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ノースロップF-20タイガーシャーク

Northrop F-20 Tigershark
ノースロップF-20タイガーシャークNorthrop F-20 Tigershark

F-5E/Fの発展型

優秀な軽量級戦闘機ながら、F-16に敗れる

ノースロップF-20タイガーシャーク(1982)は、名機F-5の後継機としてノースロップ社が開発したアメリカの戦闘機です。友好国への供与を目的に開発されましたが、折しも実運用実績豊富なF-16の海外供与が解禁となり、試作機の段階で中止となりました。

アメリカの戦闘機は基本路線として世界最強を目指すため、そのほとんどが大型・フル装備の高級機となり、本体価格の高騰はもとより、更新、整備などには高い技術力が必要とされ、維持費も膨大なものとなります。

自由諸国の盟主であるアメリカの戦闘機は、有効各国に供与されますから、このような高級機ばかりでは一部の先進国しか購入・運用は困難となっていました。

そのため、アメリカは友好国供与を主眼とした軽量級の安価で高性能な戦闘機を随時開発してきました。1959年(昭和34年)に初飛行し、トルコ、ノルウェー、台湾、ギリシャ、イランなどに供与されたF-5A/B、1972年に初飛行し、ブラジル、イエメン、スイス、南ベトナム、インドネシア、タイ、エチオピア、オーストリア、メキシコ、チュニジアなどに採用されたF-5E/FタイガーⅡなどがこれにあたります。

上記の2機種を開発したアメリカのノースロップ社が後継として開発したのが、F-20タイガーシャークです。

F-20タイガーシャーク。PHOTO USAF
F-20タイガーシャーク。PHOTO USAF

1970年代中ごろ、F-5E/Fの導入国であった台湾は、軍事力増強を進める中国に対処するため、F-5E/Fに空対空ミサイルAIM-7スパローの搭載能力を加えるようアメリカに要求しました。

アメリカは台湾の要求に応じてノースロップ社に検討を要請、その結果、AIM-7スパローは視界外射程(BVR=Beyond Visual Range、概ね37km以上の射程)を持つミサイルであり、これが搭載されれば大きく攻撃力は強化されますが、それに伴う大型レーダーの搭載などにより機体が大型化し、機動性が損なわれるということがわかり、この計画は中止となりました。

海外向けのF-5E/F発展型の需要を感じたノースロップ社は自社資金において検討を開始します。フライ・バイ・ワイヤ(飛行制御システム)の導入、主翼付け根延長部分の増加、レーダー強化などを施したF-5Gという発展型を開発します。

その後、1970年代後半にアメリカは軍事輸出制限緩和を行い、共産陣営に対抗しうる新型輸出用戦闘機の開発を決定します。これに沿って、ジェネラル・ダイナミクス社のF-16(ダウングレード版)とノースロップ社のF-20が開発されました。

F-20はF-5E/Fの後継であるF-5Gをさらに発展させ、視野拡大型HUD(Head Up Display)、両手をスロットルとスティックにおいたままレーダーの操作やミサイルの発射を行えるHOTAS(HeadOn Throttle and Stick)の搭載など大幅に性能を向上していました。

性能的にはほぼF-16と同等だったF-20でしたが、アメリカ空軍始め各国での採用実績を持つF-16はあまりに強敵でした。当初、F-16はF-20よりも約2倍程高価でしたが、これも採用国が増えるに連れて量産効果で価格が下がってきます。結局F-20は採用されることなく終わりました。

F-20コクピットのモックアップ。PHOTO USAF
F-20コクピットのモックアップ。PHOTO USAF

運用者-
主要なバリエーション-
生産数3
スペック型式-
全 幅8.13m
全 長14.17m
全 高4.22m
翼面積18.6㎡
自 重5,090kg
総重量/最大離陸重量6,830kg
発動機F404-GE-100(4,990kg)×1
最大速度2,450km/h+
実用上昇限度16,800m
戦闘行動半径1,020km
航続距離2,759km
乗 員1名
初飛行1982年8月30日
就 役-
退 役-
兵 装

ボーイングF-15イーグル

Boeing F-15 Eagle
ボーイングF-15イーグルBoeing F-15 Eagle

無敗の制空戦闘機

ミサイル万能論への反省からうまれた最強戦闘機

※文頭写真:1972年(昭和47年)7月、初飛行するF-15イーグル。PHOTO USAF

マクドネルダグラス(現 ボーイング)F-15イーグルは、1972年に初飛行して以来、一度も撃墜されることなく、今日に至るまで40年以上無敵の戦闘機として君臨してきたアメリカ空軍の戦闘機です。

10トン超の爆弾を搭載して超低空侵攻による精密爆撃を可能にした長距離阻止攻撃型F-15E。PHOTO USAF
10トン超の爆弾を搭載して超低空侵攻による精密爆撃を可能にした長距離阻止攻撃型F-15E。PHOTO USAF

航空自衛隊(百里基地所属)のF-15DJ。百里基地は首都圏の防空を担います。PHOTO USAF
航空自衛隊(百里基地所属)のF-15DJ。百里基地は首都圏の防空を担います。PHOTO USAF

現在、極東最強の制空能力を誇る航空自衛隊の主力戦闘機もF-15です。正確には燃料を増加し、構造強化を実施したF-15Cを基本に造られたF-15J/DJとなっています。Jは単座、DJは複座型です。

1980年に採用され約200機が運用されており、アメリカ国外最大のF-15運用国となっています。三菱重工業を主契約者としてノックダウン生産およびライセンス生産が行われ、213機が製造されています。こちらもアメリカ国外最大の生産国です。

航空自衛隊のF-15J。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-15J。写真:航空自衛隊

最初の2機はアメリカから受領し、続く8機はノックダウン生産、残りの機体は部品を国内にて製造してライセンス生産されています。ライセンス料などを含めた1機あたりの価格は120億円ともいわれます。

これを聞くとあまりに高価なことに驚きますが、日本の排他的経済水域面積は世界第6位。ロシア、中国、北朝鮮などを対岸に持つこの広大な財産を守るには、制空権の確保は生命線です。さらには、ライセンス生産によりエンジンやレーダーなど部品をすべて国産化できますから、航空機開発に必要な技術や人材を育てることもできます。

航空自衛隊のF-15J戦闘機。写真:DoD
航空自衛隊のF-15J戦闘機。写真:DoD

圧倒的な強さをみせた実戦

1991年(平成3年)1月17日、アメリカを中心とする多国籍軍によるイラク空爆「デザートストーム作戦」に始まった湾岸戦争では、MiG-21/23/25/29、Su-22、ミラージュⅢなどの敵機38機を撃墜し、F-15自身は1機も撃墜されることなく圧勝となりました。また、これに先立つ部隊配備/物資輸送に対して24時間フル稼働の空中哨戒を実施しています。

湾岸戦争で大活躍したF-15でしたが、最初の実戦となったのはアメリカ空軍ではなく、イスラエル空軍でした。F4ファントムⅡを第四次中東戦争において多く損失したイスラエル空軍は、1970年代後半、A/B型、C/D型あわせて111機のF-15を導入しました。

1977年6月、イスラエル支配下にあるパレスチナの開放を目的としたパレスチナ解放機構(PLO)がレバノン南部に置いたキャンプを攻撃するため、F-15が出撃し、その途中シリア空軍のMiG-21と交戦となり4機を撃墜しました。これがF-15最初の実戦となりました。

イスラエル空軍はまた、1982年のレバノン侵攻作戦でも数十機もの敵機を撃墜し、損失ゼロとなっています。

砂漠の嵐作戦に参加し、クウェート上空を飛ぶF-15C(先頭の3機)。編隊両端の2機はF-16A。PHOTO USAF
砂漠の嵐作戦に参加し、クウェート上空を飛ぶF-15C(先頭の3機)。編隊両端の2機はF-16A。PHOTO USAF

開発までの経緯

意外なことに、F-15は1950年台のF-86以来、久しぶりにアメリカ空軍が手にした純血の制空戦闘機です。これには様々な時代背景が絡み合っています。

圧倒的な航空戦力を持って戦勝国となった第2次世界大戦以来、現在に至るまでアメリカが制空権を奪われたことは一度もありません。常に完璧に制空権を確保してきたアメリカが、朝鮮戦争とベトナム戦争の2度だけ制空権を脅かされました。この危機と東西冷戦が20年以上、アメリカを純血の制空戦闘機から遠ざけてきました。

1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では、当初まともな航空戦力を持たない北朝鮮を相手にレシプロ戦闘機が参加できるほど安々と制空権を確保していたアメリカでしたが、ソ連が中国経由で関与するようになると、後退翼を裝備し当時最高の性能を誇ったソ連のMiG-15戦闘機が突如として出現。

レシプロ機は言うの及ばす、アメリカ軍が極東に配備していたジェット戦闘機、F-80シューティングスターF9Fパンサーでも到底MiG-15には太刀打ちできず、一時的とはいえアメリカの制空権は危機に陥ります。この出来事は突如出現したMiG-15に由来することから「ミグショック」と呼ばれ、アメリカの狼狽がみてとれます。

しかし、この危機はMiG-15と同じくドイツの先端技術であった後退翼を裝備したアメリカ空軍の最新鋭機F-86が前年に就役していたため、これを急遽極東に投入し乗り切ります。

機体の運動性能ではMiG-15に若干分があったようですが、射撃管制装置やレーダーの性能、そして第2次世界大戦において鍛えぬかれた歴戦のパイロットたちの優秀な技量により、最終的には7:1という圧倒的なキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)を持って制空権を確保するに至りました。

次の危機はベトナム戦争です。東西冷戦は過熱し、アメリカが凶悪な程に最新鋭機を続々と開発していた50年代があけてすぐ、1960年(昭和35年)12月にベトナム戦争が勃発し、1965年頃から本格的な空戦が起ります。

50年代に急速な進化を続けていたミサイルの影響により、戦闘機の設計思想は「空戦能力軽視」に偏っていました。その結果、純粋な制空戦闘機は造られず、ジェット戦闘機の対地攻撃能力の高さを活かした戦闘爆撃機、それから、ソ連の戦略爆撃機に対抗する意味と自軍の戦略爆撃機の護衛機という役割で、やたらと高速で上昇力の高い迎撃戦闘機という2種類が次々と造られることとなりました。

「高速性能に秀で高性能レーダー及びミサイルが裝備されていれば、レシプロ機のようなドッグファイトなど起きない、遠くからミサイルを発射して、高速でいなくなればよい」というわけです。現代の最新鋭機であれば概ねこれでよいわけですが、まだ早すぎました。

さらに、当時アメリカが最も脅威に感じていた核兵器を搭載するソ連の戦略爆撃機に対処するための高速性と上昇力に優れ、攻撃力が高い迎撃戦闘機の開発は過熱し、最終的にはモックアップ段階で中止になったとはいえXF-103のように、マッハ3.7、上昇限度24,500mという性能が目指されていました。

XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force
XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force

このようにアメリカ空軍が大型、高速、電子裝備てんこ盛りのドッグファイトが苦手な戦闘機ばかり造っていたところに、ベトナム戦争が始まります。最新のレーダーに中距離空対空ミサイルAIM-7スパロー(射程30km)、短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダー(射程5km)などを搭載したアメリカ空軍の戦闘機が堂々と控えていました。

ベトナム戦争ではF-105や、大型重装備のF-4ファントムⅡなどがアメリカ空軍機として参戦します。F-105は爆撃機ではないかといわれるほど爆撃能力の高い戦闘機ですから、当然、ドッグファイトは苦手です。F-4ファントムⅡはアメリカ海軍が開発したものをアメリカ空軍が採用したものです。元々艦載機ですから多目的に造られており、初期型は機関砲を裝備していなかった程ですから、ドッグファイトは想定されていなかったでしょう。

F-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
F-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

アメリカ空軍最大の悲劇は、同士討ちを避けるためにミサイルを発射する際には目視による確認を義務付ける交戦規定が施行されたことです。現在のように統合情報システムによる高度な情報交換ができない状況では、致し方ないことかもしれません。

いかに高速であろうと、優秀なレーダーとミサイルを裝備していようと、目視で敵機であることを確認するとなると、低速で近づかなくてはいけません。結局は昔ながらのドッグファイトが避けられなくなり、大型重装備のアメリカ空軍戦闘機に比べれば軽量で軽快な運動性能だけがとりえともいえるMiG-21などのソ連製戦闘機に大いに苦戦することになります。

結果、キルレシオ(撃墜対被撃墜比率)は1.5:1、2:1と散々な数字となります。高価なアメリカ空軍戦闘機を駆使して1機で安価な敵機を1.5機〜2機しか倒せないのですから。こうして制空権を掌握できない状態で行われた対地攻撃では、常にミグ戦闘機の影に怯え、ミグに遭遇したら、即座に爆弾を捨てて逃げ出すということになってしまいます。

ベトナム戦争に参加したアメリカ軍機の中で最も高い8:1というキルレシオを残したのは、「最後のガンファイター」といわれ、軽快な運動性能と20mm機関砲4門を備えたアメリカ海軍のF-8クルーセイダーでした。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

最強の制空戦闘機

アメリカ空軍はベトナム戦争の反省から、いついかなる状況であっても敵戦闘機を撃墜し制空権を確保する戦闘機の開発を始めます。これこそF-15であり「航空優勢戦闘機(Air Superiority Fighter)」というキャッチフレーズがつけられました。

沖縄の嘉手納をベースとする第44戦闘飛行隊のF-15。PHOTO USAF
沖縄の嘉手納をベースとする第44戦闘飛行隊のF-15。PHOTO USAF

空中戦訓練中のF-15E。PHOTO USAF
空中戦訓練中のF-15E。PHOTO USAF

同時期にアメリカ海軍もまた、いかなる敵機からも艦隊を守る最強の艦隊防空戦闘機を目指し、F-14トムキャットの開発を始めていました。アメリカ議会はコスト削減のため両者の統一を求めますがアメリカ空軍は強硬に反対し、F-15の単独開発を続けます。性能的な理由ももちろんあるでしょうが、F-4ファントムⅡに続けてまた海軍の戦闘機を採用ということは、メンツが許さなかったのではないでしょうか。

各社の中からマクドネルダグラス社案に決まり、開発が始まります。1972年(昭和47年)7月27日に初飛行し、試験は続けられました。試験結果はアメリカ空軍の要求をクリアしており、順調に開発が進みます。

プラット&ホイットニー社製F100-PW-221(8,090kg/AB10,640kg)という大出力エンジンを2基搭載し、最高速度はマッハ2.3を発揮。クロースカップルドデルタの大きな主翼と12,970kgに抑えらた重量は、エンジンの大出力と相まって高い機動性をもたらしています。

比較的余裕のある機体構成から、電子機器などのアップデートがしやすく、1972年(昭和47年)の初飛行から現在に至るまで1機も撃墜されることなく、運用され続けています。

F-15E。PHOTO USAF
F-15E。PHOTO USAF

ステルス能力を付与したF-15SEサイレントイーグル。PHOTO Boeing
ステルス能力を付与したF-15SEサイレントイーグル。PHOTO Boeing
運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
イスラエル空軍
サウジアラビア空軍
主要なバリエーションYF-15A 最初に製造された2機。後F-15Aに含まれる
F-15A 最初の量産型。384機製造
TF-15A 複座型。後F-15Bに含まれる
F-15B 戦闘能力を持つ複座型。61機製造
F-15C 単座の量産型。構造強化などの改修。483機製造。55機はサウジアラビア、18機はイスラエル向け
F-15D 戦闘能力を持つ複座型。93機製造
F-15E F-111の後継となった複座の長距離阻止攻撃機。レーダー、エンジン、夜間航法照準システムなどを搭載
F-15J C型を基体とした航空自衛隊向け。三菱重工がライセンス生産。139機製造
F-15DJ F-15Dの航空自衛隊向け
F-15FX 航空自衛隊次期戦闘機 (F-X)向けの機体。最新の電子機器(アビオニクス)を搭載
F-15SE ステルス性を加える改修が施されたF-15E。機体軽量化、電子機器(アビオニクス)の更新
生産数1,198
スペック型式F-15C
全 幅13.05m
全 長19.43m
全 高5.63m
翼面積56.5㎡
自 重12,700kg
総重量/最大離陸重量20,200kg
発動機F100-PW-220(8,090kg/AB 10,640kg)×2
最大速度2,665km/h+
実用上昇限度20,000m
戦闘行動半径1,967km
航続距離5,550km
乗 員1名
初飛行1972年7月27日
就 役1974年11月
退 役-
兵 装

マクドネルF-110スペクター

McDonnell F-110 Spector
マクドネルF-110スペクターMcDonnell F-110 Spector

F-4ファントムⅡの空軍型

アメリカ空・海軍双方に大量採用された初めての例

※文頭写真:アメリカ海軍のF-4ファントムⅡはその優秀さ故に、メンツを超えてアメリカ空軍にも採用され、F-110スペクターとなりました。PHOTO USAF

マクドネルF-110スペクターは、アメリカのマクドネル社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。
F-110はF-4ファントムⅡの別名。F-4ファントムⅡは船の上(航空母艦)という制約からジェット戦闘機開発に苦しんできたアメリカ海軍が、苦難の末に手にした傑作艦上戦闘機です。初飛行は1958年(昭和33年)5月27日、1960年(昭和35年)から就役し1996年(平成8年)まで活躍しています。

1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF

1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF

アメリカの空軍と海軍は、ご多分に漏れずメンツをかけて何かにつけて競い合ってきました。その空軍が、花形の戦闘機採用において海軍の開発した艦上戦闘機を大量に採用するなどということは、前代未聞でした。それほどにF-4ファントムⅡは高性能であったわけですが、理由はそれだけではありません。ロバート・マクナマラという国防長官の存在が大きな要因を占めています。

ロバート・マクナマラはハーバード出身でアメリカ陸軍航空軍の統計管理局で活躍し、戦後はフォード一族以外では初めてフォードの社長となり、1960年にジョン・F・ケネディが大統領選に勝利すると国防長官として白羽の矢が立ちます。

システム分析や統計学を駆使するマクナマラは、それまで空軍・海軍それぞれが独自に行っていた戦闘機開発を統合を企図し、その手始めとして開発中であったハイコストのF-106デルタダートの代わりに、海軍が開発していたF-4ファントムⅡを採用させようとします。

1961年(昭和36年)、空軍が開発していたF-106F-4の飛行試験が行われます。速度、上昇限度、航続距離、レーダー性能、爆撃能力、整備性など多くの面でF-4F-106を上回りますが、最新鋭のハイテク防空システム、半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)の装置が搭載できないということで、F-106の生産は続行されます。

1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF
1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

しかし、アメリカ空軍がF-106に続く次期戦闘機として開発していたF-111アードバーグの開発が遅れており、その穴埋めとしてF-4が採用されることとなり、名称を空軍名F-110スペクターに変更しました。その後1962年(昭和37年)にアメリカ三軍の呼称統一が施行され、F-110スペクターから再びF-4CファントムⅡに変更されました。

空軍型F-4シリーズの決定版ともいえるF-4E型は1967年(昭和42年)6月30日に初飛行、各国へと供与され1,389機が生産されました。マクドネル社は、艦載機として開発したF-4ファントムⅡが空軍機として採用されたことで、より生産数を伸ばし西側戦闘機としては史上最多の5,000機以上が生産されました。

最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF
最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF

F-4Eは1966年(昭和41年)、日本の第2次F-X(主力戦闘機)選定によりF-86Fの後継として選ばれました。日本の航空自衛隊向けF-4EはF-4EJとして154機が調達され、そのうちのほとんどがライセンス生産されました。そして1980年(昭和55年)にF-15Jが採用されるまで日本防空の主軸を担いました。F-15Jに主役の座を譲ってからも現役にとどまり、平成28年(2016年)のいまも活躍し続けています。

航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊

運用者アメリカ空軍
McDonnell F-4 PhantomⅡの項参照
主要なバリエーションF-4C 海軍のF-4Bを空軍用に改修。空軍F-4最初の量産機
EF-4C 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
RF-4C 写真偵察機
F-4D C型の改良型
EF-4D D型を改装した敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
F-4E 空軍型F-4の決定版。1,389機製造
RF-4E 偵察機
F-4G 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
生産数5,195
スペック型式F-4E
全 幅11.71m
全 長19.20m
全 高5.02m
翼面積49.2㎡
自 重13,757kg
総重量/最大離陸重量27,970kg
発動機J79-GE-17A(5,356kg/AB 8,119kg)×2
最大速度2,370km/h
実用上昇限度18,975m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日/1963年5月(F-110)
就 役1963年11月
退 役1996年4月
兵 装

ボーイングF/A-18スーパーホーネット

Boeing F/A-18 Super Hornet
ボーイングF/A-18スーパーホーネットBoeing F/A-18 Super Hornet

優れた多用途戦闘機

アメリカ海軍の艦上を占拠するスズメバチ

※文頭写真:アメリカ海軍空母カール・ビンソンから出撃するF/A-18スーパーホーネット。PHOTO USNAVY

ボーイング(マクドネル・ダグラス)F/A-18E/Fスーパーホーネットは、アメリカ海軍の艦上戦闘機です。1978年に初飛行し、1983年より部隊配備されたF/A-18A〜Dホーネットの発展型として1988年より開発されました。Eは単座型、Fは複座型です。

F/A-18Fスーパーホーネット。PHOTO Boeing
F/A-18Fスーパーホーネット。PHOTO Boeing

空対空、空対地、空中給油と多目的に活躍し、低い故障発生率、優れた整備の容易性をも兼ね備えた高性能機です。F-35配備前の現在、アメリカ海軍空母の艦上はF/A-18ホーネット/スーパーホーネットが占拠しているといった様相です。

F/A-18スパーホーネットの下面。高い多用途性を担保する優れた兵装搭載量を誇ります。PHOTO Boeing
F/A-18スパーホーネットの下面。高い多用途性を担保する優れた兵装搭載量を誇ります。PHOTO Boeing

開発の経緯などは「F/A-18A〜Dホーネットの項」をご覧ください。

1988年からマクドネル・ダグラス社はF/A-18ホーネットを大幅に改良したホーネット2000という機種を計画し営業活動を行います。

1992年、アメリカ海軍はホーネット2000をF/A-18E/Fスーパーホーネットとして採用、1995年には初飛行を行います。F/A-18ホーネットに比べて大きさ・重量・翼面積・燃料搭載量は25%〜30%増加し、エンジン推力は7,300kgから9,980kgに強化、飛行性能は向上し、より多くの兵装を搭載することが可能となりました。

F/A-18スーパーホーネットの電子戦機型、EA-18Gグロウラー。PHOTO Boeing
F/A-18スーパーホーネットの電子戦機型、EA-18Gグロウラー。PHOTO Boeing

F/A-18スーパーホーネットのコクピット。電子化が進んでいます。
F/A-18スーパーホーネットのコクピット。電子化が進んでいます。

F/A-18A〜DとE/Fを外見上すぐに判別できる点は、E/Fは機体が大きいこと、コクピット後部両側から張り出したエラのような部分が大きいこと、空気取入口(インテーク)が円形から角ばった形になっていることなどです。

アメリカ海軍空母エンターブライズの格納庫に収容されるホーネット。右がスーパーホーネット、左がホーネット。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母エンターブライズの格納庫に収容されるホーネット。右がスーパーホーネット、左がホーネット。PHOTO USNAVY

運用者アメリカ海軍
オーストラリア空軍
主要なバリエーションF/A-18E 単座量産型
F/A-18F 複座量産型
EA-18G 複座の電子戦機
生産数500
スペック型式-
全 幅13.68m
全 長18.5m
全 高4.87m
翼面積46.45㎡
自 重14,007kg
総重量/最大離陸重量29,932kg
発動機F414-GE-400(6,350kg/AB 10,000kg)×2
最大速度2,205km/h
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径910km
航続距離3,705km
乗 員1名
初飛行1995年11月29日
就 役1999年1月
退 役-
兵 装

ボーイングF/A-18ホーネット

Boeing F/A-18 Hornet
ボーイングF/A-18ホーネットBoeing F/A-18 Hornet

どこか地味な傑作機

高い多目的性を有し、運用しやすい

※文頭写真:アメリカ海軍原子力空母ニミッツに着艦する、海兵隊のF/A-18Aホーネット。PHOTO USNAVY

ボーイング(マクドネル・ダグラス)F/A-18ホーネットは、アメリカ海軍の艦上戦闘機です。1978年に初飛行し、1983年より部隊配備されています。F/A-18A〜Dをホーネット、大きく改修された発展型のF/A-18E/Fをスーパーホーネットと呼びます。空対空、対地攻撃双方の任務をこなす戦闘攻撃機であり多用途性、費用対効果の高さなどから約1,500機が生産され、F-35配備前の現在、アメリカ海軍空母艦上のほとんどを占めています。

アメリカ海軍空母ロナルド・レーガン艦上で離艦準備をするF/A-18ホーネット。2011年(平成23年)2月27日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母ロナルド・レーガン艦上で離艦準備をするF/A-18ホーネット。2011年(平成23年)2月27日。PHOTO USNAVY

本機は現在も運用されベストセラーとなったアメリカ空軍のF-16採用にあたって提案された2案のうちの一つです。アメリカ空軍は大型のF-15が高価となり維持費もかさむことから、軽量で比較的安価な空戦戦闘機とあわせて運用するハイローミックスという運用構想を推進すべく開発を進め、ジェネラル・ダイナミクスYF-16とノースロップYF-17のうちからYF-16を選び、F-16ファイティングファルコンとして採用しました。

この時、F-16と争ったノースロップYF-17は飛行性能や先端技術の導入、コスト面で劣っていたためアメリカ空軍には採用されませんでしたが、ちょうどF-4ファントムⅡやA-7コルセアの代替となる戦闘攻撃機を求めていたアメリカ海軍に対し、議会から先述の空軍コンペの2機種のうちから選ぶよう決定が下されたのでした。

YF-16(後のF-16)と米空軍のトライアルを受けたYF-17(後のF/A-18)。写真:USAF
YF-16(後のF-16)と米空軍のトライアルを受けたYF-17(後のF/A-18)。写真:USAF

そこで、海軍は、優れた低速性能、双発エンジン、余裕のある機体サイズなどを評価してYF-17を選びます。マクドネル・ダグラスはYF-17を海軍の仕様にあわせて大型化し、エンジンも改修、電子機器も更新するなど高性能化し、艦上機としての装備を追加してF/A-18ホーネットとして提案し1976年に制式に契約を交わします。

2010年(平成22年)環太平洋合同演習(RIMPAC)におけるF/A-18ホーネット。2010年7月20日。PHOTO USAF
2010年(平成22年)環太平洋合同演習(RIMPAC)におけるF/A-18ホーネット。2010年7月20日。PHOTO USAF

F/A-18は特に攻撃機A-6Eイントルーダーを代替するものとして企図されましたが、冷戦終結後に起こった軍事予算削減の流れがローコストで多用途に運用できるF/A-18にとって追い風となりました。中でも高額の取得・維持費用がかかるF-14は真っ先に削減の対象となります。

エンジン強化型のF-14B。主翼を68度の最後退翼位置にして飛行中。1993年(平成5年)。PHOTO USNAVY
エンジン強化型のF-14B。主翼を68度の最後退翼位置にして飛行中。1993年(平成5年)。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍としては予算があれば、最強の艦隊防空(FAD)戦闘機F-14を充分な数揃えたかったと思います。F/A-18も優れた性能とコストパフォーマンスを誇る戦闘機ですが、空対空の制空戦闘や艦隊防空(FAD)においてはF-14に劣っていたからです。

フルアフターバーナーで離艦するVFA34飛行隊ブルーバスターズのF/A-18Cホーネット。2011年(平成23年)3月18日。PHOTO USNAVY
フルアフターバーナーで離艦するVFA34飛行隊ブルーバスターズのF/A-18Cホーネット。2011年(平成23年)3月18日。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍空母カール・ビンソン艦上のF/A-18(右)。左は発展型のF/A-18スーパーホーネット。2011(平成23年)1月15日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母カール・ビンソン艦上のF/A-18(右)。左は発展型のF/A-18スーパーホーネット。2011(平成23年)1月15日。PHOTO USNAVY

当時アメリカ海軍は艦上戦闘機として戦闘攻撃機F-8クルーセイダー(1955-1987)、戦闘攻撃機F-4ファントムⅡ(1958-1992)、攻撃機A-6Eイントルーダー(1963-1997)、要撃戦闘機F-14トムキャット(1970-2006)などを配備していました。

1987年にF-8、1992年にF-4、1997年にA-6Eが退役し、これらが担っていた任務はF/A-18が代替することとなり、徐々にF-14部隊もF/A-18へと代替されていきました。2006年にF-14が退役してからは、アメリカ海軍航空母艦の艦上はF/A-18に占拠されているといった様相です。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

F-4ファントムⅡの魅力的な様子が感じられる角度からの写真。アメリカ海軍予備役飛行隊のひとつ、ミラマーに本拠地を置くVF-301飛行隊所属機。PHOTO USNAVY
F-4ファントムⅡの魅力的な様子が感じられる角度からの写真。アメリカ海軍予備役飛行隊のひとつ、ミラマーに本拠地を置くVF-301飛行隊所属機。PHOTO USNAVY

なぜF/A-18はこれほどのシェアを獲得したのでしょうか。F/A-18は1978年から試作機によってテストが開始されましたが、旋回性能、離陸重量(兵器搭載量)、戦闘行動半径、航続力、加速力など多くの項目で海軍の要求値を下回るという受難のスタートでした。

アメリカ海軍空母カール・ビンソン艦上のF/A-18(右)。左は発展型のF/A-18スーパーホーネット。2011(平成23年)1月15日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母カール・ビンソン艦上のF/A-18(右)。左は発展型のF/A-18スーパーホーネット。2011(平成23年)1月15日。PHOTO USNAVY

マクドネル・ダグラス社とアメリカ海軍はこれらの問題を粘り強く解決し、当初アメリカ海軍が要求した通りの高性能な戦闘攻撃機となっていきます。F/A-18の前任攻撃機、A-6EやA-7Eに比べて格段に高性能となっており、爆弾やミサイル、増槽を積んだ状態でも敵戦闘機と空中戦が戦えるほどの多用途性を有していました。また、整備性がとてもよく、1飛行時間あたりの整備に要する時間(マンアワー)はF-14F-4の約半分、故障発発生間隔は132分時間とされており、F-14AやA-7の35〜40分程度と比べても突出して優秀です。

F/A-18はアメリカ海軍の曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機ともなっています。PHOTO USNAVY
F/A-18はアメリカ海軍の曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機ともなっています。PHOTO USNAVY

整備性が高く故障率が低いということは、稼働率が高くなり同じ機数ならばより多くの任務をこなせるということになります。飛行場で運用する陸上戦闘機はもちろん、空母という限られたスペースの中で運用する艦上戦闘機にとってはより重要な項目です。

アメリカ海軍空母エイブラハム・リンカーンの格納庫において、F/A-18のコクピットに防塵メンテナンスを施すメカニック。2010年(平成22年)10月13日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母エイブラハム・リンカーンの格納庫において、F/A-18のコクピットに防塵メンテナンスを施すメカニック。2010年(平成22年)10月13日。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍空母カール・ビンソンの格納庫においてF104-GE-400エンジンの整備をうけるF/A-18ホーネット。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母カール・ビンソンの格納庫においてF104-GE-400エンジンの整備をうけるF/A-18ホーネット。PHOTO USNAVY

有体にいって、F/A-18は一般的には戦闘機として地味な印象があるものの使いやすい戦闘機として傑作でした。さらに1988年からマクドネル・ダグラス社はF/A-18ホーネットを大幅に改良したホーネット2000という機種を計画し営業活動を行います。

F/A-18はアメリカ海軍の曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機ともなっています。PHOTO USNAVY
F/A-18はアメリカ海軍の曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機ともなっています。PHOTO USNAVY

こちらはF/A-18E/Fスーパーホーネットの項に続きますのでそちらをご覧ください。

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
オーストラリア空軍
カナダ空軍
フィンランド空軍
クウェート空軍
マレーシア空軍
スイス空軍
スペイン空軍
主要なバリエーションF/A-18A 単座型最初の量産型
F/A-18B 複座型最初の量産型
F/A-18A+/B+ アビオニクス(電子機器)換装型
F/A-18C/D A/Bの改良型
F/A-18C/D Night Attack
F/A-18E/F C/Dの新規改良型。スーパーホーネットの項を参照
生産数1,480
スペック型式-
全 幅11.43m
全 長17.07m
全 高4.66m
翼面積37.16㎡
自 重10,460kg
総重量/最大離陸重量19,960kg
発動機F404-GE-402(4,420kg/AB 7,330kg)
最大速度2,205km/h
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径800km
航続距離3,700km
乗 員1名
初飛行1978年11月18日
就 役1980年11月
退 役-
兵 装

グラマンF-14トムキャット

Grumman F-14 Tomcat
グラマンF-14トムキャットGrumman F-14 Tomcat

最強の艦隊防空戦闘機

映画トップガンの戦闘機

※文頭写真:USNAVY

グラマンF-14トムキャット(1970-2006)は、アメリカが開発し冷戦の激化する1970年代に登場した最強の艦隊防空戦闘機です。映画『TOPGUN』でみせた「かっこいい戦闘機」というイメージは強烈な影響を与えました。

第2次世界大戦が終わり、アメリカは西の盟主として覇権を獲得していました。特に空母を中心とする強力な洋上戦闘力は他国に類のないものでした。1955年には世界初の超大型航空母艦(スーパー・キャリアー)である排水量60,000トンのフォレスタル級が就役し、1961年には世界初の原子力空母エンタープライズ(75,700トン)が就役しており、たとえばエンタープライズでは一隻に約5,000名の乗組員が搭乗し、84機もの艦上機を運用できました。

戦闘と世界の覇権を争う一方の雄、東の盟主ソ連は1950年代から数年に一度のペースでモスクワ近郊において航空ショーを実施し、ここには西側を牽制するかのようにいくつもの新鋭戦闘機や爆撃機などが華々しく登場しました。アメリカの保有する強力な洋上戦力に対して長距離爆撃機や長距離空対艦ミサイルの開発を進めていることは明白でした。

これらの脅威に対して、アメリカ海軍は自らの生命線ともいえる空母艦隊を守る守護神たるFAD(Fleet Air defense=艦隊防空)戦闘機を艦上に配備する必要に迫られていました。

フルアフターバーナーで離艦しようとするF-14。エンジンや電子機器などを強化したF-14D。2001年(平成13年)7月28日。PHOTO USNAVY
フルアフターバーナーで離艦しようとするF-14。エンジンや電子機器などを強化したF-14D。2001年(平成13年)7月28日。PHOTO USNAVY

音速の壁を超えるF-14。PHOTO USNAVY
音速の壁を超えるF-14。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍は1957年にF-8クルーセイダー、1961年にF-4ファイントムⅡという高性能艦上戦闘機を配備してはいましたが、ソ連も急速に新型戦闘機を開発しており、あらゆる艦隊防空を一手に担う新型艦上戦闘機の配備は喫緊の課題となっていました。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

そんな状況の中、アメリカ海軍の進めていた新型機開発計画であるFAD(Fleet Air Defence )戦闘機計画が国防長官ロバート・マクナマラにより空軍のTFX(Tactical Fighter Experimental)に統合されてしまい、結局この計画によりうみだされたF-111Bは不採用となり、結果的に海軍の新型艦上戦闘機計画には遅れが生じていました。

アメリカ海軍空母CVA-43コーラル・シー艦上で試験中のF-111B。1968年7月。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母CVA-43コーラル・シー艦上で試験中のF-111B。1968年7月。PHOTO USNAVY

国防長官と空軍に押し付けられた統合機計画を都合よく回避できた海軍は早速、本来の艦隊防空戦闘機開発に着手します。1968年には各メーカーに対してアメリカ海軍は要求仕様を提示します。その内容は以下のようでした。

タンデム(直列)複座形式、TF30エンジン双発、AIM-54フェニックスまたはAIM-7スパロー6発、AIM-9サイドワインダー4発、20mmバルカン砲搭載、ミサイル搭載時の荷重制限がF-4ファントム2を上回ることなどが含まれていました。

1950年代のミサイル万能論による高性能なミサイルへの依存から昔ながらのドッグファイトを軽視し、F-4ファントムⅡなどは機関砲を装備から外してしまいました。

その結果、1960年に勃発したベトナム戦争において旧式のMiG-17やMiG-19やMiG-21などの高価な最新鋭ミサイルなどは装備せず軽快な飛行性能で勝負する北側の戦闘機に思わぬ苦戦を強いられることになりました。これらの北側戦闘機に対してアメリカの最新鋭戦闘機は2:1という撃墜:被撃墜比率となってしまいました。

大量の資金で開発した最新鋭の大型機を自信満々で参戦させ、2機撃墜するのに1機の損失を出していては話になりません。いくら最新鋭のミサイルを積んでいても当時のミサイル技術では最終的に敵の背後に回らずを得ず、低速での近距離格闘戦ではアメリカが軽視していた軽快な運動性能が問われることとなりました。

この反省から、F-14トムキャットの開発にあたっては当初から、ソ連の長距離爆撃機+長距離空対艦ミサイルへの対応と同時に、近距離の格闘戦をも制することのできる艦上戦闘機が企図されました。

高速、長距離ミサイル、低速、近距離格闘戦、艦上運用という難題をクリアすべく考えらたのが可変翼(VG翼)でした。開発メーカーは名門グラマン社に決まり、試作機が発注されました。試作機は1970年12月に完成し初飛行、1972年10月にはわずか2年足らずという驚くような速度で量産・部隊配備が始まりました。

F-14トムキャット最大の特長である可変翼(VG翼)は、これまでのものとは異なり、飛行データに基いて自動的に最適な後退角にセットされるものでした。これにより低速の戦闘や空母への着艦からマッハ2にもなる高速飛行や急旋回においても常に高い機動性を確保していました。

湾岸戦争中のオペレーションデザートストーム作戦において戦闘軽快警備するF-14A。戦時らしく、胴体下に中距離空対空ミサイルAIM-7スパローを4発、主翼付け根あたり(グラブ)に短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダーを4発搭載しています。1991年(平成3年)2月26日。PHOTO DoD
湾岸戦争中のオペレーションデザートストーム作戦において戦闘軽快警備するF-14A。戦時らしく、胴体下に中距離空対空ミサイルAIM-7スパローを4発、主翼付け根あたり(グラブ)に短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダーを4発搭載しています。1991年(平成3年)2月26日。PHOTO DoD

もう一つの大きな特長は当時世界最強であった射撃管制システム(FCS)です。F-14トムキャットに搭載されたヒューズ社のAN/APG-9レーダーは、探知距離200kmを誇り、同時に24もの目標を追尾でき、射程距離210km超の長距離空対空ミサイルAIM-54フェニックスを6発同時に個別誘導できるものでした。

こうした最新技術を詰め込んだ最強の艦隊防空戦闘機、F-14は東西冷戦の空を制し続けましたが、冷戦が終わり軍事費削減の流れが起こると、高価な維持費が問題となり、2006年最後の部隊から退役、艦上から姿を消しました。

横須賀を母港とするアメリカ海軍原子力空母ジョージ・ワシントン上空を飛ぶF-14B。1992年(平成4年)正月。PHOTO DoD
横須賀を母港とするアメリカ海軍原子力空母ジョージ・ワシントン上空を飛ぶF-14B。1992年(平成4年)正月。PHOTO DoD

アメリカ海軍空母エンタープライズ(CVN65)艦上のF-14。アフガニスタンにおける不朽の自由作戦に参加中です。艦上のF-14はVF-14及びVF-41飛行隊所属機ですが、どちらもこの作戦の後まもなくしてF/A-18ホーネットに改編されました。2001年(平成13年)11月9日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母エンタープライズ(CVN65)艦上のF-14。アフガニスタンにおける不朽の自由作戦に参加中です。艦上のF-14はVF-14及びVF-41飛行隊所属機ですが、どちらもこの作戦の後まもなくしてF/A-18ホーネットに改編されました。2001年(平成13年)11月9日。PHOTO USNAVY
運用者アメリカ海軍
イラン空軍
主要なバリエーション-
生産数712
スペック型式-
全 幅10.15m(19.54m)
全 長19.1m
全 高9.88m
翼面積52.49㎡
自 重18,110kg
総重量/最大離陸重量33,720kg
発動機TF30-P-414A×2(5,600kg/AB9,480kg)
最大速度2,866km/h
実用上昇限度18,300m
戦闘行動半径1,167km
航続距離3,220km
乗 員2名
初飛行1970年12月21日
就 役1972年10月
退 役2006年9月
兵 装

マクドネルF-4ファントムⅡ

McDonnell F-4 PhantomⅡ
マクドネルF-4ファントムⅡMcDonnell F-4 PhantomⅡ

真打、登場

艦上機にして最強の多用途戦闘機

※文頭写真:USNAVY

米海軍のマクドネルF-4ファントムⅡ(1958-)は、約5,200機が生産された最強の多用途戦闘機です。大きな機体に強力なエンジンを2発載せ、艦上戦闘機でありながら当時米空軍が保有していた高性能戦闘機群(センチュリーシリーズ)各機体の得意分野を、F-4一機で上回ってしまう程に優秀な戦闘機でした。

艦上戦闘機というのは航空母艦において運用されますから、広い飛行場・基地で運用される空軍の陸上戦闘機に比べて数多くの制約を課せられます。このことから、第2次世界大戦末期から始まったジェット戦闘機の開発において米海軍は後塵を拝していました。

米海軍は、1955年に初飛行した傑作機、チャンス・ボートF-8クルーセイダーにおいてようやく空軍機に劣らない戦闘機を艦上に配備することができました。その3年後1958年に本機F-4ファントムⅡが初飛行し、その高性能ぶりから今度は逆に米空軍が米海軍の開発したF-4を採用します。米海軍はさぞ晴れやかな気分だったことでしょう。

1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

米海軍がF-8、F-4と立て続けに傑作艦上戦闘機をうみだしていたこの時期、米海軍の航空母艦が大きな進歩を遂げていました。1955年、第2次世界大戦中に建造された排水量約30,000トンのエセックス級航空母艦にかわり、米海軍待望の超大型航空母艦、フォレスタル級が就役します。F-8はエセックス級でも運用可能でしたが、F-4はエセックス級では運用できませんでした。

この角度もファントムⅡはいい。名前といい形といいたまらない人にはたまらない、F-4ファントムⅡです。PHOTO USNAVY
この角度もファントムⅡはいい。名前といい形といいたまらない人にはたまらない、F-4ファントムⅡです。PHOTO USNAVY

フォレスタル級は、乗員約4,300名、60,000トンもの基準排水量を持ち、斜め着艦用飛行甲板(アングルド・デッキ)を採用、72機の艦上戦闘機を収容することができました。さらに、1954年以降は戦後就役したミッドウェイ級もアングルド・デッキ化されます。

アメリカの旗艦とも呼ばれたアメリカ海軍空母、USSコンステレーション艦上のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
アメリカの旗艦とも呼ばれたアメリカ海軍空母、USSコンステレーション艦上のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

航空母艦と艦上戦闘機は共に進化するものです。登場した当時、見る者を驚かせたという大型艦上戦闘機F-4はこれら航空母艦の進化に歩を合わせるように誕生した傑作艦上戦闘機でした。

アメリカ海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスのF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスのF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

防空能力においてはすでに運用されていた高性能機F-8クルーセイダーとF-4は同等でしたが、F-4は加えて対地攻撃にも秀でていました。F-8の離陸最大重量は13,000kgですが、F-4のそれは26,760kgもあります。それだけ多くの兵装を搭載することができるわけですから、艦上戦闘機において特に要求される多用途性が高まります。

アメリカのスミソニアン博物館に展示されるアメリカ海兵隊のF-PHOTO SMITHSONIAN NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM
アメリカのスミソニアン博物館に展示されるアメリカ海兵隊のF-PHOTO SMITHSONIAN NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM

速度記録、上昇記録など各種の世界記録を次々に更新したF-4の飛行性能は文句なく世界一であり、イギリス空軍が1964年に採用したのを始め、日本、スペイン、トルコ、エジプト、ギリシャなど各国に採用され、5,000機を超えるベストセラーとなりました。

アメリカ空軍のF-15と飛ぶ航空自衛隊のF-4EJ。1983年(昭和58年)夏の日米合同演習コープノース中の写真。PHOTO DoD
アメリカ空軍のF-15と飛ぶ航空自衛隊のF-4EJ。1983年(昭和58年)夏の日米合同演習コープノース中の写真。PHOTO DoD

世界を驚かせた高性能多用途艦上戦闘機、マクドネルF-4ファントムⅡは初飛行から半世紀以上を経たいまでも、数々の改修を受け世界の空を飛び回っています。

運用者アメリカ海軍
アメリカ空軍
アメリカ海兵隊
航空自衛隊
オーストラリア空軍
エジプト空軍
ドイツ空軍
イラン空軍
イスラエル空軍
スペイン空軍
トルコ空軍
イギリス空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF4H-1 試作機。2機製造
F4H-1F 追加の試作機。45機製造。後にF-4B
F4H-1 最初の量産型
F-4G アメリカ空軍の要求による敵防空網制圧機(SEAD/ワイルド・ヴィーゼル)。12機製造
YF-4G F-4Jの試作機
F-4J 海軍2次量産型。512機製造。ルックダウン能力などを加えた
F-4N F-4Bの改修機。227機改修
F-4S F-4Jの近代化改修型。構造強化
F-100A F-4Cの当初名
F-4C 空軍向け改修型。複操縦装置追加など
F-4D 空軍向けF-4Cの改修型。レーダー関連の性能向上など
EF-4D F-4Dを改修した防空網制圧機の試作型
F-4E F-4D改修型。エンジン換装、バルカン砲装備など
F-4G 空軍の敵防空網制圧機(SEAD)。F-4Eを改修
RF-4B 偵察機型。米海兵隊向けに46機が製造
RF-4C 偵察機型
RF-4E 偵察機型
F-4VG 可変翼改修型。計画のみ
生産数5,195
スペック型式-
全 幅11.7m
全 長17.78m
全 高4.95m
翼面積49.23㎡
自 重13,960kg
総重量/最大離陸重量26,760kg
発動機GE J79-GE-8B/8C/10×2(5,380kg/AB 8,120kg)
最大速度2,550km/h
実用上昇限度21,340m
戦闘行動半径960km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日
就 役1960年12月
退 役1992年1月
兵 装

ダグラスXF5Dスカイランサー

Douglas XF5D Skylancer
ダグラスXF5DスカイランサーDouglas XF5D Skylancer

F4Dの発展形

F-8が優秀すぎて採用されず

※文頭写真:USNAVY

米海軍初の実用超音速艦上戦闘機としてまずまずの成功を収めたダグラスF4Dスカイレイの発展型がダグラスXF5Dスカイランサーです。名称にXが残っているとおり、試作機のみで採用・配備されずにキャンセルされています。

F4Dは優秀な高速性能を有していたものの、全天候性に欠けていました。ダグラス社はF4Dに強力なレーダーとエリアルール(音速付近での飛行を安定させる設計手法。胴体をくびれさせる)をとりいれた発展型を米海軍に提案し、試作機と先行量産型19機の発注を得ました。

ダグラスF5Dスカイランサー。PHOTO USNAVY
ダグラスF5Dスカイランサー。PHOTO USNAVY

他にも尾翼の大型化、機体の大型化に伴う燃料搭載量の増大、AIM-7スパロー中距離空対空ミサイル運用能力の付与、電子機器の更新などにより、F5Dは飛行性能・戦闘能力ともに向上していました。

なかなかの高性能機ではありましたが、F-8クルーセイダーがあまりに高性能だったため、試作機2機と先行量産型2機が完成した時点で計画は中止となります。その後機体はNASAに送られ試験機となりました。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅10.2m
全 長16.4m
全 高4.5m
翼面積52㎡
自 重7,912kg
総重量/最大離陸重量12,733kg
発動機J57-P-8(4,627kg/AB 7258kg)
最大速度1,590km/h
実用上昇限度17,500m
戦闘行動半径2,148km
航続距離2,148km
乗 員1名
初飛行1956年4月21日
就 役-
退 役-
兵 装

マクドネルF3Hデモン

McDonnell F3H Demon
マクドネルF3HデモンMcDonnell F3H Demon

F-4ファントムⅡを予感させる機体

エンジン開発に泣かされる

※文頭写真:開発当初はエンジンの不調に泣かされたものの、最終的には、まずまずの性能を発揮したF3Hデモン。PHOTO USNAVY

F3Hデモンは、後に傑作F-4ファントムⅡをうみだすことになるマクドネル社が開発し、1951年に初飛行した米海軍の艦上戦闘機です。

第2次世界大戦の末期から始まったジェット戦闘機開発は苛烈を極めており、1950年代は米海軍だけでも10機以上が開発され初飛行しています。そして、ジェット戦闘機の黎明期は同じくジェットエンジンの黎明期でもありました。

1956年6月4日、セントルイスを飛行中のF3H-2デモン。PHOTO USNAVY
1956年6月4日、セントルイスを飛行中のF3H-2デモン。PHOTO USNAVY

本機はジェットエンジン黎明期に泣かされた機体です。米海軍は当時として革新的な大推力を持つエンジンとして期待されていたウエスティングハウス社製XJ40-WE-8(3,357kg アフターバーナー時4,944kg)を組み込んだ艦隊防空戦闘機の開発を各メーカーに要求提示しました。

6社の中からマクドネル社の案が選ばれ開発がスタートしました。大きな角度が付けられた後退翼、胴体後部を延長して配された尾翼が特徴的です。全体のスタイルはどことなF-4ファントムⅡに似ています。

1951年8月7日には試作初号機が完成しますが、XJ40-WE-8は間に合わずアフターバーナーのないXJ40-WE-6が搭載されました。このエンジンは推力が期待はずれであり、安定性にも欠けていました。

マクドネル社はGE社のJ47エンジンやアリソン社のJ71エンジンへの変更を米海軍に求めたものの1年もの間拒否され続けます。その後、J71エンジンへの変更が許可されるものの、生産途中の機から許可されます。

1953年になってやっとXJ40-WE-8エンジンを積んだ機体による飛行試験が行われますが、エンジンの不調による事故続発により5機を失い、パイロットも数名が死亡する事態に陥り、1955年7月には飛行停止処分となってしまいます。

その後、問題多発のXJ40-WE-8から開放され、J-71-A-2(4,536kg、アフターバーナー時6,532kg)に換装し、あわせて主翼を拡張した試作機F3H-2Nはやっと合格ラインの結果を出すことができ、1956年から部隊配備を開始、1964年まで運用されました。

運用者アメリカ海軍
主要なバリエーションXF3D 試作機
F3D-1 量産型
F3D-1M 空対空ミサイル(スパローⅠ)搭載
F3D-2 エンジン換装。237機製造
F3D-2M 改修型。空対空ミサイル(スパローⅠ)搭載
F3D-2Q 電子戦機。30機製造
F3D-2T 電子訓練機
F3D-3 計画のみ
生産数519
スペック型式-
全 幅10.76m
全 長17.72m
全 高4.43m
翼面積48.22㎡
自 重9,656kg
総重量/最大離陸重量17,690kg
発動機J71-A-2A(6,532kg)
最大速度1,035km/h
実用上昇限度13,000m
戦闘行動半径1,275km
航続距離1899km
乗 員1名
初飛行1951年8月7日
就 役1956年3月
退 役1956年3月
兵 装

ダグラスF3Dスカイナイト

Douglas F3D Skyknight
ダグラスF3DスカイナイトDouglas F3D Skyknight

米海軍初の全天候型ジェット戦闘機

初の夜間ジェット機空戦における撃墜を記録

※文頭写真:F3D-2スカイナイト。PHOTO USNAVY

ダグラスF3Dスカイナイトはその愛称のとおり、夜間戦闘能力を有した米海軍の全天候型艦上戦闘機です。朝鮮戦争中の1952年、Yak-15と夜間空戦を行ってこれを撃墜。世界初のジェット機同士の空戦における撃墜となりました。

太平洋戦争終戦も近づいてきた1945年、米海軍は夜間戦闘能力を有したジェット戦闘機の艦上配備を目指し各社に対して要求仕様を送り、その中からダグラス社が選ばれXF3D-1として3機が発注されました。

1966年(昭和41年)、ベトナム戦争を戦うF3Dスカイナイト。PHOTO USNAVY
1966年(昭和41年)、ベトナム戦争を戦うF3Dスカイナイト。PHOTO USNAVY

ずんぐりとした胴体に直線翼という形状は、旧式の設計のため飛行性能は芳しいものではなかったものの1948年より生産が開始され、朝鮮戦争の最中にあって本国において試験や訓練が行われました。

1949年からは飛行性能向上、コクピットや電子機器の改良、エンジン換装などが行われたF3D-2が発注されます。さらに主翼を後退翼とし飛行性能の向上を目指したF3D-3も計画されましたが、キャンセルとなりました。

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
主要なバリエーションXF3D 試作機
F3D-1 量産型
F3D-1M 空対空ミサイル搭載型
F3D-2 エンジン換装型。237機製造
F3D-2M 空対空ミサイル搭載型
F3D-2Q 電子戦機
F3D-2T 電子訓練機
F3D-3 計画のみ
生産数265
スペック型式F3D-2
全 幅15.24m
全 長13.84m
全 高4.90m
翼面積37.16㎡
自 重8,980kg
総重量/最大離陸重量13,080kg
発動機J34-WE-36(1,542kg)×2
最大速度852km/h
実用上昇限度13,100m
戦闘行動半径1,140km
航続距離-
乗 員2名
初飛行1948年3月23日
就 役1951年2月
退 役1970年5月
兵 装