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ノース・アメリカンXF-108レイピア

North American XF-108 Rapier
ノース・アメリカンXF-108レイピアNorth American XF-108 Rapier

核ミサイル前夜の産物

27mを超える巨大な図体

※文頭写真:センチュリー・シリーズの集大成を目指した怪物、XF-108レイピア。27m超の巨体です。PHOTO USAF

ノースアメリカンXF-108レイピア(1959)はアメリカのノースアメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。XF-103と同じようにマッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。

1950年代東西の覇権争いは激化しており、特に最終兵器である核の運用を巡り爆撃機、航空母艦、ミサイルという三つ巴の開発合戦が繰り広げられていました。

最初期の核爆弾は大型であり、空中から投下せざるを得ず運用は日本に落としたように爆撃機が担っていました。徐々に小型化すると艦上戦闘機でも運用できるようになり、さらにはナチス・ドイツが第2次世界大戦中に開発した弾道ミサイルの開発も進んでいました。

1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功して以降、1960年代に入ると今日知られるようにミサイルによる核運用がとてつもないスピードで進んでいきます。ちなみに、ジェット戦闘機の技術と同じように、大気圏外を飛行する弾道ミサイルもまたナチス・ドイツが最先端の技術を保有しており、戦後これを収奪した戦勝国が開発を進め、その中でも最も熱心だったソ連が最初に打ち上げを成功させたのです。

マッハ3という高速で飛行するXB-70戦略爆撃機は、そのような状況において開発され、そして爆撃機に必須の護衛機として本機の開発もスタートしました。それまでの戦闘機のカテゴリーに入りきらない程のオーバースペックを目指し、1958年には基本案が固まり、1961年3月に初飛行に漕ぎ着ける予定でしたが、機体価格の高騰、最新の電子機器やミサイルの開発も難航した上に、XB-70計画自体が試作機の段階で打ち切りとなり、本機の開発も試作機の段階で終了しました。

これだけとんでもない性能を企図したため、全長は27.2m、自重23,098kgという巨大な機体となっています。エンジンは7,939kgと高出力のJ93-GE-3Rを2基搭載し、24,400mという高空での作戦行動が可能でした。航続距離は約4,000kmと非常に長いものでしたが、護衛すべきXB-70は12,000km以上を目指していましたから、これでは完璧に護衛することはできません。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅17.5m
全 長27.2m
全 高6.7m
翼面積173.4㎡
自 重23,098kg
総重量/最大離陸重量34,530kg
発動機J93-GE-3R(7,938kg)×2
最大速度3,190km/h
実用上昇限度24,400m
戦闘行動半径2,033km
航続距離4,004km
乗 員2名
初飛行-
就 役-
退 役-
兵 装

リパブリックXF-103

Republic XF-103
リパブリックXF-103Republic XF-103

怪物的戦闘機計画

高度3万m、マッハ3.7を目指した異色の戦闘機計画

※文頭写真:XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force

リパブリックXF-103(1954)は、アメリカのリパブリック社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。マッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。

それまでの戦闘機とは全く異なるミサイルのようなフォルムは、異様な迫力をもっています。異様なのは形だけではなく、機体素材にはチタンが使われ、ターボジェットエンジンとラムジェットエンジンを1基ずつ搭載し、高度3万mという高空においてマッハ3.7というそれまでに類を見ない性能を目指して開発が進められていました。

このような戦闘機開発が進められたのは、XB-70というマッハ3級の戦略爆撃機に理由があります。爆撃機には護衛する戦闘機が必要であり、同じ高度を同じ速度で飛べる戦闘機が必要になったというわけです。

XB-70はXF-103以上に未来的な形をしており、XF-103とは違い試作機の飛行試験まで進み、マッハ3超の記録を残しています。しかし、1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功し、さらには費用対効果を重視する経営者あがりのロバート・マクナマラ国防長官により、XB-70よりもミサイル開発の方が優秀であるとの結論が与えられ、採用には至りませんでした。

エンジンの開発遅延、XB-70の怪しい雲行き、価格の高騰などによりモックアップを完成させたのみで計画は中止になっています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅10.5m
全 長23.5m
全 高5.1m
翼面積37.2㎡
自 重11,317kg
総重量/最大離陸重量17,466kg
発動機XJ67-W-3(6,700kg)×1、XRJ55-W-1(8,400kg)×1
最大速度Mach3(3,675km/h)+
実用上昇限度24,390m+
戦闘行動半径724km
航続距離2,486km
乗 員1名
初飛行-
就 役-
退 役-
兵 装

ノース・アメリカンF-107

North American YF-107
ノース・アメリカンF-107North American YF-107

名機セイバーの進化形を目指す

F-105採用により試作機にとどまる

※文頭写真:空軍博物館に保管されているF-107A。PHOTO USAF

ノースアメリカンYF-107(1956)は、F-100スーパーセイバーの発展型を期して開発されたアメリカ空軍の戦闘機です。F-100は名機F-86セイバーの後継ですから、名機F-86の究極型を目指したものともいえます。しかし、Yの字がある通り試作に終わっています。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スーパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノースアメリカン社はF-86セイバーの進化版であるF-100の開発と同時に、セイバーの血を受け継ぐさらなる新型機を研究していました。当初はF-100Bという名称で、F-100Aの改良版といった内容で1953年3月にアメリカ空軍より発注を受けます。

しかし、日進月歩で進歩するジェット戦闘機の世界、同年10月には同じ時期に開発されていたマッハ2級かつ核兵器搭載能力を持つF-105と同等のスペックを求めた内容に変更されます。

これにより、設計構想は大幅に変わり、一瞥して判るように胴体上方に空気取入口(インテイク)を設けた機体はいかにも高速迎撃機といった様相です。1956年には初飛行に成功していますが、そもそも本命であったF-105が上々の試験結果を出していたため1957年、F-105採用がきまりF-107は3機の試作機をもって開発終了となりました。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数3
スペック型式-
全 幅11.15m
全 長18.85m
全 高5.89m
翼面積35㎡
自 重10,295kg
総重量/最大離陸重量18,033kg
発動機YJ75-P-9(7,640kg)×1
最大速度Mach2(2,450km/h)+
実用上昇限度16,220m
戦闘行動半径-
航続距離3,885km
乗 員1名
初飛行1956年9月10日
就 役-
退 役1957年11月
兵 装

コンベアF-106デルタダート

Convair F-106 Delta Dart
コンベアF-106デルタダートConvair F-106 Delta Dart

高性能迎撃戦闘機

最新のデータリンクを装備

※文頭写真:F-106Aデルタダート。大型・フル装備のアメリカ空軍らしい高級機です。PHOTO USAF

コンベアF-106デルタダート(1956−1988)はアメリカのコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機(要撃機)。東西の覇権争いの激化を象徴するかのように、アメリカが次々と新型戦闘機を開発していた時代を象徴するセンチュリーシリーズ(F-100番台の戦闘機)の一つです。

世界初の実用デルタ翼戦闘機であったF-102と同じ計画からうまれたデルタ翼機であり、大出力エンジンと最新型の電子機器を搭載した高性能機となっています。飛来するソ連爆撃機を迎撃する目的で開発されたため、高い高速性と上昇能力を要求されたものです。

F-106は1954インターセプター計画と銘打って始まったソ連爆撃機に対するアメリカの迎撃機開発計画から始まりました。この計画からはF-102とF-106という二つのデルタ翼戦闘機がうまれています。

1954インターセプター計画は新型電子機器MA-1レーダー射撃管制装置(FCS)やエンジンの開発遅延に難儀したコンベア社とアメリカ空軍は、ひとまず現行型を搭載したF-102Aを開発・採用し、その後F-102Aを元により高性能なF-102Bを開発するという落とし所をつけました。

このF-102BがF-106と名称変更され、F-106デルタダートとなります。全体の形状は当初からエリアルールを採用し洗練されたものとなっています。エンジンは7,302kgの大出力を発揮するプラット&ホイットニー社のJ75を搭載し1956年12月、初飛行に成功します。

F-106A。PHOTO USAF
F-106A。PHOTO USAF

飛行試験と改良は続けられ、最高速度はマッハ2を超え、到達高度は18,820mを記録しています。二段階計画ともいえるF-102/F-106の原因の一つともなった電子機器MA-1は、デルタ翼とともにF-106最大の特徴となっています。

MA-1は従来の射撃管制システムを超え、真空管を使用したデータリンクシステムとなっています。これは、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)が1950年代末から1980年代まで運用していた半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)とリンクして敵機を迎撃するものです。

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

ちなみに、このシステムは今日のコンピュータシステムにつながる大変先進的な巨大コンピュータシステムであり、開発したIBM社はSAGEの技術をその後業界を支配する大きな力としたことは想像に難くありません。

F-106の部隊配備は1959年6月に始まり、10月にはアラート任務に就きます。1970年代から徐々に退役し、1987年頃を最後に実戦部隊から退きました。退役した機体は空軍州兵で運用された他、仮想敵機として使用されました。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションF-102B 試作機。F102の試作機のひとつとして開発された
F-106A 量産型。277機製造
F-106B 複座の練習機。63機製造
NF-106B 試験機
QF-106 NASA使用機
生産数340
スペック型式-
全 幅11.67m
全 長21.55m
全 高6.18m
翼面積61.52㎡
自 重11,080kg
総重量/最大離陸重量15,670kg
発動機J75-P-17(7,302kg)×1
最大速度2,455km/h
実用上昇限度17,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離4,300km
乗 員1名
初飛行1956年12月26日
就 役1959年6月
退 役1988年
兵 装

リパブリックF-105サンダーチーフ

Republic F-105 Thunderchief
リパブリックF-105サンダーチーフRepublic F-105 Thunderchief

爆撃能力の高い戦闘機

多大な兵器搭載量を誇る

※文頭写真:1960年代のF-105Dサンダーチーフ。PHOTO USAF

リパブリックF-105サンダーチーフ(1955-1983)は、リパブリック社が開発したアメリカ空軍の戦闘爆撃機です。軽爆撃機顔負けの爆弾搭載量を持つ戦闘機であり、当時の大型核爆弾を胴体内に収容することも可能でした。

この機体は1966年(昭和41年)ベトナム戦争において撃墜されたF-105D。PHOTO USAF
この機体は1966年(昭和41年)ベトナム戦争において撃墜されたF-105D。PHOTO USAF

1951年からリパブリック社の自社プロジェクトとして始まり、1952年にアメリカ空軍より開発の発注を受け、1955年に初飛行に成功しました。この初飛行は本命とされていたJ75エンジンが間に合わず、1956年の試作機YF-105Bに搭載されました。YF-105BではJ75エンジンの他、エリアルールやアフターバーナー可変ノズルを導入するなどしてマッハ2を記録しています。

F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF
F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF

F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF
F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF

戦闘機というより爆撃機では? といわれるように、最大離陸重量は23,967kgもあり、F-104の12,630kg、F-106の15,670kgと比べるとその搭載能力がわかります。胴体内に当時の大型核爆弾を搭載できるということは、一番のポイントでしょう。

ベトナム戦争中のF-105D。戦闘機というよりも爆撃機ではないかといわれる程、爆撃能力の高かったF-105。写真の機体はM117、750lb爆弾を満載して対地爆撃任務についています。PHOTO USAF
ベトナム戦争中のF-105D。戦闘機というよりも爆撃機ではないかといわれる程、爆撃能力の高かったF-105。写真の機体はM117、750lb爆弾を満載して対地爆撃任務についています。PHOTO USAF

ベトナム戦争(1960-1975)では空爆のメイン機として活躍しながらMiG-17の撃墜記録を残しています。戦争中に385機が失われており、危険な任務にあたっていたことがわかります。

戦闘機でありながら多くの爆弾を搭載し、敵戦闘機を撃墜するという点では現在主流のマルチロール戦闘機の先駆けといいたいところですが、爆撃任務の途中で敵戦闘機に遭遇し空戦となると爆弾を投棄せざるを得ず、爆撃任務は遂行不能となってしまいます。

F-105Dのコクピット。PHOTO USAF
F-105Dのコクピット。PHOTO USAF

昭和39年(1964年)の2か月間、F-105Bがアメリカ空軍曲技飛行隊サンダーバーズに採用されます。しかし、機体が大きすぎ機動性にも曲技飛行には不向きであった上に、事故が発生したことから再び以前の使用機であったF-100スーパーセイバーに戻されました。

敵防空網制圧(SEAD)任務を遂行するワイルド・ウィーゼル機であるF-105Gは1980年代まで活躍しました。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションYF-105A 試作機。2機製造
YF-105B 試作機。4機製造。エンジン換装など
F-105B 初期量産型。AN/APN-105レーダー装備。71機製造
JF-105B 試験機。RF-105Bを改造
RF-105B 偵察機。オーサーのみでキャンセル
F-105C 複座の練習機。計画のみ
F-105D 主力となった量産型。主に電子装備を強化し全天候能力と爆撃精度を向上
RF-105D F-105Dの偵察機型。計画中止
F-105E F-105Dの複座練習機。計画中止
F-105F F-105Dの複座型
EF-105F F-105Fを改装した敵防空網制圧(ワイルド・ヴィーゼル)機。54機をF-105Fから改装
F-105G F-105Fの敵防空網制圧能力を強化した複座型
生産数833
スペック型式F-105D
全 幅10.64m
全 長19.63m
全 高5.99m
翼面積35.77㎡
自 重12,475kg
総重量/最大離陸重量23,967kg
発動機J75-P-19W(7,800kg)×1
最大速度2,237km/h
実用上昇限度15,544m
戦闘行動半径1,500km
航続距離3,550km
乗 員1名
初飛行1955年10月22日
就 役1959年6月
退 役1983年
兵 装

ロッキードF-104スターファイター

Lockheed F-104 Starfighter
ロッキードF-104スターファイターLockheed F-104 Starfighter

異色の戦闘機

キャッチコピーは、最後の有人戦闘機

※文頭写真:朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF

ロッキードF-104スターファイター(1954-1975)は1950〜60年代に一世を風靡したアメリカ空軍センチュリーシリーズ戦闘機の一つであり、ロッキード社の鬼才クラレンス“ケリー”ジョンソンが開発にあたりました。

F-104はセンチュリーシリーズの他の機体に比べて格段に小型・軽量に設計されています。例えばF-101の全幅12.09m、全長20.55m、F-102の全幅11.61m、全長20.55mに比べ、F-104は全幅6.62m、全長16.66mしかありません。大型・重装備を特徴としていたアメリカ軍戦闘機にあって、F-104は異色の戦闘機といえます。これは、朝鮮戦争(1950〜1953)におけるミグ・ショックが大きく影響を及ぼしています。

1950年6月25日に朝鮮戦争が始まり、当初はまともな空軍を持たない北朝鮮に対して安々と制空権を得ていたアメリカを始めとする国連軍でしたが、中国経由でソ連が介入してくることとなり、1950年11月朝鮮半島北部上空に突如としてソ連の高性能新型戦闘機、MiG-15が出現します。

オハイオ州の空軍博物館にあるF-104C。PHOTO USAF
オハイオ州の空軍博物館にあるF-104C。PHOTO USAF

ドイツから収奪した後退翼技術とイギリスから入手したジェットエンジンの先進技術を絶妙なバランスを持って融合させたMiG-15は、速度や上昇力といった運動性能、整備性、武装など、ほとんどあらゆる面でアメリカを中心とする国連軍の戦闘機を凌駕しており、安々と確保していた制空権は一気に危機的状態に陥ります。

この危機は同じくドイツから収奪した後退翼技術により開発したアメリカのF-86セイバーを配備し、激闘の末、何とか乗り切ることができました。しかし、辛くも勝利できたのはパイロットの技量や装備、射撃管制装置などに頼った部分が多く、機体そのものの性能をみると、MiG-15はF-86を上回っていました。

朝鮮戦争で捕獲され、沖縄で試験されるMiG-15bis。写真:USAF
朝鮮戦争で捕獲され、沖縄で試験されるMiG-15bis。写真:USAF

MiG-15とF-86セイバーをみると、機首に配備された空気取入口(インテイク)、後退翼、そしてほぼ同じ推力を持つエンジンなど、よく似ています。それでもMiG-15がF-86を上回る高性能を発揮していたのは、その軽量に大きな原因があるといわれます。

ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association
ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association

MiG-15は空虚重量3,582kg、F-86は5,046kgあり、MiG-15はF-86に比べて約30%軽量な機体となっており、この差が決定的な運動性能の差となって現れていると考えられました。

F-104の開発にあたりミグ・ショックの克服を目指したアメリカは技術者を現地朝鮮に送り調査を行います。その結果、無駄を省いてシンプルに取り扱える基本性能の高い戦闘機が必要との結論に至り、小型・軽量のF-104が開発されることとなりました。

朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF
朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF

試作1号機は1954年3月に初飛行し、最初はアフターバーナー未装備のXJ-65-B-3エンジンであったため水平飛行では音速を超えることはありませんでした。7月になってアフターバーナーつきのJ65-W-7エンジンに換装してマッハ1.51を記録、その後試作2号機がマッハ1.79を達成しています。

無駄をそぎ落とした小型・軽量の機体は、概ね期待された高速性能を発揮したものの、アメリカ軍はやはり重装備志向であったようで、F-104の採用は少数かつ短期間にとどまります。しかし、全体の生産数は2,578機と多く、これは日本や西ドイツ、イタリア、台湾などアメリカの同盟国や友好国など世界15か国もの国々に供与されたからです。

西ドイツ向けに改良された戦闘爆撃機型のF-104Gは、ヨーロッパ各社でライセンス生産も行われ1,122機が生産されました。G型は各部を強化し垂直尾翼を拡大しフラップを改良しています。これらの改良からは旋回性能の向上などが想像されます。

そして、このG型を元に造られたのが航空自衛隊向けのF-104J/DJ型(DJは複座型)です。1962年から導入され、三菱重工のライセンス生産により178機が造られました。専守防衛を旨とする自衛隊機であるため、爆撃能力は有しておらず専ら防空のための迎撃能力に特化しています。愛称は栄光、またその形状から三菱鉛筆ともいわれました。1995年に退役しています。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
ベルギー空軍
カナダ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
ドイツ空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
スペイン空軍
主要なバリエーションXF-104 試作機。2機製造
YF-104F 試験機
F-104A 最初の量産型
NF-104A 宇宙飛行士訓練機
QF-104A 無人標的機
F-104B 複座練習機
F-104C レーダー改装型
F-104D C型の複座訓練機
F-104DJ 航空自衛隊向け複座練習機
F-104F 複座練習機
生産数2,578
スペック型式F-104C
全 幅6.62m
全 長16.66m
全 高4.11m
翼面積18.21㎡
自 重5,790kg
総重量/最大離陸重量12,630kg
発動機J79-GE-7A(4,540kg/AB 7,710kg)×1
最大速度2,124km/h
実用上昇限度17,678m
戦闘行動半径650km
航続距離2,012km
乗 員1名
初飛行1954年3月4日
就 役1958年1月
退 役1975年
兵 装

コンベアF-102デルタダガー

Convair F-102 Delta Dagger
コンベアF-102デルタダガーConvair F-102 Delta Dagger

初の実用デルタ翼機

エリアルールを採用して音速を突破

※文頭写真:初の実用デルタ翼戦闘機となったF-102デルタダガー。PHOTO USAF

コンベアF-102デルタダガー(1953-1976)はアメリカのコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。アメリカ空軍としては初めて実用的なデルタ翼を採用した機体です。エリアルールという設計手法を初めて採用した機体です。またこの時期、アメリカ空軍が続けて開発した100番台の戦闘機、センチュリーシリーズの一つでもあります。

アメリカ空軍は本機に先立ち1948年に世界初のデルタ翼実証試験機XF-92Aを初飛行させていますので、初のデルタ翼機はXF-92A、初の実用デルタ翼機は本機ということになります。ちなみにどちらもコンベア社によるものです。

デルタ翼とは三角翼ともいわれ、ギリシャ語のΔ(デルタ)に似ていることからデルタ翼といわれ、ドイツの航空先進技術からうまれました。高亜音速から超音速という高速飛行に向いており、加速性に優れ高速域において高い運動性を発揮します。ダブルデルタ、クリップドデルタなどの派生系があり、現代最新鋭の戦闘機にも発展形が使われています。

左が並列複座席を採用した最初の試作機YF-102。右が量産型に繋がったYF-102A。PHOTO USAF
左が並列複座席を採用した最初の試作機YF-102。右が量産型に繋がったYF-102A。PHOTO USAF

エリアルールは航空機の設計手法の一つ。遷音速(マッハ1付近)で飛行する機体の断面積変化を小さく抑えることで効力差を減少させ高速性・安定性を増そうというものです。1950年代初めにNACAのリチャード・ウィットカムが発見しました。具体的には主翼部分における断面積の増大を防ぐために胴体をくびれさせることです。

アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF
アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF

F-102の開発計画が始まったのは1949年です。第2次世界大戦終の東西覇権争いが日々激化し続けていた頃です。アメリカ空軍はソ連の長距離爆撃機の脅威から本土を守る新型迎撃戦闘機の開発を進め、1954年の就役を目指して「1954インターセプター」と名づけていました。

開発を発注されたコンベア社は、世界初のデルタ翼実証試験機として同社が先に開発したXF-92Aを基本とする新型機を構想しました。射撃管制装置(FCS)の開発遅延、搭載ミサイルの大型化などを乗り越えて1953年10月24日に初飛行を行い、飛行試験が続けられたが、結果は芳しくなく最高速度はマッハ1に届きませんでした。

初飛行に先立つ1953年初頭、NACAはYF-102について抵抗過大により音速突破は難しく、これを解決するには発見されたばかりの「エリアルール」を採用すれば音速突破も可能であると勧告していました。

アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF
アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF

製作の進行上エリアルールを採用できず、散々な試験結果を残してしまったコンベア社は、改めてエリアルールを採用し、エンジンをJ57-P-23に換装するなどした試験機YF-102Aを開発します。

YF-102のコクピット。PHOTO USAF
YF-102のコクピット。PHOTO USAF

エリアルールを採用した新型試験機YF-102Aは1954年12月20日に初飛行し、水平飛行においてマッハ1.2、高度は16,150mを記録しました。

制式採用となったF-102デルタダガーは1956年5月から配備が始まり、諸々の改修を受けながら生産され、アメリカ空軍では1970年まで運用され、その後は空軍州兵において1976年まで運用されました。アメリカ以外ではタイ王国、ギリシャ空軍、トルコ空軍などで使用されました。

運用者アメリカ空軍
カナダ空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-102 試作機。10機製造
YF-102A 試作機改良型。4機製造
F-102A 量産型。879機製造
TF-102A 複座の練習機。111機製造
F-102B 後にF-106Aデルタダート
QF-102A 複座有人標的機
PQM-102A 無人標的機
PQM-102B 無人標的機
生産数1,000
スペック型式-
全 幅11.61m
全 長20.84m
全 高6.46m
翼面積61.52㎡
自 重8,777kg
総重量/最大離陸重量14,300kg
発動機J57-P-25(5,307kg/AB 7,802kg)×1
最大速度1,304km/h
実用上昇限度16,300m
戦闘行動半径850km
航続距離2,175km
乗 員1名
初飛行1953年10月24日
就 役1956年4月
退 役1976年
兵 装

マクドネルF-101ヴードゥー

McDonnell F-101 Voodoo
マクドネルF-101ヴードゥーMcDonnell F-101 Voodoo

マッハ1.7の高速戦闘機

高速機ながらピッチアップに苦しむ

※文頭写真:NASAで試験に供されるF-101ブードゥー。PHOTO NASA

マクドネルF-101ブードゥー(1954-1982)はアメリカのマクドネル・エアクラフト社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。プラット&ホイットニー社のJ57-P-13というアフターバーナーが装備された大推力のエンジンを搭載した超音速戦闘機です。

プラット&ホイットニー社は1925年に設立されたアメリカの航空機用エンジンメーカー。現在でも続いており、航空機用エンジンビッグ3の一角をなしています。

1951年1月、爆撃機の運用を主な任務とするアメリカ空軍戦略航空軍(SAC=Strategic Air Command))が戦略爆撃機B-36を護衛するための長距離戦闘機を計画し国内各メーカーに発注したことから、F-101の開発が始まります。

F-101Bブードゥー。PHOTO USAF
F-101Bブードゥー。PHOTO USAF

第2次世界大戦後に東西覇権争いが始まり、アメリカとしてはソ連中枢部に到達する核攻撃兵器が必要となます。核ミサイルがなかった当時としては長距離爆撃機により運用することとなり、護衛する戦闘機が必要となったためです。

F-101は1954年9月に初飛行し音速突破に成功しますが、空中給油の発達などによりアメリカ空軍戦略航空軍(SAC)の戦略爆撃機の護衛戦闘機計画が中止となりF-101も開発中止になると思われましたが、アメリカ空軍において攻撃機・戦闘機の運用を主な任務とする戦術航空軍団(TAC=Tactical Air Command)が救世主となります。さらにアメリカ本土の防衛を担う航空宇宙防衛軍団(ADC=Aerospace Defense Command)も関心を示しました。

こういったことからF-101は攻撃性能の強化が図られ、AN/APS-54レーダーなど電子機器を換装、核爆弾運用能力も付加されました。搭載されたJ57-P-13エンジンは21,170機が生産されたベストセラーエンジンJ57シリーズの一つ。アフターバーナー使用時には14,880lbf(6,749kg)という大きな出力を発揮しました。

その結果、最高時速は1,825km(マッハ1.7)を記録し、当時の世界最速戦闘機となりました。問題点として後々まで解消できなかったのは、翼面積の小ささと水平尾翼の形状による高速時のピッチアップ(頭上げ)でした。最高速戦闘機とはいえ、敵戦闘機を迎え撃つ要撃戦闘機としてこれは大きな問題でしょう。

アメリカ空軍では1960年代末〜70年代初頭まで運用されました。アメリカ各州の航空軍では1971年〜1982年まで、カナダ空軍では1985年に至るまで運用されました。

運用者アメリカ空軍
カナダ空軍
台湾空軍
主要なバリエーションYF-101A 試作機。29機製造
F-101A 最初の量産型
NF-101A エンジンテスト機
YRF-101A 偵察型のテスト機
RF-101A 偵察機
F-101B(CF-101B) カナダ空軍向けの機体
EF-101B 電子戦機
TF-101B 練習機
RF-101B 偵察機
F-101C 単座の戦闘爆撃機
RF-101C 単座の偵察機
F-101D/E エンジン計画機
RF-101G/H 空軍州兵向け偵察機
生産数807
スペック型式-
全 幅12.09m
全 長20.55m
全 高5.49m
翼面積34.19㎡
自 重13,140kg
総重量/最大離陸重量20,715kg
発動機J57-P-55(5,438kg/AB 7,666kg)×2
最大速度1,825km/h
実用上昇限度17,800m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,450km
乗 員2名
初飛行1954年9月29日
就 役1957年5月
退 役1982年
兵 装

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー

North American F-100 Super Sabre
ノース・アメリカンF-100スーパーセイバーNorth American F-100 Super Sabre

世界初、実用超音速戦闘機

名機F-86の後継

※文頭写真:傑作機F-86セイバーの後継、世界初の実用超音速戦闘機として華々しく登場したF-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー(1953-1979)はノース・アメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。世界初の実用超音速戦闘機として知られるアメリカ空軍センチュリーシリーズのトップバッターです。

センチュリーシリーズとは、アメリカ空軍の100番台の型番がつく戦闘機を総じていいます。全て超音速戦闘機であり、以下の6機を指します。本機F-100スーパーセイバー、マクドネルF-101ブードゥーコンベアF-102デルタダガーロッキードF-104スターファイターリパブリックF-105サンダーチーフコンベアF-106デルタダート

超音速ジェット戦闘機が実用化し始めた時期であり、第2次世界大戦が終わり東西冷戦が日に日に熱くなっていた時代です。戦闘機の開発もいけいけどんどんといった様相で、F-100が初飛行しのが1953年5月、センチュリーシリーズ最後のF-106は1956年12月に初飛行しており、その間わずか3年半ほどしかありません。

アメリカ海軍でも同時期に試作機を含め6機が開発されていますから、アメリカ空・海はこの3年半の間に12機もの戦闘機を初飛行させているということになります。

F-100はスーパーセイバーという愛称が示すように、初めて後退翼を採用したアメリカ空軍の傑作機F-86セイバーの後継機として開発されました。

F-86は当初直線翼のそれまでと基本的に変わらない戦闘機として計画されましたが、ドイツの敗戦によりジェット戦闘機の先端技術を連合国が収奪しアメリカにもそれがもたらされると、急遽ドイツの技術を取り入れた最先端の後退翼機として開発され、大成功を収めました。

F-86の成功体験を得たノースアメリカン社は、自社資金でF-86の発展型を研究し1949年2月から開発が始まりました。写真をみればすぐ感じられるように、後継といっても形状はあまり似ていません。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スパーセイバー。PHOTO USAF

主翼の後退角はF-86の35度から45度になりエンジンはプラット&ホイットニー社製J57を搭載しました。この案を空軍が採用し1951年11月には制式に発注を得て、1952年5月には試作機が初飛行に成功します。年末には時速1,215kmという世界速度記録を打ち立てています。

F-100C型からは空中給油能力が付与され、その他、徐々に対地攻撃能力が強化されていきました。最も多く製造されたF-100D型は、低高度爆撃装置(LABS)を装備し爆撃能力を強化した戦闘爆撃機であり1,274機が製造されました。各型総じての生産数は2,294機でした。米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機として、C型が昭和31年(1956年)〜昭和38年(1963年)まで、D型が昭和39年(1964年)〜昭和43年(1968年)、D型は昭和34年(1959年)の極東ツアーにも使用されました。

冷戦が日々熱くなる軍拡時代、そして超音速ジェット黎明期、続々と米ロともに新型機が開発される中、1960年のベトナム戦争に参戦した際にはすでに旧式化しており、ソ連のMiG-17を撃墜することはできませんでした。また、挑戦的な機体が災いしてか889機という多数が事故によって失われています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-100A 試作機。2機製造
YQF-100 9機製造された無人標的機
F-100A 最初の量産型。203機製造
生産数2,294
スペック型式-
全 幅11.81m
全 長15.2m
全 高4.95m
翼面積37㎡
自 重9,500kg
総重量/最大離陸重量13,085kg
発動機J57-P-21/21A(4,544kg)×1
最大速度1,390km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離3,210km
乗 員1名
初飛行1953年5月25日
就 役1954年9月
退 役1979年
兵 装

グラマンXF-10Fジャガー

Grumman XF-10F Jaguar
グラマンXF-10FジャガーGrumman XF-10F Jaguar

世界初の可変後退翼機

革新的な試みも失敗に終わる

グラマンXF10Fジャガー(1952-1953)は、米海軍が世界で初めて開発した可変後退翼を持つ艦上ジェット戦闘機です。

初期の艦上ジェット戦闘機開発は、航空母艦に離着艦するという大きな制約に立ち向かった歴史でもあります。ジェットエンジンを始め高速飛行に適した後退翼などの技術と、離着艦時に必要とされる低速性能の両立が困難であったためです。

1950年代後半に入ると、アングルド・デッキ(斜め着艦用飛行甲板)、スチーム・カタパルトなどの技術が開発され航空母艦が進歩します。これらの技術を既存空母に改修するとともに、フォレスタル級というスーパーキャリアー(超大型航空母艦)も就役し、艦上戦闘機開発の足かせは軽くなっていきます。本機はこの端境期に翻弄されます。

開発は、1946年からXF9Fとして開発されていた後退翼機案を進歩させ、1948年よりXF10F-1として始まりました。目玉は、高速性能と離着艦時に欠かせない低速性能の両立を目指した可変後退翼でした。可変後退翼とは、主翼が可変するということで、本機では13.5度、42.5度が選択できました。

開発中に朝鮮戦争が勃発し、1950年6月に米海軍が先行量産機を発注するなど開発が急がれていましたが、やはり実用化されたことのない可変後退翼の開発は難しく、いわくつきエンジンであったJ40も足を引っ張り、飛行試験はうまくいきません。

結局1953年には米海軍に契約をキャンセルされ、計画は終了しました。この計画は失敗に終わりましたが、艦上戦闘機の名門グラマン社は、転んでもただでは起きず!? 次に可変後退翼機を開発した際にはあの名機、グラマンF-14トムキャットを誕生させています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅11.18m(15.42m)
全 長17.01m
全 高4.95m
翼面積43.38㎡
自 重9,265kg
総重量/最大離陸重量16,080kg
発動機J40-WE-6(3,084kg)
最大速度1,100km/h
実用上昇限度13,960m
戦闘行動半径1,150km
航続距離2,670km
乗 員1名
初飛行1952年5月1日
就 役-
退 役-
兵 装