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リパブリックXF-103

Republic XF-103
リパブリックXF-103Republic XF-103

怪物的戦闘機計画

高度3万m、マッハ3.7を目指した異色の戦闘機計画

※文頭写真:XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force

リパブリックXF-103(1954)は、アメリカのリパブリック社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。マッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。

それまでの戦闘機とは全く異なるミサイルのようなフォルムは、異様な迫力をもっています。異様なのは形だけではなく、機体素材にはチタンが使われ、ターボジェットエンジンとラムジェットエンジンを1基ずつ搭載し、高度3万mという高空においてマッハ3.7というそれまでに類を見ない性能を目指して開発が進められていました。

このような戦闘機開発が進められたのは、XB-70というマッハ3級の戦略爆撃機に理由があります。爆撃機には護衛する戦闘機が必要であり、同じ高度を同じ速度で飛べる戦闘機が必要になったというわけです。

XB-70はXF-103以上に未来的な形をしており、XF-103とは違い試作機の飛行試験まで進み、マッハ3超の記録を残しています。しかし、1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功し、さらには費用対効果を重視する経営者あがりのロバート・マクナマラ国防長官により、XB-70よりもミサイル開発の方が優秀であるとの結論が与えられ、採用には至りませんでした。

エンジンの開発遅延、XB-70の怪しい雲行き、価格の高騰などによりモックアップを完成させたのみで計画は中止になっています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅10.5m
全 長23.5m
全 高5.1m
翼面積37.2㎡
自 重11,317kg
総重量/最大離陸重量17,466kg
発動機XJ67-W-3(6,700kg)×1、XRJ55-W-1(8,400kg)×1
最大速度Mach3(3,675km/h)+
実用上昇限度24,390m+
戦闘行動半径724km
航続距離2,486km
乗 員1名
初飛行-
就 役-
退 役-
兵 装

コンベアF-106デルタダート

Convair F-106 Delta Dart
コンベアF-106デルタダートConvair F-106 Delta Dart

高性能迎撃戦闘機

最新のデータリンクを装備

※文頭写真:F-106Aデルタダート。大型・フル装備のアメリカ空軍らしい高級機です。PHOTO USAF

コンベアF-106デルタダート(1956−1988)はアメリカのコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機(要撃機)。東西の覇権争いの激化を象徴するかのように、アメリカが次々と新型戦闘機を開発していた時代を象徴するセンチュリーシリーズ(F-100番台の戦闘機)の一つです。

世界初の実用デルタ翼戦闘機であったF-102と同じ計画からうまれたデルタ翼機であり、大出力エンジンと最新型の電子機器を搭載した高性能機となっています。飛来するソ連爆撃機を迎撃する目的で開発されたため、高い高速性と上昇能力を要求されたものです。

F-106は1954インターセプター計画と銘打って始まったソ連爆撃機に対するアメリカの迎撃機開発計画から始まりました。この計画からはF-102とF-106という二つのデルタ翼戦闘機がうまれています。

1954インターセプター計画は新型電子機器MA-1レーダー射撃管制装置(FCS)やエンジンの開発遅延に難儀したコンベア社とアメリカ空軍は、ひとまず現行型を搭載したF-102Aを開発・採用し、その後F-102Aを元により高性能なF-102Bを開発するという落とし所をつけました。

このF-102BがF-106と名称変更され、F-106デルタダートとなります。全体の形状は当初からエリアルールを採用し洗練されたものとなっています。エンジンは7,302kgの大出力を発揮するプラット&ホイットニー社のJ75を搭載し1956年12月、初飛行に成功します。

F-106A。PHOTO USAF
F-106A。PHOTO USAF

飛行試験と改良は続けられ、最高速度はマッハ2を超え、到達高度は18,820mを記録しています。二段階計画ともいえるF-102/F-106の原因の一つともなった電子機器MA-1は、デルタ翼とともにF-106最大の特徴となっています。

MA-1は従来の射撃管制システムを超え、真空管を使用したデータリンクシステムとなっています。これは、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)が1950年代末から1980年代まで運用していた半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)とリンクして敵機を迎撃するものです。

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

ちなみに、このシステムは今日のコンピュータシステムにつながる大変先進的な巨大コンピュータシステムであり、開発したIBM社はSAGEの技術をその後業界を支配する大きな力としたことは想像に難くありません。

F-106の部隊配備は1959年6月に始まり、10月にはアラート任務に就きます。1970年代から徐々に退役し、1987年頃を最後に実戦部隊から退きました。退役した機体は空軍州兵で運用された他、仮想敵機として使用されました。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションF-102B 試作機。F102の試作機のひとつとして開発された
F-106A 量産型。277機製造
F-106B 複座の練習機。63機製造
NF-106B 試験機
QF-106 NASA使用機
生産数340
スペック型式-
全 幅11.67m
全 長21.55m
全 高6.18m
翼面積61.52㎡
自 重11,080kg
総重量/最大離陸重量15,670kg
発動機J75-P-17(7,302kg)×1
最大速度2,455km/h
実用上昇限度17,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離4,300km
乗 員1名
初飛行1956年12月26日
就 役1959年6月
退 役1988年
兵 装

コンベアF-102デルタダガー

Convair F-102 Delta Dagger
コンベアF-102デルタダガーConvair F-102 Delta Dagger

初の実用デルタ翼機

エリアルールを採用して音速を突破

※文頭写真:初の実用デルタ翼戦闘機となったF-102デルタダガー。PHOTO USAF

コンベアF-102デルタダガー(1953-1976)はアメリカのコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。アメリカ空軍としては初めて実用的なデルタ翼を採用した機体です。エリアルールという設計手法を初めて採用した機体です。またこの時期、アメリカ空軍が続けて開発した100番台の戦闘機、センチュリーシリーズの一つでもあります。

アメリカ空軍は本機に先立ち1948年に世界初のデルタ翼実証試験機XF-92Aを初飛行させていますので、初のデルタ翼機はXF-92A、初の実用デルタ翼機は本機ということになります。ちなみにどちらもコンベア社によるものです。

デルタ翼とは三角翼ともいわれ、ギリシャ語のΔ(デルタ)に似ていることからデルタ翼といわれ、ドイツの航空先進技術からうまれました。高亜音速から超音速という高速飛行に向いており、加速性に優れ高速域において高い運動性を発揮します。ダブルデルタ、クリップドデルタなどの派生系があり、現代最新鋭の戦闘機にも発展形が使われています。

左が並列複座席を採用した最初の試作機YF-102。右が量産型に繋がったYF-102A。PHOTO USAF
左が並列複座席を採用した最初の試作機YF-102。右が量産型に繋がったYF-102A。PHOTO USAF

エリアルールは航空機の設計手法の一つ。遷音速(マッハ1付近)で飛行する機体の断面積変化を小さく抑えることで効力差を減少させ高速性・安定性を増そうというものです。1950年代初めにNACAのリチャード・ウィットカムが発見しました。具体的には主翼部分における断面積の増大を防ぐために胴体をくびれさせることです。

アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF
アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF

F-102の開発計画が始まったのは1949年です。第2次世界大戦終の東西覇権争いが日々激化し続けていた頃です。アメリカ空軍はソ連の長距離爆撃機の脅威から本土を守る新型迎撃戦闘機の開発を進め、1954年の就役を目指して「1954インターセプター」と名づけていました。

開発を発注されたコンベア社は、世界初のデルタ翼実証試験機として同社が先に開発したXF-92Aを基本とする新型機を構想しました。射撃管制装置(FCS)の開発遅延、搭載ミサイルの大型化などを乗り越えて1953年10月24日に初飛行を行い、飛行試験が続けられたが、結果は芳しくなく最高速度はマッハ1に届きませんでした。

初飛行に先立つ1953年初頭、NACAはYF-102について抵抗過大により音速突破は難しく、これを解決するには発見されたばかりの「エリアルール」を採用すれば音速突破も可能であると勧告していました。

アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF
アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF

製作の進行上エリアルールを採用できず、散々な試験結果を残してしまったコンベア社は、改めてエリアルールを採用し、エンジンをJ57-P-23に換装するなどした試験機YF-102Aを開発します。

YF-102のコクピット。PHOTO USAF
YF-102のコクピット。PHOTO USAF

エリアルールを採用した新型試験機YF-102Aは1954年12月20日に初飛行し、水平飛行においてマッハ1.2、高度は16,150mを記録しました。

制式採用となったF-102デルタダガーは1956年5月から配備が始まり、諸々の改修を受けながら生産され、アメリカ空軍では1970年まで運用され、その後は空軍州兵において1976年まで運用されました。アメリカ以外ではタイ王国、ギリシャ空軍、トルコ空軍などで使用されました。

運用者アメリカ空軍
カナダ空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-102 試作機。10機製造
YF-102A 試作機改良型。4機製造
F-102A 量産型。879機製造
TF-102A 複座の練習機。111機製造
F-102B 後にF-106Aデルタダート
QF-102A 複座有人標的機
PQM-102A 無人標的機
PQM-102B 無人標的機
生産数1,000
スペック型式-
全 幅11.61m
全 長20.84m
全 高6.46m
翼面積61.52㎡
自 重8,777kg
総重量/最大離陸重量14,300kg
発動機J57-P-25(5,307kg/AB 7,802kg)×1
最大速度1,304km/h
実用上昇限度16,300m
戦闘行動半径850km
航続距離2,175km
乗 員1名
初飛行1953年10月24日
就 役1956年4月
退 役1976年
兵 装

マクドネルF-101ヴードゥー

McDonnell F-101 Voodoo
マクドネルF-101ヴードゥーMcDonnell F-101 Voodoo

マッハ1.7の高速戦闘機

高速機ながらピッチアップに苦しむ

※文頭写真:NASAで試験に供されるF-101ブードゥー。PHOTO NASA

マクドネルF-101ブードゥー(1954-1982)はアメリカのマクドネル・エアクラフト社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。プラット&ホイットニー社のJ57-P-13というアフターバーナーが装備された大推力のエンジンを搭載した超音速戦闘機です。

プラット&ホイットニー社は1925年に設立されたアメリカの航空機用エンジンメーカー。現在でも続いており、航空機用エンジンビッグ3の一角をなしています。

1951年1月、爆撃機の運用を主な任務とするアメリカ空軍戦略航空軍(SAC=Strategic Air Command))が戦略爆撃機B-36を護衛するための長距離戦闘機を計画し国内各メーカーに発注したことから、F-101の開発が始まります。

F-101Bブードゥー。PHOTO USAF
F-101Bブードゥー。PHOTO USAF

第2次世界大戦後に東西覇権争いが始まり、アメリカとしてはソ連中枢部に到達する核攻撃兵器が必要となます。核ミサイルがなかった当時としては長距離爆撃機により運用することとなり、護衛する戦闘機が必要となったためです。

F-101は1954年9月に初飛行し音速突破に成功しますが、空中給油の発達などによりアメリカ空軍戦略航空軍(SAC)の戦略爆撃機の護衛戦闘機計画が中止となりF-101も開発中止になると思われましたが、アメリカ空軍において攻撃機・戦闘機の運用を主な任務とする戦術航空軍団(TAC=Tactical Air Command)が救世主となります。さらにアメリカ本土の防衛を担う航空宇宙防衛軍団(ADC=Aerospace Defense Command)も関心を示しました。

こういったことからF-101は攻撃性能の強化が図られ、AN/APS-54レーダーなど電子機器を換装、核爆弾運用能力も付加されました。搭載されたJ57-P-13エンジンは21,170機が生産されたベストセラーエンジンJ57シリーズの一つ。アフターバーナー使用時には14,880lbf(6,749kg)という大きな出力を発揮しました。

その結果、最高時速は1,825km(マッハ1.7)を記録し、当時の世界最速戦闘機となりました。問題点として後々まで解消できなかったのは、翼面積の小ささと水平尾翼の形状による高速時のピッチアップ(頭上げ)でした。最高速戦闘機とはいえ、敵戦闘機を迎え撃つ要撃戦闘機としてこれは大きな問題でしょう。

アメリカ空軍では1960年代末〜70年代初頭まで運用されました。アメリカ各州の航空軍では1971年〜1982年まで、カナダ空軍では1985年に至るまで運用されました。

運用者アメリカ空軍
カナダ空軍
台湾空軍
主要なバリエーションYF-101A 試作機。29機製造
F-101A 最初の量産型
NF-101A エンジンテスト機
YRF-101A 偵察型のテスト機
RF-101A 偵察機
F-101B(CF-101B) カナダ空軍向けの機体
EF-101B 電子戦機
TF-101B 練習機
RF-101B 偵察機
F-101C 単座の戦闘爆撃機
RF-101C 単座の偵察機
F-101D/E エンジン計画機
RF-101G/H 空軍州兵向け偵察機
生産数807
スペック型式-
全 幅12.09m
全 長20.55m
全 高5.49m
翼面積34.19㎡
自 重13,140kg
総重量/最大離陸重量20,715kg
発動機J57-P-55(5,438kg/AB 7,666kg)×2
最大速度1,825km/h
実用上昇限度17,800m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,450km
乗 員2名
初飛行1954年9月29日
就 役1957年5月
退 役1982年
兵 装