
世界初のマッハ3級戦闘機
高度27,000mを時速3,600kmで飛行
※文頭写真:試験飛行中のYF-12。PHOTO USAF
ロッキードYF-12(1963)はアメリカのロッキード社がアメリカ空軍向けに開発したマッハ3級の巨大な戦闘機です。全長約31mという巨大で異様な姿は、我々が想像する戦闘機の形からはかけ離れています。結局採用には至りませんでしたが、東西冷戦を象徴する機体の一つといえるでしょう。
激しい東西冷戦の最中、1954インターセプター計画にみられるように、アメリカ空軍の戦闘機開発は飛来するソ連の戦略爆撃機を迎撃することが大きな目的でした。また、アメリカ空軍自身の戦略爆撃機を護衛するための戦闘機が必要ということも大きな開発目的となっていました。
どんな戦闘機よりも高く、そして速く飛べば、爆撃機は攻撃されることなく最終兵器である核爆弾を投下することができます。アメリカ空軍は高度22,000mをマッハ3という高速で飛行し、アラスカ〜モスクワ間を無着陸で往復できる超音速戦略核爆撃機、XB-70を構想していました(試作機の段階でキャンセル)。
YF-12の開発が始まった1960年頃、XB-70のような戦略爆撃機をソ連が保有してはいませんでしたが、アメリカは早晩ソ連が開発に着手、もしくはすでに手にしていると考えていました。
ソ連戦略爆撃機の脅威、自軍の超音速戦略爆撃機の護衛という大きな目的のもと、アメリカ空軍はXF-103、XF-108といった大型・高速の迎撃戦闘機を計画しますが、いずれも採用前に計画中止となってしまいます。
同じ頃ロッキード社は、CIA向けに高度約3万mという高空をマッハ3以上の高速で飛行する偵察機、A-12を開発しており(こちらは採用されます)、A-12を元に戦闘機化することで開発費を抑えて実用化することができると提案し、アメリカ空軍はこれを受け入れます。
戦闘機化にあたっては、最新のAN/ASG-18レーダーや、それにともなうレーダー操作員席の増設、ミサイル運用装置の追加などが行われました。
初飛行は1963年8月に行われ、飛行試験が続けられました。世界速度記録・高度記録を塗り替えるなど優秀な試験結果を残しますが、財界出身で費用対効果と統計学を駆使するロバート・マクナマラが国防長官に就任すると、YF-12計画は中止となりました。
結果的には、当時のソ連はYF-12のスペックでなければ迎撃できない程の超高度・超音速の戦略爆撃機を保有していなかったわけですから、その点では国防長官のロバート・マクナマラの判断は正しかったということになります。
運用者 | - |
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主要なバリエーション | YF-12A 試作機。3機製造 F-12B 量産型。計画のみ |
生産数 | 3 |
スペック型式 | YF-12A |
全 幅 | 16.95m |
全 長 | 30.97m |
全 高 | 5.64m |
翼面積 | 167㎡ |
自 重 | 27,600kg |
総重量/最大離陸重量 | 56,200kg |
発動機 | J58/JTD11D-20A(9,300kg)×2 |
最大速度 | 3,661km/h |
実用上昇限度 | 27,400m |
戦闘行動半径 | - |
航続距離 | 4,800km |
乗 員 | 2名 |
初飛行 | 1963年8月7日 |
就 役 | - |
退 役 | - |
兵 装 |