「1940年代の戦闘機」タグアーカイブ

マクドネルXF-85ゴブリン

McDonnell XF-85 Goblin
マクドネルXF-85ゴブリンMcDonnell XF-85 Goblin

長距離爆撃機に収容される寄生戦闘機

珍機

※文頭写真:大型の戦略爆撃機の腹の中に寄生するという発想を形にしたXF-85ゴブリン。PHOTO USAF

マクドネルXF-85ゴブリン(1948)は長距離爆撃機に収容されるアメリカ空軍の寄生戦闘機です。長距離爆撃機の内部に搭載され、そこから出撃、再度収容しようという計画から開発されましたが、試作機のみに終わりました。

第2次世界大戦後、アメリカ陸軍の一部隊であった陸軍航空隊がアメリカ空軍として独立しますが、当時は爆撃を任務とする戦略航空軍団(SAC)が大きな力を持っていました。さらに、空軍としては、最終兵器である核爆弾を運用する戦略は長距離爆撃機でなければならず、航空母艦による運用を主張する海軍に負けるわけにはいきませんでした。

しかし、1946年に初飛行したB-36戦略爆撃機は航続距離16,000kmという超長距離爆撃機であり、B-29の約7,000kmと比べても隔絶した航続性能を誇っていました。

超長距離爆撃機B-36を開発したものの、当時は未だ空中給油が確立されておらず、空軍にはこれだけの長距離を護衛できる戦闘機がありませんでした。そこでB-36の内部に戦闘機を搭載しようという計画が持ち上がりました。

寄生戦闘機、XF-85ゴブリン。PHOTO USAF
寄生戦闘機、XF-85ゴブリン。PHOTO USAF

第2次世界大戦終結後すぐの1945年9月から開発が始まり、1947年に2月にはXP-85として試作機が制式に発注されます。爆撃機の弾倉庫内に格納されるため全長は4.52mと短く、ずんぐりとした胴体をしています。試作機は1948年8月に初飛行し、母機からの発進には成功しています。

しかし、性能は見た目の想像どおりであり、敵戦闘機を空中戦において撃墜することは不可能なうえ、発進はできても母機に戻ることはできませんでした。そうこうするうちに空中給油の技術も発達し、計画は中止されました。

そもそもが? という意見もあるでしょうが、それほどに長距離爆撃機の護衛戦闘機の必要性は切実であったということでしょう。ジェット戦闘機黎明期らしい柔軟な発想の表れともいえます。こういった柔軟さがアメリカという国の侵略力の一翼を担っているのかとも思えます。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数2
スペック型式-
全 幅6.42m
全 長4.5m
全 高2.51m
翼面積8.36㎡
自 重1,700kg
総重量/最大離陸重量2,050kg
発動機J34-WE-22(1,360kg)×1
最大速度1,069km/h
実用上昇限度14,600m
戦闘行動半径-
航続距離805km
乗 員1名
初飛行1948年8月23日
就 役-
退 役-
兵 装

ロッキードXF-90

Lockheed XF-90
ロッキードXF-90Lockheed XF-90

長距離侵攻戦闘機計画

洗練されたフォルムながらふるわず

※文頭写真:長距離侵攻戦闘機計画からうまれた、XF-90。PHOTO USAF

ロッキードXF-90(1949)はアメリカ空軍(陸軍航空隊)の長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画に従って開発された2機のうちの一つです。

アメリカ空軍と海軍は核爆弾という最終兵器の運用を巡り対立していました。空軍は長距離爆撃機による運用を主張し、海軍は航空母艦での運用を主張していました。空軍の長距離爆撃機運用の弱点は、それを護衛する長距離戦闘機がないということでした。

後には超音速かつ超高高度のジェット爆撃機やステルス爆撃機がうまれますが、この時代は空中給油すらありませんでしたから、ひたすら航続距離の長い戦闘機が望まれました。

こういった事情から空軍は長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画を立て、それに従い、2社がそれぞれ1機ずつ開発を進めました。一つは本機XF-90、もう一つはマクドネルXF-88ブードゥーでした。

本機はロッキード社が開発し、空軍発の本格的ジェット戦闘機として配備されていたP-80シューティングスターを基本に開発されました。主翼は後退翼化され、全体のフォルムは鋭くまとめられて見た目はとても美しく高性能を予感させます。

しかし、1949年6月の初飛行の結果はまったくふるわず、競作機のXF-88ブードゥーに劣るものでした。そうこうするうちに朝鮮戦争が勃発し、予算獲得も難航する中、計画自体が中止となってしまい、採用されることはありませんでした。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数2
スペック型式-
全 幅12.20m
全 長17.11m
全 高4.8m
翼面積32.05㎡
自 重8,204kg
総重量/最大離陸重量12,338kg
発動機J34-WE-15(1,635kg)×2
最大速度1,064km/h
実用上昇限度11,890m
戦闘行動半径-
航続距離3,680km
乗 員1名
初飛行1949年6月3日
就 役-
退 役-
兵 装

マクドネルXF-88ヴードゥー

McDonnell XF-88 Voodoo
マクドネルXF-88ヴードゥーMcDonnell XF-88 Voodoo

米空軍、長距離侵攻戦闘機計画の一

良好な性能ながら試作機におわる

※文頭写真:XF-88ブードゥー。PHOTO USAF

マクドネルXF-88ブードゥー(1948)はアメリカ空軍が開発した長距離戦闘機です。第2次世界大戦後、アメリカ空軍と海軍は最終兵器である核爆弾を巡って火花を散らしていました。

空軍は兵器の人体実験として日本に2発も投下したように長距離爆撃機による核爆弾運用を、海軍は航空母艦による核運用を主張しており、海軍が空軍の長距離爆撃機運用の穴としてついていたのは長距離護衛戦闘機がないことでした。長距離護衛戦闘機がなければ、近場に基地を確保することになり、それならば航空母艦を運用すればよいということです。

こういった事情から空軍は長距離爆撃機を護衛する長距離戦闘機の開発「長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画を立て、2機の戦闘機を開発していました。1機は本機XF-88、もう1機はロッキード社のXF-90でした。

本機は1948年6月に初飛行し航続距離約2,800kmとまずまずの性能を発揮しましたが、長距離爆撃機の護衛機としては性能不足であり、さらには朝鮮戦争も勃発したため計画は試作機のみで中止となりました。

マクドネル社は本機の開発を後にマクドネルF-101ブードゥーにいかしています。それは、全体の形状が似ていること、愛称が継承されていることから想像できます。

運用者-
主要なバリエーションXF-88 最初の試作機
XF-88A 2次試作機。エンジン換装
XF-88B ターボプロップエンジンを機種に追加した試作機
生産数2
スペック型式-
全 幅12.9m
全 長16.48m
全 高5.25m
翼面積32.52㎡
自 重5,507kg
総重量/最大離陸重量8,392kg
発動機J34-WE-22(1,905kg)×2
最大速度1,136km/h
実用上昇限度12,009m
戦闘行動半径-
航続距離2,779km
乗 員1名
初飛行1948年10月20日
就 役-
退 役-
兵 装

コンベアXF-92A

Convair XF-92A
コンベアXF-92AConvair XF-92A

初のデルタ翼迎撃機

デルタ翼の実証試験機

※文頭写真:デルタ翼を初めて採用した迎撃戦闘機、XF-92A。PHOTO USAF

コンベアXF-92A(1948)は第2次世界大戦終戦直後の1945年9月、アメリカ空軍が要求した2種類の迎撃戦闘機のうちの一つ。もう一つはリパブリックXF-91サンダーセプターです。

アメリカ空軍の要求は、高々度を飛来する爆撃機や偵察機を迎撃する戦闘機として最高速度時速1,126km、高度15,240mまで4分以内に到達する高性能な超音速機でした。この要求に答える形で開発が始まりましたが、途中からデルタ翼の実証試験機に用途変更されました。

当初はXF-91と同様にジェット+ロケットエンジンの混合動力が企図されていましたが、デルタ翼の試験機となりジェットエンジンのみとなりました。三角形のデルタ翼に同じく三角形の尾翼を備えたコンパクトな機体はこれまでの戦闘機とはまったく異なっています。

オハイオ州のアメリカ空軍博物館に保存されているXF-92A。PHOTO USAF
オハイオ州のアメリカ空軍博物館に保存されているXF-92A。PHOTO USAF

デルタ翼とは三角翼ともいわれ、ギリシャ語のΔ(デルタ)に似ていることからデルタ翼といわれます。高亜音速から超音速という高速飛行に向いており、加速性に優れ高速域において高い運動性を発揮します。ダブルデルタ、クリップドデルタなどの派生系があり、現代最新鋭の戦闘機にも発展形が使われています。

XF-92Aは世界初のデルタ翼機として1948年9月に初飛行したものの、音速を超えることができず、飛行性能も期待通りとはいきませんでした。芳しくない試験結果の原因はエンジンの出力不足ともいわれています。

本機の開発にはジェット戦闘機開発の先進国であった敗戦国ドイツのアレキサンダー・マルティン・リピッシュを技術顧問として開発されました。その後もデルタ翼の試験機として使用され、うみだされたデータはこの後のデルタ翼機に活かされています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数1
スペック型式-
全 幅9.55m
全 長12.92m
全 高5.37m
翼面積39.48㎡
自 重4,118kg
総重量/最大離陸重量6,626kg
発動機J33-A-29(3,402kg)×1
最大速度1,160km/h
実用上昇限度15,450m
戦闘行動半径-
航続距離-
乗 員1名
初飛行1948年4月1日
就 役-
退 役-
兵 装

リパブリックXF-91サンダーセプター

Republic XF-91 Thundercepter
リパブリックXF-91サンダーセプターRepublic XF-91 Thundercepter

アメリカ軍機として初めて超音速を突破

水平飛行で超音速突破、しかし採用されず

※文頭写真:NACAの高速飛行試験に供されるXF-91。1951年3月。PHOTO NASA

リパブリックXF-91サンダーセプター(1949)は第2次世界大戦終戦直後の1945年9月、アメリカ空軍が要求した2種類の迎撃戦闘機のうちの一つです。ロケットとジェット、2つのエンジンを搭載した混合動力戦闘機でした。

迎撃戦闘機とは、迎撃機、要撃機、防空戦闘機などとも呼ばれ、主に飛来する爆撃機や偵察機の迎撃を目的とする軍用機です。高々度を飛来する爆撃機を迎撃するため、高い上昇力と攻撃力が求められます。

これらの条件をクリアするため、リパブリック社はジェットエンジンに加えて4基のロケットエンジンを搭載する混合動力という形式を採用します。

1946年に初飛行し優れた兵器搭載量と航続距離をもって活躍した同社のF-84サンダージェットを基本に開発され、J47-GE-17ジェットエンジンの排気口上下にXLR11-RM-9ロケットエンジンを2基ずつ配置しています。

主翼は翼端失速を防ぐ目的で付け根から翼端に向かって広く太い逆テーパー形になっています。翼端失速とは翼端付近から付け根(胴体)に向かって失速が発生する現象です。低速時に発生することが多いといわれます。

ロケットエンジンの遅れにより1952年5月となった初飛行においては、アメリカ軍機として初めて水平飛行における音速突破に成功しています。このまま採用されれば世界初の実用戦闘機となったはずでしたが、アメリカ空軍はより高性能な迎撃機の開発を求め、本機は採用されませんでした。

運用者-
主要なバリエーションXF-91 試作機。2機製造
生産数2
スペック型式-
全 幅13.18m
全 長9.52m
全 高5.51m
翼面積29.72㎡
自 重6,410kg
総重量/最大離陸重量8,400kg
発動機J47-GE-17(3,400kg)×1、XLR11-RM-9(2,720kg)×4
最大速度1,584km/h
実用上昇限度14,500m
戦闘行動半径-
航続距離1,880km
乗 員1名
初飛行1949年5月9日
就 役-
退 役-
兵 装

カーチスXF-87ブラックホーク

Curtiss XF-87 Blackhawk
カーチスXF-87ブラックホークCurtiss XF-87 Blackhawk

ジェット転換期の全天候型戦闘機計画

F-89に負け計画キャンセル。カーチス社最後の戦闘機

文頭写真:長大な航続距離と高速性、全天候性能などを狙ったものの、試作段階に終わったXF-87ブラックホーク。PHOTO USAF

カーチスXF-87ブラックホーク(1948)はカーチス社(アメリカ)がアメリカ空軍向けに開発した全天候型戦闘機です。攻撃機案を転用したこともあり全体として珍しい設計になっています。

元々は1945年からジェット戦闘攻撃機として開発されていたXA-43でしたが、アメリカ空軍(陸軍航空隊)が第2次世界大戦中に開発した双発エンジン・重武装の全天候型戦闘機P-61の後継機を求めていたため、それに従いXP-87夜間戦闘機として開発されます。

一見して重量級の機体であることがわかります。当時のジェットエンジンは未だ非力でありXF-87のJ34も1,350kgの推力しかなく、非力を補うためこれを主翼に2発ずつ4発搭載しています。攻撃機として設計されたXA-43を転用したため機体はとても大きく、コクピットは並列(サイドバイサイド)の複座となっています。

1948年3月に初飛行し戦闘機型、偵察機型あわせて87機の発注を得ますが、F-89スコーピオンが優秀な性能を発揮し、こちらがP-61の後継機となったため本機の開発はキャンセルされました。

開発元であるカーチス・ライト社(アメリカ)は、グレン・カーチスにより1916年に設立され1929年に12もの会社と合弁して巨大化し、当時アメリカにおいて最大の航空機メーカーでした。第2次世界大戦中も29,000機以上の航空機を製造し発展しますが、ジェット化の波に乗り遅れ本機を最後に身売りし、航空機メーカーとしては幕を閉じますが部品やメンテナンスの会社として現在も存続しています。

運用者-
主要なバリエーションXF-87 2機製造された試作機
XF-87A 改良型試作機。1機製造
F-87 量産型。計画のみ
RF-87A 偵察型試作機。計画のみ
生産数2
スペック型式-
全 幅18.28m
全 長18.90m
全 高6.19m
翼面積55.74㎡
自 重11,786kg
総重量/最大離陸重量22,682kg
発動機XJ34-WE-7(1,360kg)×4
最大速度966km/h
実用上昇限度12,500m
戦闘行動半径-
航続距離1,600km
乗 員2名
初飛行1948年3月1日
就 役-
退 役-
兵 装

ロッキードF-94スターファイア

Lockheed F-94 Starfire
ロッキードF-94スターファイアLockheed F-94 Starfire

P-80の全天候型

中継ぎとして活躍

文頭写真:オハイオ州にあるアメリカ空軍博物館のF-94Cスターファイア。PHOTO USAF

ロッキードF-94スターファイヤー(1949-1959)は1949年に初飛行したアメリカ空軍の全天候型戦闘機です。航続距離・兵器搭載量に優れた信頼性の高いP-89スコーピオンが就役するまでの繋ぎとして開発されました。

F-94スターファイア。PHOTO USAF
F-94スターファイア。PHOTO USAF

F-94はアメリカ本土の空を長距離爆撃機から守るための迎撃機です。ということは戦後東の盟主となることが明白であったソ連の長距離爆撃機に対する備えであり、戦後の東西覇権争いは戦争終結間際のこの時期、切迫してことを表わしています。

第354戦闘要撃飛行隊のF-94C。1956年6月19日。PHOTO USAF
第354戦闘要撃飛行隊のF-94C。1956年6月19日。PHOTO USAF

ロッキード社は当時前線で活躍していたジェット戦闘機、ロッキードP-80シューティグスターの複座練習機TT-80を元にした全天候型戦闘機を計画、アメリカ空軍はこの案を採用して1949年7月には試作機が初飛行しています。

P-59エアラコメットという試験的な機体を経たためか、初の実用ジェットにして成功作となったP-80シューティングスター。PHOTO USAF
P-59エアラコメットという試験的な機体を経たためか、初の実用ジェットにして成功作となったP-80シューティングスター。PHOTO USAF

TT-80を元に機首にレーダーを搭載し、エンジンはアフターバーナーつきのJ33-A-33が搭載されました。P-80を70%以上流用した機体であり、要するに本格的な全天候型ジェット戦闘機(迎撃機)であるF-89スコーピオンが本格配備される前の繋ぎとして、一刻も速く、安価に仕上がればよかったわけです。

F-94Cのコクピット。PHOTO USAF
F-94Cのコクピット。PHOTO USAF

急ごしらえとはいえ、1950年から勃発した朝鮮戦争にも参加してMiG-15の夜間撃墜を達成、F-89が配備されるまで北米大陸の防空を担うなど全天候型ジェット戦闘機としての役割を果たしています。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションYF-94 TF-80Cを改造した試作機。2機製造
F-94A 最初の量産型。109機製造
YF-94B F-94Aの改良型
F-94B 量産型。355機製造
YF-94C エンジン換装など改良型
F-94C 全面改良された量産型。エンジン換装、固定武装廃止など。387機製造
EF-94C 偵察型の試作機
YF-94D C型を改造した単座の戦闘爆撃機型
F-94D 量産型。112機発注されるもののキャンセル
生産数855
スペック型式-
全 幅12.93m
全 長13.56m
全 高4.54m
翼面積21.63㎡
自 重5,764kg
総重量/最大離陸重量10,970kg
発動機J87-P-5(2,880kg/AB 3,970kg)×1
最大速度1,030km/h
実用上昇限度15,670m
戦闘行動半径1,300km
航続距離2,050km
乗 員2名
初飛行1949年4月16日
就 役1949年12月
退 役1959年
兵 装

ノースロップP-89スコーピオン

Northrop P-89 Scorpion
ノースロップP-89スコーピオンNorthrop P-89 Scorpion

米空軍初の制式採用全天候型ジェト戦闘機

安定した性能と長い航続距離

※文頭写真:機動性はそこそこの性能でしたが、初の全天候型ジェット戦闘機であり、大きな兵装搭載量と主翼両端に裝備された大型増槽による長大な航続距離を誇ったF-89スコーピオン。PHOTO USAF

ノースロップP-89スコーピオン(1948-1969)は、アメリカ空軍が初めて制式採用した全天候型ジェット戦闘機です。大きく重い機体であり、機動性には優れなかったものの、長大な航続距離と高い上昇限度、大きな兵器搭載量を誇り、北米大陸の防空という重責を果たしました。

P-89が初飛行した昭和23年(1948年)8月の1年後、昭和24年(1949年)12月には同じく全天候型戦闘機であり最新の電子機器を搭載した単座型のF-86Dが初飛行していますが、こちらは肝となった最新の電子機器に由来する問題が続出し早々に退役したものの、本機P-89は安定した性能と運用性から長く使用されました。

機体を一見して目につくのは愛称「スコーピオン」どおりのサソリのような全体と主翼の端に付けられた大きな部品。これは増槽といって燃料を搭載するためのポッドであり、ミサイルなどの兵器が取り付けられます。

この増槽によって2,200kmという優れた航続距離を実現し、北極海という広大な範囲を守備するアラスカの部隊では大変に重用されたといいます。

編隊飛行するF-89D。PHOTO USAF
編隊飛行するF-89D。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションXF-89 最初の試作機
XF-89A 試作機
F-89A 最初の量産型
DF-89A 標的機
F-89B 量産型。アヴィオニクス改修。40機製造
DF-89B 標的制御機
F-89C 量産型。エンジン換装。164機製造
YF-89D F-89D試作機
F-89D 主力量産型。燃料増加、増槽大型化、レーダー・電子装置換装など。682機製造
YF-89E エンジン試験機
F-89F 改修型。計画のみ
F-89G 改修型。計画のみ
YF-89H F-89Hの試作機
F-89H 改修型。156機製造
F-89J F-89Dの改造型。350機製造
生産数1,050
スペック型式-
全 幅18.41m
全 長16.40m
全 高5.33m
翼面積56.29㎡
自 重11,428kg
総重量/最大離陸重量16,869kg
発動機J35-A-33(2,470kg/AB 3,720kg)×2
最大速度1,022km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径-
航続距離2,200km
乗 員2名
初飛行1948年8月16日
就 役1951年2月
退 役1969年
兵 装

ノース・アメリカンF-86Dセイバー

North American F-86D Sabre
ノース・アメリカンF-86DセイバーNorth American F-86D Sabre

F-86の全天候型

良くも悪くも肝となった先進の火器管制装置

※文頭写真:全天候型へと進化したF-86Dセイバー。レーダーを収めるために突き出したノーズコーンの様子から、セイバードッグと呼ばれました。PHOTO USAF

ノースアメリカンF-86Dセイバーはアメリカ空軍のジェット戦闘機。ジェット戦闘機史上の傑作F-86セイバーを基本として開発された単座の全天候型戦闘機です。

第2次世界大戦が終わると東西の覇権争いが生じ、ソ連が開発する長距離爆撃機はアメリカの新たな脅威となっていました。これらに対処するためアメリカ本土を守る全天候型の戦闘機が必要になります。

本機は名機F-86セイバーを基本にするとはいえ共通部品は約20%にとどまったため、計画はYF-95Aという新しいナンバーで始まりましたが、途中からYF-86Dに変更されています。F-86の発展型とすることで議会の予算承認を円滑に進めるためだと思われます。

試作機は1949年12月に初飛行し1952年に就役しています。試作機初飛行から就役まで間が空いているのは、全天候型ならではの火器管制システム(FCS)の開発に手間取ったためです。

この時代の全天候型戦闘機は操縦士とは別にレーダーの操作員が登場するため、2名が搭乗する複座型が普通でしたが、F-86Dは火器管制システム(FCS)の自動化を計り単座型としていました。そのため、当時としては格段に複雑なシステム開発に挑んでいました。

このシステムはE-4と呼ばれ、AN/APG-36全天候型レーダーを中心にAPA-84コンピュータ、ロケット弾照準器などを総合的に運用し、自動攻撃能力を付与されていました。最大捜索距離は約56kmといわれています。

F-86Dセイバー。PHOTO USAF
F-86Dセイバー。PHOTO USAF

F-86と本機F-86Dの共通部品は約20%しかありませんから、全体のフォルムも異なっています。最も特徴的なのはセイバードッグという愛称の由来となった犬の鼻のような機首です。F-86の空気取入口(インテイク)だった部分に出っ張っている部分にはレーダーが収められ。空気取入口はその下に配置されています。

胴体はF-86よりも太くなり、エンジンはF-86A型のJ47-GE-13からJ47-GE-17に換装されています。上空を飛ぶソ連の長距離爆撃機からアメリカ本土を守る迎撃機という性質上、強力な上昇力と高速性能が必要であったためです。

アメリカ空軍の戦闘機としては初めて機銃が取り外されたことも大きな変更点です。爆撃機を撃墜するために武装は24連式の空対空ロケット弾であるマイティ・マウスのみとなっています。これを火器管制システム(FCS)により制御・発射します。

F-86Dは配備後も肝といえる複雑な電子機器やエンジンに関するトラブルが頻発し、整備にとても手間と金のかかる機体でした。それでも重要な機種と位置づけられていたため、改修や整備は続きました。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
デンマーク空軍
フランス空軍
ドイツ空軍
ギリシャ空軍
ホンジュラス空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
フィリピン空軍
トルコ空軍
タイ空軍
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーション-
生産数2,847
スペック型式-
全 幅11.31m
全 長12.27m
全 高4.57m
翼面積26.75㎡
自 重6,132kg
総重量/最大離陸重量9,060kg
発動機J47-GE-17B(2,460kg/AB 3,400kg)×1
最大速度1,115km/h
実用上昇限度15,163m
戦闘行動半径450km
航続距離1,238km
乗 員1名
初飛行1949年12月22日
就 役1951年3月
退 役1967年
兵 装

ノース・アメリカンF-86セイバー

North American F-86 Sabre
ノース・アメリカンF-86セイバーNorth American F-86 Sabre

歴史的傑作機

アメリカ初の後退翼ジェット戦闘機

※文頭写真:USAF

ノースアメリカンF-86Fセイバー(1947-1967)は世界で初めて試作機が初飛行したアメリカ空軍の後退翼ジェット戦闘機。傑作戦闘機との呼び声高い名機であり、約1万機もの生産数を誇り、日本の航空自衛隊も使用しました。

戦闘機の動力は第2次世界大戦後期〜朝鮮戦争の時代、レシプロエンジンからジェットエンジンに移行しつつあり、それにともない最高速度はレシプロ機の時速約750kmから超音速へと向かっていました。

朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF
朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF

速度が高速化すると機体設計が変わってきます。第2次世界大戦においてレシプロ戦闘機最大の生産国であったアメリカもジェット戦闘機開発においてはドイツとイギリスに先行されていました。

第2次世界大戦の最高レシプロ機といってもいいP-51マスタングを開発したアメリカのノースアメリカン社は、大戦の行方がほぼ定まっていた1944年後半、ジェット戦闘機の開発を開始します。

これが後に傑作機F-86となりますが、当初の試作機は性能的に競合していたXP-84(後のF-84)に及びませんでした。しかし、折しも1945年5月にドイツが敗れ、連合軍はその進んだジェット機開発の技術を収奪したため、膨大な資料がアメリカにもたらされます。

1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF
1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF

ノースアメリカン社は、アメリカにもたらされたドイツの先進技術の中でも特に主翼に角度をつけた後退翼に関する研究データをF-86の開発に取り入れます。後退翼はジェット戦闘機の高速性能を画期的に引き上げる技術でした。そしてその高速化にともなって低下する低速性能を補うための揚力装置(自動スラット)などの技術もあわせてドイツの資料から取り入れます。

空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF
空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF

F-86の試作機XP-86の1号機は1947年10月に初飛行します。後退翼を搭載した初めてのジェット戦闘機としては、「ミグショック」といわれ朝鮮戦争でアメリカを恐怖させた高性能機MiG-15が有名ですが、初飛行は1947年末でありこの点ではF-86の方が3か月ほど早いことになります。

XP-86はいくつかの改良を経ながら期待通りの高性能ぶりを発揮し、1948年にはエンジンをGE35からより強力なJ47に換装した最初の量産型が初飛行します。また、時速1,079.49kmという世界速度記録も打ち立てています。

1950年に朝鮮戦争が勃発しますが、当初北朝鮮の空軍力は無いに等しく、F9FパンサーP-80シューティングスターF-84Gサンダージェットといった直線翼のジェット戦闘機で充分な状態でした。しかしすぐに中国が参戦、中国経由で後退翼を採用したソ連の高性能戦闘機MiG-15が出現すると、上記の直線翼戦闘機では分が悪くアメリカの制空権は一挙に脅かされることとなりました。

慌てたアメリカ軍は就役したばかりのF-86セイバーを極東を派遣し、ここに史上初の後退翼ジェット戦闘機による空戦が勃発。上昇力や高々度性能などはMiG-15の方が優れていたものの、エース級を投入したことによる優れたパイロットの技量とレーダー性能によりF-86は損失78機に対して800機のMiG-15を撃墜しました。

朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF
朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF

F-86はその後も数々の派生型を生み、艦載機型も造られました(FJ-3フューリー)。アメリカでは1950年代後半〜60年代にかけて超音速機が配備されるようになると前線から姿を消していきますが、1990年代まで世界各国で使用され続けました。

2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF
2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF

航空自衛隊では、エンジンをJ47-GE-27に換装したF-86F 435機が主力戦闘機として使用されました。さらにF-86を全天候型とした発展型のF-86Dも122機配備されています。航空自衛隊曲技飛行隊ブルーインパルスの初代使用機であり、航空自衛隊では「旭光(きょっこう)」と呼ばれていました。1964年の東京オリンピックで大空に五輪旗を描いていた機体はこのF-86です。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
アルゼンチン空軍
ベルギー空軍
ボリビア空軍
カナダ空軍
コロンビア空軍
デンマーク空軍
エチオピア空軍
ドイツ空軍
ホンジュラス空軍
イラン空軍
イラク空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
ペルー空軍
フィリピン空軍
ポルトガル空軍
台湾空軍
サウジアラビア空軍
南アフリカ空軍
スペイン空軍
タイ空軍
チュニジア空軍
トルコ空軍
コンゴ
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF-86 試作機。3機製造
YF-86A 試作機。エンジン換装。3機製造
F-86A 量産型。554機製造
DF-86A 無人標的機
RF-86A 偵察機
F-86B 改良型
F-86C 侵攻戦闘機型に大幅改修。後にYF-93Aに名称変更
F-86D 大幅に改修された全天候戦闘機型。機種の形状が特徴的。航空自衛隊でも使用された
F-86G D型のエンジン換装
F-86K 主にNATO向け輸出型
F-86L D型の改修型。電子装置など
F-86E 全誘導水平安定尾翼導入型
QF-86E 標的機
F-86F エンジン換装など。航空自衛隊でも使用された
QF-86F 標的機
RF-86F 偵察機。航空自衛隊でも使用された
TF-86F 複座練習機
生産数9,860
スペック型式F-86F
全 幅11.28m
全 長11.53m
全 高4.52m
翼面積29.11㎡
自 重5,046kg
総重量/最大離陸重量8,234kg
発動機J47-GE-27(2,680kg)×1
最大速度1,106km/h
実用上昇限度15,100m
戦闘行動半径730km
航続距離2,454km
乗 員1名
初飛行1947年10月1日
就 役1949年2月
退 役1967年
兵 装