「1970年代の戦闘機」タグアーカイブ

ロッキード・マーチンF-16ファイティング・ファルコン

Lockheed Martin F-16 Fighting Falcon
ロッキード・マーチンF-16ファイティング・ファルコンLockheed Martin F-16 Fighting Falcon

最新鋭の軽量級戦闘機

アメリカ空軍のベストセラー

ジェネラル・ダイナミクス(現 ロッキード・マーティン)F-16ファイティング・ファルコン(1974-)はアメリカ空軍にとってF-86以来のベストセラーとなった軽量級戦闘機です。最新のテクノロジーとコストカットを両立させた傑作戦闘機として世界各国で運用されています。日本のF-2戦闘機はこのF-16を母体として開発されました。

アメリカ空軍は、1972年(昭和47年)に最強の制空戦闘機F-15の初飛行に成功し、1974年(昭和49年)から部隊配備を開始していました。本来であれば、F-15を必要数揃えられればいうことなかったわけですが、全てに最高・最強を目指したF-15の価格は、現在の感覚でいえば概ね1機あたり100億円以上と大変に高額です(飛行機の価格は比較が難しいためあくまで感覚的な参考価格)。

下からF-15、F-16、P-51マスタング。
下からF-15、F-16、P-51マスタング。

ベトナム戦争の影響によるアメリカ国内のインフレやいつもながらの議会のコストカット要求も相まって、アメリカ空軍の希望は叶えられそうにありません。
そこで、機能を絞った小型軽量の優秀な戦闘機を開発し、不足分を補おうということになりF-16の開発が始まりました。F-15を「High」、F-16を「Low」として「ハイ・ロー・ミックス」と呼ばれる戦力構築を目指したわけです。開発発注における選考では後のアメリカ海軍艦上戦闘機F/A-18と争い、F-16が勝利しています。

イスラエル空軍の独自改修型F-16Dブラキート(複座型)。ワイルド・ヴィーゼル(敵防空網制圧)機です。単座型はF-16Cバラクと名付けられています。PHOTO USAF
イスラエル空軍の独自改修型F-16Dブラキート(複座型)。ワイルド・ヴィーゼル(敵防空網制圧)機です。単座型はF-16Cバラクと名付けられています。PHOTO USAF

自身満々、最高級の重量級戦闘機を揃えて失敗したベトナム戦争の教訓

常に考えうる限り最強の戦闘機を目指し続けてきたアメリカ空軍は、過去ほとんどの戦闘機において、最新の電子機器やミサイルなどを裝備し、多大な燃料を搭載した大型の機体を大出力のエンジンで引っ張るという開発方針でしたから、軽量級戦闘機を敬遠する傾向にありました。

イラクで作戦中のF-16。PHOTO USAF
イラクで作戦中のF-16。PHOTO USAF

ところが、それぞれが得意分野において最高の性能を発揮していたセンチュリーシリーズやF-4ファントムⅡといった、超がつく高級重量級ファイターを配備して自身満々でのぞんだベトナム戦争において、大きくつまづくことになりました。

アメリカ空軍の最高級&重量級ファイターに比べれば、貧弱といってもいい電子裝備や旧式な機体構造で軽快な運動性能だけが頼りの、ソ連製MiG-17/19/21といった戦闘機を相手に1.5:1もしくは2:1という程度のキルレシオ(撃墜被撃墜比率)しか残せなかったのです。

ファイター・マフィアのボス、ジョン・ボイド少佐

この反省から、いかなる状況においても敵機を圧倒し制空権を確保する最強の制空戦闘機としてF-15が開発されたわけですが、「有視界の格闘戦に勝利する小型軽量の戦闘機」があれば制空権は確保できると主張する「ファイター・マフィア」と呼ばれる空軍の一派がありました。

ベトナム戦争や中東戦争をみても、マッハ2で戦闘機が戦い合うということは少なく、ほとんどは音速以下、かつ昼間に有視界で行われていました。ならば、空戦に影響の少ない機体の大型化は避け、最高速度は下げて電子裝備を簡易にしても、機動性が高ければ空戦に勝利できるというわけです。

イラク上空でKC-135ストラトタンカーから空中給油を受けるF-16C。PHOTO USAF
イラク上空でKC-135ストラトタンカーから空中給油を受けるF-16C。PHOTO USAF

ファイター・マフィアのボスは空戦理論家としても著名だった、ジョン・ボイド少佐でした。アメリカ海軍戦闘機兵器学校(FWS)の戦闘機教官を務めた後、ジョージア工科大学に物理学と熱力学を学び、後に画期的な航空機の機動性を導き出す、エネルギー機動性理論(E-M理論)を構築します。

これは、航空機の機動性は機動エネルギーと運動エネルギーの総和であるというもので、Ps(航空機の比エネルギー)=(T[推力]ーD[効力])V(速度)/W(機体重量)という公式で表されます。

後には世界の兵法家やその戦史を研究し続け、戦闘・軍事理論を壮大なスケールで構築し、アメリカ空軍のみならず、アメリカ陸軍や海兵隊にも大きな影響を与え、退役後はアメリカ国家機関のコンサルタントとして活躍しました。

アメリカ空軍の伝統的な重量級戦闘機路線と闘ったように、官僚機構との衝突を辞さなかった気骨の人だったようです。国家機関コンサルタント時代、質素な家に住み、周囲から揶揄されても意に介さず、少額の給与しか受け取らなかったという行動からも、その片鱗が伺えます。

F-16が導入した革新的テクノロジー

安価な軽量級戦闘機というと安物のように聞こえますが、そうではありません。F-16は無駄をそぎ落とし、有視界の格闘戦に勝利するための革新的なテクノロジーを備えた戦闘機です。

F-16は機体形状とコンピュータ制御による4重もの飛行制御システム(フライ・バイ・ワイヤ)によって高い運動性を発揮しています。これは、静安定性緩和(RSS)もしくは操縦性優先形態機(CCV)と呼ばれ、実験機ではなく実用機で採用されたのはF-16が初めてです。

飛行するということは一方向の安定性(静安定性)が必要とされますが、空中で機動するということは反対に不安定性が必要とされます。要するに運動性を確保するためには、わざと静安定性を崩さなくてはなりません。静安定性を崩すということは失速や墜落と同じ延長線上にあるということです。

静安定性を崩せば崩すほど、急な機動が可能になるわけですが、その分、人の能力ではまともに真っ直ぐ飛ぶこともできないということになり、失速や墜落のリスクは高くなります。このアンバランスなバランスをコンピュータによって制御することでリスクをカットし、機動性を向上させたのがフライ・バイ・ワイヤと呼ばれる飛行制御システムです。

フライ・バイ・ワイヤと人との最大の接点である操縦桿は、F-16ではジョイスティックとなっています。戦闘機の操縦といえば、股の間にある操縦桿を操作するイメージがあり、実際F-16以前はそうでした。しかし、F-16はパイロットの右側に置かれたジョイスティック(デジタル式操縦桿)によって操縦を行います。

F-16Cのコクピット。PHOTO USAF
F-16Cのコクピット。PHOTO USAF

機体構造には、ブレンデッド・ウィング・ボディが採用されています。主翼と胴体は美しくなだらかに融合されており、全体がまるで一つの翼のようです。この構造は飛行特性は向上させ、構造の単純化により重量軽減ともなっています。

ケンタッキー空軍州兵基地のF-16。PHOTO USAF
ケンタッキー空軍州兵基地のF-16。PHOTO USAF

コストカット

F-16では最新技術を導入すると同時にコストカットも徹底して行われました。1950年代からアメリカの戦闘機に多く使われてきた高額のチタン合金をF-15の10分の1程度に減らし、進化してきた複合素材を多用することで材料費を軽減しています。

既存部品の活用と小改造を合わせると全体の80%にも及び、生産工程の簡易化もあわせて進められました。エンジンはF-15と同じプラット&ホイットニー社製F100を採用し、量産効果による取得価格低下を図っています。

ベストセラー

高性能と取得しやすい価格を実現したF-16はアメリカ軍で2,200機以上が導入された他、現在に至るまで4,500機以上が生産され、ベストセラー戦闘機となっています。F-16A型とC型は米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機となっています。A型が昭和58年(1983年)〜平成3年(1991年)、続いてC型が平成4年(1992年)〜現在まで使用されています。ジェット戦闘機の開発サイクルが長くなったとはいえ、30年以上に渡り使用され続けいることはF-16の高い飛行性能を物語っています。

採用した国はアメリカを始め、トルコ、シンガポール、イスラエル、台湾、エジプト、ベルギー、オランダ、ノルウェー、ギリシャなど世界20か国に及び、数多くの派生型、発展型をうみながら、現在も生産が続いています。

2003年に初飛行した発展型のF-16E/Fデザートファルコン。コクピットはグラスコクピットとなり、液晶ディスプレイが並びます。他にも多くの改修が行われ戦闘力が強化されています。PHOTO USAF
2003年に初飛行した発展型のF-16E/Fデザートファルコン。コクピットはグラスコクピットとなり、液晶ディスプレイが並びます。他にも多くの改修が行われ戦闘力が強化されています。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
ベルギー空軍
デンマーク空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
ギリシャ空軍
イタリア空軍
ポーランド空軍
ポルトガル空軍
バーレーン空軍
エジプト空軍
イスラエル空軍
イラク空軍
ヨルダン空軍
オメーン空軍
トルコ空軍
アラブ空軍
モロッコ空軍
インドネシア空軍
パキスタン空軍
シンガポール空軍
台湾空軍
韓国空軍
タイ空軍
チリ空軍
ベネゼエラ空軍
ブルガリア空軍
コロンビア空軍
フィリピン空軍
ルーマニア空軍
主要なバリエーションYF-16 試作機。YF-17と争った
F-16FSD 量産テスト機
F-16A/B 最初の量産型。Bは複座型
F-16A/B ADF 空軍州兵向け迎撃戦闘機
F-16AM/BM NATO4か国向け改修型。電子機器全般を改修
F-16CCV YF-16を改修した試験機
RF-16 偵察機
F-16C/D ブロック25以降。1984年から配備。電子機器や機体を改良。途中からエンジンも換装
F-16CG/DG 夜間作戦能力向上型
F-16N 米海軍のアドバーサリー機(仮想敵機)
F-16E/F 電子機器、エンジン改修。胴体両側に張り出した箱型が特徴
F-16V 近代化改修型。電子機器などを改修
生産数4,540
スペック型式F-16C
全 幅9.96m
全 長15.06m
全 高4.88m
翼面積27.87㎡
自 重8,570kg
総重量/最大離陸重量19,200kg
発動機F110-GE-100(7,781kg/AB 12,972kg)
最大速度2,120km/h
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径1,520km
航続距離4,220km
乗 員1名
初飛行1974年2月2日
就 役1978年12月
退 役-
兵 装

ボーイングF-15イーグル

Boeing F-15 Eagle
ボーイングF-15イーグルBoeing F-15 Eagle

無敗の制空戦闘機

ミサイル万能論への反省からうまれた最強戦闘機

※文頭写真:1972年(昭和47年)7月、初飛行するF-15イーグル。PHOTO USAF

マクドネルダグラス(現 ボーイング)F-15イーグルは、1972年に初飛行して以来、一度も撃墜されることなく、今日に至るまで40年以上無敵の戦闘機として君臨してきたアメリカ空軍の戦闘機です。

10トン超の爆弾を搭載して超低空侵攻による精密爆撃を可能にした長距離阻止攻撃型F-15E。PHOTO USAF
10トン超の爆弾を搭載して超低空侵攻による精密爆撃を可能にした長距離阻止攻撃型F-15E。PHOTO USAF

航空自衛隊(百里基地所属)のF-15DJ。百里基地は首都圏の防空を担います。PHOTO USAF
航空自衛隊(百里基地所属)のF-15DJ。百里基地は首都圏の防空を担います。PHOTO USAF

現在、極東最強の制空能力を誇る航空自衛隊の主力戦闘機もF-15です。正確には燃料を増加し、構造強化を実施したF-15Cを基本に造られたF-15J/DJとなっています。Jは単座、DJは複座型です。

1980年に採用され約200機が運用されており、アメリカ国外最大のF-15運用国となっています。三菱重工業を主契約者としてノックダウン生産およびライセンス生産が行われ、213機が製造されています。こちらもアメリカ国外最大の生産国です。

航空自衛隊のF-15J。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-15J。写真:航空自衛隊

最初の2機はアメリカから受領し、続く8機はノックダウン生産、残りの機体は部品を国内にて製造してライセンス生産されています。ライセンス料などを含めた1機あたりの価格は120億円ともいわれます。

これを聞くとあまりに高価なことに驚きますが、日本の排他的経済水域面積は世界第6位。ロシア、中国、北朝鮮などを対岸に持つこの広大な財産を守るには、制空権の確保は生命線です。さらには、ライセンス生産によりエンジンやレーダーなど部品をすべて国産化できますから、航空機開発に必要な技術や人材を育てることもできます。

航空自衛隊のF-15J戦闘機。写真:DoD
航空自衛隊のF-15J戦闘機。写真:DoD

圧倒的な強さをみせた実戦

1991年(平成3年)1月17日、アメリカを中心とする多国籍軍によるイラク空爆「デザートストーム作戦」に始まった湾岸戦争では、MiG-21/23/25/29、Su-22、ミラージュⅢなどの敵機38機を撃墜し、F-15自身は1機も撃墜されることなく圧勝となりました。また、これに先立つ部隊配備/物資輸送に対して24時間フル稼働の空中哨戒を実施しています。

湾岸戦争で大活躍したF-15でしたが、最初の実戦となったのはアメリカ空軍ではなく、イスラエル空軍でした。F4ファントムⅡを第四次中東戦争において多く損失したイスラエル空軍は、1970年代後半、A/B型、C/D型あわせて111機のF-15を導入しました。

1977年6月、イスラエル支配下にあるパレスチナの開放を目的としたパレスチナ解放機構(PLO)がレバノン南部に置いたキャンプを攻撃するため、F-15が出撃し、その途中シリア空軍のMiG-21と交戦となり4機を撃墜しました。これがF-15最初の実戦となりました。

イスラエル空軍はまた、1982年のレバノン侵攻作戦でも数十機もの敵機を撃墜し、損失ゼロとなっています。

砂漠の嵐作戦に参加し、クウェート上空を飛ぶF-15C(先頭の3機)。編隊両端の2機はF-16A。PHOTO USAF
砂漠の嵐作戦に参加し、クウェート上空を飛ぶF-15C(先頭の3機)。編隊両端の2機はF-16A。PHOTO USAF

開発までの経緯

意外なことに、F-15は1950年台のF-86以来、久しぶりにアメリカ空軍が手にした純血の制空戦闘機です。これには様々な時代背景が絡み合っています。

圧倒的な航空戦力を持って戦勝国となった第2次世界大戦以来、現在に至るまでアメリカが制空権を奪われたことは一度もありません。常に完璧に制空権を確保してきたアメリカが、朝鮮戦争とベトナム戦争の2度だけ制空権を脅かされました。この危機と東西冷戦が20年以上、アメリカを純血の制空戦闘機から遠ざけてきました。

1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では、当初まともな航空戦力を持たない北朝鮮を相手にレシプロ戦闘機が参加できるほど安々と制空権を確保していたアメリカでしたが、ソ連が中国経由で関与するようになると、後退翼を裝備し当時最高の性能を誇ったソ連のMiG-15戦闘機が突如として出現。

レシプロ機は言うの及ばす、アメリカ軍が極東に配備していたジェット戦闘機、F-80シューティングスターF9Fパンサーでも到底MiG-15には太刀打ちできず、一時的とはいえアメリカの制空権は危機に陥ります。この出来事は突如出現したMiG-15に由来することから「ミグショック」と呼ばれ、アメリカの狼狽がみてとれます。

しかし、この危機はMiG-15と同じくドイツの先端技術であった後退翼を裝備したアメリカ空軍の最新鋭機F-86が前年に就役していたため、これを急遽極東に投入し乗り切ります。

機体の運動性能ではMiG-15に若干分があったようですが、射撃管制装置やレーダーの性能、そして第2次世界大戦において鍛えぬかれた歴戦のパイロットたちの優秀な技量により、最終的には7:1という圧倒的なキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)を持って制空権を確保するに至りました。

次の危機はベトナム戦争です。東西冷戦は過熱し、アメリカが凶悪な程に最新鋭機を続々と開発していた50年代があけてすぐ、1960年(昭和35年)12月にベトナム戦争が勃発し、1965年頃から本格的な空戦が起ります。

50年代に急速な進化を続けていたミサイルの影響により、戦闘機の設計思想は「空戦能力軽視」に偏っていました。その結果、純粋な制空戦闘機は造られず、ジェット戦闘機の対地攻撃能力の高さを活かした戦闘爆撃機、それから、ソ連の戦略爆撃機に対抗する意味と自軍の戦略爆撃機の護衛機という役割で、やたらと高速で上昇力の高い迎撃戦闘機という2種類が次々と造られることとなりました。

「高速性能に秀で高性能レーダー及びミサイルが裝備されていれば、レシプロ機のようなドッグファイトなど起きない、遠くからミサイルを発射して、高速でいなくなればよい」というわけです。現代の最新鋭機であれば概ねこれでよいわけですが、まだ早すぎました。

さらに、当時アメリカが最も脅威に感じていた核兵器を搭載するソ連の戦略爆撃機に対処するための高速性と上昇力に優れ、攻撃力が高い迎撃戦闘機の開発は過熱し、最終的にはモックアップ段階で中止になったとはいえXF-103のように、マッハ3.7、上昇限度24,500mという性能が目指されていました。

XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force
XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force

このようにアメリカ空軍が大型、高速、電子裝備てんこ盛りのドッグファイトが苦手な戦闘機ばかり造っていたところに、ベトナム戦争が始まります。最新のレーダーに中距離空対空ミサイルAIM-7スパロー(射程30km)、短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダー(射程5km)などを搭載したアメリカ空軍の戦闘機が堂々と控えていました。

ベトナム戦争ではF-105や、大型重装備のF-4ファントムⅡなどがアメリカ空軍機として参戦します。F-105は爆撃機ではないかといわれるほど爆撃能力の高い戦闘機ですから、当然、ドッグファイトは苦手です。F-4ファントムⅡはアメリカ海軍が開発したものをアメリカ空軍が採用したものです。元々艦載機ですから多目的に造られており、初期型は機関砲を裝備していなかった程ですから、ドッグファイトは想定されていなかったでしょう。

F-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
F-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

アメリカ空軍最大の悲劇は、同士討ちを避けるためにミサイルを発射する際には目視による確認を義務付ける交戦規定が施行されたことです。現在のように統合情報システムによる高度な情報交換ができない状況では、致し方ないことかもしれません。

いかに高速であろうと、優秀なレーダーとミサイルを裝備していようと、目視で敵機であることを確認するとなると、低速で近づかなくてはいけません。結局は昔ながらのドッグファイトが避けられなくなり、大型重装備のアメリカ空軍戦闘機に比べれば軽量で軽快な運動性能だけがとりえともいえるMiG-21などのソ連製戦闘機に大いに苦戦することになります。

結果、キルレシオ(撃墜対被撃墜比率)は1.5:1、2:1と散々な数字となります。高価なアメリカ空軍戦闘機を駆使して1機で安価な敵機を1.5機〜2機しか倒せないのですから。こうして制空権を掌握できない状態で行われた対地攻撃では、常にミグ戦闘機の影に怯え、ミグに遭遇したら、即座に爆弾を捨てて逃げ出すということになってしまいます。

ベトナム戦争に参加したアメリカ軍機の中で最も高い8:1というキルレシオを残したのは、「最後のガンファイター」といわれ、軽快な運動性能と20mm機関砲4門を備えたアメリカ海軍のF-8クルーセイダーでした。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

最強の制空戦闘機

アメリカ空軍はベトナム戦争の反省から、いついかなる状況であっても敵戦闘機を撃墜し制空権を確保する戦闘機の開発を始めます。これこそF-15であり「航空優勢戦闘機(Air Superiority Fighter)」というキャッチフレーズがつけられました。

沖縄の嘉手納をベースとする第44戦闘飛行隊のF-15。PHOTO USAF
沖縄の嘉手納をベースとする第44戦闘飛行隊のF-15。PHOTO USAF

空中戦訓練中のF-15E。PHOTO USAF
空中戦訓練中のF-15E。PHOTO USAF

同時期にアメリカ海軍もまた、いかなる敵機からも艦隊を守る最強の艦隊防空戦闘機を目指し、F-14トムキャットの開発を始めていました。アメリカ議会はコスト削減のため両者の統一を求めますがアメリカ空軍は強硬に反対し、F-15の単独開発を続けます。性能的な理由ももちろんあるでしょうが、F-4ファントムⅡに続けてまた海軍の戦闘機を採用ということは、メンツが許さなかったのではないでしょうか。

各社の中からマクドネルダグラス社案に決まり、開発が始まります。1972年(昭和47年)7月27日に初飛行し、試験は続けられました。試験結果はアメリカ空軍の要求をクリアしており、順調に開発が進みます。

プラット&ホイットニー社製F100-PW-221(8,090kg/AB10,640kg)という大出力エンジンを2基搭載し、最高速度はマッハ2.3を発揮。クロースカップルドデルタの大きな主翼と12,970kgに抑えらた重量は、エンジンの大出力と相まって高い機動性をもたらしています。

比較的余裕のある機体構成から、電子機器などのアップデートがしやすく、1972年(昭和47年)の初飛行から現在に至るまで1機も撃墜されることなく、運用され続けています。

F-15E。PHOTO USAF
F-15E。PHOTO USAF

ステルス能力を付与したF-15SEサイレントイーグル。PHOTO Boeing
ステルス能力を付与したF-15SEサイレントイーグル。PHOTO Boeing
運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
イスラエル空軍
サウジアラビア空軍
主要なバリエーションYF-15A 最初に製造された2機。後F-15Aに含まれる
F-15A 最初の量産型。384機製造
TF-15A 複座型。後F-15Bに含まれる
F-15B 戦闘能力を持つ複座型。61機製造
F-15C 単座の量産型。構造強化などの改修。483機製造。55機はサウジアラビア、18機はイスラエル向け
F-15D 戦闘能力を持つ複座型。93機製造
F-15E F-111の後継となった複座の長距離阻止攻撃機。レーダー、エンジン、夜間航法照準システムなどを搭載
F-15J C型を基体とした航空自衛隊向け。三菱重工がライセンス生産。139機製造
F-15DJ F-15Dの航空自衛隊向け
F-15FX 航空自衛隊次期戦闘機 (F-X)向けの機体。最新の電子機器(アビオニクス)を搭載
F-15SE ステルス性を加える改修が施されたF-15E。機体軽量化、電子機器(アビオニクス)の更新
生産数1,198
スペック型式F-15C
全 幅13.05m
全 長19.43m
全 高5.63m
翼面積56.5㎡
自 重12,700kg
総重量/最大離陸重量20,200kg
発動機F100-PW-220(8,090kg/AB 10,640kg)×2
最大速度2,665km/h+
実用上昇限度20,000m
戦闘行動半径1,967km
航続距離5,550km
乗 員1名
初飛行1972年7月27日
就 役1974年11月
退 役-
兵 装

ボーイングF/A-18ホーネット

Boeing F/A-18 Hornet
ボーイングF/A-18ホーネットBoeing F/A-18 Hornet

どこか地味な傑作機

高い多目的性を有し、運用しやすい

※文頭写真:アメリカ海軍原子力空母ニミッツに着艦する、海兵隊のF/A-18Aホーネット。PHOTO USNAVY

ボーイング(マクドネル・ダグラス)F/A-18ホーネットは、アメリカ海軍の艦上戦闘機です。1978年に初飛行し、1983年より部隊配備されています。F/A-18A〜Dをホーネット、大きく改修された発展型のF/A-18E/Fをスーパーホーネットと呼びます。空対空、対地攻撃双方の任務をこなす戦闘攻撃機であり多用途性、費用対効果の高さなどから約1,500機が生産され、F-35配備前の現在、アメリカ海軍空母艦上のほとんどを占めています。

アメリカ海軍空母ロナルド・レーガン艦上で離艦準備をするF/A-18ホーネット。2011年(平成23年)2月27日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母ロナルド・レーガン艦上で離艦準備をするF/A-18ホーネット。2011年(平成23年)2月27日。PHOTO USNAVY

本機は現在も運用されベストセラーとなったアメリカ空軍のF-16採用にあたって提案された2案のうちの一つです。アメリカ空軍は大型のF-15が高価となり維持費もかさむことから、軽量で比較的安価な空戦戦闘機とあわせて運用するハイローミックスという運用構想を推進すべく開発を進め、ジェネラル・ダイナミクスYF-16とノースロップYF-17のうちからYF-16を選び、F-16ファイティングファルコンとして採用しました。

この時、F-16と争ったノースロップYF-17は飛行性能や先端技術の導入、コスト面で劣っていたためアメリカ空軍には採用されませんでしたが、ちょうどF-4ファントムⅡやA-7コルセアの代替となる戦闘攻撃機を求めていたアメリカ海軍に対し、議会から先述の空軍コンペの2機種のうちから選ぶよう決定が下されたのでした。

YF-16(後のF-16)と米空軍のトライアルを受けたYF-17(後のF/A-18)。写真:USAF
YF-16(後のF-16)と米空軍のトライアルを受けたYF-17(後のF/A-18)。写真:USAF

そこで、海軍は、優れた低速性能、双発エンジン、余裕のある機体サイズなどを評価してYF-17を選びます。マクドネル・ダグラスはYF-17を海軍の仕様にあわせて大型化し、エンジンも改修、電子機器も更新するなど高性能化し、艦上機としての装備を追加してF/A-18ホーネットとして提案し1976年に制式に契約を交わします。

2010年(平成22年)環太平洋合同演習(RIMPAC)におけるF/A-18ホーネット。2010年7月20日。PHOTO USAF
2010年(平成22年)環太平洋合同演習(RIMPAC)におけるF/A-18ホーネット。2010年7月20日。PHOTO USAF

F/A-18は特に攻撃機A-6Eイントルーダーを代替するものとして企図されましたが、冷戦終結後に起こった軍事予算削減の流れがローコストで多用途に運用できるF/A-18にとって追い風となりました。中でも高額の取得・維持費用がかかるF-14は真っ先に削減の対象となります。

エンジン強化型のF-14B。主翼を68度の最後退翼位置にして飛行中。1993年(平成5年)。PHOTO USNAVY
エンジン強化型のF-14B。主翼を68度の最後退翼位置にして飛行中。1993年(平成5年)。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍としては予算があれば、最強の艦隊防空(FAD)戦闘機F-14を充分な数揃えたかったと思います。F/A-18も優れた性能とコストパフォーマンスを誇る戦闘機ですが、空対空の制空戦闘や艦隊防空(FAD)においてはF-14に劣っていたからです。

フルアフターバーナーで離艦するVFA34飛行隊ブルーバスターズのF/A-18Cホーネット。2011年(平成23年)3月18日。PHOTO USNAVY
フルアフターバーナーで離艦するVFA34飛行隊ブルーバスターズのF/A-18Cホーネット。2011年(平成23年)3月18日。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍空母カール・ビンソン艦上のF/A-18(右)。左は発展型のF/A-18スーパーホーネット。2011(平成23年)1月15日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母カール・ビンソン艦上のF/A-18(右)。左は発展型のF/A-18スーパーホーネット。2011(平成23年)1月15日。PHOTO USNAVY

当時アメリカ海軍は艦上戦闘機として戦闘攻撃機F-8クルーセイダー(1955-1987)、戦闘攻撃機F-4ファントムⅡ(1958-1992)、攻撃機A-6Eイントルーダー(1963-1997)、要撃戦闘機F-14トムキャット(1970-2006)などを配備していました。

1987年にF-8、1992年にF-4、1997年にA-6Eが退役し、これらが担っていた任務はF/A-18が代替することとなり、徐々にF-14部隊もF/A-18へと代替されていきました。2006年にF-14が退役してからは、アメリカ海軍航空母艦の艦上はF/A-18に占拠されているといった様相です。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

F-4ファントムⅡの魅力的な様子が感じられる角度からの写真。アメリカ海軍予備役飛行隊のひとつ、ミラマーに本拠地を置くVF-301飛行隊所属機。PHOTO USNAVY
F-4ファントムⅡの魅力的な様子が感じられる角度からの写真。アメリカ海軍予備役飛行隊のひとつ、ミラマーに本拠地を置くVF-301飛行隊所属機。PHOTO USNAVY

なぜF/A-18はこれほどのシェアを獲得したのでしょうか。F/A-18は1978年から試作機によってテストが開始されましたが、旋回性能、離陸重量(兵器搭載量)、戦闘行動半径、航続力、加速力など多くの項目で海軍の要求値を下回るという受難のスタートでした。

アメリカ海軍空母カール・ビンソン艦上のF/A-18(右)。左は発展型のF/A-18スーパーホーネット。2011(平成23年)1月15日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母カール・ビンソン艦上のF/A-18(右)。左は発展型のF/A-18スーパーホーネット。2011(平成23年)1月15日。PHOTO USNAVY

マクドネル・ダグラス社とアメリカ海軍はこれらの問題を粘り強く解決し、当初アメリカ海軍が要求した通りの高性能な戦闘攻撃機となっていきます。F/A-18の前任攻撃機、A-6EやA-7Eに比べて格段に高性能となっており、爆弾やミサイル、増槽を積んだ状態でも敵戦闘機と空中戦が戦えるほどの多用途性を有していました。また、整備性がとてもよく、1飛行時間あたりの整備に要する時間(マンアワー)はF-14F-4の約半分、故障発発生間隔は132分時間とされており、F-14AやA-7の35〜40分程度と比べても突出して優秀です。

F/A-18はアメリカ海軍の曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機ともなっています。PHOTO USNAVY
F/A-18はアメリカ海軍の曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機ともなっています。PHOTO USNAVY

整備性が高く故障率が低いということは、稼働率が高くなり同じ機数ならばより多くの任務をこなせるということになります。飛行場で運用する陸上戦闘機はもちろん、空母という限られたスペースの中で運用する艦上戦闘機にとってはより重要な項目です。

アメリカ海軍空母エイブラハム・リンカーンの格納庫において、F/A-18のコクピットに防塵メンテナンスを施すメカニック。2010年(平成22年)10月13日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母エイブラハム・リンカーンの格納庫において、F/A-18のコクピットに防塵メンテナンスを施すメカニック。2010年(平成22年)10月13日。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍空母カール・ビンソンの格納庫においてF104-GE-400エンジンの整備をうけるF/A-18ホーネット。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母カール・ビンソンの格納庫においてF104-GE-400エンジンの整備をうけるF/A-18ホーネット。PHOTO USNAVY

有体にいって、F/A-18は一般的には戦闘機として地味な印象があるものの使いやすい戦闘機として傑作でした。さらに1988年からマクドネル・ダグラス社はF/A-18ホーネットを大幅に改良したホーネット2000という機種を計画し営業活動を行います。

F/A-18はアメリカ海軍の曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機ともなっています。PHOTO USNAVY
F/A-18はアメリカ海軍の曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機ともなっています。PHOTO USNAVY

こちらはF/A-18E/Fスーパーホーネットの項に続きますのでそちらをご覧ください。

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
オーストラリア空軍
カナダ空軍
フィンランド空軍
クウェート空軍
マレーシア空軍
スイス空軍
スペイン空軍
主要なバリエーションF/A-18A 単座型最初の量産型
F/A-18B 複座型最初の量産型
F/A-18A+/B+ アビオニクス(電子機器)換装型
F/A-18C/D A/Bの改良型
F/A-18C/D Night Attack
F/A-18E/F C/Dの新規改良型。スーパーホーネットの項を参照
生産数1,480
スペック型式-
全 幅11.43m
全 長17.07m
全 高4.66m
翼面積37.16㎡
自 重10,460kg
総重量/最大離陸重量19,960kg
発動機F404-GE-402(4,420kg/AB 7,330kg)
最大速度2,205km/h
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径800km
航続距離3,700km
乗 員1名
初飛行1978年11月18日
就 役1980年11月
退 役-
兵 装

グラマンF-14トムキャット

Grumman F-14 Tomcat
グラマンF-14トムキャットGrumman F-14 Tomcat

最強の艦隊防空戦闘機

映画トップガンの戦闘機

※文頭写真:USNAVY

グラマンF-14トムキャット(1970-2006)は、アメリカが開発し冷戦の激化する1970年代に登場した最強の艦隊防空戦闘機です。映画『TOPGUN』でみせた「かっこいい戦闘機」というイメージは強烈な影響を与えました。

第2次世界大戦が終わり、アメリカは西の盟主として覇権を獲得していました。特に空母を中心とする強力な洋上戦闘力は他国に類のないものでした。1955年には世界初の超大型航空母艦(スーパー・キャリアー)である排水量60,000トンのフォレスタル級が就役し、1961年には世界初の原子力空母エンタープライズ(75,700トン)が就役しており、たとえばエンタープライズでは一隻に約5,000名の乗組員が搭乗し、84機もの艦上機を運用できました。

戦闘と世界の覇権を争う一方の雄、東の盟主ソ連は1950年代から数年に一度のペースでモスクワ近郊において航空ショーを実施し、ここには西側を牽制するかのようにいくつもの新鋭戦闘機や爆撃機などが華々しく登場しました。アメリカの保有する強力な洋上戦力に対して長距離爆撃機や長距離空対艦ミサイルの開発を進めていることは明白でした。

これらの脅威に対して、アメリカ海軍は自らの生命線ともいえる空母艦隊を守る守護神たるFAD(Fleet Air defense=艦隊防空)戦闘機を艦上に配備する必要に迫られていました。

フルアフターバーナーで離艦しようとするF-14。エンジンや電子機器などを強化したF-14D。2001年(平成13年)7月28日。PHOTO USNAVY
フルアフターバーナーで離艦しようとするF-14。エンジンや電子機器などを強化したF-14D。2001年(平成13年)7月28日。PHOTO USNAVY

音速の壁を超えるF-14。PHOTO USNAVY
音速の壁を超えるF-14。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍は1957年にF-8クルーセイダー、1961年にF-4ファイントムⅡという高性能艦上戦闘機を配備してはいましたが、ソ連も急速に新型戦闘機を開発しており、あらゆる艦隊防空を一手に担う新型艦上戦闘機の配備は喫緊の課題となっていました。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

そんな状況の中、アメリカ海軍の進めていた新型機開発計画であるFAD(Fleet Air Defence )戦闘機計画が国防長官ロバート・マクナマラにより空軍のTFX(Tactical Fighter Experimental)に統合されてしまい、結局この計画によりうみだされたF-111Bは不採用となり、結果的に海軍の新型艦上戦闘機計画には遅れが生じていました。

アメリカ海軍空母CVA-43コーラル・シー艦上で試験中のF-111B。1968年7月。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母CVA-43コーラル・シー艦上で試験中のF-111B。1968年7月。PHOTO USNAVY

国防長官と空軍に押し付けられた統合機計画を都合よく回避できた海軍は早速、本来の艦隊防空戦闘機開発に着手します。1968年には各メーカーに対してアメリカ海軍は要求仕様を提示します。その内容は以下のようでした。

タンデム(直列)複座形式、TF30エンジン双発、AIM-54フェニックスまたはAIM-7スパロー6発、AIM-9サイドワインダー4発、20mmバルカン砲搭載、ミサイル搭載時の荷重制限がF-4ファントム2を上回ることなどが含まれていました。

1950年代のミサイル万能論による高性能なミサイルへの依存から昔ながらのドッグファイトを軽視し、F-4ファントムⅡなどは機関砲を装備から外してしまいました。

その結果、1960年に勃発したベトナム戦争において旧式のMiG-17やMiG-19やMiG-21などの高価な最新鋭ミサイルなどは装備せず軽快な飛行性能で勝負する北側の戦闘機に思わぬ苦戦を強いられることになりました。これらの北側戦闘機に対してアメリカの最新鋭戦闘機は2:1という撃墜:被撃墜比率となってしまいました。

大量の資金で開発した最新鋭の大型機を自信満々で参戦させ、2機撃墜するのに1機の損失を出していては話になりません。いくら最新鋭のミサイルを積んでいても当時のミサイル技術では最終的に敵の背後に回らずを得ず、低速での近距離格闘戦ではアメリカが軽視していた軽快な運動性能が問われることとなりました。

この反省から、F-14トムキャットの開発にあたっては当初から、ソ連の長距離爆撃機+長距離空対艦ミサイルへの対応と同時に、近距離の格闘戦をも制することのできる艦上戦闘機が企図されました。

高速、長距離ミサイル、低速、近距離格闘戦、艦上運用という難題をクリアすべく考えらたのが可変翼(VG翼)でした。開発メーカーは名門グラマン社に決まり、試作機が発注されました。試作機は1970年12月に完成し初飛行、1972年10月にはわずか2年足らずという驚くような速度で量産・部隊配備が始まりました。

F-14トムキャット最大の特長である可変翼(VG翼)は、これまでのものとは異なり、飛行データに基いて自動的に最適な後退角にセットされるものでした。これにより低速の戦闘や空母への着艦からマッハ2にもなる高速飛行や急旋回においても常に高い機動性を確保していました。

湾岸戦争中のオペレーションデザートストーム作戦において戦闘軽快警備するF-14A。戦時らしく、胴体下に中距離空対空ミサイルAIM-7スパローを4発、主翼付け根あたり(グラブ)に短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダーを4発搭載しています。1991年(平成3年)2月26日。PHOTO DoD
湾岸戦争中のオペレーションデザートストーム作戦において戦闘軽快警備するF-14A。戦時らしく、胴体下に中距離空対空ミサイルAIM-7スパローを4発、主翼付け根あたり(グラブ)に短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダーを4発搭載しています。1991年(平成3年)2月26日。PHOTO DoD

もう一つの大きな特長は当時世界最強であった射撃管制システム(FCS)です。F-14トムキャットに搭載されたヒューズ社のAN/APG-9レーダーは、探知距離200kmを誇り、同時に24もの目標を追尾でき、射程距離210km超の長距離空対空ミサイルAIM-54フェニックスを6発同時に個別誘導できるものでした。

こうした最新技術を詰め込んだ最強の艦隊防空戦闘機、F-14は東西冷戦の空を制し続けましたが、冷戦が終わり軍事費削減の流れが起こると、高価な維持費が問題となり、2006年最後の部隊から退役、艦上から姿を消しました。

横須賀を母港とするアメリカ海軍原子力空母ジョージ・ワシントン上空を飛ぶF-14B。1992年(平成4年)正月。PHOTO DoD
横須賀を母港とするアメリカ海軍原子力空母ジョージ・ワシントン上空を飛ぶF-14B。1992年(平成4年)正月。PHOTO DoD

アメリカ海軍空母エンタープライズ(CVN65)艦上のF-14。アフガニスタンにおける不朽の自由作戦に参加中です。艦上のF-14はVF-14及びVF-41飛行隊所属機ですが、どちらもこの作戦の後まもなくしてF/A-18ホーネットに改編されました。2001年(平成13年)11月9日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母エンタープライズ(CVN65)艦上のF-14。アフガニスタンにおける不朽の自由作戦に参加中です。艦上のF-14はVF-14及びVF-41飛行隊所属機ですが、どちらもこの作戦の後まもなくしてF/A-18ホーネットに改編されました。2001年(平成13年)11月9日。PHOTO USNAVY
運用者アメリカ海軍
イラン空軍
主要なバリエーション-
生産数712
スペック型式-
全 幅10.15m(19.54m)
全 長19.1m
全 高9.88m
翼面積52.49㎡
自 重18,110kg
総重量/最大離陸重量33,720kg
発動機TF30-P-414A×2(5,600kg/AB9,480kg)
最大速度2,866km/h
実用上昇限度18,300m
戦闘行動半径1,167km
航続距離3,220km
乗 員2名
初飛行1970年12月21日
就 役1972年10月
退 役2006年9月
兵 装