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コンベアXF-92A

Convair XF-92A
コンベアXF-92AConvair XF-92A

初のデルタ翼迎撃機

デルタ翼の実証試験機

※文頭写真:デルタ翼を初めて採用した迎撃戦闘機、XF-92A。PHOTO USAF

コンベアXF-92A(1948)は第2次世界大戦終戦直後の1945年9月、アメリカ空軍が要求した2種類の迎撃戦闘機のうちの一つ。もう一つはリパブリックXF-91サンダーセプターです。

アメリカ空軍の要求は、高々度を飛来する爆撃機や偵察機を迎撃する戦闘機として最高速度時速1,126km、高度15,240mまで4分以内に到達する高性能な超音速機でした。この要求に答える形で開発が始まりましたが、途中からデルタ翼の実証試験機に用途変更されました。

当初はXF-91と同様にジェット+ロケットエンジンの混合動力が企図されていましたが、デルタ翼の試験機となりジェットエンジンのみとなりました。三角形のデルタ翼に同じく三角形の尾翼を備えたコンパクトな機体はこれまでの戦闘機とはまったく異なっています。

オハイオ州のアメリカ空軍博物館に保存されているXF-92A。PHOTO USAF
オハイオ州のアメリカ空軍博物館に保存されているXF-92A。PHOTO USAF

デルタ翼とは三角翼ともいわれ、ギリシャ語のΔ(デルタ)に似ていることからデルタ翼といわれます。高亜音速から超音速という高速飛行に向いており、加速性に優れ高速域において高い運動性を発揮します。ダブルデルタ、クリップドデルタなどの派生系があり、現代最新鋭の戦闘機にも発展形が使われています。

XF-92Aは世界初のデルタ翼機として1948年9月に初飛行したものの、音速を超えることができず、飛行性能も期待通りとはいきませんでした。芳しくない試験結果の原因はエンジンの出力不足ともいわれています。

本機の開発にはジェット戦闘機開発の先進国であった敗戦国ドイツのアレキサンダー・マルティン・リピッシュを技術顧問として開発されました。その後もデルタ翼の試験機として使用され、うみだされたデータはこの後のデルタ翼機に活かされています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数1
スペック型式-
全 幅9.55m
全 長12.92m
全 高5.37m
翼面積39.48㎡
自 重4,118kg
総重量/最大離陸重量6,626kg
発動機J33-A-29(3,402kg)×1
最大速度1,160km/h
実用上昇限度15,450m
戦闘行動半径-
航続距離-
乗 員1名
初飛行1948年4月1日
就 役-
退 役-
兵 装

コンベアXP-81

Convair XP-81
コンベアXP-81Convair XP-81

長距離爆撃機を援護する戦闘機

対日戦終結のため採用されず

※文頭写真:USAF

コンベアXP-81(1945年)は、第2次世界大戦において日本本土を爆撃するB-29を援護するために開発されたアメリカ空軍の戦闘機です。アメリカ空軍(陸軍航空隊)にとって戦略爆撃機部隊はとても存在感が強く、空軍が陸軍から独立した際にも爆撃機を運用する戦略航空軍団(SAC)が強い発言力を持っていました。

当時の長距離爆撃機といえば、日本を女子供容赦なくかつ非軍事施設を中心に焼きつくした悪名高いB-29スーパーフォートレスです。普通に言って戦争犯罪です。B-29の航続距離は6,600kmにも及び、空中給油のなかった当時これを援護する戦闘機がありませんでした。

そこでアメリカ陸軍航空隊は第2次世界大戦中に、航続距離2,000km、巡航高度12,000mの戦闘機を開発するようコンベア社に要求していました。コンベア社はこれらの要求に答えるべく、ターボジェットとターボプロップという2つのエンジンを搭載する機体を提案、1944年に試作機XP-81として発注を得ます。

ターボプロップエンジンは、燃焼ガスの力でプロペラを回し、タービンを通過した後に排出される燃焼ガスの力と合わせて推力とするエンジンです。

XP-81は1945年2月17日に初飛行します。テスト中には時速740kmを記録するなどなかなかの高性能を発揮しましたが、半年後の1945年8月に大東亜戦争が終結し採用されることなく終わりました。

その後もターボプロップエンジン開発などのために飛行試験は継続されています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数2
スペック型式-
全 幅13.66m
全 長15.39m
全 高4.26m
翼面積39.48㎡
自 重5,786kg
総重量/最大離陸重量8,850kg
発動機J33-GE-5(1701kg)×1、XT31-GE-1(2,400hp)×1
最大速度816km/h
実用上昇限度10,820m
戦闘行動半径-
航続距離4,000km
乗 員1名
初飛行1945年2月11日
就 役-
退 役-
兵 装

コンベアXFY-1ポゴ

Convair XFY-1 Pogo
コンベアXFY-1ポゴConvair XFY-1 Pogo

艦上垂直離着陸戦闘機

揺れる船の上から垂直離着陸!?

※文頭写真:垂直離陸するXFY-1ポゴ。PHOTO USNAVY

コンベアXFY-1ポゴは米海軍が1954年に開発した垂直離着陸(VTOL)機です。垂直離着陸機というのは、ヘリコプターのように垂直に離陸した後、水平飛行に移行し、着陸時には空中に停止し徐々に降下して着陸することです。

滑走路の確保できない場所においても運用できる画期的な形式として研究開発が進められていました。しかし、加速による揚力の助けも射出装置(カタパルト)の助けもかりずに自らの推力のみで、あの鉄の塊が空中に浮き上がるのですから、その開発は困難を極めました。

垂直離陸から水平飛行に移ったXFY-1ポゴ。PHOTO USNAVY
垂直離陸から水平飛行に移ったXFY-1ポゴ。PHOTO USNAVY

これに成功して世界で初めて運用されたVTOL機は、1960年にイギリスのホーカー・シドレー社が開発したホーカー・シドレー・ハリアーですから、当然コンベアXFY-1ポゴは失敗したということになります。

コンベアXFY-1ポゴの開発が発注されたのは1951年3月31日。出来上がった試作機は、アリソン社のYT40-A-16ターボプロップエンジンを搭載し、二重反転式のプロペラを持ち、デルタ翼に大きな垂直尾翼をつけたずんぐりとしたスタイルにまとめられました。

機首を上に向けた形で機体を立たせた状態から離陸し、水平飛行に移ろうとするもので、テイルシッター型といわれています。試作機は1954年4月に初飛行、11月には水平飛行への移行も行われました。

XFY-1ポゴに乗り込むパイロット。立った状態から離着陸するため、このように梯子を使って搭乗します。PHOTO USNAVY
XFY-1ポゴに乗り込むパイロット。立った状態から離着陸するため、このように梯子を使って搭乗します。PHOTO USNAVY

しかし、その後の飛行試験において、不安定な飛行性能やひどい操縦性、着陸時にパイロットは前が(後ろが)みえないなど問題が頻発。陸上でさえこの有り様であるのに、揺れる艦上では推して知るべしとして計画は中止されます。

当時、ジェット戦闘機はものすごいスピードで進化しており、たとえ垂直離着陸がうまくいったとしてもそれら戦闘機と互角に戦うことは到底不可能だったでしょう。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数1
スペック型式-
全 幅8.43m
全 長10.67m
全 高6.96m
翼面積33㎡
自 重5,330kg
総重量/最大離陸重量7,370kg
発動機YT40-A-16
最大速度982km/h
実用上昇限度13,500m
戦闘行動半径-
航続距離-
乗 員1名
初飛行1954年8月
就 役-
退 役-
兵 装

コンベアXF2Yシーダート

Convair XF2Y Seadart
コンベアXF2YシーダートConvair XF2Y Seadart

超音速水上迎撃戦闘機

水上機唯一の音速突破機

※文頭写真:超音速水上戦闘機という挑戦的な試みであったXF2Yシーダートでしたが、試作に終わりました。PHOTO USNAVY

コンベアXF2Yシーダートは、米海軍が開発、1953年に初飛行させた超音速水上迎撃戦闘機です。Xの文字が示すとおり計画のみに終わったものの、唯一超音速で飛行した水上機です。

空母をいくつも持つ米海軍は、なぜ明らかに開発の困難な水上戦闘機開発に乗り出したのでしょうか?
第2次世界大戦末期から1950年代、対地攻撃を中心にレシプロ機もまだまだ現役でしたが、徐々にジェット戦闘機が艦上を占め始めていました。このままジェット戦闘機の開発が進むと、機体は大きく、重く、速くなっていくことは明白でした。この流れに対して航空母艦を大型化することは困難と考えられた時期に、対策の一手として考えられたのが超音速水上戦闘機計画でした。

1954年(昭和29)年11月4日、カリフォルニアのサンディエゴ湾で試験中のXF2Y-1シーダート。PHOTO USNAVY
1954年(昭和29)年11月4日、カリフォルニアのサンディエゴ湾で試験中のXF2Y-1シーダート。PHOTO USNAVY

米海軍は1948年10月、超音速水上迎撃戦闘機の基本案提出を各社に求め、1951年1月にはコンベア社に対して試作機2機の製作を発注しました。コンベア社はドイツの流体力学者アレクサンダー・リピッシュ博士の協力を仰ぎ、デルタ翼を採用し最大速度マッハ1.4という高性能機計画を提出していました。

1952年試作1号機が完成、1953年には離水テストに成功、1954年8月、緩降下時の音速突破にも成功したものの、11月には空中分解を起こします。1955年に入っても試行錯誤が続いていましたが、同じ時期、空母の歴史上最も革新的な3つの発明がうまれます。

1954年(昭和29)年頃、カリフォルニアのサンディエゴ湾で試験中のXF2Y-1シーダート。PHOTO USNAVY
1954年(昭和29)年頃、カリフォルニアのサンディエゴ湾で試験中のXF2Y-1シーダート。PHOTO USNAVY

それは、蒸気射出装置(スチーム・カタパルト)、アングルド・デッキ、ミラー・ランディング・システムの3つです。特に本編と関係してくるのは前者の2つです。それまでの油圧式よりも格段にパワーアップした「スチーム・カタパルト」と、滑走帯が中心線より左舷側に開いた「アングルド・デッキ」です。

試験中のXF2Yシーダート。PHOTO USNAVY
試験中のXF2Yシーダート。PHOTO USNAVY

これらによりジェット戦闘機の空母運用における将来性が確保されます。さらには、そもそもマッハ1.4という超音速飛行をする水上機の設計や、大きく波打つ外洋での運用が困難であることも明らかになり、量産機は生産されることなく計画は終了しました。

運用者-
主要なバリエーションXF2Y-1 試作機。1機製造
YF2Y-1 試作機。4機製造
F2Y エンジン換装。計画のみ
生産数5
スペック型式-
全 幅10.26m
全 長16.03m
全 高4.93m
翼面積52.4㎡
自 重5,730kg
総重量/最大離陸重量7,480kg
発動機J46-WE-2(2,767kg)×2
最大速度1,328km/h
実用上昇限度16,700m
戦闘行動半径820km
航続距離2,460km
乗 員1名
初飛行1953年4月9日
就 役-
退 役-
兵 装