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グラマンF-14トムキャット

Grumman F-14 Tomcat
グラマンF-14トムキャットGrumman F-14 Tomcat

最強の艦隊防空戦闘機

映画トップガンの戦闘機

※文頭写真:USNAVY

グラマンF-14トムキャット(1970-2006)は、アメリカが開発し冷戦の激化する1970年代に登場した最強の艦隊防空戦闘機です。映画『TOPGUN』でみせた「かっこいい戦闘機」というイメージは強烈な影響を与えました。

第2次世界大戦が終わり、アメリカは西の盟主として覇権を獲得していました。特に空母を中心とする強力な洋上戦闘力は他国に類のないものでした。1955年には世界初の超大型航空母艦(スーパー・キャリアー)である排水量60,000トンのフォレスタル級が就役し、1961年には世界初の原子力空母エンタープライズ(75,700トン)が就役しており、たとえばエンタープライズでは一隻に約5,000名の乗組員が搭乗し、84機もの艦上機を運用できました。

戦闘と世界の覇権を争う一方の雄、東の盟主ソ連は1950年代から数年に一度のペースでモスクワ近郊において航空ショーを実施し、ここには西側を牽制するかのようにいくつもの新鋭戦闘機や爆撃機などが華々しく登場しました。アメリカの保有する強力な洋上戦力に対して長距離爆撃機や長距離空対艦ミサイルの開発を進めていることは明白でした。

これらの脅威に対して、アメリカ海軍は自らの生命線ともいえる空母艦隊を守る守護神たるFAD(Fleet Air defense=艦隊防空)戦闘機を艦上に配備する必要に迫られていました。

フルアフターバーナーで離艦しようとするF-14。エンジンや電子機器などを強化したF-14D。2001年(平成13年)7月28日。PHOTO USNAVY
フルアフターバーナーで離艦しようとするF-14。エンジンや電子機器などを強化したF-14D。2001年(平成13年)7月28日。PHOTO USNAVY

音速の壁を超えるF-14。PHOTO USNAVY
音速の壁を超えるF-14。PHOTO USNAVY

アメリカ海軍は1957年にF-8クルーセイダー、1961年にF-4ファイントムⅡという高性能艦上戦闘機を配備してはいましたが、ソ連も急速に新型戦闘機を開発しており、あらゆる艦隊防空を一手に担う新型艦上戦闘機の配備は喫緊の課題となっていました。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY
1952年(昭和27年)に創設されたアメリカ海軍、訓練飛行隊VF-101所属のF-4ファントムⅡ。PHOTO USNAVY

そんな状況の中、アメリカ海軍の進めていた新型機開発計画であるFAD(Fleet Air Defence )戦闘機計画が国防長官ロバート・マクナマラにより空軍のTFX(Tactical Fighter Experimental)に統合されてしまい、結局この計画によりうみだされたF-111Bは不採用となり、結果的に海軍の新型艦上戦闘機計画には遅れが生じていました。

アメリカ海軍空母CVA-43コーラル・シー艦上で試験中のF-111B。1968年7月。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母CVA-43コーラル・シー艦上で試験中のF-111B。1968年7月。PHOTO USNAVY

国防長官と空軍に押し付けられた統合機計画を都合よく回避できた海軍は早速、本来の艦隊防空戦闘機開発に着手します。1968年には各メーカーに対してアメリカ海軍は要求仕様を提示します。その内容は以下のようでした。

タンデム(直列)複座形式、TF30エンジン双発、AIM-54フェニックスまたはAIM-7スパロー6発、AIM-9サイドワインダー4発、20mmバルカン砲搭載、ミサイル搭載時の荷重制限がF-4ファントム2を上回ることなどが含まれていました。

1950年代のミサイル万能論による高性能なミサイルへの依存から昔ながらのドッグファイトを軽視し、F-4ファントムⅡなどは機関砲を装備から外してしまいました。

その結果、1960年に勃発したベトナム戦争において旧式のMiG-17やMiG-19やMiG-21などの高価な最新鋭ミサイルなどは装備せず軽快な飛行性能で勝負する北側の戦闘機に思わぬ苦戦を強いられることになりました。これらの北側戦闘機に対してアメリカの最新鋭戦闘機は2:1という撃墜:被撃墜比率となってしまいました。

大量の資金で開発した最新鋭の大型機を自信満々で参戦させ、2機撃墜するのに1機の損失を出していては話になりません。いくら最新鋭のミサイルを積んでいても当時のミサイル技術では最終的に敵の背後に回らずを得ず、低速での近距離格闘戦ではアメリカが軽視していた軽快な運動性能が問われることとなりました。

この反省から、F-14トムキャットの開発にあたっては当初から、ソ連の長距離爆撃機+長距離空対艦ミサイルへの対応と同時に、近距離の格闘戦をも制することのできる艦上戦闘機が企図されました。

高速、長距離ミサイル、低速、近距離格闘戦、艦上運用という難題をクリアすべく考えらたのが可変翼(VG翼)でした。開発メーカーは名門グラマン社に決まり、試作機が発注されました。試作機は1970年12月に完成し初飛行、1972年10月にはわずか2年足らずという驚くような速度で量産・部隊配備が始まりました。

F-14トムキャット最大の特長である可変翼(VG翼)は、これまでのものとは異なり、飛行データに基いて自動的に最適な後退角にセットされるものでした。これにより低速の戦闘や空母への着艦からマッハ2にもなる高速飛行や急旋回においても常に高い機動性を確保していました。

湾岸戦争中のオペレーションデザートストーム作戦において戦闘軽快警備するF-14A。戦時らしく、胴体下に中距離空対空ミサイルAIM-7スパローを4発、主翼付け根あたり(グラブ)に短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダーを4発搭載しています。1991年(平成3年)2月26日。PHOTO DoD
湾岸戦争中のオペレーションデザートストーム作戦において戦闘軽快警備するF-14A。戦時らしく、胴体下に中距離空対空ミサイルAIM-7スパローを4発、主翼付け根あたり(グラブ)に短距離空対空ミサイルAIM-9サイドワインダーを4発搭載しています。1991年(平成3年)2月26日。PHOTO DoD

もう一つの大きな特長は当時世界最強であった射撃管制システム(FCS)です。F-14トムキャットに搭載されたヒューズ社のAN/APG-9レーダーは、探知距離200kmを誇り、同時に24もの目標を追尾でき、射程距離210km超の長距離空対空ミサイルAIM-54フェニックスを6発同時に個別誘導できるものでした。

こうした最新技術を詰め込んだ最強の艦隊防空戦闘機、F-14は東西冷戦の空を制し続けましたが、冷戦が終わり軍事費削減の流れが起こると、高価な維持費が問題となり、2006年最後の部隊から退役、艦上から姿を消しました。

横須賀を母港とするアメリカ海軍原子力空母ジョージ・ワシントン上空を飛ぶF-14B。1992年(平成4年)正月。PHOTO DoD
横須賀を母港とするアメリカ海軍原子力空母ジョージ・ワシントン上空を飛ぶF-14B。1992年(平成4年)正月。PHOTO DoD

アメリカ海軍空母エンタープライズ(CVN65)艦上のF-14。アフガニスタンにおける不朽の自由作戦に参加中です。艦上のF-14はVF-14及びVF-41飛行隊所属機ですが、どちらもこの作戦の後まもなくしてF/A-18ホーネットに改編されました。2001年(平成13年)11月9日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母エンタープライズ(CVN65)艦上のF-14。アフガニスタンにおける不朽の自由作戦に参加中です。艦上のF-14はVF-14及びVF-41飛行隊所属機ですが、どちらもこの作戦の後まもなくしてF/A-18ホーネットに改編されました。2001年(平成13年)11月9日。PHOTO USNAVY
運用者アメリカ海軍
イラン空軍
主要なバリエーション-
生産数712
スペック型式-
全 幅10.15m(19.54m)
全 長19.1m
全 高9.88m
翼面積52.49㎡
自 重18,110kg
総重量/最大離陸重量33,720kg
発動機TF30-P-414A×2(5,600kg/AB9,480kg)
最大速度2,866km/h
実用上昇限度18,300m
戦闘行動半径1,167km
航続距離3,220km
乗 員2名
初飛行1970年12月21日
就 役1972年10月
退 役2006年9月
兵 装

グラマンXF-10Fジャガー

Grumman XF-10F Jaguar
グラマンXF-10FジャガーGrumman XF-10F Jaguar

世界初の可変後退翼機

革新的な試みも失敗に終わる

グラマンXF10Fジャガー(1952-1953)は、米海軍が世界で初めて開発した可変後退翼を持つ艦上ジェット戦闘機です。

初期の艦上ジェット戦闘機開発は、航空母艦に離着艦するという大きな制約に立ち向かった歴史でもあります。ジェットエンジンを始め高速飛行に適した後退翼などの技術と、離着艦時に必要とされる低速性能の両立が困難であったためです。

1950年代後半に入ると、アングルド・デッキ(斜め着艦用飛行甲板)、スチーム・カタパルトなどの技術が開発され航空母艦が進歩します。これらの技術を既存空母に改修するとともに、フォレスタル級というスーパーキャリアー(超大型航空母艦)も就役し、艦上戦闘機開発の足かせは軽くなっていきます。本機はこの端境期に翻弄されます。

開発は、1946年からXF9Fとして開発されていた後退翼機案を進歩させ、1948年よりXF10F-1として始まりました。目玉は、高速性能と離着艦時に欠かせない低速性能の両立を目指した可変後退翼でした。可変後退翼とは、主翼が可変するということで、本機では13.5度、42.5度が選択できました。

開発中に朝鮮戦争が勃発し、1950年6月に米海軍が先行量産機を発注するなど開発が急がれていましたが、やはり実用化されたことのない可変後退翼の開発は難しく、いわくつきエンジンであったJ40も足を引っ張り、飛行試験はうまくいきません。

結局1953年には米海軍に契約をキャンセルされ、計画は終了しました。この計画は失敗に終わりましたが、艦上戦闘機の名門グラマン社は、転んでもただでは起きず!? 次に可変後退翼機を開発した際にはあの名機、グラマンF-14トムキャットを誕生させています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅11.18m(15.42m)
全 長17.01m
全 高4.95m
翼面積43.38㎡
自 重9,265kg
総重量/最大離陸重量16,080kg
発動機J40-WE-6(3,084kg)
最大速度1,100km/h
実用上昇限度13,960m
戦闘行動半径1,150km
航続距離2,670km
乗 員1名
初飛行1952年5月1日
就 役-
退 役-
兵 装

グラマンF11Fタイガー

Grumman F11F Tigar
グラマンF11FタイガーGrumman F11F Tigar

操縦性と機動性に優れた超音速機

ブルーエンジェルス使用機

※文頭写真:VF-21Mach BustersのF11F-1。1959年7月1日撮影。PHOTO USNAVY

グラマンF11Fタイガーは、1957年〜1969年まで12年間に渡り米海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスの使用機となった飛行性能の高い米海軍の艦上戦闘機です。

小柄で軽量な機体に軽快な運動性能というコンセプトは数十年後に、大型で高価な戦闘機+小型で比較的安価な戦闘機という組み合わせ「ハイローミックス」という形で推進され、現代でもF-15F-16F-22F-35という形でみることができますが、1950年代後半当時の状況は違っていました。

1957年(昭和32 年)、アメリカ海軍空母USSレンジャー艦上のF11F-1タイガー。軽快な運動性能を持つ超音速艦上戦闘機でした。PHOTO USNAVY
1957年(昭和32 年)、アメリカ海軍空母USSレンジャー艦上のF11F-1タイガー。軽快な運動性能を持つ超音速艦上戦闘機でした。PHOTO USNAVY

制空を最新のジェット機、対地攻撃をメインとする攻撃機をレシプロ機が担ってきた第2時大戦後の運用から、徐々に双方をジェット機が担うようになり、特に艦上戦闘機においては多目的化が進んでいました。

アメリカ海軍空母USSイントレピッドを母艦とするF11F-1タイガー(VF-33アストロノーツ所属機)。1960年(昭和35年)。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母USSイントレピッドを母艦とするF11F-1タイガー(VF-33アストロノーツ所属機)。1960年(昭和35年)。PHOTO USNAVY

F11Fと同時期に開発され、当初から本命視されていたヴォート社のF-8クルーセイダーはその期待を上回る飛行性能と多用途性を持つ世界初の超音速艦上戦闘機となり、狭い艦上で運用する艦上戦闘機にして米空軍の保持する陸上戦闘機をも凌駕する性能を有していました。

全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY
全天候型となったF-8D(F-8U-2N)。PHOTO USNAVY

このような状況のため、軽快な操縦性能と超音速の優れた飛行性能を持ったF11Fでしたが、F-8の後塵を拝することとなってしまいました。そもそもF11F試作機発注の翌月にはヴォート社のF-8試作機も発注されていますから、そもそも本命F-8、おさえとしてF11Fという思惑だったのでしょう。

しかし、米海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルスに採用され、昭和32年(1957年)より12年間に渡り使用されていることは、F11Fの高い飛行性能を証明しているといえます。

F11F-1と米海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルス。昭和33年(1958年)の撮影です。写真:USNAVY
F11F-1と米海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルス。昭和33年(1958年)の撮影です。写真:USNAVY

運用者アメリカ海軍
主要なバリエーションF9F-9 開発名
F11F-1 量産型。200機製造
F11F-P 写真偵察機。計画のみ
F11F-1F 改修型。エンジン換装など。2機製造
生産数200
スペック型式-
全 幅9.54m
全 長14.3m
全 高4.04m
翼面積23.2㎡
自 重6,498kg
総重量/最大離陸重量10,920kg
発動機J65-W-18(4,763kg)
最大速度1,210km/h
実用上昇限度12,770m
戦闘行動半径850km
航続距離2,053km
乗 員1名
初飛行1954年7月30日
就 役1957年3月
退 役1961年4月
兵 装

グラマンF9Fクーガー

Grumman F9F Cougar
グラマンF9FクーガーGrumman F9F Cougar

F9Fパンサーの後退翼型

後退翼艦上戦闘機の成功作

※文頭写真:前が後退翼のF9F-6クーガー、奥が直線翼のF9F-5パンサー。1952年(昭和27年)。PHOTO USNAVY

グラマンF9Fクーガーは、1947年に初飛行したF9Fパンサーの発展型。大きな変更点は主翼の後退翼化です。レシプロ時代からの直線翼よりも、後退翼が高速性能に優れることは明らかにもかかわらず艦上戦闘機は、後退翼化に手間取っていました。狭い空母上で運用する艦上戦闘機は広い飛行場から離着陸する空軍の戦闘機とは異なり、多くの制約が課せられるからです。

手前がF9Fクーガー、奥はアメリカ空軍のF-86セイバー。PHOTO USNAVY
手前がF9Fクーガー、奥はアメリカ空軍のF-86セイバー。PHOTO USNAVY

主翼に後退角がついた後退翼は、高速飛行性能を劇的に向上させる技術でしたが、当時、旧式の直線翼に比べ低速性能が劣っていました。艦上戦闘機は離発着時に高い低速飛行性能が必要とされるため、高速性能と低速性能の両立が難題となっていたわけです。

朝鮮戦争最中の1950年11月、旧ソ連の傑作ジェット戦闘機MiG-15が突如出現し、それまでアメリカを始めとする連合軍ががっちり確保していた半島の制空権を脅かすようになっていました。米空軍には同じ後退翼の高性能機F-86セイバーがありましたが、米海軍はMiG-15に対抗しうる戦闘機を保有しておらず、その危機感は深刻なものでした。

ミグショックの翌月、1950年12月にはグラマン社に対してパンサーの後退翼型開発が発注されました。F9Fパンサーの型式の一つF9F-5のうちの3機がXF9F-6クーガーとして開発されることとなり、わずか10か月後の1951年9月20日、初飛行に成功しています。

後退翼機の低速性能を向上させる各種の改良は枚挙にいとまなく、主翼拡大、大型フラップ、油圧式前縁スラット、フラッペロン(flap/フラップ+aileron/補助翼)、内翼への境界層板の取り付け、翼端増槽取り外しに伴う胴体延長(燃料搭載量増加)などが行われました。

これらの努力の結果、F9Fクーガーは直線翼のF9Fパンサーと同等の低速性能を獲得し、最高速度はパンサーの932km/hから1,150km/hへと飛躍的に向上しました。1955年から57年まで米海軍曲技飛行隊ブルーエンジェルズ使用機であったことも飛行性能の高さの表れといえるでしょう。また、艦上戦闘機の名門グラマンらしい堅牢で運用性の高い機体でもありました。

ブルーエンジェルスのF9F-8クーガー。1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)まで使用されました。PHOTO USNAVY
ブルーエンジェルスのF9F-8クーガー。1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)まで使用されました。PHOTO USNAVY

米海軍は1952年11月、超特急で部隊配備を開始しました。ミグショックから異例のスピードで開発されたF9Fクーガーでしたが、朝鮮戦争休戦に1か月ほど間に合いませんでした。その後1960年まで実戦部隊で運用され、退役後は練習機などとして1970年代中頃まで活躍しました。

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
主要なバリエーションXF9F-6 試作機
F9F-6 量産型
F9F-7 エンジン換装型 。168機製造
F9F-8 性能向上型。601機製造
F9F-8P 写真偵察機
F9F-8T 練習機
生産数1,392
スペック型式F9F-8
全 幅10.52m
全 長12.45m
全 高3.7m
翼面積31.3㎡
自 重5,381kg
総重量/最大離陸重量9,114kg
発動機J48-P-8(3,290kg)
最大速度1,150km/h
実用上昇限度12,800m
戦闘行動半径830km
航続距離1,600km
乗 員1名
初飛行1951年9月
就 役1952年11月
退 役1960年2月
兵 装

グラマンF9Fパンサー

Grumman F9F Panther
グラマンF9FパンサーGrumman F9F Panther

ジェット時代きたる

名門グラマンの初ジェット

※文頭写真:アメリカ海軍ジェット戦闘機としては初めて大量生産されたF9Fパンサー。グラマン社らしい頑強な戦闘機だった。PHOTO USNAVY

艦上戦闘機の名門であり、後に名実共に傑作となるF-14トムキャットを生み出すグラマン社によって開発されたF9Fパンサーは、米海軍ジェット戦闘機としては初めてのベストセラーとなり、約1,400機が生産されました。円形のガッチリとした胴体に直線翼を組み合わせた姿は、大戦中にグラマン鉄工所といわれた同社の製品らしく、みるからに逞しさを感じさせます。

アメリカ海軍空母USSレイク・シャンプレイン艦上に並ぶ、最終量産型のF9F-5パンサー。1953年(昭和28年)香港に寄港しています。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母USSレイク・シャンプレイン艦上に並ぶ、最終量産型のF9F-5パンサー。1953年(昭和28年)香港に寄港しています。PHOTO USNAVY

第2次世界大戦末期、グラマン社は最後の艦上レシプロ戦闘機であるF7Fタイガーキャット、F8Fベアキャットの生産に勤しんでいたため、ジェット戦闘機開発においては他社に若干の遅れをとっていました。

グラマン社にジェット機開発が発注されたのは第2次世界大戦が終了した1946年。急ピッチで開発にとりかかったグラマン社は1947年11月24日にF9Fパンサーの初飛行に成功します。

アメリカ海軍空母USSボクサーを母艦とするVF-721アイアン・エンジェルス所属のF9F-2B。朝鮮戦争中の1951年7月15日、朝鮮半島上空を飛んでいます。2Bは対地攻撃能力を強化したタイプ。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍空母USSボクサーを母艦とするVF-721アイアン・エンジェルス所属のF9F-2B。朝鮮戦争中の1951年7月15日、朝鮮半島上空を飛んでいます。2Bは対地攻撃能力を強化したタイプ。PHOTO USNAVY

強靭な機体構造、胴体後部を分離してエンジンを着脱する手法、前縁フラップの初採用などがもたらす高い運用性など名門グラマンらしく考えぬかれた設計となっており、制約の多い艦上戦闘機にありがちな重量過大・性能低下という悪循環に陥ることなく、頑強、コンパクト、軽量な機体に仕上がっていました。

直線翼の旧式な設計により飛行性能では他機に劣ったものの、高い実用性と頑強な造り、後発が幸いした推力の高いエンジンを持つ同機は、対地攻撃に使用されることとなります。

朝鮮戦争において爆弾を投下するF9F-2バンシー。アメリカ海軍空母USSバリー・フォージを母艦とする機体です。PHOTO USNAVY
朝鮮戦争において爆弾を投下するF9F-2バンシー。アメリカ海軍空母USSバリー・フォージを母艦とする機体です。PHOTO USNAVY

朝鮮戦争(1950-1953)では主に対地攻撃において活躍し、その頑強さをみせつけています。飛行性能ではパッとしなかったとはいえ、MiG-15を撃墜し米海軍初のジェット戦闘機撃墜を記録しています。

その後、1953年から後退翼を取り入れた発展型のF9Fクーガーと入れ替わり、朝鮮戦争後には第一線を退くこととなりました。

前が後退翼のF9F-6クーガー、奥が直線翼のF9F-5パンサー。1952年(昭和27年)。PHOTO USNAVY
前が後退翼のF9F-6クーガー、奥が直線翼のF9F-5パンサー。1952年(昭和27年)。PHOTO USNAVY

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
アルゼンチン海軍
主要なバリエーションXF9F-1 2機発注された試作機。計画のみ
XF9F-2 3機製造された試作機
F9F-2 量産型(初期)。562機製造
F9F-2D 標的機
F9F-2P 写真偵察機型
XF9F-3 54機製造されたエンジン試験機
F9F-3 54機製造されたエンジン換装型 XF9F-4 試作機。2機製造
F9F-4 胴体と垂直尾翼を大きくした機体。109機製造
XF9F-5 試作機
F9F-5 616機製造された5型
F9F-5P 写真偵察機
F9F-5KD 無人標的機
生産数1,382
スペック型式-
全 幅11.5m
全 長11.80m
全 高3.7m
翼面積23.2㎡
自 重4,601kg
総重量/最大離陸重量8,490kg
発動機J48-P-6A(2,834kg)
最大速度932km/h
実用上昇限度13,045m
戦闘行動半径750km
航続距離1,887km
乗 員1名
初飛行1947年11月
就 役1949年5月
退 役1961年
兵 装