
核ミサイル前夜の産物
27mを超える巨大な図体
※文頭写真:センチュリー・シリーズの集大成を目指した怪物、XF-108レイピア。27m超の巨体です。PHOTO USAF
ノースアメリカンXF-108レイピア(1959)はアメリカのノースアメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。XF-103と同じようにマッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。
1950年代東西の覇権争いは激化しており、特に最終兵器である核の運用を巡り爆撃機、航空母艦、ミサイルという三つ巴の開発合戦が繰り広げられていました。
最初期の核爆弾は大型であり、空中から投下せざるを得ず運用は日本に落としたように爆撃機が担っていました。徐々に小型化すると艦上戦闘機でも運用できるようになり、さらにはナチス・ドイツが第2次世界大戦中に開発した弾道ミサイルの開発も進んでいました。
1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功して以降、1960年代に入ると今日知られるようにミサイルによる核運用がとてつもないスピードで進んでいきます。ちなみに、ジェット戦闘機の技術と同じように、大気圏外を飛行する弾道ミサイルもまたナチス・ドイツが最先端の技術を保有しており、戦後これを収奪した戦勝国が開発を進め、その中でも最も熱心だったソ連が最初に打ち上げを成功させたのです。
マッハ3という高速で飛行するXB-70戦略爆撃機は、そのような状況において開発され、そして爆撃機に必須の護衛機として本機の開発もスタートしました。それまでの戦闘機のカテゴリーに入りきらない程のオーバースペックを目指し、1958年には基本案が固まり、1961年3月に初飛行に漕ぎ着ける予定でしたが、機体価格の高騰、最新の電子機器やミサイルの開発も難航した上に、XB-70計画自体が試作機の段階で打ち切りとなり、本機の開発も試作機の段階で終了しました。
これだけとんでもない性能を企図したため、全長は27.2m、自重23,098kgという巨大な機体となっています。エンジンは7,939kgと高出力のJ93-GE-3Rを2基搭載し、24,400mという高空での作戦行動が可能でした。航続距離は約4,000kmと非常に長いものでしたが、護衛すべきXB-70は12,000km以上を目指していましたから、これでは完璧に護衛することはできません。
運用者 | - |
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主要なバリエーション | - |
生産数 | - |
スペック型式 | - |
全 幅 | 17.5m |
全 長 | 27.2m |
全 高 | 6.7m |
翼面積 | 173.4㎡ |
自 重 | 23,098kg |
総重量/最大離陸重量 | 34,530kg |
発動機 | J93-GE-3R(7,938kg)×2 |
最大速度 | 3,190km/h |
実用上昇限度 | 24,400m |
戦闘行動半径 | 2,033km |
航続距離 | 4,004km |
乗 員 | 2名 |
初飛行 | - |
就 役 | - |
退 役 | - |
兵 装 |