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ロッキードYF-12

Lockheed YF-12
ロッキードYF-12Lockheed YF-12

世界初のマッハ3級戦闘機

高度27,000mを時速3,600kmで飛行

※文頭写真:試験飛行中のYF-12。PHOTO USAF

ロッキードYF-12(1963)はアメリカのロッキード社がアメリカ空軍向けに開発したマッハ3級の巨大な戦闘機です。全長約31mという巨大で異様な姿は、我々が想像する戦闘機の形からはかけ離れています。結局採用には至りませんでしたが、東西冷戦を象徴する機体の一つといえるでしょう。

激しい東西冷戦の最中、1954インターセプター計画にみられるように、アメリカ空軍の戦闘機開発は飛来するソ連の戦略爆撃機を迎撃することが大きな目的でした。また、アメリカ空軍自身の戦略爆撃機を護衛するための戦闘機が必要ということも大きな開発目的となっていました。

どんな戦闘機よりも高く、そして速く飛べば、爆撃機は攻撃されることなく最終兵器である核爆弾を投下することができます。アメリカ空軍は高度22,000mをマッハ3という高速で飛行し、アラスカ〜モスクワ間を無着陸で往復できる超音速戦略核爆撃機、XB-70を構想していました(試作機の段階でキャンセル)。

YF-12。PHOTO USAF
YF-12。PHOTO USAF

YF-12の開発が始まった1960年頃、XB-70のような戦略爆撃機をソ連が保有してはいませんでしたが、アメリカは早晩ソ連が開発に着手、もしくはすでに手にしていると考えていました。

ソ連戦略爆撃機の脅威、自軍の超音速戦略爆撃機の護衛という大きな目的のもと、アメリカ空軍はXF-103XF-108といった大型・高速の迎撃戦闘機を計画しますが、いずれも採用前に計画中止となってしまいます。

同じ頃ロッキード社は、CIA向けに高度約3万mという高空をマッハ3以上の高速で飛行する偵察機、A-12を開発しており(こちらは採用されます)、A-12を元に戦闘機化することで開発費を抑えて実用化することができると提案し、アメリカ空軍はこれを受け入れます。

アメリカ空軍初の本格的ジェット戦闘機となったP-80と並ぶYF-12。PHOTO USAF
アメリカ空軍初の本格的ジェット戦闘機となったP-80と並ぶYF-12。PHOTO USAF

戦闘機化にあたっては、最新のAN/ASG-18レーダーや、それにともなうレーダー操作員席の増設、ミサイル運用装置の追加などが行われました。

初飛行は1963年8月に行われ、飛行試験が続けられました。世界速度記録・高度記録を塗り替えるなど優秀な試験結果を残しますが、財界出身で費用対効果と統計学を駆使するロバート・マクナマラが国防長官に就任すると、YF-12計画は中止となりました。

結果的には、当時のソ連はYF-12のスペックでなければ迎撃できない程の超高度・超音速の戦略爆撃機を保有していなかったわけですから、その点では国防長官のロバート・マクナマラの判断は正しかったということになります。

運用者-
主要なバリエーションYF-12A 試作機。3機製造
F-12B 量産型。計画のみ
生産数3
スペック型式YF-12A
全 幅16.95m
全 長30.97m
全 高5.64m
翼面積167㎡
自 重27,600kg
総重量/最大離陸重量56,200kg
発動機J58/JTD11D-20A(9,300kg)×2
最大速度3,661km/h
実用上昇限度27,400m
戦闘行動半径-
航続距離4,800km
乗 員2名
初飛行1963年8月7日
就 役-
退 役-
兵 装

ノースロップF-5E/FタイガーⅡ

Northrop F-5E/F TigerⅡ
ノースロップF-5E/FタイガーⅡNorthrop F-5E/F TigerⅡ

進化したF-5

ソ連MiG-21のライバル

※文頭写真:F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

ノースロップF-5E/FタイガーⅡ(1972-1989)はアメリカのノースロップ社が開発した軽量級の超音速戦闘機F-5A/Bの発展型です。運動性能の向上とともに、捜索範囲40kmと高性能とはいえないまでもレーダーが搭載されたことにより戦闘能力は大いに高まっています。

F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF
F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

F-5A/Bのライバルは9,500機もの生産数を誇り共産圏に供与されたソ連のMiG-19。MiG-19はMiG-15譲りの運動性能を持つ超音速戦闘機でした。F-5A/BはMiG-19に対する自由陣営後進国の戦闘機としては優秀でしたが、1959年(昭和34年)にマッハ2級のMiG-21が登場、F-4ファントムⅡF-8クルーセイダーなら戦えましたが、F-5A/Bでは太刀打ちできませんでした。

ソ連のMiG-21フィッシュベッド。UV-16ロケットポッドを装着しています。写真:US DoD
ソ連のMiG-21フィッシュベッド。UV-16ロケットポッドを装着しています。写真:US DoD

アメリカ空軍は、これに対抗する友好国供与用の戦闘機開発を始めます。各社案の中からノースロップF-5E/FタイガーⅡが選ばれ、1970年11月に制式に発注を受けます。

安価で整備性が高く扱いやすいF-5A/Bの良さを受け継ぎつつ、エンジンを強化、燃料搭載量も増加し、戦闘行動半径は三割方向上します。最高速度はマッハ1.6とMiG-21には及びませんが、AN/APQ-153Xレーダの搭載や緩い後退角による中低高度の高い運動性を武器に、MiG-21に対抗しうる戦闘機となっています。

F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF
F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

初飛行は1972年8月11日、1973年からアメリカ空軍への配備が始まり、その後友好国に供与されました。供与された国はアメリカを含めて20か国を超え、ライセンス生産を含めて1,400機が生産されました。サウジアラビアやバーレーン、韓国に供与されたF-5は湾岸戦争に参加するなど、供与された機体はいくつかの戦争に参加しています。アメリカ本国ではアグレッサー機(仮想敵機)として使用されました。

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
シンガポール空軍
ブラジル空軍
イエメン空軍
スイス空軍
南ベトナム空軍
イラン空軍
スーダン空軍
ベトナム空軍
インドネシア空軍
エチオピア空軍
タイ空軍
オーストリア空軍
台湾空軍
ホンジュラス空軍
チュニジア空軍
マレーシア空軍
チリ空軍
メキシコ空軍
モロッコ空軍
ヨルダン空軍
ケニア空軍
バーレーン空軍
サウジアラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションF-5E F-5A改良型エンジン強化、レーダー装備など
FR-5E 簡易偵察機
RF-5E 偵察機
F-5F 複座の練習機
F-5N スイスで余ったF-5Eを米海軍が仮想敵機(アグレッサー)として使用
F-5G F-20。エンジンを換装し単発化。電子機器を近代化
F-5S/T シンガポール空軍の近代化改修型
F-5EM ブラジル空軍の近代化改修型
タイガーⅢ チリ空軍の近代化改修型
タイガーⅣ 近代化改修のデモ機
F-5T タイ空軍の近代化改修型
生産数1,399
スペック型式F-5E
全 幅8.13m
全 長14.68m
全 高4.06m
翼面積17.28㎡
自 重4,392kg
総重量/最大離陸重量9,150kg
発動機J85-GE-21A(1,588kg/AB 2,268kg)×2
最大速度1,743km/h
実用上昇限度15,789m
戦闘行動半径700km
航続距離2,483km
乗 員1名
初飛行1972年8月11日
就 役-
退 役1989年
兵 装

ノースロップF-5A/Bフリーダムファイター

Northrop F-5A/B Freedom Fighter
ノースロップF-5A/BフリーダムファイターNorthrop F-5A/B Freedom Fighter

小型軽量の超音速機

アメリカが友好国供与用に開発

※文頭写真:F-5フリーダム・ファイターの試作機YF-5A。PHOTO USAF

ノースロップF-5A/Bフリーダムファイター(1959-)はアメリカのノースロップ社が開発した軽量級の超音速戦闘機です。

第2次世界大戦中にドイツが初めて成功させたジェット戦闘機は、終戦後、ドイツの技術を収奪した戦勝国によって劇的に進化しました。1950年代にはアメリカ空軍だけでも11もの戦闘機が開発されています。

アメリカ海軍の航空母艦も大型化し、アメリカ空・海軍ともに大型で最新の技術を詰め込んだ豪華な戦闘機を次々と開発していました。しかし、東西覇権争いは世界に広がりアメリカは友好国とともに共産主義の浸透と戦わなくてはなりませんでした。

アメリカ空軍・海軍が開発する戦闘機は、高価かつ複雑な電子裝備を有し、友好国が購入・運用するのは難しい場面も増えてきました。NATOや日本など名だたる国々はF-104などの大型機を運用できましたが、南ベトナム、韓国、タイ、イラン、エチオピアなどの国々では高価かつ複雑な機体の運用は無理がありました。

複座型のF-5B。PHOTO USAF
複座型のF-5B。PHOTO USAF

そこに目をつけたノースロップ社は、友好国供与用の軽量で安価、かつ運用しやすい超音速戦闘機をF-5A/Bフリーダムファイターを企画します。この企画はアメリカ空軍に受け入れられ、1958年(昭和33年)5月、MAP(軍事援助計画)用戦闘機として制式に発注を受けます。

F-5は今日でも使われている傑作練習機T-38タロンの原型となった軽戦闘機N-156Fを元に開発されました。初飛行は1959年(昭和34年)7月、1962年(昭和37年)に国防総省のMAP(軍事援助計画)用戦闘機としての採用が公式発表されてからは、ライセンス生産を含めて続々と数を増やし、生産数は2,236機を数えます。

F-5A/Bの全長は14.38m、自重は3,670kgであり、F-4ファントムⅡの全長17.78m、自重13,960kgと比べると格段にコンパクトなことがわかります。最高速度はマッハ1.4、主翼の後退角を抑えたことで運動性能は極めて良好でした。

主翼の付け根前方に小さなフィンがついており、器材を抑えるためにたまたま装着されたものですが、これがたまたま前縁付け根延長(LERX=Leading Edge Root Extension)の効果を発揮し、失速防止などに効果をうみました。これは現在主流となっている艦上戦闘機F/A-18E/Fスーパーホーネットにも大いに採用されています。

ベトナム戦争では供与国のための実績をあげるため、カスタムしたF-5Cを対地攻撃に投入し芳しい評価を得ました。この作戦は日本語を使って「スコシ・タイガー作戦」と呼ばれました。

運用者イラン空軍
ギリシャ空軍
トルコ空軍
台湾空軍
フィリピン空軍
ノルウェー空軍
タイ空軍
南ベトナム空軍
ベトナム空軍
韓国空軍
主要なバリエーションN-156F 試作機。3機製造
YF-5A 試作機
F-5A 初期量産型。最初はレーダー未装備、後に追加
F-5A(G) ノルウェー空軍向けF-5A
XF-5A 試験機
A.9 スペイン空軍向けF-5A
F-5C スコシ・タイガー作戦用F-5A
生産数847
スペック型式F-5A
全 幅7.70m
全 長14.38m
全 高4.01m
翼面積15.78㎡
自 重3,670kg
総重量/最大離陸重量8,650kg
発動機J85-GE-13(1,850kg)×2
最大速度1,489km/h
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径400km
航続距離1,771km
乗 員1名
初飛行1959年7月30日
就 役1965年7月
退 役1989年
兵 装

マクドネルF-110スペクター

McDonnell F-110 Spector
マクドネルF-110スペクターMcDonnell F-110 Spector

F-4ファントムⅡの空軍型

アメリカ空・海軍双方に大量採用された初めての例

※文頭写真:アメリカ海軍のF-4ファントムⅡはその優秀さ故に、メンツを超えてアメリカ空軍にも採用され、F-110スペクターとなりました。PHOTO USAF

マクドネルF-110スペクターは、アメリカのマクドネル社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。
F-110はF-4ファントムⅡの別名。F-4ファントムⅡは船の上(航空母艦)という制約からジェット戦闘機開発に苦しんできたアメリカ海軍が、苦難の末に手にした傑作艦上戦闘機です。初飛行は1958年(昭和33年)5月27日、1960年(昭和35年)から就役し1996年(平成8年)まで活躍しています。

1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF

1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF

アメリカの空軍と海軍は、ご多分に漏れずメンツをかけて何かにつけて競い合ってきました。その空軍が、花形の戦闘機採用において海軍の開発した艦上戦闘機を大量に採用するなどということは、前代未聞でした。それほどにF-4ファントムⅡは高性能であったわけですが、理由はそれだけではありません。ロバート・マクナマラという国防長官の存在が大きな要因を占めています。

ロバート・マクナマラはハーバード出身でアメリカ陸軍航空軍の統計管理局で活躍し、戦後はフォード一族以外では初めてフォードの社長となり、1960年にジョン・F・ケネディが大統領選に勝利すると国防長官として白羽の矢が立ちます。

システム分析や統計学を駆使するマクナマラは、それまで空軍・海軍それぞれが独自に行っていた戦闘機開発を統合を企図し、その手始めとして開発中であったハイコストのF-106デルタダートの代わりに、海軍が開発していたF-4ファントムⅡを採用させようとします。

1961年(昭和36年)、空軍が開発していたF-106F-4の飛行試験が行われます。速度、上昇限度、航続距離、レーダー性能、爆撃能力、整備性など多くの面でF-4F-106を上回りますが、最新鋭のハイテク防空システム、半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)の装置が搭載できないということで、F-106の生産は続行されます。

1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF
1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

しかし、アメリカ空軍がF-106に続く次期戦闘機として開発していたF-111アードバーグの開発が遅れており、その穴埋めとしてF-4が採用されることとなり、名称を空軍名F-110スペクターに変更しました。その後1962年(昭和37年)にアメリカ三軍の呼称統一が施行され、F-110スペクターから再びF-4CファントムⅡに変更されました。

空軍型F-4シリーズの決定版ともいえるF-4E型は1967年(昭和42年)6月30日に初飛行、各国へと供与され1,389機が生産されました。マクドネル社は、艦載機として開発したF-4ファントムⅡが空軍機として採用されたことで、より生産数を伸ばし西側戦闘機としては史上最多の5,000機以上が生産されました。

最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF
最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF

F-4Eは1966年(昭和41年)、日本の第2次F-X(主力戦闘機)選定によりF-86Fの後継として選ばれました。日本の航空自衛隊向けF-4EはF-4EJとして154機が調達され、そのうちのほとんどがライセンス生産されました。そして1980年(昭和55年)にF-15Jが採用されるまで日本防空の主軸を担いました。F-15Jに主役の座を譲ってからも現役にとどまり、平成28年(2016年)のいまも活躍し続けています。

航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊

運用者アメリカ空軍
McDonnell F-4 PhantomⅡの項参照
主要なバリエーションF-4C 海軍のF-4Bを空軍用に改修。空軍F-4最初の量産機
EF-4C 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
RF-4C 写真偵察機
F-4D C型の改良型
EF-4D D型を改装した敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
F-4E 空軍型F-4の決定版。1,389機製造
RF-4E 偵察機
F-4G 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
生産数5,195
スペック型式F-4E
全 幅11.71m
全 長19.20m
全 高5.02m
翼面積49.2㎡
自 重13,757kg
総重量/最大離陸重量27,970kg
発動機J79-GE-17A(5,356kg/AB 8,119kg)×2
最大速度2,370km/h
実用上昇限度18,975m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日/1963年5月(F-110)
就 役1963年11月
退 役1996年4月
兵 装

ジェネラル・ダイナミクスF-111B

General Dynamics F-111B

F111の米海軍型

失敗した統合計画

※文頭写真:USNAVY

ジェネラル・ダイナミクスF-111アードバーク(1964-1998/2010)は、アメリカが開発・採用した世界初の実用可変翼戦闘機です。戦闘機とはいっても空中戦ではなく、爆撃をメインとする戦術爆撃戦闘機です。

当初、米海空軍の統合戦闘機として開発されF-111Aが空軍型、F-111Bが海軍型として進められました。最終的には重量超過などを理由に海軍が難色を示し、F-111B(海軍型)は計画のみに終わりました。

詳しくはF-111の項をご覧ください。

運用者-
主要なバリエーションF-111A 最初の量産型。158機製造
F-111B 米海軍型。計画のみ
F-111C オーストラリア空軍型
F-111D 電子機器(アビオニクス)、エンジンなど改修
F-111E エアインテイク改修型
F-111F 最終量産型。電子機器やエンジンを換装。1996年まで使用された。106機製造
F-111G 訓練機
F-111K イギリス空軍向け。キャンセル
EF-111A 電子戦機。F-111Aを改造
生産数7
スペック型式-
全 幅21.34m
全 長20.35m
全 高4.80m
翼面積-
自 重19,540kg
総重量/最大離陸重量30,450kg
発動機TF-30-P-1(5,220kg/AB 8,640kg)×2
最大速度3,062km/h
実用上昇限度18,288m
戦闘行動半径1,460km
航続距離4,700km
乗 員2名
初飛行1965年5月18日
就 役-
退 役-
兵 装

ジェネラル・ダイナミクスF-111アードヴァーグ

General Dynamics F-111 Aardvark
ジェネラル・ダイナミクスF-111アードヴァーグGeneral Dynamics F-111 Aardvark

世界初の実用可変翼戦闘機

戦術爆撃機として大いに活躍

※文頭写真:USAF

ジェネラル・ダイナミクスF-111アードバーク(1964-1998/2010)は、アメリカが開発・採用した世界初の実用可変翼戦闘機です。戦闘機とはいっても空中戦ではなく、爆撃をメインとする戦術爆撃戦闘機です。

当初、米海空軍の統合戦闘機として開発されF-111Aが空軍型、F-111Bが海軍型として進められました。最終的には重量超過などを理由に海軍が難色を示し、F-111B(海軍型)は計画のみに終わりました。

飛行場で運用する空軍の陸上戦闘機と、航空母艦で運用する海軍の艦上戦闘機はそもそも要求される仕様が異なります。この点だけならF-4のように空軍・海軍ともに採用された機体もありますが、空軍は爆撃重視、海軍は敵戦闘機に対する防空を重視しており、さらには新しい技術であった可変翼を取り入れていたことなどが失敗の原因です。

実に優秀な爆撃性能を有する戦闘攻撃機となったF-111。PHOTO USAF
実に優秀な爆撃性能を有する戦闘攻撃機となったF-111。PHOTO USAF

この統合戦闘機というコンセプトは当時ジョン・F・ケネディ大統領の元で国防長官を務めていたロバート・マクナマラ(1916-2000)の発案によるものでした。それまで米空軍と海軍は別々に戦闘機を開発し、協力しあうというよりはむしろライバル心むき出しの関係にありました。

ロバート・マクナマラはハーバード大学卒業後、同校で教鞭をとり、会計士を経て第2次世界大戦中は米陸軍航空隊統計管理局に配属されていました。戦後は自動車会社フォードに採用され、フォード一族以外で初めて社長に就任した切れ者です。1960年ジョン・F・ケネディが大統領に就任すると、フォード社長に就任後まもない時期でしたが乞われて国防長官となりました。在任期間は1961年から1968年です。

システム分析を得意とするマクナマラはいわゆる文官として優勝な人物であり数々の戦略的成果を残していますが、統合戦闘機に関しては失敗したといわれています。米海軍はTFX(Tactical Fighter Experimental=実験的攻撃機)計画をすすめ、米海軍はFAD(Fleet Air Defence=艦隊防空)戦闘機計画をすすめていました。費用対効果を重視したマクナマラはコスト削減のため両者の計画を強引に統合します。

1987年(昭和62年)10月、訓練中のEF-111(電子戦機型)。PHOTO USAF
1987年(昭和62年)10月、訓練中のEF-111(電子戦機型)。PHOTO USAF

1961年10月に開発要求が各メーカーに提示され、その中からジェネラル・ダイナミクス案が選ばれます。いざ開発が始まると、空軍と海軍の異なる運用や主旨を満たそうとすることで機体重量は増加し、米海軍はF-111B計画をキャンセルしてしまいます。空軍型であるF-111Aはその後も開発が続き1964年12月に初飛行を行っています。

世界初の実用可変翼戦闘機であり、地形追従レーダーなど当時最新の技術を詰め込んだため、しばらくはトラブルにみまわれていましたが、ベトナム戦争中の1960年代末期に大きな検査・改修が行われたことで信頼性を高めていきます。その後、ベトナム戦争、リビア空爆、湾岸戦争などにおいて対地攻撃機として大いに活躍し、米空軍では1996年まで就役しました。

F-111アードバーグのコクピット。数多くの計器がところ狭しとならんでいます。PHOTO USAF
F-111アードバーグのコクピット。数多くの計器がところ狭しとならんでいます。PHOTO USAF

F-111は米空軍・海軍の統合戦闘機として失敗したわけですが、改修を続けて安定した運用性、優れた低空飛行能力と最大離陸重量45,300kg(自重21,410kg)という多大な兵器搭載量は特筆すべきものであり、米空軍の戦術爆撃機として非常に優秀な成果を残しました。

運用者アメリカ空軍
オーストラリア空軍
主要なバリエーションF-111A 最初の量産型。158機製造
F-111B 米海軍型。計画のみ
F-111C オーストラリア空軍型
F-111D 電子機器(アビオニクス)、エンジンなど改修
F-111E エアインテイク改修型
F-111F 最終量産型。電子機器やエンジンを換装。1996年まで使用された。106機製造
F-111G 訓練機
F-111K イギリス空軍向け。キャンセル
EF-111A 電子戦機。F-111Aを改造
生産数563
スペック型式F-111F
全 幅9.75m-19.2m
全 長22.4m
全 高5.22m
翼面積48.77㎡-61.07㎡
自 重21,400kg
総重量/最大離陸重量45,300kg
発動機TF30-P-100(8,119kg/AB 11,385kg)×2
最大速度2,665km/h
実用上昇限度20,100m
戦闘行動半径1,480km
航続距離5,950km
乗 員2名
初飛行1964年12月21日
就 役1967年7月
退 役1996年
兵 装

マクドネルF-4ファントムⅡ

McDonnell F-4 PhantomⅡ
マクドネルF-4ファントムⅡMcDonnell F-4 PhantomⅡ

真打、登場

艦上機にして最強の多用途戦闘機

※文頭写真:USNAVY

米海軍のマクドネルF-4ファントムⅡ(1958-)は、約5,200機が生産された最強の多用途戦闘機です。大きな機体に強力なエンジンを2発載せ、艦上戦闘機でありながら当時米空軍が保有していた高性能戦闘機群(センチュリーシリーズ)各機体の得意分野を、F-4一機で上回ってしまう程に優秀な戦闘機でした。

艦上戦闘機というのは航空母艦において運用されますから、広い飛行場・基地で運用される空軍の陸上戦闘機に比べて数多くの制約を課せられます。このことから、第2次世界大戦末期から始まったジェット戦闘機の開発において米海軍は後塵を拝していました。

米海軍は、1955年に初飛行した傑作機、チャンス・ボートF-8クルーセイダーにおいてようやく空軍機に劣らない戦闘機を艦上に配備することができました。その3年後1958年に本機F-4ファントムⅡが初飛行し、その高性能ぶりから今度は逆に米空軍が米海軍の開発したF-4を採用します。米海軍はさぞ晴れやかな気分だったことでしょう。

1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

米海軍がF-8、F-4と立て続けに傑作艦上戦闘機をうみだしていたこの時期、米海軍の航空母艦が大きな進歩を遂げていました。1955年、第2次世界大戦中に建造された排水量約30,000トンのエセックス級航空母艦にかわり、米海軍待望の超大型航空母艦、フォレスタル級が就役します。F-8はエセックス級でも運用可能でしたが、F-4はエセックス級では運用できませんでした。

この角度もファントムⅡはいい。名前といい形といいたまらない人にはたまらない、F-4ファントムⅡです。PHOTO USNAVY
この角度もファントムⅡはいい。名前といい形といいたまらない人にはたまらない、F-4ファントムⅡです。PHOTO USNAVY

フォレスタル級は、乗員約4,300名、60,000トンもの基準排水量を持ち、斜め着艦用飛行甲板(アングルド・デッキ)を採用、72機の艦上戦闘機を収容することができました。さらに、1954年以降は戦後就役したミッドウェイ級もアングルド・デッキ化されます。

アメリカの旗艦とも呼ばれたアメリカ海軍空母、USSコンステレーション艦上のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
アメリカの旗艦とも呼ばれたアメリカ海軍空母、USSコンステレーション艦上のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

航空母艦と艦上戦闘機は共に進化するものです。登場した当時、見る者を驚かせたという大型艦上戦闘機F-4はこれら航空母艦の進化に歩を合わせるように誕生した傑作艦上戦闘機でした。

アメリカ海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスのF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスのF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

防空能力においてはすでに運用されていた高性能機F-8クルーセイダーとF-4は同等でしたが、F-4は加えて対地攻撃にも秀でていました。F-8の離陸最大重量は13,000kgですが、F-4のそれは26,760kgもあります。それだけ多くの兵装を搭載することができるわけですから、艦上戦闘機において特に要求される多用途性が高まります。

アメリカのスミソニアン博物館に展示されるアメリカ海兵隊のF-PHOTO SMITHSONIAN NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM
アメリカのスミソニアン博物館に展示されるアメリカ海兵隊のF-PHOTO SMITHSONIAN NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM

速度記録、上昇記録など各種の世界記録を次々に更新したF-4の飛行性能は文句なく世界一であり、イギリス空軍が1964年に採用したのを始め、日本、スペイン、トルコ、エジプト、ギリシャなど各国に採用され、5,000機を超えるベストセラーとなりました。

アメリカ空軍のF-15と飛ぶ航空自衛隊のF-4EJ。1983年(昭和58年)夏の日米合同演習コープノース中の写真。PHOTO DoD
アメリカ空軍のF-15と飛ぶ航空自衛隊のF-4EJ。1983年(昭和58年)夏の日米合同演習コープノース中の写真。PHOTO DoD

世界を驚かせた高性能多用途艦上戦闘機、マクドネルF-4ファントムⅡは初飛行から半世紀以上を経たいまでも、数々の改修を受け世界の空を飛び回っています。

運用者アメリカ海軍
アメリカ空軍
アメリカ海兵隊
航空自衛隊
オーストラリア空軍
エジプト空軍
ドイツ空軍
イラン空軍
イスラエル空軍
スペイン空軍
トルコ空軍
イギリス空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF4H-1 試作機。2機製造
F4H-1F 追加の試作機。45機製造。後にF-4B
F4H-1 最初の量産型
F-4G アメリカ空軍の要求による敵防空網制圧機(SEAD/ワイルド・ヴィーゼル)。12機製造
YF-4G F-4Jの試作機
F-4J 海軍2次量産型。512機製造。ルックダウン能力などを加えた
F-4N F-4Bの改修機。227機改修
F-4S F-4Jの近代化改修型。構造強化
F-100A F-4Cの当初名
F-4C 空軍向け改修型。複操縦装置追加など
F-4D 空軍向けF-4Cの改修型。レーダー関連の性能向上など
EF-4D F-4Dを改修した防空網制圧機の試作型
F-4E F-4D改修型。エンジン換装、バルカン砲装備など
F-4G 空軍の敵防空網制圧機(SEAD)。F-4Eを改修
RF-4B 偵察機型。米海兵隊向けに46機が製造
RF-4C 偵察機型
RF-4E 偵察機型
F-4VG 可変翼改修型。計画のみ
生産数5,195
スペック型式-
全 幅11.7m
全 長17.78m
全 高4.95m
翼面積49.23㎡
自 重13,960kg
総重量/最大離陸重量26,760kg
発動機GE J79-GE-8B/8C/10×2(5,380kg/AB 8,120kg)
最大速度2,550km/h
実用上昇限度21,340m
戦闘行動半径960km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日
就 役1960年12月
退 役1992年1月
兵 装