「試作機」タグアーカイブ

ロッキードYF-12

Lockheed YF-12
ロッキードYF-12Lockheed YF-12

世界初のマッハ3級戦闘機

高度27,000mを時速3,600kmで飛行

※文頭写真:試験飛行中のYF-12。PHOTO USAF

ロッキードYF-12(1963)はアメリカのロッキード社がアメリカ空軍向けに開発したマッハ3級の巨大な戦闘機です。全長約31mという巨大で異様な姿は、我々が想像する戦闘機の形からはかけ離れています。結局採用には至りませんでしたが、東西冷戦を象徴する機体の一つといえるでしょう。

激しい東西冷戦の最中、1954インターセプター計画にみられるように、アメリカ空軍の戦闘機開発は飛来するソ連の戦略爆撃機を迎撃することが大きな目的でした。また、アメリカ空軍自身の戦略爆撃機を護衛するための戦闘機が必要ということも大きな開発目的となっていました。

どんな戦闘機よりも高く、そして速く飛べば、爆撃機は攻撃されることなく最終兵器である核爆弾を投下することができます。アメリカ空軍は高度22,000mをマッハ3という高速で飛行し、アラスカ〜モスクワ間を無着陸で往復できる超音速戦略核爆撃機、XB-70を構想していました(試作機の段階でキャンセル)。

YF-12。PHOTO USAF
YF-12。PHOTO USAF

YF-12の開発が始まった1960年頃、XB-70のような戦略爆撃機をソ連が保有してはいませんでしたが、アメリカは早晩ソ連が開発に着手、もしくはすでに手にしていると考えていました。

ソ連戦略爆撃機の脅威、自軍の超音速戦略爆撃機の護衛という大きな目的のもと、アメリカ空軍はXF-103XF-108といった大型・高速の迎撃戦闘機を計画しますが、いずれも採用前に計画中止となってしまいます。

同じ頃ロッキード社は、CIA向けに高度約3万mという高空をマッハ3以上の高速で飛行する偵察機、A-12を開発しており(こちらは採用されます)、A-12を元に戦闘機化することで開発費を抑えて実用化することができると提案し、アメリカ空軍はこれを受け入れます。

アメリカ空軍初の本格的ジェット戦闘機となったP-80と並ぶYF-12。PHOTO USAF
アメリカ空軍初の本格的ジェット戦闘機となったP-80と並ぶYF-12。PHOTO USAF

戦闘機化にあたっては、最新のAN/ASG-18レーダーや、それにともなうレーダー操作員席の増設、ミサイル運用装置の追加などが行われました。

初飛行は1963年8月に行われ、飛行試験が続けられました。世界速度記録・高度記録を塗り替えるなど優秀な試験結果を残しますが、財界出身で費用対効果と統計学を駆使するロバート・マクナマラが国防長官に就任すると、YF-12計画は中止となりました。

結果的には、当時のソ連はYF-12のスペックでなければ迎撃できない程の超高度・超音速の戦略爆撃機を保有していなかったわけですから、その点では国防長官のロバート・マクナマラの判断は正しかったということになります。

運用者-
主要なバリエーションYF-12A 試作機。3機製造
F-12B 量産型。計画のみ
生産数3
スペック型式YF-12A
全 幅16.95m
全 長30.97m
全 高5.64m
翼面積167㎡
自 重27,600kg
総重量/最大離陸重量56,200kg
発動機J58/JTD11D-20A(9,300kg)×2
最大速度3,661km/h
実用上昇限度27,400m
戦闘行動半径-
航続距離4,800km
乗 員2名
初飛行1963年8月7日
就 役-
退 役-
兵 装

ノース・アメリカンXF-108レイピア

North American XF-108 Rapier
ノース・アメリカンXF-108レイピアNorth American XF-108 Rapier

核ミサイル前夜の産物

27mを超える巨大な図体

※文頭写真:センチュリー・シリーズの集大成を目指した怪物、XF-108レイピア。27m超の巨体です。PHOTO USAF

ノースアメリカンXF-108レイピア(1959)はアメリカのノースアメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。XF-103と同じようにマッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。

1950年代東西の覇権争いは激化しており、特に最終兵器である核の運用を巡り爆撃機、航空母艦、ミサイルという三つ巴の開発合戦が繰り広げられていました。

最初期の核爆弾は大型であり、空中から投下せざるを得ず運用は日本に落としたように爆撃機が担っていました。徐々に小型化すると艦上戦闘機でも運用できるようになり、さらにはナチス・ドイツが第2次世界大戦中に開発した弾道ミサイルの開発も進んでいました。

1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功して以降、1960年代に入ると今日知られるようにミサイルによる核運用がとてつもないスピードで進んでいきます。ちなみに、ジェット戦闘機の技術と同じように、大気圏外を飛行する弾道ミサイルもまたナチス・ドイツが最先端の技術を保有しており、戦後これを収奪した戦勝国が開発を進め、その中でも最も熱心だったソ連が最初に打ち上げを成功させたのです。

マッハ3という高速で飛行するXB-70戦略爆撃機は、そのような状況において開発され、そして爆撃機に必須の護衛機として本機の開発もスタートしました。それまでの戦闘機のカテゴリーに入りきらない程のオーバースペックを目指し、1958年には基本案が固まり、1961年3月に初飛行に漕ぎ着ける予定でしたが、機体価格の高騰、最新の電子機器やミサイルの開発も難航した上に、XB-70計画自体が試作機の段階で打ち切りとなり、本機の開発も試作機の段階で終了しました。

これだけとんでもない性能を企図したため、全長は27.2m、自重23,098kgという巨大な機体となっています。エンジンは7,939kgと高出力のJ93-GE-3Rを2基搭載し、24,400mという高空での作戦行動が可能でした。航続距離は約4,000kmと非常に長いものでしたが、護衛すべきXB-70は12,000km以上を目指していましたから、これでは完璧に護衛することはできません。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅17.5m
全 長27.2m
全 高6.7m
翼面積173.4㎡
自 重23,098kg
総重量/最大離陸重量34,530kg
発動機J93-GE-3R(7,938kg)×2
最大速度3,190km/h
実用上昇限度24,400m
戦闘行動半径2,033km
航続距離4,004km
乗 員2名
初飛行-
就 役-
退 役-
兵 装

リパブリックXF-103

Republic XF-103
リパブリックXF-103Republic XF-103

怪物的戦闘機計画

高度3万m、マッハ3.7を目指した異色の戦闘機計画

※文頭写真:XF-103のモックアップ。時代を象徴する怪物、といった様相。PHOTO National Museum of US Air Force

リパブリックXF-103(1954)は、アメリカのリパブリック社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。マッハ3級戦略爆撃機ノースアメリカンXB-70の護衛機として構想されましたが、モックアップに終わりました。

それまでの戦闘機とは全く異なるミサイルのようなフォルムは、異様な迫力をもっています。異様なのは形だけではなく、機体素材にはチタンが使われ、ターボジェットエンジンとラムジェットエンジンを1基ずつ搭載し、高度3万mという高空においてマッハ3.7というそれまでに類を見ない性能を目指して開発が進められていました。

このような戦闘機開発が進められたのは、XB-70というマッハ3級の戦略爆撃機に理由があります。爆撃機には護衛する戦闘機が必要であり、同じ高度を同じ速度で飛べる戦闘機が必要になったというわけです。

XB-70はXF-103以上に未来的な形をしており、XF-103とは違い試作機の飛行試験まで進み、マッハ3超の記録を残しています。しかし、1957年8月にソ連が世界初の大陸間弾道ミサイルR-7の打ち上げに成功し、さらには費用対効果を重視する経営者あがりのロバート・マクナマラ国防長官により、XB-70よりもミサイル開発の方が優秀であるとの結論が与えられ、採用には至りませんでした。

エンジンの開発遅延、XB-70の怪しい雲行き、価格の高騰などによりモックアップを完成させたのみで計画は中止になっています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数-
スペック型式-
全 幅10.5m
全 長23.5m
全 高5.1m
翼面積37.2㎡
自 重11,317kg
総重量/最大離陸重量17,466kg
発動機XJ67-W-3(6,700kg)×1、XRJ55-W-1(8,400kg)×1
最大速度Mach3(3,675km/h)+
実用上昇限度24,390m+
戦闘行動半径724km
航続距離2,486km
乗 員1名
初飛行-
就 役-
退 役-
兵 装

ノース・アメリカンF-107

North American YF-107
ノース・アメリカンF-107North American YF-107

名機セイバーの進化形を目指す

F-105採用により試作機にとどまる

※文頭写真:空軍博物館に保管されているF-107A。PHOTO USAF

ノースアメリカンYF-107(1956)は、F-100スーパーセイバーの発展型を期して開発されたアメリカ空軍の戦闘機です。F-100は名機F-86セイバーの後継ですから、名機F-86の究極型を目指したものともいえます。しかし、Yの字がある通り試作に終わっています。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スーパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノースアメリカン社はF-86セイバーの進化版であるF-100の開発と同時に、セイバーの血を受け継ぐさらなる新型機を研究していました。当初はF-100Bという名称で、F-100Aの改良版といった内容で1953年3月にアメリカ空軍より発注を受けます。

しかし、日進月歩で進歩するジェット戦闘機の世界、同年10月には同じ時期に開発されていたマッハ2級かつ核兵器搭載能力を持つF-105と同等のスペックを求めた内容に変更されます。

これにより、設計構想は大幅に変わり、一瞥して判るように胴体上方に空気取入口(インテイク)を設けた機体はいかにも高速迎撃機といった様相です。1956年には初飛行に成功していますが、そもそも本命であったF-105が上々の試験結果を出していたため1957年、F-105採用がきまりF-107は3機の試作機をもって開発終了となりました。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数3
スペック型式-
全 幅11.15m
全 長18.85m
全 高5.89m
翼面積35㎡
自 重10,295kg
総重量/最大離陸重量18,033kg
発動機YJ75-P-9(7,640kg)×1
最大速度Mach2(2,450km/h)+
実用上昇限度16,220m
戦闘行動半径-
航続距離3,885km
乗 員1名
初飛行1956年9月10日
就 役-
退 役1957年11月
兵 装

マクドネルXF-85ゴブリン

McDonnell XF-85 Goblin
マクドネルXF-85ゴブリンMcDonnell XF-85 Goblin

長距離爆撃機に収容される寄生戦闘機

珍機

※文頭写真:大型の戦略爆撃機の腹の中に寄生するという発想を形にしたXF-85ゴブリン。PHOTO USAF

マクドネルXF-85ゴブリン(1948)は長距離爆撃機に収容されるアメリカ空軍の寄生戦闘機です。長距離爆撃機の内部に搭載され、そこから出撃、再度収容しようという計画から開発されましたが、試作機のみに終わりました。

第2次世界大戦後、アメリカ陸軍の一部隊であった陸軍航空隊がアメリカ空軍として独立しますが、当時は爆撃を任務とする戦略航空軍団(SAC)が大きな力を持っていました。さらに、空軍としては、最終兵器である核爆弾を運用する戦略は長距離爆撃機でなければならず、航空母艦による運用を主張する海軍に負けるわけにはいきませんでした。

しかし、1946年に初飛行したB-36戦略爆撃機は航続距離16,000kmという超長距離爆撃機であり、B-29の約7,000kmと比べても隔絶した航続性能を誇っていました。

超長距離爆撃機B-36を開発したものの、当時は未だ空中給油が確立されておらず、空軍にはこれだけの長距離を護衛できる戦闘機がありませんでした。そこでB-36の内部に戦闘機を搭載しようという計画が持ち上がりました。

寄生戦闘機、XF-85ゴブリン。PHOTO USAF
寄生戦闘機、XF-85ゴブリン。PHOTO USAF

第2次世界大戦終結後すぐの1945年9月から開発が始まり、1947年に2月にはXP-85として試作機が制式に発注されます。爆撃機の弾倉庫内に格納されるため全長は4.52mと短く、ずんぐりとした胴体をしています。試作機は1948年8月に初飛行し、母機からの発進には成功しています。

しかし、性能は見た目の想像どおりであり、敵戦闘機を空中戦において撃墜することは不可能なうえ、発進はできても母機に戻ることはできませんでした。そうこうするうちに空中給油の技術も発達し、計画は中止されました。

そもそもが? という意見もあるでしょうが、それほどに長距離爆撃機の護衛戦闘機の必要性は切実であったということでしょう。ジェット戦闘機黎明期らしい柔軟な発想の表れともいえます。こういった柔軟さがアメリカという国の侵略力の一翼を担っているのかとも思えます。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数2
スペック型式-
全 幅6.42m
全 長4.5m
全 高2.51m
翼面積8.36㎡
自 重1,700kg
総重量/最大離陸重量2,050kg
発動機J34-WE-22(1,360kg)×1
最大速度1,069km/h
実用上昇限度14,600m
戦闘行動半径-
航続距離805km
乗 員1名
初飛行1948年8月23日
就 役-
退 役-
兵 装

ロッキードXF-90

Lockheed XF-90
ロッキードXF-90Lockheed XF-90

長距離侵攻戦闘機計画

洗練されたフォルムながらふるわず

※文頭写真:長距離侵攻戦闘機計画からうまれた、XF-90。PHOTO USAF

ロッキードXF-90(1949)はアメリカ空軍(陸軍航空隊)の長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画に従って開発された2機のうちの一つです。

アメリカ空軍と海軍は核爆弾という最終兵器の運用を巡り対立していました。空軍は長距離爆撃機による運用を主張し、海軍は航空母艦での運用を主張していました。空軍の長距離爆撃機運用の弱点は、それを護衛する長距離戦闘機がないということでした。

後には超音速かつ超高高度のジェット爆撃機やステルス爆撃機がうまれますが、この時代は空中給油すらありませんでしたから、ひたすら航続距離の長い戦闘機が望まれました。

こういった事情から空軍は長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画を立て、それに従い、2社がそれぞれ1機ずつ開発を進めました。一つは本機XF-90、もう一つはマクドネルXF-88ブードゥーでした。

本機はロッキード社が開発し、空軍発の本格的ジェット戦闘機として配備されていたP-80シューティングスターを基本に開発されました。主翼は後退翼化され、全体のフォルムは鋭くまとめられて見た目はとても美しく高性能を予感させます。

しかし、1949年6月の初飛行の結果はまったくふるわず、競作機のXF-88ブードゥーに劣るものでした。そうこうするうちに朝鮮戦争が勃発し、予算獲得も難航する中、計画自体が中止となってしまい、採用されることはありませんでした。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数2
スペック型式-
全 幅12.20m
全 長17.11m
全 高4.8m
翼面積32.05㎡
自 重8,204kg
総重量/最大離陸重量12,338kg
発動機J34-WE-15(1,635kg)×2
最大速度1,064km/h
実用上昇限度11,890m
戦闘行動半径-
航続距離3,680km
乗 員1名
初飛行1949年6月3日
就 役-
退 役-
兵 装

マクドネルXF-88ヴードゥー

McDonnell XF-88 Voodoo
マクドネルXF-88ヴードゥーMcDonnell XF-88 Voodoo

米空軍、長距離侵攻戦闘機計画の一

良好な性能ながら試作機におわる

※文頭写真:XF-88ブードゥー。PHOTO USAF

マクドネルXF-88ブードゥー(1948)はアメリカ空軍が開発した長距離戦闘機です。第2次世界大戦後、アメリカ空軍と海軍は最終兵器である核爆弾を巡って火花を散らしていました。

空軍は兵器の人体実験として日本に2発も投下したように長距離爆撃機による核爆弾運用を、海軍は航空母艦による核運用を主張しており、海軍が空軍の長距離爆撃機運用の穴としてついていたのは長距離護衛戦闘機がないことでした。長距離護衛戦闘機がなければ、近場に基地を確保することになり、それならば航空母艦を運用すればよいということです。

こういった事情から空軍は長距離爆撃機を護衛する長距離戦闘機の開発「長距離侵攻戦闘機(Penetration Fighter)計画を立て、2機の戦闘機を開発していました。1機は本機XF-88、もう1機はロッキード社のXF-90でした。

本機は1948年6月に初飛行し航続距離約2,800kmとまずまずの性能を発揮しましたが、長距離爆撃機の護衛機としては性能不足であり、さらには朝鮮戦争も勃発したため計画は試作機のみで中止となりました。

マクドネル社は本機の開発を後にマクドネルF-101ブードゥーにいかしています。それは、全体の形状が似ていること、愛称が継承されていることから想像できます。

運用者-
主要なバリエーションXF-88 最初の試作機
XF-88A 2次試作機。エンジン換装
XF-88B ターボプロップエンジンを機種に追加した試作機
生産数2
スペック型式-
全 幅12.9m
全 長16.48m
全 高5.25m
翼面積32.52㎡
自 重5,507kg
総重量/最大離陸重量8,392kg
発動機J34-WE-22(1,905kg)×2
最大速度1,136km/h
実用上昇限度12,009m
戦闘行動半径-
航続距離2,779km
乗 員1名
初飛行1948年10月20日
就 役-
退 役-
兵 装

コンベアXF-92A

Convair XF-92A
コンベアXF-92AConvair XF-92A

初のデルタ翼迎撃機

デルタ翼の実証試験機

※文頭写真:デルタ翼を初めて採用した迎撃戦闘機、XF-92A。PHOTO USAF

コンベアXF-92A(1948)は第2次世界大戦終戦直後の1945年9月、アメリカ空軍が要求した2種類の迎撃戦闘機のうちの一つ。もう一つはリパブリックXF-91サンダーセプターです。

アメリカ空軍の要求は、高々度を飛来する爆撃機や偵察機を迎撃する戦闘機として最高速度時速1,126km、高度15,240mまで4分以内に到達する高性能な超音速機でした。この要求に答える形で開発が始まりましたが、途中からデルタ翼の実証試験機に用途変更されました。

当初はXF-91と同様にジェット+ロケットエンジンの混合動力が企図されていましたが、デルタ翼の試験機となりジェットエンジンのみとなりました。三角形のデルタ翼に同じく三角形の尾翼を備えたコンパクトな機体はこれまでの戦闘機とはまったく異なっています。

オハイオ州のアメリカ空軍博物館に保存されているXF-92A。PHOTO USAF
オハイオ州のアメリカ空軍博物館に保存されているXF-92A。PHOTO USAF

デルタ翼とは三角翼ともいわれ、ギリシャ語のΔ(デルタ)に似ていることからデルタ翼といわれます。高亜音速から超音速という高速飛行に向いており、加速性に優れ高速域において高い運動性を発揮します。ダブルデルタ、クリップドデルタなどの派生系があり、現代最新鋭の戦闘機にも発展形が使われています。

XF-92Aは世界初のデルタ翼機として1948年9月に初飛行したものの、音速を超えることができず、飛行性能も期待通りとはいきませんでした。芳しくない試験結果の原因はエンジンの出力不足ともいわれています。

本機の開発にはジェット戦闘機開発の先進国であった敗戦国ドイツのアレキサンダー・マルティン・リピッシュを技術顧問として開発されました。その後もデルタ翼の試験機として使用され、うみだされたデータはこの後のデルタ翼機に活かされています。

運用者-
主要なバリエーション-
生産数1
スペック型式-
全 幅9.55m
全 長12.92m
全 高5.37m
翼面積39.48㎡
自 重4,118kg
総重量/最大離陸重量6,626kg
発動機J33-A-29(3,402kg)×1
最大速度1,160km/h
実用上昇限度15,450m
戦闘行動半径-
航続距離-
乗 員1名
初飛行1948年4月1日
就 役-
退 役-
兵 装

リパブリックXF-91サンダーセプター

Republic XF-91 Thundercepter
リパブリックXF-91サンダーセプターRepublic XF-91 Thundercepter

アメリカ軍機として初めて超音速を突破

水平飛行で超音速突破、しかし採用されず

※文頭写真:NACAの高速飛行試験に供されるXF-91。1951年3月。PHOTO NASA

リパブリックXF-91サンダーセプター(1949)は第2次世界大戦終戦直後の1945年9月、アメリカ空軍が要求した2種類の迎撃戦闘機のうちの一つです。ロケットとジェット、2つのエンジンを搭載した混合動力戦闘機でした。

迎撃戦闘機とは、迎撃機、要撃機、防空戦闘機などとも呼ばれ、主に飛来する爆撃機や偵察機の迎撃を目的とする軍用機です。高々度を飛来する爆撃機を迎撃するため、高い上昇力と攻撃力が求められます。

これらの条件をクリアするため、リパブリック社はジェットエンジンに加えて4基のロケットエンジンを搭載する混合動力という形式を採用します。

1946年に初飛行し優れた兵器搭載量と航続距離をもって活躍した同社のF-84サンダージェットを基本に開発され、J47-GE-17ジェットエンジンの排気口上下にXLR11-RM-9ロケットエンジンを2基ずつ配置しています。

主翼は翼端失速を防ぐ目的で付け根から翼端に向かって広く太い逆テーパー形になっています。翼端失速とは翼端付近から付け根(胴体)に向かって失速が発生する現象です。低速時に発生することが多いといわれます。

ロケットエンジンの遅れにより1952年5月となった初飛行においては、アメリカ軍機として初めて水平飛行における音速突破に成功しています。このまま採用されれば世界初の実用戦闘機となったはずでしたが、アメリカ空軍はより高性能な迎撃機の開発を求め、本機は採用されませんでした。

運用者-
主要なバリエーションXF-91 試作機。2機製造
生産数2
スペック型式-
全 幅13.18m
全 長9.52m
全 高5.51m
翼面積29.72㎡
自 重6,410kg
総重量/最大離陸重量8,400kg
発動機J47-GE-17(3,400kg)×1、XLR11-RM-9(2,720kg)×4
最大速度1,584km/h
実用上昇限度14,500m
戦闘行動半径-
航続距離1,880km
乗 員1名
初飛行1949年5月9日
就 役-
退 役-
兵 装

カーチスXF-87ブラックホーク

Curtiss XF-87 Blackhawk
カーチスXF-87ブラックホークCurtiss XF-87 Blackhawk

ジェット転換期の全天候型戦闘機計画

F-89に負け計画キャンセル。カーチス社最後の戦闘機

文頭写真:長大な航続距離と高速性、全天候性能などを狙ったものの、試作段階に終わったXF-87ブラックホーク。PHOTO USAF

カーチスXF-87ブラックホーク(1948)はカーチス社(アメリカ)がアメリカ空軍向けに開発した全天候型戦闘機です。攻撃機案を転用したこともあり全体として珍しい設計になっています。

元々は1945年からジェット戦闘攻撃機として開発されていたXA-43でしたが、アメリカ空軍(陸軍航空隊)が第2次世界大戦中に開発した双発エンジン・重武装の全天候型戦闘機P-61の後継機を求めていたため、それに従いXP-87夜間戦闘機として開発されます。

一見して重量級の機体であることがわかります。当時のジェットエンジンは未だ非力でありXF-87のJ34も1,350kgの推力しかなく、非力を補うためこれを主翼に2発ずつ4発搭載しています。攻撃機として設計されたXA-43を転用したため機体はとても大きく、コクピットは並列(サイドバイサイド)の複座となっています。

1948年3月に初飛行し戦闘機型、偵察機型あわせて87機の発注を得ますが、F-89スコーピオンが優秀な性能を発揮し、こちらがP-61の後継機となったため本機の開発はキャンセルされました。

開発元であるカーチス・ライト社(アメリカ)は、グレン・カーチスにより1916年に設立され1929年に12もの会社と合弁して巨大化し、当時アメリカにおいて最大の航空機メーカーでした。第2次世界大戦中も29,000機以上の航空機を製造し発展しますが、ジェット化の波に乗り遅れ本機を最後に身売りし、航空機メーカーとしては幕を閉じますが部品やメンテナンスの会社として現在も存続しています。

運用者-
主要なバリエーションXF-87 2機製造された試作機
XF-87A 改良型試作機。1機製造
F-87 量産型。計画のみ
RF-87A 偵察型試作機。計画のみ
生産数2
スペック型式-
全 幅18.28m
全 長18.90m
全 高6.19m
翼面積55.74㎡
自 重11,786kg
総重量/最大離陸重量22,682kg
発動機XJ34-WE-7(1,360kg)×4
最大速度966km/h
実用上昇限度12,500m
戦闘行動半径-
航続距離1,600km
乗 員2名
初飛行1948年3月1日
就 役-
退 役-
兵 装