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ロッキード・マーチンF-22ラプター

Lockheed Martin F-22 Raptor
ロッキード・マーチンF-22ラプターLockheed Martin F-22 Raptor

世界最強のステルス戦闘機

圧倒的な戦闘力から抑止力をも発揮

ロッキード・マーチンF-22ラプター(1990-)はアメリカのロッキード・マーチン社が開発したアメリカ空軍のステルス戦闘機です。2005年(平成17年)から運用が開始され、現代最強の戦闘機として突出した能力を有しています。

北朝鮮のきな臭さが危険な域に達した時、アメリカは原子力空母を派遣しました。洋上を移動する巨大な軍事力であるアメリカ海軍原子力空母は、そこにいるというだけで強烈な抑止力を発揮します。

F-22は戦闘機でありながら、規模は違えど空母と同じ種類の抑止力を発揮します。このような抑止力を持つ戦闘機はこれまで存在したことがありません。

F-22については2つのキャッチフレーズが与えられています。一つは「Air Dominance Fighter」(航空支配戦闘機)、もう一つは「First look,First shoot,First kill」(先に発見、先制攻撃、先に撃墜)です。

1970年代に登場し、現在まで一度も撃墜されたことのないアメリカのF-15には「Air Superiority Fihter」(航空優勢戦闘機)というキャッチフレーズが与えられていました。F-22ではさらに進化し、航空支配という言葉が使われています。

F-22ラプター。PHOTO Lockeed Martin
F-22ラプター。PHOTO Lockeed Martin

「First look,First shoot,First kill」(先に発見、先制攻撃、先に撃墜)はF-22の性能を端的に表わしています。

これは、戦闘機は誕生した時(1915年頃)から変わらない鉄則です。第1次世界大戦や第2次世界大戦など有視界で空中戦を行っていた時代でも、レーダーやネットワークを駆使した現代のハイテク戦闘でも基本は同じです。

敵より先に発見し、先に攻撃し、速やかにその場を立ち去る。要するに、不意打ちして即離脱するというのが空中戦の勝者となる道であり、正面から正々堂々と戦うなどというのは最後の手段です。

F-22の戦い方はこうです。

ステルスにより敵に発見されることなく、優れた自身のレーダーと僚機やイージス艦など味方勢力の情報が収集されたリンク21と呼ばれるネットワークの情報を駆使して、先に敵機を発見し、ミサイルの射程圏内まで接近します。

敵機のデータを入力し、70km以上の長射程を持ち、撃ちっぱなし(fire and forget)可能な空対空ミサイル(AIM-120 AMRAAM)を発射し、即座に離脱します。超音速巡航(スーパークルーズ)能力を持つF-22に追いつくことは困難です。というよりも、敵機は何もわからずいきなり撃墜されることになるでしょう。

もし、自分より敵機に近いところに僚機がいれば、目標のデータを送信してミサイルを発射してもらう、ということも可能です。

F-22ラプター。PHOTO Lockeed Martin
F-22ラプター。PHOTO Lockeed Martin

F-22の特長

① ステルス
② スーパークルーズ
③ アビオニクス(電子機器)とネットワーク
④ 高機動性/推力偏向装置

① ステルス

ステルスというのは、隠れるということです。超音速という高速で移動し、肉眼でみえる距離(有視界)よりもはるか遠くからミサイルを発射しあう現代の戦闘においては、レーダーなどのセンサ類に感知されにくくするということは、とてつもなく重要な技術です。F-22はほとんど映らないといわれます。

F-22ラプター三面図。PHOTO:USAF
F-22ラプター三面図。PHOTO:USAF

ステルス性を高めるには概ね以下のような項目に注意が必要です。「目視発見の回避」、「レーダー反射断面積(RCS=Radar Cross Section)の低減」、「飛行音の低減」、「自身が発する電波を探知されない」、「赤外線探知の回避」、F-22は、これらすべてにおいて世界最高の技術が投入されており、レーダー反射断面積(RCS)値に関しては0.001〜0.01平米といわれています。RCS値は通常の平米表記とは違うため一概に表現できませんが、ほとんど映らないと考えてよいでしょう。

F-22ラプターの後部。全周囲ステルスのF-22は後ろから見ても角度が揃えられています。PHOTO USAF
F-22ラプターの後部。全周囲ステルスのF-22は後ろから見ても角度が揃えられています。PHOTO USAF

ステルス性維持のため兵装は胴体に格納されます。PHOTO USAF
ステルス性維持のため兵装は胴体に格納されます。PHOTO USAF
胴体側面にも兵装を格納します。PHOTO USAF
胴体側面にも兵装を格納します。PHOTO USAF

② スーパークルーズ

戦闘機が誕生した時から、スピードは生命線です。迅速に目標に到達することができ、戦闘時もアドバンテージがあり、敵の大軍が接近していようと、スピードにおいて勝っていれば逃げられます。ミサイルを発射する時でも自らの速度をミサイルに与えることができます。

戦闘機の最高速度を表すとき、F-22以前のジェット戦闘機の多くはアフターバーナーという技術を使用しています。ジェットエンジンの排気に再度燃料を吹き付けて一時的に高出力を得るものです。

急加速を可能にするアフターバーナーですが、全開で使用すると15分程度で燃料を空にしてしまいますから、緊急措置でもあります。

スーパークルーズ(超音速巡航)というのは、このアフターバーナーを使わず、通常のエンジン使用のみで超音速を実現することです。F-22はプラット&ホイットニー社のF119-PW-100を2基搭載し、マッハ1.58という超音速巡航を可能にしています。

③ アビオニクス(電子機器)とネットワーク

F-22にはAN/APG-77レーダー、CNIシステム(データ・リンク)、電子戦システムなど多様なアビオニクス(電子機器)を搭載しています。プログラムも複雑化しており、F-15の20万行に比べてF-22は220万行にも及んでいるといわれます。最近の戦闘機開発はソフト面の比重が増加しており、プログラム開発の遅れによる開発計画の遅延がしばしば報告されます。

F-22ラプターのコクピット。PHOTO Lockeed Martin
F-22ラプターのコクピット。PHOTO Lockeed Martin

AN/APG-77レーダーはアメリカのノースロップ・グラマン社とレイセオン社が開発して高性能レーダーです。アンテナが可動することで探知範囲を飛躍的に向上させた、アクティブ電子走査アレイ(AESA=Active Electronically Scanned Array)方式のレーダーとなっており、走査角度は垂直・水平共に120度、走査距離は約250kmであり、後発のF-35に搭載されているAN/APG-81レーダーを除けば最高性能のレーダーです。

3重のデジタル飛行制御システム(フライ・バイ・ワイヤ)は、パイロットが無理な操作をしても自動的に体勢を維持し、パイロットの失神などの際には水平飛行を維持するといわれています。

BAEシステムズ社の電子戦システムAN/ALR-94は機体全体に30個以上のアンテナを持つ全周囲のミサイル探知能力、460km先からのレーダー電波を探知する能力をF-22に与えています。また、同社のフレア(赤外線誘導ミサイル用デコイ)AN/ALE-52を搭載しています。

F-22はアメリカ軍を中心にNATO諸国及び同盟国が統合運用するリンク16という統合戦術伝達システムから情報を受信することができます。味方の早期警戒管制機(AWACS)、イージス艦、地上のレーダー、地上小隊の端末、司令部などの情報が集約されています。

リンク16上に敵機の情報があれば、ステルス性を損失する自身のレーダー使用を行うことなく、目標に対してミサイル攻撃を行うことができます。

④ 高機動性/推力偏向装置

F-22のエンジンは高出力なだけでなく、推力偏向ノズルを備え、±20度の偏向能力を有しています。敵機がF-22に気がつく前に遠方から撃墜し、即座にスーパークルーズ能力を駆使してその場を離脱するという戦い方が得意なF-22ですが、従来のような遷音速(マッハ0.9〜1.1)における格闘戦でもF-15を上回る機動性を持っています。

平成19年(2007年)7月13日、初デモンストレーション。離陸直後、最大出力で急上昇するF-22ラプター。Photo:USAF
平成19年(2007年)7月13日、初デモンストレーション。離陸直後、最大出力で急上昇するF-22ラプター。Photo:USAF

推力偏向装置を備えた強力なエンジン。PHOTO USAF
推力偏向装置を備えた強力なエンジン。PHOTO USAF

高度や上昇力、速度、機動性、戦闘機の運動性能におけるあらゆる分野でF-22は現在最高の能力を有しているといえます。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションYF-22 試作機。2機製造
F-22 量産型。187機製造
F-22B 訓練などに用いる複座型。開発中止
FB-22 戦闘爆撃機型。計画のみ
F-22N 米海軍向け艦載機。計画のみ
生産数195
スペック型式-
全 幅13.56m
全 長18.92m
全 高5.08m
翼面積78.04㎡
自 重19,700kg
総重量/最大離陸重量38,000kg
発動機F119-PW-100(AB 15,872kg)×2
最大速度2,575km(巡航速度1,825km)
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径1,300km
航続距離2,960km
乗 員1名
初飛行1990年9月29日(YF-22)
就 役2003年9月
退 役-
兵 装

ノースロップF-20タイガーシャーク

Northrop F-20 Tigershark
ノースロップF-20タイガーシャークNorthrop F-20 Tigershark

F-5E/Fの発展型

優秀な軽量級戦闘機ながら、F-16に敗れる

ノースロップF-20タイガーシャーク(1982)は、名機F-5の後継機としてノースロップ社が開発したアメリカの戦闘機です。友好国への供与を目的に開発されましたが、折しも実運用実績豊富なF-16の海外供与が解禁となり、試作機の段階で中止となりました。

アメリカの戦闘機は基本路線として世界最強を目指すため、そのほとんどが大型・フル装備の高級機となり、本体価格の高騰はもとより、更新、整備などには高い技術力が必要とされ、維持費も膨大なものとなります。

自由諸国の盟主であるアメリカの戦闘機は、有効各国に供与されますから、このような高級機ばかりでは一部の先進国しか購入・運用は困難となっていました。

そのため、アメリカは友好国供与を主眼とした軽量級の安価で高性能な戦闘機を随時開発してきました。1959年(昭和34年)に初飛行し、トルコ、ノルウェー、台湾、ギリシャ、イランなどに供与されたF-5A/B、1972年に初飛行し、ブラジル、イエメン、スイス、南ベトナム、インドネシア、タイ、エチオピア、オーストリア、メキシコ、チュニジアなどに採用されたF-5E/FタイガーⅡなどがこれにあたります。

上記の2機種を開発したアメリカのノースロップ社が後継として開発したのが、F-20タイガーシャークです。

F-20タイガーシャーク。PHOTO USAF
F-20タイガーシャーク。PHOTO USAF

1970年代中ごろ、F-5E/Fの導入国であった台湾は、軍事力増強を進める中国に対処するため、F-5E/Fに空対空ミサイルAIM-7スパローの搭載能力を加えるようアメリカに要求しました。

アメリカは台湾の要求に応じてノースロップ社に検討を要請、その結果、AIM-7スパローは視界外射程(BVR=Beyond Visual Range、概ね37km以上の射程)を持つミサイルであり、これが搭載されれば大きく攻撃力は強化されますが、それに伴う大型レーダーの搭載などにより機体が大型化し、機動性が損なわれるということがわかり、この計画は中止となりました。

海外向けのF-5E/F発展型の需要を感じたノースロップ社は自社資金において検討を開始します。フライ・バイ・ワイヤ(飛行制御システム)の導入、主翼付け根延長部分の増加、レーダー強化などを施したF-5Gという発展型を開発します。

その後、1970年代後半にアメリカは軍事輸出制限緩和を行い、共産陣営に対抗しうる新型輸出用戦闘機の開発を決定します。これに沿って、ジェネラル・ダイナミクス社のF-16(ダウングレード版)とノースロップ社のF-20が開発されました。

F-20はF-5E/Fの後継であるF-5Gをさらに発展させ、視野拡大型HUD(Head Up Display)、両手をスロットルとスティックにおいたままレーダーの操作やミサイルの発射を行えるHOTAS(HeadOn Throttle and Stick)の搭載など大幅に性能を向上していました。

性能的にはほぼF-16と同等だったF-20でしたが、アメリカ空軍始め各国での採用実績を持つF-16はあまりに強敵でした。当初、F-16はF-20よりも約2倍程高価でしたが、これも採用国が増えるに連れて量産効果で価格が下がってきます。結局F-20は採用されることなく終わりました。

F-20コクピットのモックアップ。PHOTO USAF
F-20コクピットのモックアップ。PHOTO USAF

運用者-
主要なバリエーション-
生産数3
スペック型式-
全 幅8.13m
全 長14.17m
全 高4.22m
翼面積18.6㎡
自 重5,090kg
総重量/最大離陸重量6,830kg
発動機F404-GE-100(4,990kg)×1
最大速度2,450km/h+
実用上昇限度16,800m
戦闘行動半径1,020km
航続距離2,759km
乗 員1名
初飛行1982年8月30日
就 役-
退 役-
兵 装

ロッキードF-117ナイトホーク

Lockheed F-117 Nighthawk
ロッキードF-117ナイトホークLockheed F-117 Nighthawk

世界初のステルス戦闘機

湾岸戦争での活躍は戦場のハイテク化を印象づけた

※文頭写真:USAF

ロッキードF-117ナイトホーク(1981-2008)はアメリカ空軍とロッキード社が開発した世界初のステルス戦闘機(攻撃機)です。

その異様な姿は不気味な迫力を感じさせ、湾岸戦争の報道画面にみた時は誰もが驚いたことでしょう。

現在、ステルス戦闘機技術はアメリカが突出した存在となっており、無敵のF-22や自衛隊次期主力戦闘機のF-35、B-2爆撃機などが稀に報道されます。そのせいかステルスという言葉も一般的になったように思えます。

F-117は1981年(昭和56年)には初飛行しており、開発は昭和59年(1974年)に始まっています。同年、アメリカ国防高等研究計画局(DARPA=Defense Advanced Research Projects Agency)はレーダー反射断面積(RCS=Radar Cross Section)の低減に関する研究を、グラマン、ジェネラル・ダイナミクス、マクドネル・ダグラス、フェアチャイルド、ノースロップの5社に対して依頼します。後にロッキード社が食い込むことに成功し、1976年(昭和61年)には各社の案を抑えてロッキード社案が採用されます。

試作機「ハブ・ブルー」は1977年(昭和62年)11月に完成し12月には初飛行に成功しています。この頃、ソ連の科学者ピョートル・ユフィンチェフが1964年に発表した「エッジ波の物理的解析理論」なる論文を発見、この理論を応用することにより機体のレーダー反射断面積(RCS)値をより正確に測ることが可能になります。試作機ハブ・ブルーと量産機F-117の形状の違いにはこの理論が大きく貢献しているといわれます。

生産初号機は昭和56年(1981年)に完成し、空戦能力はなく実態は攻撃機でしたが、戦闘機を意味するFナンバーがついたF-117Aという制式呼称を得ています。革新的な機体ということもあり生産型がロールアウトして以降も試験を続けながら59機を製造、昭和57年(1982年)より部隊配備されました。

ステルス性を最優先したため、最高速度はマッハ0.85であり運動性能も低レベルになっています。それどころか、F-117を昔ながらの人間の手によるコントロールで飛行させることはできず、フライ・バイ・ワイヤというデジタル飛行制御によって飛行が可能になっています。

直線のみを使用して構成された機体が異様な印象を与えますが、これは当時のコンピュータ演算能力では、現在のステルス機(B-2やF-22、F-35)のように曲線を使用した設計ができなかったためです。

実戦初参加は1989年(平成元年)12月のパナマ攻撃作戦でしたが、爆撃は失敗に終わりました。そしていよいよ湾岸戦争(1990年)が勃発、40機以上のF-117が展開し爆撃任務を遂行し1,200回を超える出撃回数を記録、1機も撃墜されることはありませんでした。

この時F-117が主に使用したGBU-27は1986年(昭和61年)に配備が始まった最新の精密誘導爆弾、ペイブウェイⅢレーザー誘導爆弾の一つです。ステルス戦闘機F-117と相まって、未来的な戦場の形を我々にまざまざとみせてくれました。

湾岸戦争では1機も撃墜されることなく任務を遂行しましたが、1999年(平成11)のコソボ空爆では、セルビアの首都ベオグラード近郊において、セルビア防空軍の旧式な地対空ミサイルに撃墜され、これが退役するまで唯一の撃墜例となりました。撃墜されたF-117は敵側に回収され、ロシアやソ連が密かに部品を入手したともいわれます。

2000年代に入ってイラクの自由作戦にも参加していますが、ここでも撃墜されることなく任務を遂行しています。

F-117は飛行機に興味のない一般の人々にも強烈な印象を残した画期的な怪物でしたが、ステルス性を追求したため飛行安定性は低く、事故率が高かったことや、先端技術ならではの高額な維持費もあり、2008年には全機退役しています。

湾岸戦争に斬新な衝撃を与えたF-117ステルス戦闘機。まさに砂漠の嵐作戦中の写真です。PHOTO USAF
湾岸戦争に斬新な衝撃を与えたF-117ステルス戦闘機。まさに砂漠の嵐作戦中の写真です。PHOTO USAF

ステルスについて

先に敵を発見し、自らは発見されないということは、絶対的な優勢を得ることができます。広義では迷彩塗装などもステルスの一種であり、古くは戦闘機を透明にするなどという試みもあったようです。

レーダーの進歩により、戦闘機においてみえないということはレーダーに映らないということを意味するようになりました。レーダーは自身のレーダーが発した電波の反射から相手の位置や大きさを探索しますから、敵機に戻る反射をゼロにすれば全くレーダーに映らないということになります。

このレーダー反射断面積をRCS(Radar Cross Section)といいます。この値はF-117では0.025平米程度といわれています。ステルス性に配慮されていないF-15では10平米、F-117よりも進化したF-22やF-35では0.01平米です。(※RCS値は土地の広さなどとは違う表現ですので、詳しくはウィキペディアのRCS値の項目などをご覧ください。)

こういった形状によるステルス性は形状制御といわれています。他にも、赤外線、機体表面の処理、レーダー使用など様々な要素があります。

形状制御の他に、エンジンの放射熱制御や機体表面をレーダーを反射しにくい素材にするなどの工夫が必要です。また、自らレーダーを発してしまえばそれを探知されてしまいますから、F-117はレーダーを搭載していません。爆撃目標を指定するためには、レーザーや赤外線を使用しています。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーション-
生産数64
スペック型式-
全 幅13.20m
全 長20.09m
全 高3.78m
翼面積73㎡
自 重13,380kg
総重量/最大離陸重量23,800kg
発動機F404-GE-F1D2(4,900kg)×2
最大速度993km/h
実用上昇限度13,716m
戦闘行動半径930km
航続距離1,720km
乗 員1名
初飛行1981年6月18日
就 役1983年10月
退 役2008年4月
兵 装

ロッキード・マーチンF-16ファイティング・ファルコン

Lockheed Martin F-16 Fighting Falcon
ロッキード・マーチンF-16ファイティング・ファルコンLockheed Martin F-16 Fighting Falcon

最新鋭の軽量級戦闘機

アメリカ空軍のベストセラー

ジェネラル・ダイナミクス(現 ロッキード・マーティン)F-16ファイティング・ファルコン(1974-)はアメリカ空軍にとってF-86以来のベストセラーとなった軽量級戦闘機です。最新のテクノロジーとコストカットを両立させた傑作戦闘機として世界各国で運用されています。日本のF-2戦闘機はこのF-16を母体として開発されました。

アメリカ空軍は、1972年(昭和47年)に最強の制空戦闘機F-15の初飛行に成功し、1974年(昭和49年)から部隊配備を開始していました。本来であれば、F-15を必要数揃えられればいうことなかったわけですが、全てに最高・最強を目指したF-15の価格は、現在の感覚でいえば概ね1機あたり100億円以上と大変に高額です(飛行機の価格は比較が難しいためあくまで感覚的な参考価格)。

下からF-15、F-16、P-51マスタング。
下からF-15、F-16、P-51マスタング。

ベトナム戦争の影響によるアメリカ国内のインフレやいつもながらの議会のコストカット要求も相まって、アメリカ空軍の希望は叶えられそうにありません。
そこで、機能を絞った小型軽量の優秀な戦闘機を開発し、不足分を補おうということになりF-16の開発が始まりました。F-15を「High」、F-16を「Low」として「ハイ・ロー・ミックス」と呼ばれる戦力構築を目指したわけです。開発発注における選考では後のアメリカ海軍艦上戦闘機F/A-18と争い、F-16が勝利しています。

イスラエル空軍の独自改修型F-16Dブラキート(複座型)。ワイルド・ヴィーゼル(敵防空網制圧)機です。単座型はF-16Cバラクと名付けられています。PHOTO USAF
イスラエル空軍の独自改修型F-16Dブラキート(複座型)。ワイルド・ヴィーゼル(敵防空網制圧)機です。単座型はF-16Cバラクと名付けられています。PHOTO USAF

自身満々、最高級の重量級戦闘機を揃えて失敗したベトナム戦争の教訓

常に考えうる限り最強の戦闘機を目指し続けてきたアメリカ空軍は、過去ほとんどの戦闘機において、最新の電子機器やミサイルなどを裝備し、多大な燃料を搭載した大型の機体を大出力のエンジンで引っ張るという開発方針でしたから、軽量級戦闘機を敬遠する傾向にありました。

イラクで作戦中のF-16。PHOTO USAF
イラクで作戦中のF-16。PHOTO USAF

ところが、それぞれが得意分野において最高の性能を発揮していたセンチュリーシリーズやF-4ファントムⅡといった、超がつく高級重量級ファイターを配備して自身満々でのぞんだベトナム戦争において、大きくつまづくことになりました。

アメリカ空軍の最高級&重量級ファイターに比べれば、貧弱といってもいい電子裝備や旧式な機体構造で軽快な運動性能だけが頼りの、ソ連製MiG-17/19/21といった戦闘機を相手に1.5:1もしくは2:1という程度のキルレシオ(撃墜被撃墜比率)しか残せなかったのです。

ファイター・マフィアのボス、ジョン・ボイド少佐

この反省から、いかなる状況においても敵機を圧倒し制空権を確保する最強の制空戦闘機としてF-15が開発されたわけですが、「有視界の格闘戦に勝利する小型軽量の戦闘機」があれば制空権は確保できると主張する「ファイター・マフィア」と呼ばれる空軍の一派がありました。

ベトナム戦争や中東戦争をみても、マッハ2で戦闘機が戦い合うということは少なく、ほとんどは音速以下、かつ昼間に有視界で行われていました。ならば、空戦に影響の少ない機体の大型化は避け、最高速度は下げて電子裝備を簡易にしても、機動性が高ければ空戦に勝利できるというわけです。

イラク上空でKC-135ストラトタンカーから空中給油を受けるF-16C。PHOTO USAF
イラク上空でKC-135ストラトタンカーから空中給油を受けるF-16C。PHOTO USAF

ファイター・マフィアのボスは空戦理論家としても著名だった、ジョン・ボイド少佐でした。アメリカ海軍戦闘機兵器学校(FWS)の戦闘機教官を務めた後、ジョージア工科大学に物理学と熱力学を学び、後に画期的な航空機の機動性を導き出す、エネルギー機動性理論(E-M理論)を構築します。

これは、航空機の機動性は機動エネルギーと運動エネルギーの総和であるというもので、Ps(航空機の比エネルギー)=(T[推力]ーD[効力])V(速度)/W(機体重量)という公式で表されます。

後には世界の兵法家やその戦史を研究し続け、戦闘・軍事理論を壮大なスケールで構築し、アメリカ空軍のみならず、アメリカ陸軍や海兵隊にも大きな影響を与え、退役後はアメリカ国家機関のコンサルタントとして活躍しました。

アメリカ空軍の伝統的な重量級戦闘機路線と闘ったように、官僚機構との衝突を辞さなかった気骨の人だったようです。国家機関コンサルタント時代、質素な家に住み、周囲から揶揄されても意に介さず、少額の給与しか受け取らなかったという行動からも、その片鱗が伺えます。

F-16が導入した革新的テクノロジー

安価な軽量級戦闘機というと安物のように聞こえますが、そうではありません。F-16は無駄をそぎ落とし、有視界の格闘戦に勝利するための革新的なテクノロジーを備えた戦闘機です。

F-16は機体形状とコンピュータ制御による4重もの飛行制御システム(フライ・バイ・ワイヤ)によって高い運動性を発揮しています。これは、静安定性緩和(RSS)もしくは操縦性優先形態機(CCV)と呼ばれ、実験機ではなく実用機で採用されたのはF-16が初めてです。

飛行するということは一方向の安定性(静安定性)が必要とされますが、空中で機動するということは反対に不安定性が必要とされます。要するに運動性を確保するためには、わざと静安定性を崩さなくてはなりません。静安定性を崩すということは失速や墜落と同じ延長線上にあるということです。

静安定性を崩せば崩すほど、急な機動が可能になるわけですが、その分、人の能力ではまともに真っ直ぐ飛ぶこともできないということになり、失速や墜落のリスクは高くなります。このアンバランスなバランスをコンピュータによって制御することでリスクをカットし、機動性を向上させたのがフライ・バイ・ワイヤと呼ばれる飛行制御システムです。

フライ・バイ・ワイヤと人との最大の接点である操縦桿は、F-16ではジョイスティックとなっています。戦闘機の操縦といえば、股の間にある操縦桿を操作するイメージがあり、実際F-16以前はそうでした。しかし、F-16はパイロットの右側に置かれたジョイスティック(デジタル式操縦桿)によって操縦を行います。

F-16Cのコクピット。PHOTO USAF
F-16Cのコクピット。PHOTO USAF

機体構造には、ブレンデッド・ウィング・ボディが採用されています。主翼と胴体は美しくなだらかに融合されており、全体がまるで一つの翼のようです。この構造は飛行特性は向上させ、構造の単純化により重量軽減ともなっています。

ケンタッキー空軍州兵基地のF-16。PHOTO USAF
ケンタッキー空軍州兵基地のF-16。PHOTO USAF

コストカット

F-16では最新技術を導入すると同時にコストカットも徹底して行われました。1950年代からアメリカの戦闘機に多く使われてきた高額のチタン合金をF-15の10分の1程度に減らし、進化してきた複合素材を多用することで材料費を軽減しています。

既存部品の活用と小改造を合わせると全体の80%にも及び、生産工程の簡易化もあわせて進められました。エンジンはF-15と同じプラット&ホイットニー社製F100を採用し、量産効果による取得価格低下を図っています。

ベストセラー

高性能と取得しやすい価格を実現したF-16はアメリカ軍で2,200機以上が導入された他、現在に至るまで4,500機以上が生産され、ベストセラー戦闘機となっています。F-16A型とC型は米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機となっています。A型が昭和58年(1983年)〜平成3年(1991年)、続いてC型が平成4年(1992年)〜現在まで使用されています。ジェット戦闘機の開発サイクルが長くなったとはいえ、30年以上に渡り使用され続けいることはF-16の高い飛行性能を物語っています。

採用した国はアメリカを始め、トルコ、シンガポール、イスラエル、台湾、エジプト、ベルギー、オランダ、ノルウェー、ギリシャなど世界20か国に及び、数多くの派生型、発展型をうみながら、現在も生産が続いています。

2003年に初飛行した発展型のF-16E/Fデザートファルコン。コクピットはグラスコクピットとなり、液晶ディスプレイが並びます。他にも多くの改修が行われ戦闘力が強化されています。PHOTO USAF
2003年に初飛行した発展型のF-16E/Fデザートファルコン。コクピットはグラスコクピットとなり、液晶ディスプレイが並びます。他にも多くの改修が行われ戦闘力が強化されています。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
ベルギー空軍
デンマーク空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
ギリシャ空軍
イタリア空軍
ポーランド空軍
ポルトガル空軍
バーレーン空軍
エジプト空軍
イスラエル空軍
イラク空軍
ヨルダン空軍
オメーン空軍
トルコ空軍
アラブ空軍
モロッコ空軍
インドネシア空軍
パキスタン空軍
シンガポール空軍
台湾空軍
韓国空軍
タイ空軍
チリ空軍
ベネゼエラ空軍
ブルガリア空軍
コロンビア空軍
フィリピン空軍
ルーマニア空軍
主要なバリエーションYF-16 試作機。YF-17と争った
F-16FSD 量産テスト機
F-16A/B 最初の量産型。Bは複座型
F-16A/B ADF 空軍州兵向け迎撃戦闘機
F-16AM/BM NATO4か国向け改修型。電子機器全般を改修
F-16CCV YF-16を改修した試験機
RF-16 偵察機
F-16C/D ブロック25以降。1984年から配備。電子機器や機体を改良。途中からエンジンも換装
F-16CG/DG 夜間作戦能力向上型
F-16N 米海軍のアドバーサリー機(仮想敵機)
F-16E/F 電子機器、エンジン改修。胴体両側に張り出した箱型が特徴
F-16V 近代化改修型。電子機器などを改修
生産数4,540
スペック型式F-16C
全 幅9.96m
全 長15.06m
全 高4.88m
翼面積27.87㎡
自 重8,570kg
総重量/最大離陸重量19,200kg
発動機F110-GE-100(7,781kg/AB 12,972kg)
最大速度2,120km/h
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径1,520km
航続距離4,220km
乗 員1名
初飛行1974年2月2日
就 役1978年12月
退 役-
兵 装

ボーイングF-15イーグル

Boeing F-15 Eagle
ボーイングF-15イーグルBoeing F-15 Eagle

無敗の制空戦闘機

ミサイル万能論への反省からうまれた最強戦闘機

※文頭写真:1972年(昭和47年)7月、初飛行するF-15イーグル。PHOTO USAF

マクドネルダグラス(現 ボーイング)F-15イーグルは、1972年に初飛行して以来、一度も撃墜されることなく、今日に至るまで40年以上無敵の戦闘機として君臨してきたアメリカ空軍の戦闘機です。

10トン超の爆弾を搭載して超低空侵攻による精密爆撃を可能にした長距離阻止攻撃型F-15E。PHOTO USAF
10トン超の爆弾を搭載して超低空侵攻による精密爆撃を可能にした長距離阻止攻撃型F-15E。PHOTO USAF

航空自衛隊(百里基地所属)のF-15DJ。百里基地は首都圏の防空を担います。PHOTO USAF
航空自衛隊(百里基地所属)のF-15DJ。百里基地は首都圏の防空を担います。PHOTO USAF

現在、極東最強の制空能力を誇る航空自衛隊の主力戦闘機もF-15です。正確には燃料を増加し、構造強化を実施したF-15Cを基本に造られたF-15J/DJとなっています。Jは単座、DJは複座型です。

1980年に採用され約200機が運用されており、アメリカ国外最大のF-15運用国となっています。三菱重工業を主契約者としてノックダウン生産およびライセンス生産が行われ、213機が製造されています。こちらもアメリカ国外最大の生産国です。

航空自衛隊のF-15J。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-15J。写真:航空自衛隊

最初の2機はアメリカから受領し、続く8機はノックダウン生産、残りの機体は部品を国内にて製造してライセンス生産されています。ライセンス料などを含めた1機あたりの価格は120億円ともいわれます。

これを聞くとあまりに高価なことに驚きますが、日本の排他的経済水域面積は世界第6位。ロシア、中国、北朝鮮などを対岸に持つこの広大な財産を守るには、制空権の確保は生命線です。さらには、ライセンス生産によりエンジンやレーダーなど部品をすべて国産化できますから、航空機開発に必要な技術や人材を育てることもできます。

航空自衛隊のF-15J戦闘機。写真:DoD
航空自衛隊のF-15J戦闘機。写真:DoD

圧倒的な強さをみせた実戦

1991年(平成3年)1月17日、アメリカを中心とする多国籍軍によるイラク空爆「デザートストーム作戦」に始まった湾岸戦争では、MiG-21/23/25/29、Su-22、ミラージュⅢなどの敵機38機を撃墜し、F-15自身は1機も撃墜されることなく圧勝となりました。また、これに先立つ部隊配備/物資輸送に対して24時間フル稼働の空中哨戒を実施しています。

湾岸戦争で大活躍したF-15でしたが、最初の実戦となったのはアメリカ空軍ではなく、イスラエル空軍でした。F4ファントムⅡを第四次中東戦争において多く損失したイスラエル空軍は、1970年代後半、A/B型、C/D型あわせて111機のF-15を導入しました。

1977年6月、イスラエル支配下にあるパレスチナの開放を目的としたパレスチナ解放機構(PLO)がレバノン南部に置いたキャンプを攻撃するため、F-15が出撃し、その途中シリア空軍のMiG-21と交戦となり4機を撃墜しました。これがF-15最初の実戦となりました。

イスラエル空軍はまた、1982年のレバノン侵攻作戦でも数十機もの敵機を撃墜し、損失ゼロとなっています。

砂漠の嵐作戦に参加し、クウェート上空を飛ぶF-15C(先頭の3機)。編隊両端の2機はF-16A。PHOTO USAF
砂漠の嵐作戦に参加し、クウェート上空を飛ぶF-15C(先頭の3機)。編隊両端の2機はF-16A。PHOTO USAF

開発までの経緯

意外なことに、F-15は1950年台のF-86以来、久しぶりにアメリカ空軍が手にした純血の制空戦闘機です。これには様々な時代背景が絡み合っています。

圧倒的な航空戦力を持って戦勝国となった第2次世界大戦以来、現在に至るまでアメリカが制空権を奪われたことは一度もありません。常に完璧に制空権を確保してきたアメリカが、朝鮮戦争とベトナム戦争の2度だけ制空権を脅かされました。この危機と東西冷戦が20年以上、アメリカを純血の制空戦闘機から遠ざけてきました。

1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では、当初まともな航空戦力を持たない北朝鮮を相手にレシプロ戦闘機が参加できるほど安々と制空権を確保していたアメリカでしたが、ソ連が中国経由で関与するようになると、後退翼を裝備し当時最高の性能を誇ったソ連のMiG-15戦闘機が突如として出現。

レシプロ機は言うの及ばす、アメリカ軍が極東に配備していたジェット戦闘機、F-80シューティングスターF9Fパンサーでも到底MiG-15には太刀打ちできず、一時的とはいえアメリカの制空権は危機に陥ります。この出来事は突如出現したMiG-15に由来することから「ミグショック」と呼ばれ、アメリカの狼狽がみてとれます。

しかし、この危機はMiG-15と同じくドイツの先端技術であった後退翼を裝備したアメリカ空軍の最新鋭機F-86が前年に就役していたため、これを急遽極東に投入し乗り切ります。

機体の運動性能ではMiG-15に若干分があったようですが、射撃管制装置やレーダーの性能、そして第2次世界大戦において鍛えぬかれた歴戦のパイロットたちの優秀な技量により、最終的には7:1という圧倒的なキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)を持って制空権を確保するに至りました。

次の危機はベトナム戦争です。東西冷戦は過熱し、アメリカが凶悪な程に最新鋭機を続々と開発していた50年代があけてすぐ、1960年(昭和35年)12月にベトナム戦争が勃発し、1965年頃から本格的な空戦が起ります。

50年代に急速な進化を続けていたミサイルの影響により、戦闘機の設計思想は「空戦能力軽視」に偏っていました。その結果、純粋な制空戦闘機は造られず、ジェット戦闘機の対地攻撃能力の高さを活かした戦闘爆撃機、それから、ソ連の戦略爆撃機に対抗する意味と自軍の戦略爆撃機の護衛機という役割で、やたらと高速で上昇力の高い迎撃戦闘機という2種類が次々と造られることとなりました。

「高速性能に秀で高性能レーダー及びミサイルが裝備されていれば、レシプロ機のようなドッグファイトなど起きない、遠くからミサイルを発射して、高速でいなくなればよい」というわけです。現代の最新鋭機であれば概ねこれでよいわけですが、まだ早すぎました。

さらに、当時アメリカが最も脅威に感じていた核兵器を搭載するソ連の戦略爆撃機に対処するための高速性と上昇力に優れ、攻撃力が高い迎撃戦闘機の開発は過熱し、最終的にはモックアップ段階で中止になったとはいえXF-103のように、マッハ3.7、上昇限度24,500mという性能が目指されていました。

XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force
XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force

このようにアメリカ空軍が大型、高速、電子裝備てんこ盛りのドッグファイトが苦手な戦闘機ばかり造っていたところに、ベトナム戦争が始まります。最新のレーダーに中距離空対空ミサイルAIM-7スパロー(射程30km)、短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダー(射程5km)などを搭載したアメリカ空軍の戦闘機が堂々と控えていました。

ベトナム戦争ではF-105や、大型重装備のF-4ファントムⅡなどがアメリカ空軍機として参戦します。F-105は爆撃機ではないかといわれるほど爆撃能力の高い戦闘機ですから、当然、ドッグファイトは苦手です。F-4ファントムⅡはアメリカ海軍が開発したものをアメリカ空軍が採用したものです。元々艦載機ですから多目的に造られており、初期型は機関砲を裝備していなかった程ですから、ドッグファイトは想定されていなかったでしょう。

F-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
F-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

アメリカ空軍最大の悲劇は、同士討ちを避けるためにミサイルを発射する際には目視による確認を義務付ける交戦規定が施行されたことです。現在のように統合情報システムによる高度な情報交換ができない状況では、致し方ないことかもしれません。

いかに高速であろうと、優秀なレーダーとミサイルを裝備していようと、目視で敵機であることを確認するとなると、低速で近づかなくてはいけません。結局は昔ながらのドッグファイトが避けられなくなり、大型重装備のアメリカ空軍戦闘機に比べれば軽量で軽快な運動性能だけがとりえともいえるMiG-21などのソ連製戦闘機に大いに苦戦することになります。

結果、キルレシオ(撃墜対被撃墜比率)は1.5:1、2:1と散々な数字となります。高価なアメリカ空軍戦闘機を駆使して1機で安価な敵機を1.5機〜2機しか倒せないのですから。こうして制空権を掌握できない状態で行われた対地攻撃では、常にミグ戦闘機の影に怯え、ミグに遭遇したら、即座に爆弾を捨てて逃げ出すということになってしまいます。

ベトナム戦争に参加したアメリカ軍機の中で最も高い8:1というキルレシオを残したのは、「最後のガンファイター」といわれ、軽快な運動性能と20mm機関砲4門を備えたアメリカ海軍のF-8クルーセイダーでした。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

最強の制空戦闘機

アメリカ空軍はベトナム戦争の反省から、いついかなる状況であっても敵戦闘機を撃墜し制空権を確保する戦闘機の開発を始めます。これこそF-15であり「航空優勢戦闘機(Air Superiority Fighter)」というキャッチフレーズがつけられました。

沖縄の嘉手納をベースとする第44戦闘飛行隊のF-15。PHOTO USAF
沖縄の嘉手納をベースとする第44戦闘飛行隊のF-15。PHOTO USAF

空中戦訓練中のF-15E。PHOTO USAF
空中戦訓練中のF-15E。PHOTO USAF

同時期にアメリカ海軍もまた、いかなる敵機からも艦隊を守る最強の艦隊防空戦闘機を目指し、F-14トムキャットの開発を始めていました。アメリカ議会はコスト削減のため両者の統一を求めますがアメリカ空軍は強硬に反対し、F-15の単独開発を続けます。性能的な理由ももちろんあるでしょうが、F-4ファントムⅡに続けてまた海軍の戦闘機を採用ということは、メンツが許さなかったのではないでしょうか。

各社の中からマクドネルダグラス社案に決まり、開発が始まります。1972年(昭和47年)7月27日に初飛行し、試験は続けられました。試験結果はアメリカ空軍の要求をクリアしており、順調に開発が進みます。

プラット&ホイットニー社製F100-PW-221(8,090kg/AB10,640kg)という大出力エンジンを2基搭載し、最高速度はマッハ2.3を発揮。クロースカップルドデルタの大きな主翼と12,970kgに抑えらた重量は、エンジンの大出力と相まって高い機動性をもたらしています。

比較的余裕のある機体構成から、電子機器などのアップデートがしやすく、1972年(昭和47年)の初飛行から現在に至るまで1機も撃墜されることなく、運用され続けています。

F-15E。PHOTO USAF
F-15E。PHOTO USAF

ステルス能力を付与したF-15SEサイレントイーグル。PHOTO Boeing
ステルス能力を付与したF-15SEサイレントイーグル。PHOTO Boeing
運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
イスラエル空軍
サウジアラビア空軍
主要なバリエーションYF-15A 最初に製造された2機。後F-15Aに含まれる
F-15A 最初の量産型。384機製造
TF-15A 複座型。後F-15Bに含まれる
F-15B 戦闘能力を持つ複座型。61機製造
F-15C 単座の量産型。構造強化などの改修。483機製造。55機はサウジアラビア、18機はイスラエル向け
F-15D 戦闘能力を持つ複座型。93機製造
F-15E F-111の後継となった複座の長距離阻止攻撃機。レーダー、エンジン、夜間航法照準システムなどを搭載
F-15J C型を基体とした航空自衛隊向け。三菱重工がライセンス生産。139機製造
F-15DJ F-15Dの航空自衛隊向け
F-15FX 航空自衛隊次期戦闘機 (F-X)向けの機体。最新の電子機器(アビオニクス)を搭載
F-15SE ステルス性を加える改修が施されたF-15E。機体軽量化、電子機器(アビオニクス)の更新
生産数1,198
スペック型式F-15C
全 幅13.05m
全 長19.43m
全 高5.63m
翼面積56.5㎡
自 重12,700kg
総重量/最大離陸重量20,200kg
発動機F100-PW-220(8,090kg/AB 10,640kg)×2
最大速度2,665km/h+
実用上昇限度20,000m
戦闘行動半径1,967km
航続距離5,550km
乗 員1名
初飛行1972年7月27日
就 役1974年11月
退 役-
兵 装

ロッキードYF-12

Lockheed YF-12
ロッキードYF-12Lockheed YF-12

世界初のマッハ3級戦闘機

高度27,000mを時速3,600kmで飛行

※文頭写真:試験飛行中のYF-12。PHOTO USAF

ロッキードYF-12(1963)はアメリカのロッキード社がアメリカ空軍向けに開発したマッハ3級の巨大な戦闘機です。全長約31mという巨大で異様な姿は、我々が想像する戦闘機の形からはかけ離れています。結局採用には至りませんでしたが、東西冷戦を象徴する機体の一つといえるでしょう。

激しい東西冷戦の最中、1954インターセプター計画にみられるように、アメリカ空軍の戦闘機開発は飛来するソ連の戦略爆撃機を迎撃することが大きな目的でした。また、アメリカ空軍自身の戦略爆撃機を護衛するための戦闘機が必要ということも大きな開発目的となっていました。

どんな戦闘機よりも高く、そして速く飛べば、爆撃機は攻撃されることなく最終兵器である核爆弾を投下することができます。アメリカ空軍は高度22,000mをマッハ3という高速で飛行し、アラスカ〜モスクワ間を無着陸で往復できる超音速戦略核爆撃機、XB-70を構想していました(試作機の段階でキャンセル)。

YF-12。PHOTO USAF
YF-12。PHOTO USAF

YF-12の開発が始まった1960年頃、XB-70のような戦略爆撃機をソ連が保有してはいませんでしたが、アメリカは早晩ソ連が開発に着手、もしくはすでに手にしていると考えていました。

ソ連戦略爆撃機の脅威、自軍の超音速戦略爆撃機の護衛という大きな目的のもと、アメリカ空軍はXF-103XF-108といった大型・高速の迎撃戦闘機を計画しますが、いずれも採用前に計画中止となってしまいます。

同じ頃ロッキード社は、CIA向けに高度約3万mという高空をマッハ3以上の高速で飛行する偵察機、A-12を開発しており(こちらは採用されます)、A-12を元に戦闘機化することで開発費を抑えて実用化することができると提案し、アメリカ空軍はこれを受け入れます。

アメリカ空軍初の本格的ジェット戦闘機となったP-80と並ぶYF-12。PHOTO USAF
アメリカ空軍初の本格的ジェット戦闘機となったP-80と並ぶYF-12。PHOTO USAF

戦闘機化にあたっては、最新のAN/ASG-18レーダーや、それにともなうレーダー操作員席の増設、ミサイル運用装置の追加などが行われました。

初飛行は1963年8月に行われ、飛行試験が続けられました。世界速度記録・高度記録を塗り替えるなど優秀な試験結果を残しますが、財界出身で費用対効果と統計学を駆使するロバート・マクナマラが国防長官に就任すると、YF-12計画は中止となりました。

結果的には、当時のソ連はYF-12のスペックでなければ迎撃できない程の超高度・超音速の戦略爆撃機を保有していなかったわけですから、その点では国防長官のロバート・マクナマラの判断は正しかったということになります。

運用者-
主要なバリエーションYF-12A 試作機。3機製造
F-12B 量産型。計画のみ
生産数3
スペック型式YF-12A
全 幅16.95m
全 長30.97m
全 高5.64m
翼面積167㎡
自 重27,600kg
総重量/最大離陸重量56,200kg
発動機J58/JTD11D-20A(9,300kg)×2
最大速度3,661km/h
実用上昇限度27,400m
戦闘行動半径-
航続距離4,800km
乗 員2名
初飛行1963年8月7日
就 役-
退 役-
兵 装

ノースロップF-5E/FタイガーⅡ

Northrop F-5E/F TigerⅡ
ノースロップF-5E/FタイガーⅡNorthrop F-5E/F TigerⅡ

進化したF-5

ソ連MiG-21のライバル

※文頭写真:F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

ノースロップF-5E/FタイガーⅡ(1972-1989)はアメリカのノースロップ社が開発した軽量級の超音速戦闘機F-5A/Bの発展型です。運動性能の向上とともに、捜索範囲40kmと高性能とはいえないまでもレーダーが搭載されたことにより戦闘能力は大いに高まっています。

F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF
F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

F-5A/Bのライバルは9,500機もの生産数を誇り共産圏に供与されたソ連のMiG-19。MiG-19はMiG-15譲りの運動性能を持つ超音速戦闘機でした。F-5A/BはMiG-19に対する自由陣営後進国の戦闘機としては優秀でしたが、1959年(昭和34年)にマッハ2級のMiG-21が登場、F-4ファントムⅡF-8クルーセイダーなら戦えましたが、F-5A/Bでは太刀打ちできませんでした。

ソ連のMiG-21フィッシュベッド。UV-16ロケットポッドを装着しています。写真:US DoD
ソ連のMiG-21フィッシュベッド。UV-16ロケットポッドを装着しています。写真:US DoD

アメリカ空軍は、これに対抗する友好国供与用の戦闘機開発を始めます。各社案の中からノースロップF-5E/FタイガーⅡが選ばれ、1970年11月に制式に発注を受けます。

安価で整備性が高く扱いやすいF-5A/Bの良さを受け継ぎつつ、エンジンを強化、燃料搭載量も増加し、戦闘行動半径は三割方向上します。最高速度はマッハ1.6とMiG-21には及びませんが、AN/APQ-153Xレーダの搭載や緩い後退角による中低高度の高い運動性を武器に、MiG-21に対抗しうる戦闘機となっています。

F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF
F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

初飛行は1972年8月11日、1973年からアメリカ空軍への配備が始まり、その後友好国に供与されました。供与された国はアメリカを含めて20か国を超え、ライセンス生産を含めて1,400機が生産されました。サウジアラビアやバーレーン、韓国に供与されたF-5は湾岸戦争に参加するなど、供与された機体はいくつかの戦争に参加しています。アメリカ本国ではアグレッサー機(仮想敵機)として使用されました。

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
シンガポール空軍
ブラジル空軍
イエメン空軍
スイス空軍
南ベトナム空軍
イラン空軍
スーダン空軍
ベトナム空軍
インドネシア空軍
エチオピア空軍
タイ空軍
オーストリア空軍
台湾空軍
ホンジュラス空軍
チュニジア空軍
マレーシア空軍
チリ空軍
メキシコ空軍
モロッコ空軍
ヨルダン空軍
ケニア空軍
バーレーン空軍
サウジアラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションF-5E F-5A改良型エンジン強化、レーダー装備など
FR-5E 簡易偵察機
RF-5E 偵察機
F-5F 複座の練習機
F-5N スイスで余ったF-5Eを米海軍が仮想敵機(アグレッサー)として使用
F-5G F-20。エンジンを換装し単発化。電子機器を近代化
F-5S/T シンガポール空軍の近代化改修型
F-5EM ブラジル空軍の近代化改修型
タイガーⅢ チリ空軍の近代化改修型
タイガーⅣ 近代化改修のデモ機
F-5T タイ空軍の近代化改修型
生産数1,399
スペック型式F-5E
全 幅8.13m
全 長14.68m
全 高4.06m
翼面積17.28㎡
自 重4,392kg
総重量/最大離陸重量9,150kg
発動機J85-GE-21A(1,588kg/AB 2,268kg)×2
最大速度1,743km/h
実用上昇限度15,789m
戦闘行動半径700km
航続距離2,483km
乗 員1名
初飛行1972年8月11日
就 役-
退 役1989年
兵 装

ノースロップF-5A/Bフリーダムファイター

Northrop F-5A/B Freedom Fighter
ノースロップF-5A/BフリーダムファイターNorthrop F-5A/B Freedom Fighter

小型軽量の超音速機

アメリカが友好国供与用に開発

※文頭写真:F-5フリーダム・ファイターの試作機YF-5A。PHOTO USAF

ノースロップF-5A/Bフリーダムファイター(1959-)はアメリカのノースロップ社が開発した軽量級の超音速戦闘機です。

第2次世界大戦中にドイツが初めて成功させたジェット戦闘機は、終戦後、ドイツの技術を収奪した戦勝国によって劇的に進化しました。1950年代にはアメリカ空軍だけでも11もの戦闘機が開発されています。

アメリカ海軍の航空母艦も大型化し、アメリカ空・海軍ともに大型で最新の技術を詰め込んだ豪華な戦闘機を次々と開発していました。しかし、東西覇権争いは世界に広がりアメリカは友好国とともに共産主義の浸透と戦わなくてはなりませんでした。

アメリカ空軍・海軍が開発する戦闘機は、高価かつ複雑な電子裝備を有し、友好国が購入・運用するのは難しい場面も増えてきました。NATOや日本など名だたる国々はF-104などの大型機を運用できましたが、南ベトナム、韓国、タイ、イラン、エチオピアなどの国々では高価かつ複雑な機体の運用は無理がありました。

複座型のF-5B。PHOTO USAF
複座型のF-5B。PHOTO USAF

そこに目をつけたノースロップ社は、友好国供与用の軽量で安価、かつ運用しやすい超音速戦闘機をF-5A/Bフリーダムファイターを企画します。この企画はアメリカ空軍に受け入れられ、1958年(昭和33年)5月、MAP(軍事援助計画)用戦闘機として制式に発注を受けます。

F-5は今日でも使われている傑作練習機T-38タロンの原型となった軽戦闘機N-156Fを元に開発されました。初飛行は1959年(昭和34年)7月、1962年(昭和37年)に国防総省のMAP(軍事援助計画)用戦闘機としての採用が公式発表されてからは、ライセンス生産を含めて続々と数を増やし、生産数は2,236機を数えます。

F-5A/Bの全長は14.38m、自重は3,670kgであり、F-4ファントムⅡの全長17.78m、自重13,960kgと比べると格段にコンパクトなことがわかります。最高速度はマッハ1.4、主翼の後退角を抑えたことで運動性能は極めて良好でした。

主翼の付け根前方に小さなフィンがついており、器材を抑えるためにたまたま装着されたものですが、これがたまたま前縁付け根延長(LERX=Leading Edge Root Extension)の効果を発揮し、失速防止などに効果をうみました。これは現在主流となっている艦上戦闘機F/A-18E/Fスーパーホーネットにも大いに採用されています。

ベトナム戦争では供与国のための実績をあげるため、カスタムしたF-5Cを対地攻撃に投入し芳しい評価を得ました。この作戦は日本語を使って「スコシ・タイガー作戦」と呼ばれました。

運用者イラン空軍
ギリシャ空軍
トルコ空軍
台湾空軍
フィリピン空軍
ノルウェー空軍
タイ空軍
南ベトナム空軍
ベトナム空軍
韓国空軍
主要なバリエーションN-156F 試作機。3機製造
YF-5A 試作機
F-5A 初期量産型。最初はレーダー未装備、後に追加
F-5A(G) ノルウェー空軍向けF-5A
XF-5A 試験機
A.9 スペイン空軍向けF-5A
F-5C スコシ・タイガー作戦用F-5A
生産数847
スペック型式F-5A
全 幅7.70m
全 長14.38m
全 高4.01m
翼面積15.78㎡
自 重3,670kg
総重量/最大離陸重量8,650kg
発動機J85-GE-13(1,850kg)×2
最大速度1,489km/h
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径400km
航続距離1,771km
乗 員1名
初飛行1959年7月30日
就 役1965年7月
退 役1989年
兵 装

マクドネルF-110スペクター

McDonnell F-110 Spector
マクドネルF-110スペクターMcDonnell F-110 Spector

F-4ファントムⅡの空軍型

アメリカ空・海軍双方に大量採用された初めての例

※文頭写真:アメリカ海軍のF-4ファントムⅡはその優秀さ故に、メンツを超えてアメリカ空軍にも採用され、F-110スペクターとなりました。PHOTO USAF

マクドネルF-110スペクターは、アメリカのマクドネル社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。
F-110はF-4ファントムⅡの別名。F-4ファントムⅡは船の上(航空母艦)という制約からジェット戦闘機開発に苦しんできたアメリカ海軍が、苦難の末に手にした傑作艦上戦闘機です。初飛行は1958年(昭和33年)5月27日、1960年(昭和35年)から就役し1996年(平成8年)まで活躍しています。

1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF

1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF

アメリカの空軍と海軍は、ご多分に漏れずメンツをかけて何かにつけて競い合ってきました。その空軍が、花形の戦闘機採用において海軍の開発した艦上戦闘機を大量に採用するなどということは、前代未聞でした。それほどにF-4ファントムⅡは高性能であったわけですが、理由はそれだけではありません。ロバート・マクナマラという国防長官の存在が大きな要因を占めています。

ロバート・マクナマラはハーバード出身でアメリカ陸軍航空軍の統計管理局で活躍し、戦後はフォード一族以外では初めてフォードの社長となり、1960年にジョン・F・ケネディが大統領選に勝利すると国防長官として白羽の矢が立ちます。

システム分析や統計学を駆使するマクナマラは、それまで空軍・海軍それぞれが独自に行っていた戦闘機開発を統合を企図し、その手始めとして開発中であったハイコストのF-106デルタダートの代わりに、海軍が開発していたF-4ファントムⅡを採用させようとします。

1961年(昭和36年)、空軍が開発していたF-106F-4の飛行試験が行われます。速度、上昇限度、航続距離、レーダー性能、爆撃能力、整備性など多くの面でF-4F-106を上回りますが、最新鋭のハイテク防空システム、半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)の装置が搭載できないということで、F-106の生産は続行されます。

1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF
1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

しかし、アメリカ空軍がF-106に続く次期戦闘機として開発していたF-111アードバーグの開発が遅れており、その穴埋めとしてF-4が採用されることとなり、名称を空軍名F-110スペクターに変更しました。その後1962年(昭和37年)にアメリカ三軍の呼称統一が施行され、F-110スペクターから再びF-4CファントムⅡに変更されました。

空軍型F-4シリーズの決定版ともいえるF-4E型は1967年(昭和42年)6月30日に初飛行、各国へと供与され1,389機が生産されました。マクドネル社は、艦載機として開発したF-4ファントムⅡが空軍機として採用されたことで、より生産数を伸ばし西側戦闘機としては史上最多の5,000機以上が生産されました。

最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF
最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF

F-4Eは1966年(昭和41年)、日本の第2次F-X(主力戦闘機)選定によりF-86Fの後継として選ばれました。日本の航空自衛隊向けF-4EはF-4EJとして154機が調達され、そのうちのほとんどがライセンス生産されました。そして1980年(昭和55年)にF-15Jが採用されるまで日本防空の主軸を担いました。F-15Jに主役の座を譲ってからも現役にとどまり、平成28年(2016年)のいまも活躍し続けています。

航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊

運用者アメリカ空軍
McDonnell F-4 PhantomⅡの項参照
主要なバリエーションF-4C 海軍のF-4Bを空軍用に改修。空軍F-4最初の量産機
EF-4C 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
RF-4C 写真偵察機
F-4D C型の改良型
EF-4D D型を改装した敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
F-4E 空軍型F-4の決定版。1,389機製造
RF-4E 偵察機
F-4G 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
生産数5,195
スペック型式F-4E
全 幅11.71m
全 長19.20m
全 高5.02m
翼面積49.2㎡
自 重13,757kg
総重量/最大離陸重量27,970kg
発動機J79-GE-17A(5,356kg/AB 8,119kg)×2
最大速度2,370km/h
実用上昇限度18,975m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日/1963年5月(F-110)
就 役1963年11月
退 役1996年4月
兵 装

ノース・アメリカンXF-108レイピア

North American XF-108 Rapier
ノース・アメリカンXF-108レイピアNorth American XF-108 Rapier

核ミサイル前夜の産物

27mを超える巨大な図体

※文頭写真:センチュリー・シリーズの集大成を目指した怪物、XF-108レイピア。27m超の巨体です。PHOTO USAF

ノースアメリカンXF-108レイピア(1959)はアメリカのノースアメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。XF-103と同じようにマッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。

1950年代東西の覇権争いは激化しており、特に最終兵器である核の運用を巡り爆撃機、航空母艦、ミサイルという三つ巴の開発合戦が繰り広げられていました。

最初期の核爆弾は大型であり、空中から投下せざるを得ず運用は日本に落としたように爆撃機が担っていました。徐々に小型化すると艦上戦闘機でも運用できるようになり、さらにはナチス・ドイツが第2次世界大戦中に開発した弾道ミサイルの開発も進んでいました。

1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功して以降、1960年代に入ると今日知られるようにミサイルによる核運用がとてつもないスピードで進んでいきます。ちなみに、ジェット戦闘機の技術と同じように、大気圏外を飛行する弾道ミサイルもまたナチス・ドイツが最先端の技術を保有しており、戦後これを収奪した戦勝国が開発を進め、その中でも最も熱心だったソ連が最初に打ち上げを成功させたのです。

マッハ3という高速で飛行するXB-70戦略爆撃機は、そのような状況において開発され、そして爆撃機に必須の護衛機として本機の開発もスタートしました。それまでの戦闘機のカテゴリーに入りきらない程のオーバースペックを目指し、1958年には基本案が固まり、1961年3月に初飛行に漕ぎ着ける予定でしたが、機体価格の高騰、最新の電子機器やミサイルの開発も難航した上に、XB-70計画自体が試作機の段階で打ち切りとなり、本機の開発も試作機の段階で終了しました。

これだけとんでもない性能を企図したため、全長は27.2m、自重23,098kgという巨大な機体となっています。エンジンは7,939kgと高出力のJ93-GE-3Rを2基搭載し、24,400mという高空での作戦行動が可能でした。航続距離は約4,000kmと非常に長いものでしたが、護衛すべきXB-70は12,000km以上を目指していましたから、これでは完璧に護衛することはできません。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅17.5m
全 長27.2m
全 高6.7m
翼面積173.4㎡
自 重23,098kg
総重量/最大離陸重量34,530kg
発動機J93-GE-3R(7,938kg)×2
最大速度3,190km/h
実用上昇限度24,400m
戦闘行動半径2,033km
航続距離4,004km
乗 員2名
初飛行-
就 役-
退 役-
兵 装