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ロッキードYF-12

Lockheed YF-12
ロッキードYF-12Lockheed YF-12

世界初のマッハ3級戦闘機

高度27,000mを時速3,600kmで飛行

※文頭写真:試験飛行中のYF-12。PHOTO USAF

ロッキードYF-12(1963)はアメリカのロッキード社がアメリカ空軍向けに開発したマッハ3級の巨大な戦闘機です。全長約31mという巨大で異様な姿は、我々が想像する戦闘機の形からはかけ離れています。結局採用には至りませんでしたが、東西冷戦を象徴する機体の一つといえるでしょう。

激しい東西冷戦の最中、1954インターセプター計画にみられるように、アメリカ空軍の戦闘機開発は飛来するソ連の戦略爆撃機を迎撃することが大きな目的でした。また、アメリカ空軍自身の戦略爆撃機を護衛するための戦闘機が必要ということも大きな開発目的となっていました。

どんな戦闘機よりも高く、そして速く飛べば、爆撃機は攻撃されることなく最終兵器である核爆弾を投下することができます。アメリカ空軍は高度22,000mをマッハ3という高速で飛行し、アラスカ〜モスクワ間を無着陸で往復できる超音速戦略核爆撃機、XB-70を構想していました(試作機の段階でキャンセル)。

YF-12。PHOTO USAF
YF-12。PHOTO USAF

YF-12の開発が始まった1960年頃、XB-70のような戦略爆撃機をソ連が保有してはいませんでしたが、アメリカは早晩ソ連が開発に着手、もしくはすでに手にしていると考えていました。

ソ連戦略爆撃機の脅威、自軍の超音速戦略爆撃機の護衛という大きな目的のもと、アメリカ空軍はXF-103XF-108といった大型・高速の迎撃戦闘機を計画しますが、いずれも採用前に計画中止となってしまいます。

同じ頃ロッキード社は、CIA向けに高度約3万mという高空をマッハ3以上の高速で飛行する偵察機、A-12を開発しており(こちらは採用されます)、A-12を元に戦闘機化することで開発費を抑えて実用化することができると提案し、アメリカ空軍はこれを受け入れます。

アメリカ空軍初の本格的ジェット戦闘機となったP-80と並ぶYF-12。PHOTO USAF
アメリカ空軍初の本格的ジェット戦闘機となったP-80と並ぶYF-12。PHOTO USAF

戦闘機化にあたっては、最新のAN/ASG-18レーダーや、それにともなうレーダー操作員席の増設、ミサイル運用装置の追加などが行われました。

初飛行は1963年8月に行われ、飛行試験が続けられました。世界速度記録・高度記録を塗り替えるなど優秀な試験結果を残しますが、財界出身で費用対効果と統計学を駆使するロバート・マクナマラが国防長官に就任すると、YF-12計画は中止となりました。

結果的には、当時のソ連はYF-12のスペックでなければ迎撃できない程の超高度・超音速の戦略爆撃機を保有していなかったわけですから、その点では国防長官のロバート・マクナマラの判断は正しかったということになります。

運用者-
主要なバリエーションYF-12A 試作機。3機製造
F-12B 量産型。計画のみ
生産数3
スペック型式YF-12A
全 幅16.95m
全 長30.97m
全 高5.64m
翼面積167㎡
自 重27,600kg
総重量/最大離陸重量56,200kg
発動機J58/JTD11D-20A(9,300kg)×2
最大速度3,661km/h
実用上昇限度27,400m
戦闘行動半径-
航続距離4,800km
乗 員2名
初飛行1963年8月7日
就 役-
退 役-
兵 装

マクドネルF-110スペクター

McDonnell F-110 Spector
マクドネルF-110スペクターMcDonnell F-110 Spector

F-4ファントムⅡの空軍型

アメリカ空・海軍双方に大量採用された初めての例

※文頭写真:アメリカ海軍のF-4ファントムⅡはその優秀さ故に、メンツを超えてアメリカ空軍にも採用され、F-110スペクターとなりました。PHOTO USAF

マクドネルF-110スペクターは、アメリカのマクドネル社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。
F-110はF-4ファントムⅡの別名。F-4ファントムⅡは船の上(航空母艦)という制約からジェット戦闘機開発に苦しんできたアメリカ海軍が、苦難の末に手にした傑作艦上戦闘機です。初飛行は1958年(昭和33年)5月27日、1960年(昭和35年)から就役し1996年(平成8年)まで活躍しています。

1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF

1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF

アメリカの空軍と海軍は、ご多分に漏れずメンツをかけて何かにつけて競い合ってきました。その空軍が、花形の戦闘機採用において海軍の開発した艦上戦闘機を大量に採用するなどということは、前代未聞でした。それほどにF-4ファントムⅡは高性能であったわけですが、理由はそれだけではありません。ロバート・マクナマラという国防長官の存在が大きな要因を占めています。

ロバート・マクナマラはハーバード出身でアメリカ陸軍航空軍の統計管理局で活躍し、戦後はフォード一族以外では初めてフォードの社長となり、1960年にジョン・F・ケネディが大統領選に勝利すると国防長官として白羽の矢が立ちます。

システム分析や統計学を駆使するマクナマラは、それまで空軍・海軍それぞれが独自に行っていた戦闘機開発を統合を企図し、その手始めとして開発中であったハイコストのF-106デルタダートの代わりに、海軍が開発していたF-4ファントムⅡを採用させようとします。

1961年(昭和36年)、空軍が開発していたF-106F-4の飛行試験が行われます。速度、上昇限度、航続距離、レーダー性能、爆撃能力、整備性など多くの面でF-4F-106を上回りますが、最新鋭のハイテク防空システム、半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)の装置が搭載できないということで、F-106の生産は続行されます。

1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF
1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

しかし、アメリカ空軍がF-106に続く次期戦闘機として開発していたF-111アードバーグの開発が遅れており、その穴埋めとしてF-4が採用されることとなり、名称を空軍名F-110スペクターに変更しました。その後1962年(昭和37年)にアメリカ三軍の呼称統一が施行され、F-110スペクターから再びF-4CファントムⅡに変更されました。

空軍型F-4シリーズの決定版ともいえるF-4E型は1967年(昭和42年)6月30日に初飛行、各国へと供与され1,389機が生産されました。マクドネル社は、艦載機として開発したF-4ファントムⅡが空軍機として採用されたことで、より生産数を伸ばし西側戦闘機としては史上最多の5,000機以上が生産されました。

最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF
最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF

F-4Eは1966年(昭和41年)、日本の第2次F-X(主力戦闘機)選定によりF-86Fの後継として選ばれました。日本の航空自衛隊向けF-4EはF-4EJとして154機が調達され、そのうちのほとんどがライセンス生産されました。そして1980年(昭和55年)にF-15Jが採用されるまで日本防空の主軸を担いました。F-15Jに主役の座を譲ってからも現役にとどまり、平成28年(2016年)のいまも活躍し続けています。

航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊

運用者アメリカ空軍
McDonnell F-4 PhantomⅡの項参照
主要なバリエーションF-4C 海軍のF-4Bを空軍用に改修。空軍F-4最初の量産機
EF-4C 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
RF-4C 写真偵察機
F-4D C型の改良型
EF-4D D型を改装した敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
F-4E 空軍型F-4の決定版。1,389機製造
RF-4E 偵察機
F-4G 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
生産数5,195
スペック型式F-4E
全 幅11.71m
全 長19.20m
全 高5.02m
翼面積49.2㎡
自 重13,757kg
総重量/最大離陸重量27,970kg
発動機J79-GE-17A(5,356kg/AB 8,119kg)×2
最大速度2,370km/h
実用上昇限度18,975m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日/1963年5月(F-110)
就 役1963年11月
退 役1996年4月
兵 装

ノース・アメリカンXF-108レイピア

North American XF-108 Rapier
ノース・アメリカンXF-108レイピアNorth American XF-108 Rapier

核ミサイル前夜の産物

27mを超える巨大な図体

※文頭写真:センチュリー・シリーズの集大成を目指した怪物、XF-108レイピア。27m超の巨体です。PHOTO USAF

ノースアメリカンXF-108レイピア(1959)はアメリカのノースアメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。XF-103と同じようにマッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。

1950年代東西の覇権争いは激化しており、特に最終兵器である核の運用を巡り爆撃機、航空母艦、ミサイルという三つ巴の開発合戦が繰り広げられていました。

最初期の核爆弾は大型であり、空中から投下せざるを得ず運用は日本に落としたように爆撃機が担っていました。徐々に小型化すると艦上戦闘機でも運用できるようになり、さらにはナチス・ドイツが第2次世界大戦中に開発した弾道ミサイルの開発も進んでいました。

1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功して以降、1960年代に入ると今日知られるようにミサイルによる核運用がとてつもないスピードで進んでいきます。ちなみに、ジェット戦闘機の技術と同じように、大気圏外を飛行する弾道ミサイルもまたナチス・ドイツが最先端の技術を保有しており、戦後これを収奪した戦勝国が開発を進め、その中でも最も熱心だったソ連が最初に打ち上げを成功させたのです。

マッハ3という高速で飛行するXB-70戦略爆撃機は、そのような状況において開発され、そして爆撃機に必須の護衛機として本機の開発もスタートしました。それまでの戦闘機のカテゴリーに入りきらない程のオーバースペックを目指し、1958年には基本案が固まり、1961年3月に初飛行に漕ぎ着ける予定でしたが、機体価格の高騰、最新の電子機器やミサイルの開発も難航した上に、XB-70計画自体が試作機の段階で打ち切りとなり、本機の開発も試作機の段階で終了しました。

これだけとんでもない性能を企図したため、全長は27.2m、自重23,098kgという巨大な機体となっています。エンジンは7,939kgと高出力のJ93-GE-3Rを2基搭載し、24,400mという高空での作戦行動が可能でした。航続距離は約4,000kmと非常に長いものでしたが、護衛すべきXB-70は12,000km以上を目指していましたから、これでは完璧に護衛することはできません。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅17.5m
全 長27.2m
全 高6.7m
翼面積173.4㎡
自 重23,098kg
総重量/最大離陸重量34,530kg
発動機J93-GE-3R(7,938kg)×2
最大速度3,190km/h
実用上昇限度24,400m
戦闘行動半径2,033km
航続距離4,004km
乗 員2名
初飛行-
就 役-
退 役-
兵 装

リパブリックXF-103

Republic XF-103
リパブリックXF-103Republic XF-103

怪物的戦闘機計画

高度3万m、マッハ3.7を目指した異色の戦闘機計画

※文頭写真:XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force

リパブリックXF-103(1954)は、アメリカのリパブリック社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。マッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。

それまでの戦闘機とは全く異なるミサイルのようなフォルムは、異様な迫力をもっています。異様なのは形だけではなく、機体素材にはチタンが使われ、ターボジェットエンジンとラムジェットエンジンを1基ずつ搭載し、高度3万mという高空においてマッハ3.7というそれまでに類を見ない性能を目指して開発が進められていました。

このような戦闘機開発が進められたのは、XB-70というマッハ3級の戦略爆撃機に理由があります。爆撃機には護衛する戦闘機が必要であり、同じ高度を同じ速度で飛べる戦闘機が必要になったというわけです。

XB-70はXF-103以上に未来的な形をしており、XF-103とは違い試作機の飛行試験まで進み、マッハ3超の記録を残しています。しかし、1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功し、さらには費用対効果を重視する経営者あがりのロバート・マクナマラ国防長官により、XB-70よりもミサイル開発の方が優秀であるとの結論が与えられ、採用には至りませんでした。

エンジンの開発遅延、XB-70の怪しい雲行き、価格の高騰などによりモックアップを完成させたのみで計画は中止になっています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅10.5m
全 長23.5m
全 高5.1m
翼面積37.2㎡
自 重11,317kg
総重量/最大離陸重量17,466kg
発動機XJ67-W-3(6,700kg)×1、XRJ55-W-1(8,400kg)×1
最大速度Mach3(3,675km/h)+
実用上昇限度24,390m+
戦闘行動半径724km
航続距離2,486km
乗 員1名
初飛行-
就 役-
退 役-
兵 装

コンベアF-106デルタダート

Convair F-106 Delta Dart
コンベアF-106デルタダートConvair F-106 Delta Dart

高性能迎撃戦闘機

最新のデータリンクを装備

※文頭写真:F-106Aデルタダート。大型・フル装備のアメリカ空軍らしい高級機です。PHOTO USAF

コンベアF-106デルタダート(1956−1988)はアメリカのコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機(要撃機)。東西の覇権争いの激化を象徴するかのように、アメリカが次々と新型戦闘機を開発していた時代を象徴するセンチュリーシリーズ(F-100番台の戦闘機)の一つです。

世界初の実用デルタ翼戦闘機であったF-102と同じ計画からうまれたデルタ翼機であり、大出力エンジンと最新型の電子機器を搭載した高性能機となっています。飛来するソ連爆撃機を迎撃する目的で開発されたため、高い高速性と上昇能力を要求されたものです。

F-106は1954インターセプター計画と銘打って始まったソ連爆撃機に対するアメリカの迎撃機開発計画から始まりました。この計画からはF-102とF-106という二つのデルタ翼戦闘機がうまれています。

1954インターセプター計画は新型電子機器MA-1レーダー射撃管制装置(FCS)やエンジンの開発遅延に難儀したコンベア社とアメリカ空軍は、ひとまず現行型を搭載したF-102Aを開発・採用し、その後F-102Aを元により高性能なF-102Bを開発するという落とし所をつけました。

このF-102BがF-106と名称変更され、F-106デルタダートとなります。全体の形状は当初からエリアルールを採用し洗練されたものとなっています。エンジンは7,302kgの大出力を発揮するプラット&ホイットニー社のJ75を搭載し1956年12月、初飛行に成功します。

F-106A。PHOTO USAF
F-106A。PHOTO USAF

飛行試験と改良は続けられ、最高速度はマッハ2を超え、到達高度は18,820mを記録しています。二段階計画ともいえるF-102/F-106の原因の一つともなった電子機器MA-1は、デルタ翼とともにF-106最大の特徴となっています。

MA-1は従来の射撃管制システムを超え、真空管を使用したデータリンクシステムとなっています。これは、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)が1950年代末から1980年代まで運用していた半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)とリンクして敵機を迎撃するものです。

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

ちなみに、このシステムは今日のコンピュータシステムにつながる大変先進的な巨大コンピュータシステムであり、開発したIBM社はSAGEの技術をその後業界を支配する大きな力としたことは想像に難くありません。

F-106の部隊配備は1959年6月に始まり、10月にはアラート任務に就きます。1970年代から徐々に退役し、1987年頃を最後に実戦部隊から退きました。退役した機体は空軍州兵で運用された他、仮想敵機として使用されました。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションF-102B 試作機。F102の試作機のひとつとして開発された
F-106A 量産型。277機製造
F-106B 複座の練習機。63機製造
NF-106B 試験機
QF-106 NASA使用機
生産数340
スペック型式-
全 幅11.67m
全 長21.55m
全 高6.18m
翼面積61.52㎡
自 重11,080kg
総重量/最大離陸重量15,670kg
発動機J75-P-17(7,302kg)×1
最大速度2,455km/h
実用上昇限度17,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離4,300km
乗 員1名
初飛行1956年12月26日
就 役1959年6月
退 役1988年
兵 装

コンベアF-102デルタダガー

Convair F-102 Delta Dagger
コンベアF-102デルタダガーConvair F-102 Delta Dagger

初の実用デルタ翼機

エリアルールを採用して音速を突破

※文頭写真:初の実用デルタ翼戦闘機となったF-102デルタダガー。PHOTO USAF

コンベアF-102デルタダガー(1953-1976)はアメリカのコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。アメリカ空軍としては初めて実用的なデルタ翼を採用した機体です。エリアルールという設計手法を初めて採用した機体です。またこの時期、アメリカ空軍が続けて開発した100番台の戦闘機、センチュリーシリーズの一つでもあります。

アメリカ空軍は本機に先立ち1948年に世界初のデルタ翼実証試験機XF-92Aを初飛行させていますので、初のデルタ翼機はXF-92A、初の実用デルタ翼機は本機ということになります。ちなみにどちらもコンベア社によるものです。

デルタ翼とは三角翼ともいわれ、ギリシャ語のΔ(デルタ)に似ていることからデルタ翼といわれ、ドイツの航空先進技術からうまれました。高亜音速から超音速という高速飛行に向いており、加速性に優れ高速域において高い運動性を発揮します。ダブルデルタ、クリップドデルタなどの派生系があり、現代最新鋭の戦闘機にも発展形が使われています。

左が並列複座席を採用した最初の試作機YF-102。右が量産型に繋がったYF-102A。PHOTO USAF
左が並列複座席を採用した最初の試作機YF-102。右が量産型に繋がったYF-102A。PHOTO USAF

エリアルールは航空機の設計手法の一つ。遷音速(マッハ1付近)で飛行する機体の断面積変化を小さく抑えることで効力差を減少させ高速性・安定性を増そうというものです。1950年代初めにNACAのリチャード・ウィットカムが発見しました。具体的には主翼部分における断面積の増大を防ぐために胴体をくびれさせることです。

アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF
アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF

F-102の開発計画が始まったのは1949年です。第2次世界大戦終の東西覇権争いが日々激化し続けていた頃です。アメリカ空軍はソ連の長距離爆撃機の脅威から本土を守る新型迎撃戦闘機の開発を進め、1954年の就役を目指して「1954インターセプター」と名づけていました。

開発を発注されたコンベア社は、世界初のデルタ翼実証試験機として同社が先に開発したXF-92Aを基本とする新型機を構想しました。射撃管制装置(FCS)の開発遅延、搭載ミサイルの大型化などを乗り越えて1953年10月24日に初飛行を行い、飛行試験が続けられたが、結果は芳しくなく最高速度はマッハ1に届きませんでした。

初飛行に先立つ1953年初頭、NACAはYF-102について抵抗過大により音速突破は難しく、これを解決するには発見されたばかりの「エリアルール」を採用すれば音速突破も可能であると勧告していました。

アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF
アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF

製作の進行上エリアルールを採用できず、散々な試験結果を残してしまったコンベア社は、改めてエリアルールを採用し、エンジンをJ57-P-23に換装するなどした試験機YF-102Aを開発します。

YF-102のコクピット。PHOTO USAF
YF-102のコクピット。PHOTO USAF

エリアルールを採用した新型試験機YF-102Aは1954年12月20日に初飛行し、水平飛行においてマッハ1.2、高度は16,150mを記録しました。

制式採用となったF-102デルタダガーは1956年5月から配備が始まり、諸々の改修を受けながら生産され、アメリカ空軍では1970年まで運用され、その後は空軍州兵において1976年まで運用されました。アメリカ以外ではタイ王国、ギリシャ空軍、トルコ空軍などで使用されました。

運用者アメリカ空軍
カナダ空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-102 試作機。10機製造
YF-102A 試作機改良型。4機製造
F-102A 量産型。879機製造
TF-102A 複座の練習機。111機製造
F-102B 後にF-106Aデルタダート
QF-102A 複座有人標的機
PQM-102A 無人標的機
PQM-102B 無人標的機
生産数1,000
スペック型式-
全 幅11.61m
全 長20.84m
全 高6.46m
翼面積61.52㎡
自 重8,777kg
総重量/最大離陸重量14,300kg
発動機J57-P-25(5,307kg/AB 7,802kg)×1
最大速度1,304km/h
実用上昇限度16,300m
戦闘行動半径850km
航続距離2,175km
乗 員1名
初飛行1953年10月24日
就 役1956年4月
退 役1976年
兵 装

コンベアXF-92A

Convair XF-92A
コンベアXF-92AConvair XF-92A

初のデルタ翼迎撃機

デルタ翼の実証試験機

※文頭写真:デルタ翼を初めて採用した迎撃戦闘機、XF-92A。PHOTO USAF

コンベアXF-92A(1948)は第2次世界大戦終戦直後の1945年9月、アメリカ空軍が要求した2種類の迎撃戦闘機のうちの一つ。もう一つはリパブリックXF-91サンダーセプターです。

アメリカ空軍の要求は、高々度を飛来する爆撃機や偵察機を迎撃する戦闘機として最高速度時速1,126km、高度15,240mまで4分以内に到達する高性能な超音速機でした。この要求に答える形で開発が始まりましたが、途中からデルタ翼の実証試験機に用途変更されました。

当初はXF-91と同様にジェット+ロケットエンジンの混合動力が企図されていましたが、デルタ翼の試験機となりジェットエンジンのみとなりました。三角形のデルタ翼に同じく三角形の尾翼を備えたコンパクトな機体はこれまでの戦闘機とはまったく異なっています。

オハイオ州のアメリカ空軍博物館に保存されているXF-92A。PHOTO USAF
オハイオ州のアメリカ空軍博物館に保存されているXF-92A。PHOTO USAF

デルタ翼とは三角翼ともいわれ、ギリシャ語のΔ(デルタ)に似ていることからデルタ翼といわれます。高亜音速から超音速という高速飛行に向いており、加速性に優れ高速域において高い運動性を発揮します。ダブルデルタ、クリップドデルタなどの派生系があり、現代最新鋭の戦闘機にも発展形が使われています。

XF-92Aは世界初のデルタ翼機として1948年9月に初飛行したものの、音速を超えることができず、飛行性能も期待通りとはいきませんでした。芳しくない試験結果の原因はエンジンの出力不足ともいわれています。

本機の開発にはジェット戦闘機開発の先進国であった敗戦国ドイツのアレキサンダー・マルティン・リピッシュを技術顧問として開発されました。その後もデルタ翼の試験機として使用され、うみだされたデータはこの後のデルタ翼機に活かされています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数1
スペック型式-
全 幅9.55m
全 長12.92m
全 高5.37m
翼面積39.48㎡
自 重4,118kg
総重量/最大離陸重量6,626kg
発動機J33-A-29(3,402kg)×1
最大速度1,160km/h
実用上昇限度15,450m
戦闘行動半径-
航続距離-
乗 員1名
初飛行1948年4月1日
就 役-
退 役-
兵 装

リパブリックXF-91サンダーセプター

Republic XF-91 Thundercepter
リパブリックXF-91サンダーセプターRepublic XF-91 Thundercepter

アメリカ軍機として初めて超音速を突破

水平飛行で超音速突破、しかし採用されず

※文頭写真:NACAの高速飛行試験に供されるXF-91。1951年3月。PHOTO NASA

リパブリックXF-91サンダーセプター(1949)は第2次世界大戦終戦直後の1945年9月、アメリカ空軍が要求した2種類の迎撃戦闘機のうちの一つです。ロケットとジェット、2つのエンジンを搭載した混合動力戦闘機でした。

迎撃戦闘機とは、迎撃機、要撃機、防空戦闘機などとも呼ばれ、主に飛来する爆撃機や偵察機の迎撃を目的とする軍用機です。高々度を飛来する爆撃機を迎撃するため、高い上昇力と攻撃力が求められます。

これらの条件をクリアするため、リパブリック社はジェットエンジンに加えて4基のロケットエンジンを搭載する混合動力という形式を採用します。

1946年に初飛行し優れた兵器搭載量と航続距離をもって活躍した同社のF-84サンダージェットを基本に開発され、J47-GE-17ジェットエンジンの排気口上下にXLR11-RM-9ロケットエンジンを2基ずつ配置しています。

主翼は翼端失速を防ぐ目的で付け根から翼端に向かって広く太い逆テーパー形になっています。翼端失速とは翼端付近から付け根(胴体)に向かって失速が発生する現象です。低速時に発生することが多いといわれます。

ロケットエンジンの遅れにより1952年5月となった初飛行においては、アメリカ軍機として初めて水平飛行における音速突破に成功しています。このまま採用されれば世界初の実用戦闘機となったはずでしたが、アメリカ空軍はより高性能な迎撃機の開発を求め、本機は採用されませんでした。

運用者-
主要なバリエーションXF-91 試作機。2機製造
生産数2
スペック型式-
全 幅13.18m
全 長9.52m
全 高5.51m
翼面積29.72㎡
自 重6,410kg
総重量/最大離陸重量8,400kg
発動機J47-GE-17(3,400kg)×1、XLR11-RM-9(2,720kg)×4
最大速度1,584km/h
実用上昇限度14,500m
戦闘行動半径-
航続距離1,880km
乗 員1名
初飛行1949年5月9日
就 役-
退 役-
兵 装

カーチスXF-87ブラックホーク

Curtiss XF-87 Blackhawk
カーチスXF-87ブラックホークCurtiss XF-87 Blackhawk

ジェット転換期の全天候型戦闘機計画

F-89に負け計画キャンセル。カーチス社最後の戦闘機

文頭写真:長大な航続距離と高速性、全天候性能などを狙ったものの、試作段階に終わったXF-87ブラックホーク。PHOTO USAF

カーチスXF-87ブラックホーク(1948)はカーチス社(アメリカ)がアメリカ空軍向けに開発した全天候型戦闘機です。攻撃機案を転用したこともあり全体として珍しい設計になっています。

元々は1945年からジェット戦闘攻撃機として開発されていたXA-43でしたが、アメリカ空軍(陸軍航空隊)が第2次世界大戦中に開発した双発エンジン・重武装の全天候型戦闘機P-61の後継機を求めていたため、それに従いXP-87夜間戦闘機として開発されます。

一見して重量級の機体であることがわかります。当時のジェットエンジンは未だ非力でありXF-87のJ34も1,350kgの推力しかなく、非力を補うためこれを主翼に2発ずつ4発搭載しています。攻撃機として設計されたXA-43を転用したため機体はとても大きく、コクピットは並列(サイドバイサイド)の複座となっています。

1948年3月に初飛行し戦闘機型、偵察機型あわせて87機の発注を得ますが、F-89スコーピオンが優秀な性能を発揮し、こちらがP-61の後継機となったため本機の開発はキャンセルされました。

開発元であるカーチス・ライト社(アメリカ)は、グレン・カーチスにより1916年に設立され1929年に12もの会社と合弁して巨大化し、当時アメリカにおいて最大の航空機メーカーでした。第2次世界大戦中も29,000機以上の航空機を製造し発展しますが、ジェット化の波に乗り遅れ本機を最後に身売りし、航空機メーカーとしては幕を閉じますが部品やメンテナンスの会社として現在も存続しています。

運用者-
主要なバリエーションXF-87 2機製造された試作機
XF-87A 改良型試作機。1機製造
F-87 量産型。計画のみ
RF-87A 偵察型試作機。計画のみ
生産数2
スペック型式-
全 幅18.28m
全 長18.90m
全 高6.19m
翼面積55.74㎡
自 重11,786kg
総重量/最大離陸重量22,682kg
発動機XJ34-WE-7(1,360kg)×4
最大速度966km/h
実用上昇限度12,500m
戦闘行動半径-
航続距離1,600km
乗 員2名
初飛行1948年3月1日
就 役-
退 役-
兵 装

ノースロップP-89スコーピオン

Northrop P-89 Scorpion
ノースロップP-89スコーピオンNorthrop P-89 Scorpion

米空軍初の制式採用全天候型ジェト戦闘機

安定した性能と長い航続距離

※文頭写真:機動性はそこそこの性能でしたが、初の全天候型ジェット戦闘機であり、大きな兵装搭載量と主翼両端に裝備された大型増槽による長大な航続距離を誇ったF-89スコーピオン。PHOTO USAF

ノースロップP-89スコーピオン(1948-1969)は、アメリカ空軍が初めて制式採用した全天候型ジェット戦闘機です。大きく重い機体であり、機動性には優れなかったものの、長大な航続距離と高い上昇限度、大きな兵器搭載量を誇り、北米大陸の防空という重責を果たしました。

P-89が初飛行した昭和23年(1948年)8月の1年後、昭和24年(1949年)12月には同じく全天候型戦闘機であり最新の電子機器を搭載した単座型のF-86Dが初飛行していますが、こちらは肝となった最新の電子機器に由来する問題が続出し早々に退役したものの、本機P-89は安定した性能と運用性から長く使用されました。

機体を一見して目につくのは愛称「スコーピオン」どおりのサソリのような全体と主翼の端に付けられた大きな部品。これは増槽といって燃料を搭載するためのポッドであり、ミサイルなどの兵器が取り付けられます。

この増槽によって2,200kmという優れた航続距離を実現し、北極海という広大な範囲を守備するアラスカの部隊では大変に重用されたといいます。

編隊飛行するF-89D。PHOTO USAF
編隊飛行するF-89D。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションXF-89 最初の試作機
XF-89A 試作機
F-89A 最初の量産型
DF-89A 標的機
F-89B 量産型。アヴィオニクス改修。40機製造
DF-89B 標的制御機
F-89C 量産型。エンジン換装。164機製造
YF-89D F-89D試作機
F-89D 主力量産型。燃料増加、増槽大型化、レーダー・電子装置換装など。682機製造
YF-89E エンジン試験機
F-89F 改修型。計画のみ
F-89G 改修型。計画のみ
YF-89H F-89Hの試作機
F-89H 改修型。156機製造
F-89J F-89Dの改造型。350機製造
生産数1,050
スペック型式-
全 幅18.41m
全 長16.40m
全 高5.33m
翼面積56.29㎡
自 重11,428kg
総重量/最大離陸重量16,869kg
発動機J35-A-33(2,470kg/AB 3,720kg)×2
最大速度1,022km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径-
航続距離2,200km
乗 員2名
初飛行1948年8月16日
就 役1951年2月
退 役1969年
兵 装