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ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー

North American F-100 Super Sabre
ノース・アメリカンF-100スーパーセイバーNorth American F-100 Super Sabre

世界初、実用超音速戦闘機

名機F-86の後継

※文頭写真:傑作機F-86セイバーの後継、世界初の実用超音速戦闘機として華々しく登場したF-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー(1953-1979)はノース・アメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。世界初の実用超音速戦闘機として知られるアメリカ空軍センチュリーシリーズのトップバッターです。

センチュリーシリーズとは、アメリカ空軍の100番台の型番がつく戦闘機を総じていいます。全て超音速戦闘機であり、以下の6機を指します。本機F-100スーパーセイバー、マクドネルF-101ブードゥーコンベアF-102デルタダガーロッキードF-104スターファイターリパブリックF-105サンダーチーフコンベアF-106デルタダート

超音速ジェット戦闘機が実用化し始めた時期であり、第2次世界大戦が終わり東西冷戦が日に日に熱くなっていた時代です。戦闘機の開発もいけいけどんどんといった様相で、F-100が初飛行しのが1953年5月、センチュリーシリーズ最後のF-106は1956年12月に初飛行しており、その間わずか3年半ほどしかありません。

アメリカ海軍でも同時期に試作機を含め6機が開発されていますから、アメリカ空・海はこの3年半の間に12機もの戦闘機を初飛行させているということになります。

F-100はスーパーセイバーという愛称が示すように、初めて後退翼を採用したアメリカ空軍の傑作機F-86セイバーの後継機として開発されました。

F-86は当初直線翼のそれまでと基本的に変わらない戦闘機として計画されましたが、ドイツの敗戦によりジェット戦闘機の先端技術を連合国が収奪しアメリカにもそれがもたらされると、急遽ドイツの技術を取り入れた最先端の後退翼機として開発され、大成功を収めました。

F-86の成功体験を得たノースアメリカン社は、自社資金でF-86の発展型を研究し1949年2月から開発が始まりました。写真をみればすぐ感じられるように、後継といっても形状はあまり似ていません。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スパーセイバー。PHOTO USAF

主翼の後退角はF-86の35度から45度になりエンジンはプラット&ホイットニー社製J57を搭載しました。この案を空軍が採用し1951年11月には制式に発注を得て、1952年5月には試作機が初飛行に成功します。年末には時速1,215kmという世界速度記録を打ち立てています。

F-100C型からは空中給油能力が付与され、その他、徐々に対地攻撃能力が強化されていきました。最も多く製造されたF-100D型は、低高度爆撃装置(LABS)を装備し爆撃能力を強化した戦闘爆撃機であり1,274機が製造されました。各型総じての生産数は2,294機でした。米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機として、C型が昭和31年(1956年)〜昭和38年(1963年)まで、D型が昭和39年(1964年)〜昭和43年(1968年)、D型は昭和34年(1959年)の極東ツアーにも使用されました。

冷戦が日々熱くなる軍拡時代、そして超音速ジェット黎明期、続々と米ロともに新型機が開発される中、1960年のベトナム戦争に参戦した際にはすでに旧式化しており、ソ連のMiG-17を撃墜することはできませんでした。また、挑戦的な機体が災いしてか889機という多数が事故によって失われています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-100A 試作機。2機製造
YQF-100 9機製造された無人標的機
F-100A 最初の量産型。203機製造
生産数2,294
スペック型式-
全 幅11.81m
全 長15.2m
全 高4.95m
翼面積37㎡
自 重9,500kg
総重量/最大離陸重量13,085kg
発動機J57-P-21/21A(4,544kg)×1
最大速度1,390km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離3,210km
乗 員1名
初飛行1953年5月25日
就 役1954年9月
退 役1979年
兵 装

ノース・アメリカンF-86Dセイバー

North American F-86D Sabre
ノース・アメリカンF-86DセイバーNorth American F-86D Sabre

F-86の全天候型

良くも悪くも肝となった先進の火器管制装置

※文頭写真:全天候型へと進化したF-86Dセイバー。レーダーを収めるために突き出したノーズコーンの様子から、セイバードッグと呼ばれました。PHOTO USAF

ノースアメリカンF-86Dセイバーはアメリカ空軍のジェット戦闘機。ジェット戦闘機史上の傑作F-86セイバーを基本として開発された単座の全天候型戦闘機です。

第2次世界大戦が終わると東西の覇権争いが生じ、ソ連が開発する長距離爆撃機はアメリカの新たな脅威となっていました。これらに対処するためアメリカ本土を守る全天候型の戦闘機が必要になります。

本機は名機F-86セイバーを基本にするとはいえ共通部品は約20%にとどまったため、計画はYF-95Aという新しいナンバーで始まりましたが、途中からYF-86Dに変更されています。F-86の発展型とすることで議会の予算承認を円滑に進めるためだと思われます。

試作機は1949年12月に初飛行し1952年に就役しています。試作機初飛行から就役まで間が空いているのは、全天候型ならではの火器管制システム(FCS)の開発に手間取ったためです。

この時代の全天候型戦闘機は操縦士とは別にレーダーの操作員が登場するため、2名が搭乗する複座型が普通でしたが、F-86Dは火器管制システム(FCS)の自動化を計り単座型としていました。そのため、当時としては格段に複雑なシステム開発に挑んでいました。

このシステムはE-4と呼ばれ、AN/APG-36全天候型レーダーを中心にAPA-84コンピュータ、ロケット弾照準器などを総合的に運用し、自動攻撃能力を付与されていました。最大捜索距離は約56kmといわれています。

F-86Dセイバー。PHOTO USAF
F-86Dセイバー。PHOTO USAF

F-86と本機F-86Dの共通部品は約20%しかありませんから、全体のフォルムも異なっています。最も特徴的なのはセイバードッグという愛称の由来となった犬の鼻のような機首です。F-86の空気取入口(インテイク)だった部分に出っ張っている部分にはレーダーが収められ。空気取入口はその下に配置されています。

胴体はF-86よりも太くなり、エンジンはF-86A型のJ47-GE-13からJ47-GE-17に換装されています。上空を飛ぶソ連の長距離爆撃機からアメリカ本土を守る迎撃機という性質上、強力な上昇力と高速性能が必要であったためです。

アメリカ空軍の戦闘機としては初めて機銃が取り外されたことも大きな変更点です。爆撃機を撃墜するために武装は24連式の空対空ロケット弾であるマイティ・マウスのみとなっています。これを火器管制システム(FCS)により制御・発射します。

F-86Dは配備後も肝といえる複雑な電子機器やエンジンに関するトラブルが頻発し、整備にとても手間と金のかかる機体でした。それでも重要な機種と位置づけられていたため、改修や整備は続きました。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
デンマーク空軍
フランス空軍
ドイツ空軍
ギリシャ空軍
ホンジュラス空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
フィリピン空軍
トルコ空軍
タイ空軍
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーション-
生産数2,847
スペック型式-
全 幅11.31m
全 長12.27m
全 高4.57m
翼面積26.75㎡
自 重6,132kg
総重量/最大離陸重量9,060kg
発動機J47-GE-17B(2,460kg/AB 3,400kg)×1
最大速度1,115km/h
実用上昇限度15,163m
戦闘行動半径450km
航続距離1,238km
乗 員1名
初飛行1949年12月22日
就 役1951年3月
退 役1967年
兵 装

ノース・アメリカンF-86セイバー

North American F-86 Sabre
ノース・アメリカンF-86セイバーNorth American F-86 Sabre

歴史的傑作機

アメリカ初の後退翼ジェット戦闘機

※文頭写真:USAF

ノースアメリカンF-86Fセイバー(1947-1967)は世界で初めて試作機が初飛行したアメリカ空軍の後退翼ジェット戦闘機。傑作戦闘機との呼び声高い名機であり、約1万機もの生産数を誇り、日本の航空自衛隊も使用しました。

戦闘機の動力は第2次世界大戦後期〜朝鮮戦争の時代、レシプロエンジンからジェットエンジンに移行しつつあり、それにともない最高速度はレシプロ機の時速約750kmから超音速へと向かっていました。

朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF
朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF

速度が高速化すると機体設計が変わってきます。第2次世界大戦においてレシプロ戦闘機最大の生産国であったアメリカもジェット戦闘機開発においてはドイツとイギリスに先行されていました。

第2次世界大戦の最高レシプロ機といってもいいP-51マスタングを開発したアメリカのノースアメリカン社は、大戦の行方がほぼ定まっていた1944年後半、ジェット戦闘機の開発を開始します。

これが後に傑作機F-86となりますが、当初の試作機は性能的に競合していたXP-84(後のF-84)に及びませんでした。しかし、折しも1945年5月にドイツが敗れ、連合軍はその進んだジェット機開発の技術を収奪したため、膨大な資料がアメリカにもたらされます。

1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF
1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF

ノースアメリカン社は、アメリカにもたらされたドイツの先進技術の中でも特に主翼に角度をつけた後退翼に関する研究データをF-86の開発に取り入れます。後退翼はジェット戦闘機の高速性能を画期的に引き上げる技術でした。そしてその高速化にともなって低下する低速性能を補うための揚力装置(自動スラット)などの技術もあわせてドイツの資料から取り入れます。

空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF
空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF

F-86の試作機XP-86の1号機は1947年10月に初飛行します。後退翼を搭載した初めてのジェット戦闘機としては、「ミグショック」といわれ朝鮮戦争でアメリカを恐怖させた高性能機MiG-15が有名ですが、初飛行は1947年末でありこの点ではF-86の方が3か月ほど早いことになります。

XP-86はいくつかの改良を経ながら期待通りの高性能ぶりを発揮し、1948年にはエンジンをGE35からより強力なJ47に換装した最初の量産型が初飛行します。また、時速1,079.49kmという世界速度記録も打ち立てています。

1950年に朝鮮戦争が勃発しますが、当初北朝鮮の空軍力は無いに等しく、F9FパンサーP-80シューティングスターF-84Gサンダージェットといった直線翼のジェット戦闘機で充分な状態でした。しかしすぐに中国が参戦、中国経由で後退翼を採用したソ連の高性能戦闘機MiG-15が出現すると、上記の直線翼戦闘機では分が悪くアメリカの制空権は一挙に脅かされることとなりました。

慌てたアメリカ軍は就役したばかりのF-86セイバーを極東を派遣し、ここに史上初の後退翼ジェット戦闘機による空戦が勃発。上昇力や高々度性能などはMiG-15の方が優れていたものの、エース級を投入したことによる優れたパイロットの技量とレーダー性能によりF-86は損失78機に対して800機のMiG-15を撃墜しました。

朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF
朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF

F-86はその後も数々の派生型を生み、艦載機型も造られました(FJ-3フューリー)。アメリカでは1950年代後半〜60年代にかけて超音速機が配備されるようになると前線から姿を消していきますが、1990年代まで世界各国で使用され続けました。

2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF
2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF

航空自衛隊では、エンジンをJ47-GE-27に換装したF-86F 435機が主力戦闘機として使用されました。さらにF-86を全天候型とした発展型のF-86Dも122機配備されています。航空自衛隊曲技飛行隊ブルーインパルスの初代使用機であり、航空自衛隊では「旭光(きょっこう)」と呼ばれていました。1964年の東京オリンピックで大空に五輪旗を描いていた機体はこのF-86です。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
アルゼンチン空軍
ベルギー空軍
ボリビア空軍
カナダ空軍
コロンビア空軍
デンマーク空軍
エチオピア空軍
ドイツ空軍
ホンジュラス空軍
イラン空軍
イラク空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
ペルー空軍
フィリピン空軍
ポルトガル空軍
台湾空軍
サウジアラビア空軍
南アフリカ空軍
スペイン空軍
タイ空軍
チュニジア空軍
トルコ空軍
コンゴ
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF-86 試作機。3機製造
YF-86A 試作機。エンジン換装。3機製造
F-86A 量産型。554機製造
DF-86A 無人標的機
RF-86A 偵察機
F-86B 改良型
F-86C 侵攻戦闘機型に大幅改修。後にYF-93Aに名称変更
F-86D 大幅に改修された全天候戦闘機型。機種の形状が特徴的。航空自衛隊でも使用された
F-86G D型のエンジン換装
F-86K 主にNATO向け輸出型
F-86L D型の改修型。電子装置など
F-86E 全誘導水平安定尾翼導入型
QF-86E 標的機
F-86F エンジン換装など。航空自衛隊でも使用された
QF-86F 標的機
RF-86F 偵察機。航空自衛隊でも使用された
TF-86F 複座練習機
生産数9,860
スペック型式F-86F
全 幅11.28m
全 長11.53m
全 高4.52m
翼面積29.11㎡
自 重5,046kg
総重量/最大離陸重量8,234kg
発動機J47-GE-27(2,680kg)×1
最大速度1,106km/h
実用上昇限度15,100m
戦闘行動半径730km
航続距離2,454km
乗 員1名
初飛行1947年10月1日
就 役1949年2月
退 役1967年
兵 装

ノース・アメリカンFJ-4フューリー

North American FJ-4 Fury
ノース・アメリカンFJ-4フューリーNorth American FJ-4 Fury

フューリーの最終型

進化した全天候型迎撃機

※文頭写真:胴体や主翼など大きく新規設計されたFJ-4フューリー。写真は尾部にAR-1ロケットモーターを搭載するなどした飛行試験機FJ-4F。1957年(昭和32年)。PHOTO USNAVY

FJ-1から始まったフューリーシリーズの最終型であるFJ-4は1953年から開発が始まり、全体的に設計が改められました。全天候型迎撃機として開発され、燃料搭載量は大幅に増やされ、薄くなり翼面積が増大した主翼により低速飛行特性が向上しました。

FJ-4は1955年に配備が始まりほとんどが海兵隊で運用されました。FJ-4は221機発注されましたが、その内の71機は対地攻撃を主目的とした攻撃機FJ-4Bとして改装されます。兵装ステーションを増やし、核兵器運用能力を付与されたFJ-4Bは米海軍に配備され、さらに151機の追加発注を受け、1966年まで運用されました。

FJ-4フューリー。対地攻撃能力を強化した全面改修型。PHOTO USNAVY
FJ-4フューリー。対地攻撃能力を強化した全面改修型。PHOTO USNAVY

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
アルゼンチン海軍
主要なバリエーションXFJ-4 2機製造された試作機
YFJ-4 1機製造された開発テスト機
FJ-4 150機製造された戦闘機型
FJ-4B 222機製造された攻撃機型
FJ-4F 2機製造されたテスト機
F-1E 名称変更されたFJ-4
AF-1E 名称変更されたFJ-4B
生産数374
スペック型式-
全 幅11.9m
全 長11.1m
全 高4.2m
翼面積31.46㎡
自 重5,992kg
総重量/最大離陸重量9,130kg
発動機J65-W-16A(3,500kg)×1
最大速度1,090km/h
実用上昇限度14,300m
戦闘行動半径-
航続距離3,250km
乗 員1名
初飛行1954年10月28日
就 役1955年2月
退 役1964年
兵 装

ノース・アメリカンFJ-2/3フューリー

North American FJ-2/3 Fury
ノース・アメリカンFJ-2/3フューリーNorth American FJ-2/3 Fury

F86セイバーの海軍型

ドイツの先進技術を強奪

※文頭写真:アメリカ空軍のF-86セイバーを同海軍型としたFJ-2フューリー。PHOTO USNAVY

レシプロからジェットへの転換期であった第2次世界大戦末期、技術的に最も進んでいたのはナチスドイツでした。ナチスドイツの敗戦によりこれらの先端技術は勝利国により当然の如く簒奪されました。その中でも高速化するジェット戦闘機における後退翼の技術は特に革新的であり、この技術を使って造られた最初の高性能戦闘機は旧ソ連のMiG-15でした。

直線翼のFJ-1(左)と後退翼のFJ-2(右)。PHOTO USNAVY
直線翼のFJ-1(左)と後退翼のFJ-2(右)。PHOTO USNAVY

MiG-15は第2次世界大戦終結から5年度に勃発した朝鮮戦争において突如として出現し、その高性能ぶりから西側諸国に「ミグショック」といわれる程の衝撃を与えました。当時米海軍が主力としていたF2H-2バンシーF9FパンサーではMiG-15には対抗することはできませんでした。

1956年(昭和31年)3月、アメリカ海軍空母USSフォレスタル艦上のFJ-3フューリー。PHOTO USNAVY
1956年(昭和31年)3月、アメリカ海軍空母USSフォレスタル艦上のFJ-3フューリー。PHOTO USNAVY

当時MiG-15に対抗できた唯一の米軍戦闘機は、MiG-15と同じようにナチスドイツの技術をもとに開発されたF-86セイバーでした。焦った(でしょう、きっと)米海軍はF-86の海軍仕様を発注します。離着陸時の衝撃や狭い艦上での運用など艦載機ならでは条件をクリアした初号機は1952年2月に進空し、同年10月から海兵隊に配備されました。これがFJ-2です。

FJ-2はなかなかの性能ではありましたが、やはり艦載機ならではの装備による重量増加からエンジンのパワー不足に陥り、海軍は即座に改良型の開発を発注。エンジンをJ47-GE-2(2,722kg)からJ65-W-4(3,470kg)に換装し、空対空ミサイルを装備可能にするなどの改良を施したFJ-3が開発されます。

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
主要なバリエーションXFJ-2 3機製造された試作機
FJ-2 Fury 200機製造された量産型
FJ-3 Fury 538機製造された量産型。エンジンをJ65-W-2、J65-W-4に換装
FJ-3M Fury 194機製造されたAIM-9サイドワインダー搭載型
FJ-3D 標的機
FJ-3D2 標的機
生産数741
スペック型式-
全 幅11.31m
全 長11.45m
全 高4.14m
翼面積26.7㎡
自 重5,353kg
総重量/最大離陸重量8,523kg
発動機J47-GE-2×1
最大速度1,088km/h
実用上昇限度14,300m
戦闘行動半径-
航続距離1,593km
乗 員1名
初飛行1951年12月2日
就 役1954年
退 役1962年9月
兵 装

ノース・アメリカンFJ-1フューリー

North American FJ-1 Fury
ノース・アメリカンFJ-1フューリーNorth American FJ-1 Fury

P51マスタングのノース・アメリカン社が手がけた初のジェット機

性能的にはふるわず

文頭写真:名機P-51マスタングをジェット化したFJ-1フューリー。PHOTO USNAVY

第2次世界大戦末期の1945年頃、日本本土上陸作戦に向けてジェット戦闘機の配備を急ぐ米海軍は、マクドネル(FH-1)、チャンス・ボート(F6U)、グラマン(F9F)、ノース・アメリカン(FJ-1)の各社に開発を発注していました。この中で、傑作レシプロ機P-51マスタングを生み出したノース・アメリカン社は1946年9月11日、FJ-1フューリーの初飛行に成功します。

FJ-1は機種にインテイク(空気取入口)を設け、胴体下部に低翼配置した直線翼を持ち、全体にズングリとした印象の機体は、レシプロ機と同じ発想によって開発されていたことがわかります。この後、ドイツの敗戦により航空先端技術を簒奪した結果、後退翼という革新的な技術が加わり様相は一変することとなります。

試験において、エンジンの推力不足、主翼強度不足、コクピットが与圧式でないなどの欠点が指摘されたものの改良されることはなく、100機から30機に減らされた発注数のまま製造され、1948年8月には実戦部隊(VF-5B)に配備されたものの、F9F-3パンサーとの交代が進み早くも翌1949年10月には艦上から姿を消しました。

手堅い設計による本機は、その手堅さから想像される通りレシプロ機と大差ない性能となりましたが、このFJ-1は同時期に米空軍からもXP-86として発注されており、これが後にドイツの先進技術である後退翼を取り入れた初期の傑作ジェット戦闘機F-86セイバーとなり、その発展型がFJ-2〜-4として米海軍にも配備されることとなります。

アメリカ海軍航空母艦USSボクサー艦上のFJ-1フューリー。VF-5A戦闘飛行隊所属機。1948年(昭和23年)3月16日。PHOTO USNAVY
アメリカ海軍航空母艦USSボクサー艦上のFJ-1フューリー。VF-5A戦闘飛行隊所属機。1948年(昭和23年)3月16日。PHOTO USNAVY

運用者アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
主要なバリエーションXFJ-1 3機製造された試作機
FJ-1 30機製造された量産型
生産数31
スペック型式-
全 幅11.63m
全 長10.49m
全 高4.52m
翼面積20.53㎡
自 重8,843kg
総重量/最大離陸重量15,115kg
発動機J35-A-2(1,814kg)
最大速度880km/h
実用上昇限度9,753m
戦闘行動半径987km
航続距離2,414km
乗 員1名
初飛行1946年9月
就 役1947年11月
退 役1949年10月
兵 装