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF
F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF

F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF
F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF

戦闘機というより爆撃機では? といわれるように、最大離陸重量は23,967kgもあり、F-104の12,630kg、F-106の15,670kgと比べるとその搭載能力がわかります。胴体内に当時の大型核爆弾を搭載できるということは、一番のポイントでしょう。

ベトナム戦争中のF-105D。戦闘機というよりも爆撃機ではないかといわれる程、爆撃能力の高かったF-105。写真の機体はM117、750lb爆弾を満載して対地爆撃任務についています。PHOTO USAF
ベトナム戦争中のF-105D。戦闘機というよりも爆撃機ではないかといわれる程、爆撃能力の高かったF-105。写真の機体はM117、750lb爆弾を満載して対地爆撃任務についています。PHOTO USAF

ベトナム戦争(1960-1975)では空爆のメイン機として活躍しながらMiG-17の撃墜記録を残しています。戦争中に385機が失われており、危険な任務にあたっていたことがわかります。

戦闘機でありながら多くの爆弾を搭載し、敵戦闘機を撃墜するという点では現在主流のマルチロール戦闘機の先駆けといいたいところですが、爆撃任務の途中で敵戦闘機に遭遇し空戦となると爆弾を投棄せざるを得ず、爆撃任務は遂行不能となってしまいます。

F-105Dのコクピット。PHOTO USAF
F-105Dのコクピット。PHOTO USAF

昭和39年(1964年)の2か月間、F-105Bがアメリカ空軍曲技飛行隊サンダーバーズに採用されます。しかし、機体が大きすぎ機動性にも曲技飛行には不向きであった上に、事故が発生したことから再び以前の使用機であったF-100スーパーセイバーに戻されました。

敵防空網制圧(SEAD)任務を遂行するワイルド・ウィーゼル機であるF-105Gは1980年代まで活躍しました。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションYF-105A 試作機。2機製造
YF-105B 試作機。4機製造。エンジン換装など
F-105B 初期量産型。AN/APN-105レーダー装備。71機製造
JF-105B 試験機。RF-105Bを改造
RF-105B 偵察機。オーサーのみでキャンセル
F-105C 複座の練習機。計画のみ
F-105D 主力となった量産型。主に電子装備を強化し全天候能力と爆撃精度を向上
RF-105D F-105Dの偵察機型。計画中止
F-105E F-105Dの複座練習機。計画中止
F-105F F-105Dの複座型
EF-105F F-105Fを改装した敵防空網制圧(ワイルド・ヴィーゼル)機。54機をF-105Fから改装
F-105G F-105Fの敵防空網制圧能力を強化した複座型
生産数833
スペック型式F-105D
全 幅10.64m
全 長19.63m
全 高5.99m
翼面積35.77㎡
自 重12,475kg
総重量/最大離陸重量23,967kg
発動機J75-P-19W(7,800kg)×1
最大速度2,237km/h
実用上昇限度15,544m
戦闘行動半径1,500km
航続距離3,550km
乗 員1名
初飛行1955年10月22日
就 役1959年6月
退 役1983年
兵 装

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー

North American F-100 Super Sabre
ノース・アメリカンF-100スーパーセイバーNorth American F-100 Super Sabre

世界初、実用超音速戦闘機

名機F-86の後継

※文頭写真:傑作機F-86セイバーの後継、世界初の実用超音速戦闘機として華々しく登場したF-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー(1953-1979)はノース・アメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。世界初の実用超音速戦闘機として知られるアメリカ空軍センチュリーシリーズのトップバッターです。

センチュリーシリーズとは、アメリカ空軍の100番台の型番がつく戦闘機を総じていいます。全て超音速戦闘機であり、以下の6機を指します。本機F-100スーパーセイバー、マクドネルF-101ブードゥーコンベアF-102デルタダガーロッキードF-104スターファイターリパブリックF-105サンダーチーフコンベアF-106デルタダート

超音速ジェット戦闘機が実用化し始めた時期であり、第2次世界大戦が終わり東西冷戦が日に日に熱くなっていた時代です。戦闘機の開発もいけいけどんどんといった様相で、F-100が初飛行しのが1953年5月、センチュリーシリーズ最後のF-106は1956年12月に初飛行しており、その間わずか3年半ほどしかありません。

アメリカ海軍でも同時期に試作機を含め6機が開発されていますから、アメリカ空・海はこの3年半の間に12機もの戦闘機を初飛行させているということになります。

F-100はスーパーセイバーという愛称が示すように、初めて後退翼を採用したアメリカ空軍の傑作機F-86セイバーの後継機として開発されました。

F-86は当初直線翼のそれまでと基本的に変わらない戦闘機として計画されましたが、ドイツの敗戦によりジェット戦闘機の先端技術を連合国が収奪しアメリカにもそれがもたらされると、急遽ドイツの技術を取り入れた最先端の後退翼機として開発され、大成功を収めました。

F-86の成功体験を得たノースアメリカン社は、自社資金でF-86の発展型を研究し1949年2月から開発が始まりました。写真をみればすぐ感じられるように、後継といっても形状はあまり似ていません。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スパーセイバー。PHOTO USAF

主翼の後退角はF-86の35度から45度になりエンジンはプラット&ホイットニー社製J57を搭載しました。この案を空軍が採用し1951年11月には制式に発注を得て、1952年5月には試作機が初飛行に成功します。年末には時速1,215kmという世界速度記録を打ち立てています。

F-100C型からは空中給油能力が付与され、その他、徐々に対地攻撃能力が強化されていきました。最も多く製造されたF-100D型は、低高度爆撃装置(LABS)を装備し爆撃能力を強化した戦闘爆撃機であり1,274機が製造されました。各型総じての生産数は2,294機でした。米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機として、C型が昭和31年(1956年)〜昭和38年(1963年)まで、D型が昭和39年(1964年)〜昭和43年(1968年)、D型は昭和34年(1959年)の極東ツアーにも使用されました。

冷戦が日々熱くなる軍拡時代、そして超音速ジェット黎明期、続々と米ロともに新型機が開発される中、1960年のベトナム戦争に参戦した際にはすでに旧式化しており、ソ連のMiG-17を撃墜することはできませんでした。また、挑戦的な機体が災いしてか889機という多数が事故によって失われています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-100A 試作機。2機製造
YQF-100 9機製造された無人標的機
F-100A 最初の量産型。203機製造
生産数2,294
スペック型式-
全 幅11.81m
全 長15.2m
全 高4.95m
翼面積37㎡
自 重9,500kg
総重量/最大離陸重量13,085kg
発動機J57-P-21/21A(4,544kg)×1
最大速度1,390km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離3,210km
乗 員1名
初飛行1953年5月25日
就 役1954年9月
退 役1979年
兵 装

リパブリックF-84Fサンダーストリーク

Republic F-84F Thunderstreak
リパブリックF-84FサンダーストリークRepublic F-84F Thunderstreak

F-84の進化型

F-84を後退翼化

※文頭写真:USAF

F-84Fサンダーストリーク(1950-1971)は、F-86A〜E、Gサンダージェットの発展型として開発された米空軍のジェット戦闘機です。直線翼から後退翼となったことが大きな特徴です。

F-84A〜E、Gサンダージェットはスマートな胴体と兵器搭載量の多さ、航続距離の高さから7,500機以上が生産されました。初期にみられた主翼の脆弱性も改良され、信頼性の高い機体として活躍しました。

F-84を後退翼化したF-84F。PHOTO USAF
F-84を後退翼化したF-84F。PHOTO USAF

F-86A〜E、Gを後退翼化したF-84Fは、当初YF-96Aとして計画されていましたが、内容的にはF-84Eの設計や部品を使用するF-84Eの発展型でした。一旦はテストの不調から計画は頓挫しそうになりす。

しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、F-86A〜E、Gの発展型として兵器搭載量と航続距離、高速性能に優れた機体となりそうな本機は戦闘爆撃機として米空軍に期待されます。

ロケットポッドを搭載して出撃するF-84Fサンダーストリーク。PHOTO USAF
ロケットポッドを搭載して出撃するF-84Fサンダーストリーク。PHOTO USAF

空軍の本機への期待から計画名もYF-96Aから予算の通りやすい発展型であることを強調したF-84Fに変更されます。試作機は1951年2月には初飛行し、まずまずの成功を収めます。特に当時のジェット戦闘機の弱点であった航続距離に優れていたことは空軍の期待どおりでした。

本機の航続距離は3,400km(12,701kg)もあります。元となったF-84Gの3,200km(10,590kg)に比べても優れ、P-80の1,330km(7,645kg)、F-86セイバーの2,454km(8,234kg)、P-89(16,869kg)の2,200kmと比べると格段に優れていることがわかります。

航続距離数字の( )内は最大離陸重量です。これを比べてもF-84Fは優れた数字を示しています。航続距離と兵器搭載量が優れているということは、空対空の戦闘もこなしながら爆撃任務を遂行できる戦闘爆撃機として高性能です。さらには核兵器も搭載可能ですからその幅は広がります。

駐機する約100機のF-84F。1961年(昭和36年)のベルリン危機に展開する部隊です。PHOTO USAF
駐機する約100機のF-84F。1961年(昭和36年)のベルリン危機に展開する部隊です。PHOTO USAF

F-84Fは空軍の期待を受けて約2,000機という大量発注を得たものの、イギリスのアームストロング・シドレー社からライト社がライセンス生産していたJ65エンジンがうまくいきません。当時はジェットエンジン先進国はイギリスでありアメリカはまだまだといった状況でした。

結局、本機の配備は朝鮮戦争に間に合いませんでしたが、約3,500機が生産され1971年まで飛び続けました。昭和30年(1955年)の1シーズンだけですが、米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機となっています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
ドイツ空軍
ギリシャ空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-96 試作機
YF-84F 2次試作機
RF-84F 偵察機型
XF-84H ターボプロップ+超音速プロペラの複合試作機
生産数3,428
スペック型式-
全 幅10.25m
全 長13.23m
全 高4.39m
翼面積30.19㎡
自 重6,260kg
総重量/最大離陸重量12,701kg
発動機J65-W-3(3,280kg)×1
最大速度1,119km/h
実用上昇限度14,000m
戦闘行動半径1,304km
航続距離3,440km
乗 員1名
初飛行1950年6月3日
就 役1952年11月
退 役1971年
兵 装

リパブリックF-84A〜E、Gサンダージェット

Republic F-84A〜E,G Thunderjet
リパブリックF-84A〜E、GサンダージェットRepublic F-84A〜E,G Thunderjet

初めて核兵器/空中給油装置を搭載

本格ジェット戦闘機を目指したF-80の後継

※文頭写真:オハイオ州デイトンのアメリカ空軍博物館に展示されているF-84。時代の雰囲気が匂い立ってきます。かっこいい。PHOTO USAF

リパブリックF-84サンダージェット(1946-1958)はリパブリック社が開発したアメリカ空軍のジェット戦闘機です。リパブリック・アビエーション社は第2次世界大戦後期、アメリカ陸軍航空隊の主力戦闘機であり15,660機もの生産数を誇ったP-47サンダーボルトを開発した実績ある会社です。

アメリカ空軍は第2次世界大戦中の1944年1月にロッキードP-80シューティングスターを初飛行させ、1945年2月に就役していました。P-80はアメリカ最初の実用ジェット戦闘機としては成功作といえる出来でした。

P-80は初期のジェット戦闘機としては優秀な機体でしたが、開発開始からわずか半年という超特急で開発されたため詰めの甘い部分もありました。そこで、P-80を超えるジェット戦闘機を目指してアメリカ空軍がリパブリック社に開発を要求したのがF-84サンダージェットです。P-80が就役した1945年2月から1年後の1946年2月、F-84サンダージェットは初飛行に成功しており、史上初めて核兵器を搭載し、空中給油装置を備えたことは大きな特長といえます。

F-84は小径にもかかわらず大きな流量を扱えることに特長がある軸流エンジン、J35を搭載していたため、機体全体がとてもスマートで流麗な形状になっています。初期のジェット戦闘機に多く見られるように、機首に空気取入口(インテーク)が配され主翼はレシプロ時代と変わらない直線翼を採用していました。

1954年(昭和29年)1月9日、極東に配備されたアメリカ空軍のF-84サンダージェット。PHOTO USAF
1954年(昭和29年)1月9日、極東に配備されたアメリカ空軍のF-84サンダージェット。PHOTO USAF

エンジンの推力は2,450kgと不足していたものの、スマートなフォルムから高速性能は高く、当時の世界速度記録にも挑戦しています。そこでは時速983kmを記録しアメリカ機としては最高記録を軽々と塗り替えたものの、1946年にイギリスのグロスター・ミーティアが記録した最高記録、時速990.8kmにはわずかに及びませんでした。

1950年に朝鮮戦争が勃発するとF-84も参戦し主に対地攻撃に活躍しています。これは「ミグショック」といわれる程の衝撃であったソ連の高性能後退翼ジェット戦闘機MiG-15の存在があったためです。MiG-15が突如出現し、F-84も含め当時のアメリカ軍機では空中戦において太刀打ちできず、制空権を脅かされます。アメリカは同じ後退翼の高性能機F-86を投入してこの危機を乗り切りますが、F-84としては搭載量の多さ、長い航続距離を活かして主に対地攻撃に従事したというわけです。

F-84は本編のテーマである直線翼を持つA〜E、G型の他に発展型として後退翼化したF-84Fサンダーストリークがあります。F-84Gはアメリカ空軍曲技飛行チーム、サンダーバーズの初代使用機、発展型F-84Fサンダーストリークは2代目使用機に採用されています。

F-84Eコクピット。レシプロ時代の雰囲気を色濃く残しています。PHOTO USAF
F-84Eコクピット。レシプロ時代の雰囲気を色濃く残しています。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションXP-84 試作機。2機製造
XP-84A 試作機。エンジン換装など
YP-84A 量産試作機。15機製造
P-84B(F-84B) 最初の量産型。226機製造
F-84C エンジン換装。燃料・電気系統改良。191機製造
F-84D エンジン換装。各部を改良。154機製造
F-84E 胴体延長、レーダー式ガンサイトを初めて搭載。初の戦時下空中給油。843機製造
EF-84E テスト機
F-84G 戦闘爆撃機型
EF-84G ゼロ距離発進のテスト機
F-84KX 無人標的機。80機製造
RF-84G 偵察機型。
生産数7,524
スペック型式-
全 幅11.1m
全 長11.6m
全 高3.84m
翼面積24.15㎡
自 重5,200kg
総重量/最大離陸重量10,590kg
発動機J35-A-29(2,540kg)×1
最大速度770km/h
実用上昇限度12,350m
戦闘行動半径800km
航続距離3,200km
乗 員1名
初飛行1946年2月28日
就 役1948年2月
退 役1958年
兵 装

ジェネラル・ダイナミクスF-111B

General Dynamics F-111B

F111の米海軍型

失敗した統合計画

※文頭写真:USNAVY

ジェネラル・ダイナミクスF-111アードバーク(1964-1998/2010)は、アメリカが開発・採用した世界初の実用可変翼戦闘機です。戦闘機とはいっても空中戦ではなく、爆撃をメインとする戦術爆撃戦闘機です。

当初、米海空軍の統合戦闘機として開発されF-111Aが空軍型、F-111Bが海軍型として進められました。最終的には重量超過などを理由に海軍が難色を示し、F-111B(海軍型)は計画のみに終わりました。

詳しくはF-111の項をご覧ください。

運用者-
主要なバリエーションF-111A 最初の量産型。158機製造
F-111B 米海軍型。計画のみ
F-111C オーストラリア空軍型
F-111D 電子機器(アビオニクス)、エンジンなど改修
F-111E エアインテイク改修型
F-111F 最終量産型。電子機器やエンジンを換装。1996年まで使用された。106機製造
F-111G 訓練機
F-111K イギリス空軍向け。キャンセル
EF-111A 電子戦機。F-111Aを改造
生産数7
スペック型式-
全 幅21.34m
全 長20.35m
全 高4.80m
翼面積-
自 重19,540kg
総重量/最大離陸重量30,450kg
発動機TF-30-P-1(5,220kg/AB 8,640kg)×2
最大速度3,062km/h
実用上昇限度18,288m
戦闘行動半径1,460km
航続距離4,700km
乗 員2名
初飛行1965年5月18日
就 役-
退 役-
兵 装

ジェネラル・ダイナミクスF-111アードヴァーグ

General Dynamics F-111 Aardvark
ジェネラル・ダイナミクスF-111アードヴァーグGeneral Dynamics F-111 Aardvark

世界初の実用可変翼戦闘機

戦術爆撃機として大いに活躍

※文頭写真:USAF

ジェネラル・ダイナミクスF-111アードバーク(1964-1998/2010)は、アメリカが開発・採用した世界初の実用可変翼戦闘機です。戦闘機とはいっても空中戦ではなく、爆撃をメインとする戦術爆撃戦闘機です。

当初、米海空軍の統合戦闘機として開発されF-111Aが空軍型、F-111Bが海軍型として進められました。最終的には重量超過などを理由に海軍が難色を示し、F-111B(海軍型)は計画のみに終わりました。

飛行場で運用する空軍の陸上戦闘機と、航空母艦で運用する海軍の艦上戦闘機はそもそも要求される仕様が異なります。この点だけならF-4のように空軍・海軍ともに採用された機体もありますが、空軍は爆撃重視、海軍は敵戦闘機に対する防空を重視しており、さらには新しい技術であった可変翼を取り入れていたことなどが失敗の原因です。

実に優秀な爆撃性能を有する戦闘攻撃機となったF-111。PHOTO USAF
実に優秀な爆撃性能を有する戦闘攻撃機となったF-111。PHOTO USAF

この統合戦闘機というコンセプトは当時ジョン・F・ケネディ大統領の元で国防長官を務めていたロバート・マクナマラ(1916-2000)の発案によるものでした。それまで米空軍と海軍は別々に戦闘機を開発し、協力しあうというよりはむしろライバル心むき出しの関係にありました。

ロバート・マクナマラはハーバード大学卒業後、同校で教鞭をとり、会計士を経て第2次世界大戦中は米陸軍航空隊統計管理局に配属されていました。戦後は自動車会社フォードに採用され、フォード一族以外で初めて社長に就任した切れ者です。1960年ジョン・F・ケネディが大統領に就任すると、フォード社長に就任後まもない時期でしたが乞われて国防長官となりました。在任期間は1961年から1968年です。

システム分析を得意とするマクナマラはいわゆる文官として優勝な人物であり数々の戦略的成果を残していますが、統合戦闘機に関しては失敗したといわれています。米海軍はTFX(Tactical Fighter Experimental=実験的攻撃機)計画をすすめ、米海軍はFAD(Fleet Air Defence=艦隊防空)戦闘機計画をすすめていました。費用対効果を重視したマクナマラはコスト削減のため両者の計画を強引に統合します。

1987年(昭和62年)10月、訓練中のEF-111(電子戦機型)。PHOTO USAF
1987年(昭和62年)10月、訓練中のEF-111(電子戦機型)。PHOTO USAF

1961年10月に開発要求が各メーカーに提示され、その中からジェネラル・ダイナミクス案が選ばれます。いざ開発が始まると、空軍と海軍の異なる運用や主旨を満たそうとすることで機体重量は増加し、米海軍はF-111B計画をキャンセルしてしまいます。空軍型であるF-111Aはその後も開発が続き1964年12月に初飛行を行っています。

世界初の実用可変翼戦闘機であり、地形追従レーダーなど当時最新の技術を詰め込んだため、しばらくはトラブルにみまわれていましたが、ベトナム戦争中の1960年代末期に大きな検査・改修が行われたことで信頼性を高めていきます。その後、ベトナム戦争、リビア空爆、湾岸戦争などにおいて対地攻撃機として大いに活躍し、米空軍では1996年まで就役しました。

F-111アードバーグのコクピット。数多くの計器がところ狭しとならんでいます。PHOTO USAF
F-111アードバーグのコクピット。数多くの計器がところ狭しとならんでいます。PHOTO USAF

F-111は米空軍・海軍の統合戦闘機として失敗したわけですが、改修を続けて安定した運用性、優れた低空飛行能力と最大離陸重量45,300kg(自重21,410kg)という多大な兵器搭載量は特筆すべきものであり、米空軍の戦術爆撃機として非常に優秀な成果を残しました。

運用者アメリカ空軍
オーストラリア空軍
主要なバリエーションF-111A 最初の量産型。158機製造
F-111B 米海軍型。計画のみ
F-111C オーストラリア空軍型
F-111D 電子機器(アビオニクス)、エンジンなど改修
F-111E エアインテイク改修型
F-111F 最終量産型。電子機器やエンジンを換装。1996年まで使用された。106機製造
F-111G 訓練機
F-111K イギリス空軍向け。キャンセル
EF-111A 電子戦機。F-111Aを改造
生産数563
スペック型式F-111F
全 幅9.75m-19.2m
全 長22.4m
全 高5.22m
翼面積48.77㎡-61.07㎡
自 重21,400kg
総重量/最大離陸重量45,300kg
発動機TF30-P-100(8,119kg/AB 11,385kg)×2
最大速度2,665km/h
実用上昇限度20,100m
戦闘行動半径1,480km
航続距離5,950km
乗 員2名
初飛行1964年12月21日
就 役1967年7月
退 役1996年
兵 装

マクドネルF-4ファントムⅡ

McDonnell F-4 PhantomⅡ
マクドネルF-4ファントムⅡMcDonnell F-4 PhantomⅡ

真打、登場

艦上機にして最強の多用途戦闘機

※文頭写真:USNAVY

米海軍のマクドネルF-4ファントムⅡ(1958-)は、約5,200機が生産された最強の多用途戦闘機です。大きな機体に強力なエンジンを2発載せ、艦上戦闘機でありながら当時米空軍が保有していた高性能戦闘機群(センチュリーシリーズ)各機体の得意分野を、F-4一機で上回ってしまう程に優秀な戦闘機でした。

艦上戦闘機というのは航空母艦において運用されますから、広い飛行場・基地で運用される空軍の陸上戦闘機に比べて数多くの制約を課せられます。このことから、第2次世界大戦末期から始まったジェット戦闘機の開発において米海軍は後塵を拝していました。

米海軍は、1955年に初飛行した傑作機、チャンス・ボートF-8クルーセイダーにおいてようやく空軍機に劣らない戦闘機を艦上に配備することができました。その3年後1958年に本機F-4ファントムⅡが初飛行し、その高性能ぶりから今度は逆に米空軍が米海軍の開発したF-4を採用します。米海軍はさぞ晴れやかな気分だったことでしょう。

1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

米海軍がF-8、F-4と立て続けに傑作艦上戦闘機をうみだしていたこの時期、米海軍の航空母艦が大きな進歩を遂げていました。1955年、第2次世界大戦中に建造された排水量約30,000トンのエセックス級航空母艦にかわり、米海軍待望の超大型航空母艦、フォレスタル級が就役します。F-8はエセックス級でも運用可能でしたが、F-4はエセックス級では運用できませんでした。

この角度もファントムⅡはいい。名前といい形といいたまらない人にはたまらない、F-4ファントムⅡです。PHOTO USNAVY
この角度もファントムⅡはいい。名前といい形といいたまらない人にはたまらない、F-4ファントムⅡです。PHOTO USNAVY

フォレスタル級は、乗員約4,300名、60,000トンもの基準排水量を持ち、斜め着艦用飛行甲板(アングルド・デッキ)を採用、72機の艦上戦闘機を収容することができました。さらに、1954年以降は戦後就役したミッドウェイ級もアングルド・デッキ化されます。

アメリカの旗艦とも呼ばれたアメリカ海軍空母、USSコンステレーション艦上のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
アメリカの旗艦とも呼ばれたアメリカ海軍空母、USSコンステレーション艦上のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

航空母艦と艦上戦闘機は共に進化するものです。登場した当時、見る者を驚かせたという大型艦上戦闘機F-4はこれら航空母艦の進化に歩を合わせるように誕生した傑作艦上戦闘機でした。

アメリカ海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスのF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスのF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

防空能力においてはすでに運用されていた高性能機F-8クルーセイダーとF-4は同等でしたが、F-4は加えて対地攻撃にも秀でていました。F-8の離陸最大重量は13,000kgですが、F-4のそれは26,760kgもあります。それだけ多くの兵装を搭載することができるわけですから、艦上戦闘機において特に要求される多用途性が高まります。

アメリカのスミソニアン博物館に展示されるアメリカ海兵隊のF-PHOTO SMITHSONIAN NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM
アメリカのスミソニアン博物館に展示されるアメリカ海兵隊のF-PHOTO SMITHSONIAN NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM

速度記録、上昇記録など各種の世界記録を次々に更新したF-4の飛行性能は文句なく世界一であり、イギリス空軍が1964年に採用したのを始め、日本、スペイン、トルコ、エジプト、ギリシャなど各国に採用され、5,000機を超えるベストセラーとなりました。

アメリカ空軍のF-15と飛ぶ航空自衛隊のF-4EJ。1983年(昭和58年)夏の日米合同演習コープノース中の写真。PHOTO DoD
アメリカ空軍のF-15と飛ぶ航空自衛隊のF-4EJ。1983年(昭和58年)夏の日米合同演習コープノース中の写真。PHOTO DoD

世界を驚かせた高性能多用途艦上戦闘機、マクドネルF-4ファントムⅡは初飛行から半世紀以上を経たいまでも、数々の改修を受け世界の空を飛び回っています。

運用者アメリカ海軍
アメリカ空軍
アメリカ海兵隊
航空自衛隊
オーストラリア空軍
エジプト空軍
ドイツ空軍
イラン空軍
イスラエル空軍
スペイン空軍
トルコ空軍
イギリス空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF4H-1 試作機。2機製造
F4H-1F 追加の試作機。45機製造。後にF-4B
F4H-1 最初の量産型
F-4G アメリカ空軍の要求による敵防空網制圧機(SEAD/ワイルド・ヴィーゼル)。12機製造
YF-4G F-4Jの試作機
F-4J 海軍2次量産型。512機製造。ルックダウン能力などを加えた
F-4N F-4Bの改修機。227機改修
F-4S F-4Jの近代化改修型。構造強化
F-100A F-4Cの当初名
F-4C 空軍向け改修型。複操縦装置追加など
F-4D 空軍向けF-4Cの改修型。レーダー関連の性能向上など
EF-4D F-4Dを改修した防空網制圧機の試作型
F-4E F-4D改修型。エンジン換装、バルカン砲装備など
F-4G 空軍の敵防空網制圧機(SEAD)。F-4Eを改修
RF-4B 偵察機型。米海兵隊向けに46機が製造
RF-4C 偵察機型
RF-4E 偵察機型
F-4VG 可変翼改修型。計画のみ
生産数5,195
スペック型式-
全 幅11.7m
全 長17.78m
全 高4.95m
翼面積49.23㎡
自 重13,960kg
総重量/最大離陸重量26,760kg
発動機GE J79-GE-8B/8C/10×2(5,380kg/AB 8,120kg)
最大速度2,550km/h
実用上昇限度21,340m
戦闘行動半径960km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日
就 役1960年12月
退 役1992年1月
兵 装