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ロッキードF-94スターファイア

Lockheed F-94 Starfire
ロッキードF-94スターファイアLockheed F-94 Starfire

P-80の全天候型

中継ぎとして活躍

文頭写真:オハイオ州にあるアメリカ空軍博物館のF-94Cスターファイア。PHOTO USAF

ロッキードF-94スターファイヤー(1949-1959)は1949年に初飛行したアメリカ空軍の全天候型戦闘機です。航続距離・兵器搭載量に優れた信頼性の高いP-89スコーピオンが就役するまでの繋ぎとして開発されました。

F-94スターファイア。PHOTO USAF
F-94スターファイア。PHOTO USAF

F-94はアメリカ本土の空を長距離爆撃機から守るための迎撃機です。ということは戦後東の盟主となることが明白であったソ連の長距離爆撃機に対する備えであり、戦後の東西覇権争いは戦争終結間際のこの時期、切迫してことを表わしています。

第354戦闘要撃飛行隊のF-94C。1956年6月19日。PHOTO USAF
第354戦闘要撃飛行隊のF-94C。1956年6月19日。PHOTO USAF

ロッキード社は当時前線で活躍していたジェット戦闘機、ロッキードP-80シューティグスターの複座練習機TT-80を元にした全天候型戦闘機を計画、アメリカ空軍はこの案を採用して1949年7月には試作機が初飛行しています。

P-59エアラコメットという試験的な機体を経たためか、初の実用ジェットにして成功作となったP-80シューティングスター。PHOTO USAF
P-59エアラコメットという試験的な機体を経たためか、初の実用ジェットにして成功作となったP-80シューティングスター。PHOTO USAF

TT-80を元に機首にレーダーを搭載し、エンジンはアフターバーナーつきのJ33-A-33が搭載されました。P-80を70%以上流用した機体であり、要するに本格的な全天候型ジェット戦闘機(迎撃機)であるF-89スコーピオンが本格配備される前の繋ぎとして、一刻も速く、安価に仕上がればよかったわけです。

F-94Cのコクピット。PHOTO USAF
F-94Cのコクピット。PHOTO USAF

急ごしらえとはいえ、1950年から勃発した朝鮮戦争にも参加してMiG-15の夜間撃墜を達成、F-89が配備されるまで北米大陸の防空を担うなど全天候型ジェット戦闘機としての役割を果たしています。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションYF-94 TF-80Cを改造した試作機。2機製造
F-94A 最初の量産型。109機製造
YF-94B F-94Aの改良型
F-94B 量産型。355機製造
YF-94C エンジン換装など改良型
F-94C 全面改良された量産型。エンジン換装、固定武装廃止など。387機製造
EF-94C 偵察型の試作機
YF-94D C型を改造した単座の戦闘爆撃機型
F-94D 量産型。112機発注されるもののキャンセル
生産数855
スペック型式-
全 幅12.93m
全 長13.56m
全 高4.54m
翼面積21.63㎡
自 重5,764kg
総重量/最大離陸重量10,970kg
発動機J87-P-5(2,880kg/AB 3,970kg)×1
最大速度1,030km/h
実用上昇限度15,670m
戦闘行動半径1,300km
航続距離2,050km
乗 員2名
初飛行1949年4月16日
就 役1949年12月
退 役1959年
兵 装

ノース・アメリカンF-86セイバー

North American F-86 Sabre
ノース・アメリカンF-86セイバーNorth American F-86 Sabre

歴史的傑作機

アメリカ初の後退翼ジェット戦闘機

※文頭写真:USAF

ノースアメリカンF-86Fセイバー(1947-1967)は世界で初めて試作機が初飛行したアメリカ空軍の後退翼ジェット戦闘機。傑作戦闘機との呼び声高い名機であり、約1万機もの生産数を誇り、日本の航空自衛隊も使用しました。

戦闘機の動力は第2次世界大戦後期〜朝鮮戦争の時代、レシプロエンジンからジェットエンジンに移行しつつあり、それにともない最高速度はレシプロ機の時速約750kmから超音速へと向かっていました。

朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF
朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF

速度が高速化すると機体設計が変わってきます。第2次世界大戦においてレシプロ戦闘機最大の生産国であったアメリカもジェット戦闘機開発においてはドイツとイギリスに先行されていました。

第2次世界大戦の最高レシプロ機といってもいいP-51マスタングを開発したアメリカのノースアメリカン社は、大戦の行方がほぼ定まっていた1944年後半、ジェット戦闘機の開発を開始します。

これが後に傑作機F-86となりますが、当初の試作機は性能的に競合していたXP-84(後のF-84)に及びませんでした。しかし、折しも1945年5月にドイツが敗れ、連合軍はその進んだジェット機開発の技術を収奪したため、膨大な資料がアメリカにもたらされます。

1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF
1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF

ノースアメリカン社は、アメリカにもたらされたドイツの先進技術の中でも特に主翼に角度をつけた後退翼に関する研究データをF-86の開発に取り入れます。後退翼はジェット戦闘機の高速性能を画期的に引き上げる技術でした。そしてその高速化にともなって低下する低速性能を補うための揚力装置(自動スラット)などの技術もあわせてドイツの資料から取り入れます。

空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF
空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF

F-86の試作機XP-86の1号機は1947年10月に初飛行します。後退翼を搭載した初めてのジェット戦闘機としては、「ミグショック」といわれ朝鮮戦争でアメリカを恐怖させた高性能機MiG-15が有名ですが、初飛行は1947年末でありこの点ではF-86の方が3か月ほど早いことになります。

XP-86はいくつかの改良を経ながら期待通りの高性能ぶりを発揮し、1948年にはエンジンをGE35からより強力なJ47に換装した最初の量産型が初飛行します。また、時速1,079.49kmという世界速度記録も打ち立てています。

1950年に朝鮮戦争が勃発しますが、当初北朝鮮の空軍力は無いに等しく、F9FパンサーP-80シューティングスターF-84Gサンダージェットといった直線翼のジェット戦闘機で充分な状態でした。しかしすぐに中国が参戦、中国経由で後退翼を採用したソ連の高性能戦闘機MiG-15が出現すると、上記の直線翼戦闘機では分が悪くアメリカの制空権は一挙に脅かされることとなりました。

慌てたアメリカ軍は就役したばかりのF-86セイバーを極東を派遣し、ここに史上初の後退翼ジェット戦闘機による空戦が勃発。上昇力や高々度性能などはMiG-15の方が優れていたものの、エース級を投入したことによる優れたパイロットの技量とレーダー性能によりF-86は損失78機に対して800機のMiG-15を撃墜しました。

朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF
朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF

F-86はその後も数々の派生型を生み、艦載機型も造られました(FJ-3フューリー)。アメリカでは1950年代後半〜60年代にかけて超音速機が配備されるようになると前線から姿を消していきますが、1990年代まで世界各国で使用され続けました。

2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF
2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF

航空自衛隊では、エンジンをJ47-GE-27に換装したF-86F 435機が主力戦闘機として使用されました。さらにF-86を全天候型とした発展型のF-86Dも122機配備されています。航空自衛隊曲技飛行隊ブルーインパルスの初代使用機であり、航空自衛隊では「旭光(きょっこう)」と呼ばれていました。1964年の東京オリンピックで大空に五輪旗を描いていた機体はこのF-86です。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
アルゼンチン空軍
ベルギー空軍
ボリビア空軍
カナダ空軍
コロンビア空軍
デンマーク空軍
エチオピア空軍
ドイツ空軍
ホンジュラス空軍
イラン空軍
イラク空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
ペルー空軍
フィリピン空軍
ポルトガル空軍
台湾空軍
サウジアラビア空軍
南アフリカ空軍
スペイン空軍
タイ空軍
チュニジア空軍
トルコ空軍
コンゴ
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF-86 試作機。3機製造
YF-86A 試作機。エンジン換装。3機製造
F-86A 量産型。554機製造
DF-86A 無人標的機
RF-86A 偵察機
F-86B 改良型
F-86C 侵攻戦闘機型に大幅改修。後にYF-93Aに名称変更
F-86D 大幅に改修された全天候戦闘機型。機種の形状が特徴的。航空自衛隊でも使用された
F-86G D型のエンジン換装
F-86K 主にNATO向け輸出型
F-86L D型の改修型。電子装置など
F-86E 全誘導水平安定尾翼導入型
QF-86E 標的機
F-86F エンジン換装など。航空自衛隊でも使用された
QF-86F 標的機
RF-86F 偵察機。航空自衛隊でも使用された
TF-86F 複座練習機
生産数9,860
スペック型式F-86F
全 幅11.28m
全 長11.53m
全 高4.52m
翼面積29.11㎡
自 重5,046kg
総重量/最大離陸重量8,234kg
発動機J47-GE-27(2,680kg)×1
最大速度1,106km/h
実用上昇限度15,100m
戦闘行動半径730km
航続距離2,454km
乗 員1名
初飛行1947年10月1日
就 役1949年2月
退 役1967年
兵 装

リパブリックF-84Fサンダーストリーク

Republic F-84F Thunderstreak
リパブリックF-84FサンダーストリークRepublic F-84F Thunderstreak

F-84の進化型

F-84を後退翼化

※文頭写真:USAF

F-84Fサンダーストリーク(1950-1971)は、F-86A〜E、Gサンダージェットの発展型として開発された米空軍のジェット戦闘機です。直線翼から後退翼となったことが大きな特徴です。

F-84A〜E、Gサンダージェットはスマートな胴体と兵器搭載量の多さ、航続距離の高さから7,500機以上が生産されました。初期にみられた主翼の脆弱性も改良され、信頼性の高い機体として活躍しました。

F-84を後退翼化したF-84F。PHOTO USAF
F-84を後退翼化したF-84F。PHOTO USAF

F-86A〜E、Gを後退翼化したF-84Fは、当初YF-96Aとして計画されていましたが、内容的にはF-84Eの設計や部品を使用するF-84Eの発展型でした。一旦はテストの不調から計画は頓挫しそうになりす。

しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、F-86A〜E、Gの発展型として兵器搭載量と航続距離、高速性能に優れた機体となりそうな本機は戦闘爆撃機として米空軍に期待されます。

ロケットポッドを搭載して出撃するF-84Fサンダーストリーク。PHOTO USAF
ロケットポッドを搭載して出撃するF-84Fサンダーストリーク。PHOTO USAF

空軍の本機への期待から計画名もYF-96Aから予算の通りやすい発展型であることを強調したF-84Fに変更されます。試作機は1951年2月には初飛行し、まずまずの成功を収めます。特に当時のジェット戦闘機の弱点であった航続距離に優れていたことは空軍の期待どおりでした。

本機の航続距離は3,400km(12,701kg)もあります。元となったF-84Gの3,200km(10,590kg)に比べても優れ、P-80の1,330km(7,645kg)、F-86セイバーの2,454km(8,234kg)、P-89(16,869kg)の2,200kmと比べると格段に優れていることがわかります。

航続距離数字の( )内は最大離陸重量です。これを比べてもF-84Fは優れた数字を示しています。航続距離と兵器搭載量が優れているということは、空対空の戦闘もこなしながら爆撃任務を遂行できる戦闘爆撃機として高性能です。さらには核兵器も搭載可能ですからその幅は広がります。

駐機する約100機のF-84F。1961年(昭和36年)のベルリン危機に展開する部隊です。PHOTO USAF
駐機する約100機のF-84F。1961年(昭和36年)のベルリン危機に展開する部隊です。PHOTO USAF

F-84Fは空軍の期待を受けて約2,000機という大量発注を得たものの、イギリスのアームストロング・シドレー社からライト社がライセンス生産していたJ65エンジンがうまくいきません。当時はジェットエンジン先進国はイギリスでありアメリカはまだまだといった状況でした。

結局、本機の配備は朝鮮戦争に間に合いませんでしたが、約3,500機が生産され1971年まで飛び続けました。昭和30年(1955年)の1シーズンだけですが、米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機となっています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
ドイツ空軍
ギリシャ空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-96 試作機
YF-84F 2次試作機
RF-84F 偵察機型
XF-84H ターボプロップ+超音速プロペラの複合試作機
生産数3,428
スペック型式-
全 幅10.25m
全 長13.23m
全 高4.39m
翼面積30.19㎡
自 重6,260kg
総重量/最大離陸重量12,701kg
発動機J65-W-3(3,280kg)×1
最大速度1,119km/h
実用上昇限度14,000m
戦闘行動半径1,304km
航続距離3,440km
乗 員1名
初飛行1950年6月3日
就 役1952年11月
退 役1971年
兵 装

リパブリックF-84A〜E、Gサンダージェット

Republic F-84A〜E,G Thunderjet
リパブリックF-84A〜E、GサンダージェットRepublic F-84A〜E,G Thunderjet

初めて核兵器/空中給油装置を搭載

本格ジェット戦闘機を目指したF-80の後継

※文頭写真:オハイオ州デイトンのアメリカ空軍博物館に展示されているF-84。時代の雰囲気が匂い立ってきます。かっこいい。PHOTO USAF

リパブリックF-84サンダージェット(1946-1958)はリパブリック社が開発したアメリカ空軍のジェット戦闘機です。リパブリック・アビエーション社は第2次世界大戦後期、アメリカ陸軍航空隊の主力戦闘機であり15,660機もの生産数を誇ったP-47サンダーボルトを開発した実績ある会社です。

アメリカ空軍は第2次世界大戦中の1944年1月にロッキードP-80シューティングスターを初飛行させ、1945年2月に就役していました。P-80はアメリカ最初の実用ジェット戦闘機としては成功作といえる出来でした。

P-80は初期のジェット戦闘機としては優秀な機体でしたが、開発開始からわずか半年という超特急で開発されたため詰めの甘い部分もありました。そこで、P-80を超えるジェット戦闘機を目指してアメリカ空軍がリパブリック社に開発を要求したのがF-84サンダージェットです。P-80が就役した1945年2月から1年後の1946年2月、F-84サンダージェットは初飛行に成功しており、史上初めて核兵器を搭載し、空中給油装置を備えたことは大きな特長といえます。

F-84は小径にもかかわらず大きな流量を扱えることに特長がある軸流エンジン、J35を搭載していたため、機体全体がとてもスマートで流麗な形状になっています。初期のジェット戦闘機に多く見られるように、機首に空気取入口(インテーク)が配され主翼はレシプロ時代と変わらない直線翼を採用していました。

1954年(昭和29年)1月9日、極東に配備されたアメリカ空軍のF-84サンダージェット。PHOTO USAF
1954年(昭和29年)1月9日、極東に配備されたアメリカ空軍のF-84サンダージェット。PHOTO USAF

エンジンの推力は2,450kgと不足していたものの、スマートなフォルムから高速性能は高く、当時の世界速度記録にも挑戦しています。そこでは時速983kmを記録しアメリカ機としては最高記録を軽々と塗り替えたものの、1946年にイギリスのグロスター・ミーティアが記録した最高記録、時速990.8kmにはわずかに及びませんでした。

1950年に朝鮮戦争が勃発するとF-84も参戦し主に対地攻撃に活躍しています。これは「ミグショック」といわれる程の衝撃であったソ連の高性能後退翼ジェット戦闘機MiG-15の存在があったためです。MiG-15が突如出現し、F-84も含め当時のアメリカ軍機では空中戦において太刀打ちできず、制空権を脅かされます。アメリカは同じ後退翼の高性能機F-86を投入してこの危機を乗り切りますが、F-84としては搭載量の多さ、長い航続距離を活かして主に対地攻撃に従事したというわけです。

F-84は本編のテーマである直線翼を持つA〜E、G型の他に発展型として後退翼化したF-84Fサンダーストリークがあります。F-84Gはアメリカ空軍曲技飛行チーム、サンダーバーズの初代使用機、発展型F-84Fサンダーストリークは2代目使用機に採用されています。

F-84Eコクピット。レシプロ時代の雰囲気を色濃く残しています。PHOTO USAF
F-84Eコクピット。レシプロ時代の雰囲気を色濃く残しています。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションXP-84 試作機。2機製造
XP-84A 試作機。エンジン換装など
YP-84A 量産試作機。15機製造
P-84B(F-84B) 最初の量産型。226機製造
F-84C エンジン換装。燃料・電気系統改良。191機製造
F-84D エンジン換装。各部を改良。154機製造
F-84E 胴体延長、レーダー式ガンサイトを初めて搭載。初の戦時下空中給油。843機製造
EF-84E テスト機
F-84G 戦闘爆撃機型
EF-84G ゼロ距離発進のテスト機
F-84KX 無人標的機。80機製造
RF-84G 偵察機型。
生産数7,524
スペック型式-
全 幅11.1m
全 長11.6m
全 高3.84m
翼面積24.15㎡
自 重5,200kg
総重量/最大離陸重量10,590kg
発動機J35-A-29(2,540kg)×1
最大速度770km/h
実用上昇限度12,350m
戦闘行動半径800km
航続距離3,200km
乗 員1名
初飛行1946年2月28日
就 役1948年2月
退 役1958年
兵 装

ロッキードP-80シューティングスター

Lockheed P-80 Shooting Star
ロッキードP-80シューティングスターLockheed P-80 Shooting Star

アメリカ初の実用ジェット戦闘機

スカンク・ワークスの初仕事

※文頭写真:USAF

ロッキードP-80シューティングスター(1944-1958)は、実質的にアメリカ初の実用ジェット戦闘機です。設計からわずか半年後には試作機が初飛行するという、いまでは考えられないようなハイスピードで開発されたにもかかわらず、性能的に初期の傑作といっていい出来栄えとなり、約1,700機が生産され練習機型を含めると1970年代まで使用されました。

1950年に勃発した朝鮮戦争では、突如出現した旧ソ連の高性能機MiG-15に太刀打ちできずに対地攻撃に使用されましたが、全米軍機中最高の出撃回数を記録しています。

第2次世界大戦も中盤となり、ドイツ軍によるジェット戦闘機開発とその技術が日本にももたらされることが予見され、アメリカは早急にジェット戦闘機を配備することを迫られます。

実験研究機ベルP-59エアラコメットにより、ある程度のジェット戦闘機開発・運用ノウハウを得ていたアメリカ空軍はロッキード社に開発を依頼、後に名設計者として知られることになるクラレンス“ケリー”ジョンソンが設計にあたります。この時、後にU-2、YF-12F-117Aなどを生み出す航空産業の最先端集団、スカンク・ワークスがクラレンス・ジョンソンによって設立されています。

1944年(昭和19年)、初飛行に臨むP-80シューティングスター。主翼近くには帽子を被ったケリー・ジョンソンが写っています。PHOTO USAF
1944年(昭和19年)、初飛行に臨むP-80シューティングスター。主翼近くには帽子を被ったケリー・ジョンソンが写っています。PHOTO USAF

1943年1月から設計作業が開始され、約半年後の1944年1月には1号機が初飛行、1945年部隊配備を行っており、異例のスピード開発となりました。しかしながら、テスト飛行においては時速814kmを記録し、アメリカ戦闘機の最高記録を更新します。

初期のジェット戦闘機としてはまずまずの結果を得ていたP-80ではありましたが、エンジンの信頼性や燃料まわりに不安を抱えていましたが、すでにジェット戦闘機を実用化していたドイツやイギリスに遅れをとっていたアメリカ空軍(航空軍)は、試作機の段階で3,500機という大量発注を行いました。しかし、ちょうどその頃、対独戦が終わり対日戦の終わりもみえてきており、約900機が完成したところで発注はキャンセルされます。

第2次世界大戦は終結したものの、1948年に6月、ベルリンが封鎖され東西冷戦が進行していきます。ベルリン封鎖は西側諸国の物資空輸によってなし崩しにされ1年後に説かれることとなりますが、この時、F-80はジェット戦闘機として初めて大西洋を横断してイギリスに展開しています。

F-80を改良した複座練習機T-33Aは傑作練習機として5,000機以上が生産され、半世紀以上にわたって各国で使用されるベストセラーとなりました。

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
主要なバリエーションXF-80 イギリス製エンジンの試作機。1機製造
XF-80A 試作機。3機製造。エンジン換装
YF-80A 実用試験機。13機製造
F-80A 最初の量産型。917機製造
XF-80B スピード記録用機体。1機製造
F-80B F-80Aのエンジン換など。240機製造
F-80C 最終量産型。798機製造
生産数1,715
スペック型式-
全 幅11.81m
全 長10.49m
全 高3.42m
翼面積22.07㎡
自 重3,820kg
総重量/最大離陸重量7,645kg
発動機J33-A-35(2,090kg)×1
最大速度933km/h
実用上昇限度14,264m
戦闘行動半径-
航続距離1,330km
乗 員1名
初飛行1944年1月8日
就 役1945年2月
退 役1958年
兵 装

グラマンF9Fクーガー

Grumman F9F Cougar
グラマンF9FクーガーGrumman F9F Cougar

F9Fパンサーの後退翼型

後退翼艦上戦闘機の成功作

※文頭写真:前が後退翼のF9F-6クーガー、奥が直線翼のF9F-5パンサー。1952年(昭和27年)。PHOTO USNAVY

グラマンF9Fクーガーは、1947年に初飛行したF9Fパンサーの発展型。大きな変更点は主翼の後退翼化です。レシプロ時代からの直線翼よりも、後退翼が高速性能に優れることは明らかにもかかわらず艦上戦闘機は、後退翼化に手間取っていました。狭い空母上で運用する艦上戦闘機は広い飛行場から離着陸する空軍の戦闘機とは異なり、多くの制約が課せられるからです。

手前がF9Fクーガー、奥はアメリカ空軍のF-86セイバー。PHOTO USNAVY
手前がF9Fクーガー、奥はアメリカ空軍のF-86セイバー。PHOTO USNAVY

主翼に後退角がついた後退翼は、高速飛行性能を劇的に向上させる技術でしたが、当時、旧式の直線翼に比べ低速性能が劣っていました。艦上戦闘機は離発着時に高い低速飛行性能が必要とされるため、高速性能と低速性能の両立が難題となっていたわけです。

朝鮮戦争最中の1950年11月、旧ソ連の傑作ジェット戦闘機MiG-15が突如出現し、それまでアメリカを始めとする連合軍ががっちり確保していた半島の制空権を脅かすようになっていました。米空軍には同じ後退翼の高性能機F-86セイバーがありましたが、米海軍はMiG-15に対抗しうる戦闘機を保有しておらず、その危機感は深刻なものでした。

ミグショックの翌月、1950年12月にはグラマン社に対してパンサーの後退翼型開発が発注されました。F9Fパンサーの型式の一つF9F-5のうちの3機がXF9F-6クーガーとして開発されることとなり、わずか10か月後の1951年9月20日、初飛行に成功しています。

後退翼機の低速性能を向上させる各種の改良は枚挙にいとまなく、主翼拡大、大型フラップ、油圧式前縁スラット、フラッペロン(flap/フラップ+aileron/補助翼)、内翼への境界層板の取り付け、翼端増槽取り外しに伴う胴体延長(燃料搭載量増加)などが行われました。

これらの努力の結果、F9Fクーガーは直線翼のF9Fパンサーと同等の低速性能を獲得し、最高速度はパンサーの932km/hから1,150km/hへと飛躍的に向上しました。1955年から57年まで米海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルズ使用機であったことも飛行性能の高さの表れといえるでしょう。また、艦上戦闘機の名門グラマンらしい堅牢で運用性の高い機体でもありました。

ブルーエンジェルスのF9F-8クーガー。1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)まで使用されました。PHOTO USNAVY
ブルーエンジェルスのF9F-8クーガー。1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)まで使用されました。PHOTO USNAVY

米海軍は1952年11月、超特急で部隊配備を開始しました。ミグショックから異例のスピードで開発されたF9Fクーガーでしたが、朝鮮戦争休戦に1か月ほど間に合いませんでした。その後1960年まで実戦部隊で運用され、退役後は練習機などとして1970年代中頃まで活躍しました。

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
主要なバリエーションXF9F-6 試作機
F9F-6 量産型
F9F-7 エンジン換装型 。168機製造
F9F-8 性能向上型。601機製造
F9F-8P 写真偵察機
F9F-8T 練習機
生産数1,392
スペック型式F9F-8
全 幅10.52m
全 長12.45m
全 高3.7m
翼面積31.3㎡
自 重5,381kg
総重量/最大離陸重量9,114kg
発動機J48-P-8(3,290kg)
最大速度1,150km/h
実用上昇限度12,800m
戦闘行動半径830km
航続距離1,600km
乗 員1名
初飛行1951年9月
就 役1952年11月
退 役1960年2月
兵 装

グラマンF9Fパンサー

Grumman F9F Panther
グラマンF9FパンサーGrumman F9F Panther

ジェット時代きたる

名門グラマンの初ジェット

※文頭写真:アメリカ海軍ジェット戦闘機としては初めて大量生産されたF9Fパンサー。グラマン社らしい頑強な戦闘機だった。PHOTO USNAVY

艦上戦闘機の名門であり、後に名実共に傑作となるF-14トムキャットを生み出すグラマン社によって開発されたF9Fパンサーは、米海軍ジェット戦闘機としては初めてのベストセラーとなり、約1,400機が生産されました。円形のガッチリとした胴体に直線翼を組み合わせた姿は、大戦中にグラマン鉄工所といわれた同社の製品らしく、みるからに逞しさを感じさせます。

アメリカ海軍空母USSレイク・シャンプレイン艦上に並ぶ、最終量産型のF9F-5パンサー。1953年(昭和28年)香港に寄港しています。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母USSレイク・シャンプレイン艦上に並ぶ、最終量産型のF9F-5パンサー。1953年(昭和28年)香港に寄港しています。PHOTO USNAVY

第2次世界大戦末期、グラマン社は最後の艦上レシプロ戦闘機であるF7Fタイガーキャット、F8Fベアキャットの生産に勤しんでいたため、ジェット戦闘機開発においては他社に若干の遅れをとっていました。

グラマン社にジェット機開発が発注されたのは第2次世界大戦が終了した1946年。急ピッチで開発にとりかかったグラマン社は1947年11月24日にF9Fパンサーの初飛行に成功します。

アメリカ海軍空母USSボクサーを母艦とするVF-721アイアン・エンジェルス所属のF9F-2B。朝鮮戦争中の1951年7月15日、朝鮮半島上空を飛んでいます。2Bは対地攻撃能力を強化したタイプ。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母USSボクサーを母艦とするVF-721アイアン・エンジェルス所属のF9F-2B。朝鮮戦争中の1951年7月15日、朝鮮半島上空を飛んでいます。2Bは対地攻撃能力を強化したタイプ。PHOTO USNAVY

強靭な機体構造、胴体後部を分離してエンジンを着脱する手法、前縁フラップの初採用などがもたらす高い運用性など名門グラマンらしく考えぬかれた設計となっており、制約の多い艦上戦闘機にありがちな重量過大・性能低下という悪循環に陥ることなく、頑強、コンパクト、軽量な機体に仕上がっていました。

直線翼の旧式な設計により飛行性能では他機に劣ったものの、高い実用性と頑強な造り、後発が幸いした推力の高いエンジンを持つ同機は、対地攻撃に使用されることとなります。

朝鮮戦争において爆弾を投下するF9F-2バンシー。アメリカ海軍空母USSバリー・フォージを母艦とする機体です。PHOTO USNAVY
朝鮮戦争において爆弾を投下するF9F-2バンシー。アメリカ海軍空母USSバリー・フォージを母艦とする機体です。PHOTO USNAVY

朝鮮戦争(1950-1953)では主に対地攻撃において活躍し、その頑強さをみせつけています。飛行性能ではパッとしなかったとはいえ、MiG-15を撃墜し米海軍初のジェット戦闘機撃墜を記録しています。

その後、1953年から後退翼を取り入れた発展型のF9Fクーガーと入れ替わり、朝鮮戦争後には第一線を退くこととなりました。

前が後退翼のF9F-6クーガー、奥が直線翼のF9F-5パンサー。1952年(昭和27年)。PHOTO USNAVY
前が後退翼のF9F-6クーガー、奥が直線翼のF9F-5パンサー。1952年(昭和27年)。PHOTO USNAVY

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
アルゼンチン海軍
主要なバリエーションXF9F-1 2機発注された試作機。計画のみ
XF9F-2 3機製造された試作機
F9F-2 量産型(初期)。562機製造
F9F-2D 標的機
F9F-2P 写真偵察機型
XF9F-3 54機製造されたエンジン試験機
F9F-3 54機製造されたエンジン換装型 XF9F-4 試作機。2機製造
F9F-4 胴体と垂直尾翼を大きくした機体。109機製造
XF9F-5 試作機
F9F-5 616機製造された5型
F9F-5P 写真偵察機
F9F-5KD 無人標的機
生産数1,382
スペック型式-
全 幅11.5m
全 長11.80m
全 高3.7m
翼面積23.2㎡
自 重4,601kg
総重量/最大離陸重量8,490kg
発動機J48-P-6A(2,834kg)
最大速度932km/h
実用上昇限度13,045m
戦闘行動半径750km
航続距離1,887km
乗 員1名
初飛行1947年11月
就 役1949年5月
退 役1961年
兵 装

マクドネルF2Hバンシー

McDonnell F2H Banshee
マクドネルF2HバンシーMcDonnell F2H Banshee

本格運用された初めての艦上ジェット

やっと登場した成功作

※文頭写真:F2H-1バンシー。1949(昭和24年)。PHOTO USNAVY

世界初のジェット艦上戦闘機となったFH-1ファントムに続いて、マクドネル社が開発したのがF2Hバンシーです。FH-1が初飛行したのが1945年11月、FH-2の初飛行が1947年1月11日ですから、当時の猛烈な開発スピードを感じます。

F2Hバンシーは海軍ジェット艦上戦闘機初めての成功作となり、米海軍、海兵隊の他、カナダ海軍においても運用されます。F2H-2、-3、-4と改良型も開発され約900機が製造されました。

米海軍は1945年3月、FH-1の試作機であるXFD-1を元に発展型の開発をマクドネル社に発注し、これがF2Hバンシーとなります。開発にあたって共用された部品はほとんどありませんでした。様々な改良が施されたため重量が増大、エンジンはFH-1の倍以上のパワーを持つウエスティングハウス社製J34-WE-22に換装されました。

飛行試験では良好な結果を出し、1947年5月に生産が発注されました。1948年8月には初号機ロールアウト、1949年3月から部隊へと配備されました。初号機がロールアウトした1948年8月には早く搭載燃料増加、武装強化などが施された改良型であるF2H-2が海軍より発注され、1949年11月から部隊配備が始まります。

1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発すると、F2Hは緒戦から加わりましたが本来の空戦戦闘機としては使用されず、もっぱら陸上部隊の支援など対地攻撃を行いました。これは、1947年12月に初飛行を成功させ、本機を含めほとんどの西側戦闘機を凌ぐ性能を持つソ連製MiG-15の存在によるものです。他機の例に漏れずF2H-2もまた、空中戦においてMiG-15に対抗する能力はありませんでした。

その後、燃料増大、レーダー装備、武装強化、空中給油装置などが追加されたF2H-3、さらにレーダー、エンジンを換装したF2H-4と改良されます。

朝鮮戦争中の1951年(昭和26年)8月25日、朝鮮半島に展開するアメリカ海軍空母USSエセックス艦上のF2H-2バンシー。PHOTO USNAVY
朝鮮戦争中の1951年(昭和26年)8月25日、朝鮮半島に展開するアメリカ海軍空母USSエセックス艦上のF2H-2バンシー。PHOTO USNAVY

半世紀近く活躍し、不朽の勇士と呼ばれたアメリカ海軍空母コーラル・シー上空を飛ぶF2Hバンシー。PHOTO USNAVY
半世紀近く活躍し、不朽の勇士と呼ばれたアメリカ海軍空母コーラル・シー上空を飛ぶF2Hバンシー。PHOTO USNAVY
運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
主要なバリエーションXF2H-1(XF2D-1) 試作機
F2H-1 量産型
F2H-2 改良型。エンジンをJ34-WE-34に換装
F2H-2B 主翼強化、ハードポイント追加、核爆弾対応
F2H-2N 夜間戦闘機型
F2H-2P 写真偵察機
F2H-3 胴体延長、燃料搭載量増加、ハードポイント追加
F2H-3P F2H-3の写真偵察機
F2H-4 最終生産型。エンジンをJ34-WE-38に換装
生産数895
スペック型式-
全 幅12.73m
全 長14.68m
全 高4.42m
翼面積27.3㎡
自 重4,440kg
総重量/最大離陸重量10,120kg
発動機J34-WE-34(1,474kg)×2
最大速度848km/h
実用上昇限度14,785m
戦闘行動半径1,160km
航続距離2,760km
乗 員1名
初飛行1947年1月11日
就 役1949年3月
退 役1959年9月
兵 装