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ノースロップF-5E/FタイガーⅡ

Northrop F-5E/F TigerⅡ
ノースロップF-5E/FタイガーⅡNorthrop F-5E/F TigerⅡ

進化したF-5

ソ連MiG-21のライバル

※文頭写真:F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

ノースロップF-5E/FタイガーⅡ(1972-1989)はアメリカのノースロップ社が開発した軽量級の超音速戦闘機F-5A/Bの発展型です。運動性能の向上とともに、捜索範囲40kmと高性能とはいえないまでもレーダーが搭載されたことにより戦闘能力は大いに高まっています。

F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF
F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

F-5A/Bのライバルは9,500機もの生産数を誇り共産圏に供与されたソ連のMiG-19。MiG-19はMiG-15譲りの運動性能を持つ超音速戦闘機でした。F-5A/BはMiG-19に対する自由陣営後進国の戦闘機としては優秀でしたが、1959年(昭和34年)にマッハ2級のMiG-21が登場、F-4ファントムⅡF-8クルーセイダーなら戦えましたが、F-5A/Bでは太刀打ちできませんでした。

ソ連のMiG-21フィッシュベッド。UV-16ロケットポッドを装着しています。写真:US DoD
ソ連のMiG-21フィッシュベッド。UV-16ロケットポッドを装着しています。写真:US DoD

アメリカ空軍は、これに対抗する友好国供与用の戦闘機開発を始めます。各社案の中からノースロップF-5E/FタイガーⅡが選ばれ、1970年11月に制式に発注を受けます。

安価で整備性が高く扱いやすいF-5A/Bの良さを受け継ぎつつ、エンジンを強化、燃料搭載量も増加し、戦闘行動半径は三割方向上します。最高速度はマッハ1.6とMiG-21には及びませんが、AN/APQ-153Xレーダの搭載や緩い後退角による中低高度の高い運動性を武器に、MiG-21に対抗しうる戦闘機となっています。

F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF
F-5EタイガーⅡ。PHOTO USAF

初飛行は1972年8月11日、1973年からアメリカ空軍への配備が始まり、その後友好国に供与されました。供与された国はアメリカを含めて20か国を超え、ライセンス生産を含めて1,400機が生産されました。サウジアラビアやバーレーン、韓国に供与されたF-5は湾岸戦争に参加するなど、供与された機体はいくつかの戦争に参加しています。アメリカ本国ではアグレッサー機(仮想敵機)として使用されました。

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
アメリカ海兵隊
シンガポール空軍
ブラジル空軍
イエメン空軍
スイス空軍
南ベトナム空軍
イラン空軍
スーダン空軍
ベトナム空軍
インドネシア空軍
エチオピア空軍
タイ空軍
オーストリア空軍
台湾空軍
ホンジュラス空軍
チュニジア空軍
マレーシア空軍
チリ空軍
メキシコ空軍
モロッコ空軍
ヨルダン空軍
ケニア空軍
バーレーン空軍
サウジアラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションF-5E F-5A改良型エンジン強化、レーダー装備など
FR-5E 簡易偵察機
RF-5E 偵察機
F-5F 複座の練習機
F-5N スイスで余ったF-5Eを米海軍が仮想敵機(アグレッサー)として使用
F-5G F-20。エンジンを換装し単発化。電子機器を近代化
F-5S/T シンガポール空軍の近代化改修型
F-5EM ブラジル空軍の近代化改修型
タイガーⅢ チリ空軍の近代化改修型
タイガーⅣ 近代化改修のデモ機
F-5T タイ空軍の近代化改修型
生産数1,399
スペック型式F-5E
全 幅8.13m
全 長14.68m
全 高4.06m
翼面積17.28㎡
自 重4,392kg
総重量/最大離陸重量9,150kg
発動機J85-GE-21A(1,588kg/AB 2,268kg)×2
最大速度1,743km/h
実用上昇限度15,789m
戦闘行動半径700km
航続距離2,483km
乗 員1名
初飛行1972年8月11日
就 役-
退 役1989年
兵 装

コンベアF-106デルタダート

Convair F-106 Delta Dart
コンベアF-106デルタダートConvair F-106 Delta Dart

高性能迎撃戦闘機

最新のデータリンクを装備

※文頭写真:F-106Aデルタダート。大型・フル装備のアメリカ空軍らしい高級機です。PHOTO USAF

コンベアF-106デルタダート(1956−1988)はアメリカのコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機(要撃機)。東西の覇権争いの激化を象徴するかのように、アメリカが次々と新型戦闘機を開発していた時代を象徴するセンチュリーシリーズ(F-100番台の戦闘機)の一つです。

世界初の実用デルタ翼戦闘機であったF-102と同じ計画からうまれたデルタ翼機であり、大出力エンジンと最新型の電子機器を搭載した高性能機となっています。飛来するソ連爆撃機を迎撃する目的で開発されたため、高い高速性と上昇能力を要求されたものです。

F-106は1954インターセプター計画と銘打って始まったソ連爆撃機に対するアメリカの迎撃機開発計画から始まりました。この計画からはF-102とF-106という二つのデルタ翼戦闘機がうまれています。

1954インターセプター計画は新型電子機器MA-1レーダー射撃管制装置(FCS)やエンジンの開発遅延に難儀したコンベア社とアメリカ空軍は、ひとまず現行型を搭載したF-102Aを開発・採用し、その後F-102Aを元により高性能なF-102Bを開発するという落とし所をつけました。

このF-102BがF-106と名称変更され、F-106デルタダートとなります。全体の形状は当初からエリアルールを採用し洗練されたものとなっています。エンジンは7,302kgの大出力を発揮するプラット&ホイットニー社のJ75を搭載し1956年12月、初飛行に成功します。

F-106A。PHOTO USAF
F-106A。PHOTO USAF

飛行試験と改良は続けられ、最高速度はマッハ2を超え、到達高度は18,820mを記録しています。二段階計画ともいえるF-102/F-106の原因の一つともなった電子機器MA-1は、デルタ翼とともにF-106最大の特徴となっています。

MA-1は従来の射撃管制システムを超え、真空管を使用したデータリンクシステムとなっています。これは、北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)が1950年代末から1980年代まで運用していた半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)とリンクして敵機を迎撃するものです。

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

ちなみに、このシステムは今日のコンピュータシステムにつながる大変先進的な巨大コンピュータシステムであり、開発したIBM社はSAGEの技術をその後業界を支配する大きな力としたことは想像に難くありません。

F-106の部隊配備は1959年6月に始まり、10月にはアラート任務に就きます。1970年代から徐々に退役し、1987年頃を最後に実戦部隊から退きました。退役した機体は空軍州兵で運用された他、仮想敵機として使用されました。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションF-102B 試作機。F102の試作機のひとつとして開発された
F-106A 量産型。277機製造
F-106B 複座の練習機。63機製造
NF-106B 試験機
QF-106 NASA使用機
生産数340
スペック型式-
全 幅11.67m
全 長21.55m
全 高6.18m
翼面積61.52㎡
自 重11,080kg
総重量/最大離陸重量15,670kg
発動機J75-P-17(7,302kg)×1
最大速度2,455km/h
実用上昇限度17,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離4,300km
乗 員1名
初飛行1956年12月26日
就 役1959年6月
退 役1988年
兵 装

ロッキードF-104スターファイター

Lockheed F-104 Starfighter
ロッキードF-104スターファイターLockheed F-104 Starfighter

異色の戦闘機

キャッチコピーは、最後の有人戦闘機

※文頭写真:朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF

ロッキードF-104スターファイター(1954-1975)は1950〜60年代に一世を風靡したアメリカ空軍センチュリーシリーズ戦闘機の一つであり、ロッキード社の鬼才クラレンス“ケリー”ジョンソンが開発にあたりました。

F-104はセンチュリーシリーズの他の機体に比べて格段に小型・軽量に設計されています。例えばF-101の全幅12.09m、全長20.55m、F-102の全幅11.61m、全長20.55mに比べ、F-104は全幅6.62m、全長16.66mしかありません。大型・重装備を特徴としていたアメリカ軍戦闘機にあって、F-104は異色の戦闘機といえます。これは、朝鮮戦争(1950〜1953)におけるミグ・ショックが大きく影響を及ぼしています。

1950年6月25日に朝鮮戦争が始まり、当初はまともな空軍を持たない北朝鮮に対して安々と制空権を得ていたアメリカを始めとする国連軍でしたが、中国経由でソ連が介入してくることとなり、1950年11月朝鮮半島北部上空に突如としてソ連の高性能新型戦闘機、MiG-15が出現します。

オハイオ州の空軍博物館にあるF-104C。PHOTO USAF
オハイオ州の空軍博物館にあるF-104C。PHOTO USAF

ドイツから収奪した後退翼技術とイギリスから入手したジェットエンジンの先進技術を絶妙なバランスを持って融合させたMiG-15は、速度や上昇力といった運動性能、整備性、武装など、ほとんどあらゆる面でアメリカを中心とする国連軍の戦闘機を凌駕しており、安々と確保していた制空権は一気に危機的状態に陥ります。

この危機は同じくドイツから収奪した後退翼技術により開発したアメリカのF-86セイバーを配備し、激闘の末、何とか乗り切ることができました。しかし、辛くも勝利できたのはパイロットの技量や装備、射撃管制装置などに頼った部分が多く、機体そのものの性能をみると、MiG-15はF-86を上回っていました。

朝鮮戦争で捕獲され、沖縄で試験されるMiG-15bis。写真:USAF
朝鮮戦争で捕獲され、沖縄で試験されるMiG-15bis。写真:USAF

MiG-15とF-86セイバーをみると、機首に配備された空気取入口(インテイク)、後退翼、そしてほぼ同じ推力を持つエンジンなど、よく似ています。それでもMiG-15がF-86を上回る高性能を発揮していたのは、その軽量に大きな原因があるといわれます。

ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association
ソ連(中国)のMiG-15(前)と米軍のF-86。写真:Classic Jet Aircraft Association

MiG-15は空虚重量3,582kg、F-86は5,046kgあり、MiG-15はF-86に比べて約30%軽量な機体となっており、この差が決定的な運動性能の差となって現れていると考えられました。

F-104の開発にあたりミグ・ショックの克服を目指したアメリカは技術者を現地朝鮮に送り調査を行います。その結果、無駄を省いてシンプルに取り扱える基本性能の高い戦闘機が必要との結論に至り、小型・軽量のF-104が開発されることとなりました。

朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF
朝鮮戦争のミグショックからうまれたF-104スターファイター。PHOTO USAF

試作1号機は1954年3月に初飛行し、最初はアフターバーナー未装備のXJ-65-B-3エンジンであったため水平飛行では音速を超えることはありませんでした。7月になってアフターバーナーつきのJ65-W-7エンジンに換装してマッハ1.51を記録、その後試作2号機がマッハ1.79を達成しています。

無駄をそぎ落とした小型・軽量の機体は、概ね期待された高速性能を発揮したものの、アメリカ軍はやはり重装備志向であったようで、F-104の採用は少数かつ短期間にとどまります。しかし、全体の生産数は2,578機と多く、これは日本や西ドイツ、イタリア、台湾などアメリカの同盟国や友好国など世界15か国もの国々に供与されたからです。

西ドイツ向けに改良された戦闘爆撃機型のF-104Gは、ヨーロッパ各社でライセンス生産も行われ1,122機が生産されました。G型は各部を強化し垂直尾翼を拡大しフラップを改良しています。これらの改良からは旋回性能の向上などが想像されます。

そして、このG型を元に造られたのが航空自衛隊向けのF-104J/DJ型(DJは複座型)です。1962年から導入され、三菱重工のライセンス生産により178機が造られました。専守防衛を旨とする自衛隊機であるため、爆撃能力は有しておらず専ら防空のための迎撃能力に特化しています。愛称は栄光、またその形状から三菱鉛筆ともいわれました。1995年に退役しています。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
ベルギー空軍
カナダ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
ドイツ空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
スペイン空軍
主要なバリエーションXF-104 試作機。2機製造
YF-104F 試験機
F-104A 最初の量産型
NF-104A 宇宙飛行士訓練機
QF-104A 無人標的機
F-104B 複座練習機
F-104C レーダー改装型
F-104D C型の複座訓練機
F-104DJ 航空自衛隊向け複座練習機
F-104F 複座練習機
生産数2,578
スペック型式F-104C
全 幅6.62m
全 長16.66m
全 高4.11m
翼面積18.21㎡
自 重5,790kg
総重量/最大離陸重量12,630kg
発動機J79-GE-7A(4,540kg/AB 7,710kg)×1
最大速度2,124km/h
実用上昇限度17,678m
戦闘行動半径650km
航続距離2,012km
乗 員1名
初飛行1954年3月4日
就 役1958年1月
退 役1975年
兵 装

コンベアF-102デルタダガー

Convair F-102 Delta Dagger
コンベアF-102デルタダガーConvair F-102 Delta Dagger

初の実用デルタ翼機

エリアルールを採用して音速を突破

※文頭写真:初の実用デルタ翼戦闘機となったF-102デルタダガー。PHOTO USAF

コンベアF-102デルタダガー(1953-1976)はアメリカのコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。アメリカ空軍としては初めて実用的なデルタ翼を採用した機体です。エリアルールという設計手法を初めて採用した機体です。またこの時期、アメリカ空軍が続けて開発した100番台の戦闘機、センチュリーシリーズの一つでもあります。

アメリカ空軍は本機に先立ち1948年に世界初のデルタ翼実証試験機XF-92Aを初飛行させていますので、初のデルタ翼機はXF-92A、初の実用デルタ翼機は本機ということになります。ちなみにどちらもコンベア社によるものです。

デルタ翼とは三角翼ともいわれ、ギリシャ語のΔ(デルタ)に似ていることからデルタ翼といわれ、ドイツの航空先進技術からうまれました。高亜音速から超音速という高速飛行に向いており、加速性に優れ高速域において高い運動性を発揮します。ダブルデルタ、クリップドデルタなどの派生系があり、現代最新鋭の戦闘機にも発展形が使われています。

左が並列複座席を採用した最初の試作機YF-102。右が量産型に繋がったYF-102A。PHOTO USAF
左が並列複座席を採用した最初の試作機YF-102。右が量産型に繋がったYF-102A。PHOTO USAF

エリアルールは航空機の設計手法の一つ。遷音速(マッハ1付近)で飛行する機体の断面積変化を小さく抑えることで効力差を減少させ高速性・安定性を増そうというものです。1950年代初めにNACAのリチャード・ウィットカムが発見しました。具体的には主翼部分における断面積の増大を防ぐために胴体をくびれさせることです。

アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF
アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF

F-102の開発計画が始まったのは1949年です。第2次世界大戦終の東西覇権争いが日々激化し続けていた頃です。アメリカ空軍はソ連の長距離爆撃機の脅威から本土を守る新型迎撃戦闘機の開発を進め、1954年の就役を目指して「1954インターセプター」と名づけていました。

開発を発注されたコンベア社は、世界初のデルタ翼実証試験機として同社が先に開発したXF-92Aを基本とする新型機を構想しました。射撃管制装置(FCS)の開発遅延、搭載ミサイルの大型化などを乗り越えて1953年10月24日に初飛行を行い、飛行試験が続けられたが、結果は芳しくなく最高速度はマッハ1に届きませんでした。

初飛行に先立つ1953年初頭、NACAはYF-102について抵抗過大により音速突破は難しく、これを解決するには発見されたばかりの「エリアルール」を採用すれば音速突破も可能であると勧告していました。

アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF
アメリカのピッツバーグ国際空港に展示するために移動されるF-102。2010年。PHOTO USAF

製作の進行上エリアルールを採用できず、散々な試験結果を残してしまったコンベア社は、改めてエリアルールを採用し、エンジンをJ57-P-23に換装するなどした試験機YF-102Aを開発します。

YF-102のコクピット。PHOTO USAF
YF-102のコクピット。PHOTO USAF

エリアルールを採用した新型試験機YF-102Aは1954年12月20日に初飛行し、水平飛行においてマッハ1.2、高度は16,150mを記録しました。

制式採用となったF-102デルタダガーは1956年5月から配備が始まり、諸々の改修を受けながら生産され、アメリカ空軍では1970年まで運用され、その後は空軍州兵において1976年まで運用されました。アメリカ以外ではタイ王国、ギリシャ空軍、トルコ空軍などで使用されました。

運用者アメリカ空軍
カナダ空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-102 試作機。10機製造
YF-102A 試作機改良型。4機製造
F-102A 量産型。879機製造
TF-102A 複座の練習機。111機製造
F-102B 後にF-106Aデルタダート
QF-102A 複座有人標的機
PQM-102A 無人標的機
PQM-102B 無人標的機
生産数1,000
スペック型式-
全 幅11.61m
全 長20.84m
全 高6.46m
翼面積61.52㎡
自 重8,777kg
総重量/最大離陸重量14,300kg
発動機J57-P-25(5,307kg/AB 7,802kg)×1
最大速度1,304km/h
実用上昇限度16,300m
戦闘行動半径850km
航続距離2,175km
乗 員1名
初飛行1953年10月24日
就 役1956年4月
退 役1976年
兵 装

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー

North American F-100 Super Sabre
ノース・アメリカンF-100スーパーセイバーNorth American F-100 Super Sabre

世界初、実用超音速戦闘機

名機F-86の後継

※文頭写真:傑作機F-86セイバーの後継、世界初の実用超音速戦闘機として華々しく登場したF-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー(1953-1979)はノース・アメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。世界初の実用超音速戦闘機として知られるアメリカ空軍センチュリーシリーズのトップバッターです。

センチュリーシリーズとは、アメリカ空軍の100番台の型番がつく戦闘機を総じていいます。全て超音速戦闘機であり、以下の6機を指します。本機F-100スーパーセイバー、マクドネルF-101ブードゥーコンベアF-102デルタダガーロッキードF-104スターファイターリパブリックF-105サンダーチーフコンベアF-106デルタダート

超音速ジェット戦闘機が実用化し始めた時期であり、第2次世界大戦が終わり東西冷戦が日に日に熱くなっていた時代です。戦闘機の開発もいけいけどんどんといった様相で、F-100が初飛行しのが1953年5月、センチュリーシリーズ最後のF-106は1956年12月に初飛行しており、その間わずか3年半ほどしかありません。

アメリカ海軍でも同時期に試作機を含め6機が開発されていますから、アメリカ空・海はこの3年半の間に12機もの戦闘機を初飛行させているということになります。

F-100はスーパーセイバーという愛称が示すように、初めて後退翼を採用したアメリカ空軍の傑作機F-86セイバーの後継機として開発されました。

F-86は当初直線翼のそれまでと基本的に変わらない戦闘機として計画されましたが、ドイツの敗戦によりジェット戦闘機の先端技術を連合国が収奪しアメリカにもそれがもたらされると、急遽ドイツの技術を取り入れた最先端の後退翼機として開発され、大成功を収めました。

F-86の成功体験を得たノースアメリカン社は、自社資金でF-86の発展型を研究し1949年2月から開発が始まりました。写真をみればすぐ感じられるように、後継といっても形状はあまり似ていません。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スパーセイバー。PHOTO USAF

主翼の後退角はF-86の35度から45度になりエンジンはプラット&ホイットニー社製J57を搭載しました。この案を空軍が採用し1951年11月には制式に発注を得て、1952年5月には試作機が初飛行に成功します。年末には時速1,215kmという世界速度記録を打ち立てています。

F-100C型からは空中給油能力が付与され、その他、徐々に対地攻撃能力が強化されていきました。最も多く製造されたF-100D型は、低高度爆撃装置(LABS)を装備し爆撃能力を強化した戦闘爆撃機であり1,274機が製造されました。各型総じての生産数は2,294機でした。米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機として、C型が昭和31年(1956年)〜昭和38年(1963年)まで、D型が昭和39年(1964年)〜昭和43年(1968年)、D型は昭和34年(1959年)の極東ツアーにも使用されました。

冷戦が日々熱くなる軍拡時代、そして超音速ジェット黎明期、続々と米ロともに新型機が開発される中、1960年のベトナム戦争に参戦した際にはすでに旧式化しており、ソ連のMiG-17を撃墜することはできませんでした。また、挑戦的な機体が災いしてか889機という多数が事故によって失われています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-100A 試作機。2機製造
YQF-100 9機製造された無人標的機
F-100A 最初の量産型。203機製造
生産数2,294
スペック型式-
全 幅11.81m
全 長15.2m
全 高4.95m
翼面積37㎡
自 重9,500kg
総重量/最大離陸重量13,085kg
発動機J57-P-21/21A(4,544kg)×1
最大速度1,390km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離3,210km
乗 員1名
初飛行1953年5月25日
就 役1954年9月
退 役1979年
兵 装

リパブリックXF-91サンダーセプター

Republic XF-91 Thundercepter
リパブリックXF-91サンダーセプターRepublic XF-91 Thundercepter

アメリカ軍機として初めて超音速を突破

水平飛行で超音速突破、しかし採用されず

※文頭写真:NACAの高速飛行試験に供されるXF-91。1951年3月。PHOTO NASA

リパブリックXF-91サンダーセプター(1949)は第2次世界大戦終戦直後の1945年9月、アメリカ空軍が要求した2種類の迎撃戦闘機のうちの一つです。ロケットとジェット、2つのエンジンを搭載した混合動力戦闘機でした。

迎撃戦闘機とは、迎撃機、要撃機、防空戦闘機などとも呼ばれ、主に飛来する爆撃機や偵察機の迎撃を目的とする軍用機です。高々度を飛来する爆撃機を迎撃するため、高い上昇力と攻撃力が求められます。

これらの条件をクリアするため、リパブリック社はジェットエンジンに加えて4基のロケットエンジンを搭載する混合動力という形式を採用します。

1946年に初飛行し優れた兵器搭載量と航続距離をもって活躍した同社のF-84サンダージェットを基本に開発され、J47-GE-17ジェットエンジンの排気口上下にXLR11-RM-9ロケットエンジンを2基ずつ配置しています。

主翼は翼端失速を防ぐ目的で付け根から翼端に向かって広く太い逆テーパー形になっています。翼端失速とは翼端付近から付け根(胴体)に向かって失速が発生する現象です。低速時に発生することが多いといわれます。

ロケットエンジンの遅れにより1952年5月となった初飛行においては、アメリカ軍機として初めて水平飛行における音速突破に成功しています。このまま採用されれば世界初の実用戦闘機となったはずでしたが、アメリカ空軍はより高性能な迎撃機の開発を求め、本機は採用されませんでした。

運用者-
主要なバリエーションXF-91 試作機。2機製造
生産数2
スペック型式-
全 幅13.18m
全 長9.52m
全 高5.51m
翼面積29.72㎡
自 重6,410kg
総重量/最大離陸重量8,400kg
発動機J47-GE-17(3,400kg)×1、XLR11-RM-9(2,720kg)×4
最大速度1,584km/h
実用上昇限度14,500m
戦闘行動半径-
航続距離1,880km
乗 員1名
初飛行1949年5月9日
就 役-
退 役-
兵 装

ロッキードF-94スターファイア

Lockheed F-94 Starfire
ロッキードF-94スターファイアLockheed F-94 Starfire

P-80の全天候型

中継ぎとして活躍

文頭写真:オハイオ州にあるアメリカ空軍博物館のF-94Cスターファイア。PHOTO USAF

ロッキードF-94スターファイヤー(1949-1959)は1949年に初飛行したアメリカ空軍の全天候型戦闘機です。航続距離・兵器搭載量に優れた信頼性の高いP-89スコーピオンが就役するまでの繋ぎとして開発されました。

F-94スターファイア。PHOTO USAF
F-94スターファイア。PHOTO USAF

F-94はアメリカ本土の空を長距離爆撃機から守るための迎撃機です。ということは戦後東の盟主となることが明白であったソ連の長距離爆撃機に対する備えであり、戦後の東西覇権争いは戦争終結間際のこの時期、切迫してことを表わしています。

第354戦闘要撃飛行隊のF-94C。1956年6月19日。PHOTO USAF
第354戦闘要撃飛行隊のF-94C。1956年6月19日。PHOTO USAF

ロッキード社は当時前線で活躍していたジェット戦闘機、ロッキードP-80シューティグスターの複座練習機TT-80を元にした全天候型戦闘機を計画、アメリカ空軍はこの案を採用して1949年7月には試作機が初飛行しています。

P-59エアラコメットという試験的な機体を経たためか、初の実用ジェットにして成功作となったP-80シューティングスター。PHOTO USAF
P-59エアラコメットという試験的な機体を経たためか、初の実用ジェットにして成功作となったP-80シューティングスター。PHOTO USAF

TT-80を元に機首にレーダーを搭載し、エンジンはアフターバーナーつきのJ33-A-33が搭載されました。P-80を70%以上流用した機体であり、要するに本格的な全天候型ジェット戦闘機(迎撃機)であるF-89スコーピオンが本格配備される前の繋ぎとして、一刻も速く、安価に仕上がればよかったわけです。

F-94Cのコクピット。PHOTO USAF
F-94Cのコクピット。PHOTO USAF

急ごしらえとはいえ、1950年から勃発した朝鮮戦争にも参加してMiG-15の夜間撃墜を達成、F-89が配備されるまで北米大陸の防空を担うなど全天候型ジェット戦闘機としての役割を果たしています。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションYF-94 TF-80Cを改造した試作機。2機製造
F-94A 最初の量産型。109機製造
YF-94B F-94Aの改良型
F-94B 量産型。355機製造
YF-94C エンジン換装など改良型
F-94C 全面改良された量産型。エンジン換装、固定武装廃止など。387機製造
EF-94C 偵察型の試作機
YF-94D C型を改造した単座の戦闘爆撃機型
F-94D 量産型。112機発注されるもののキャンセル
生産数855
スペック型式-
全 幅12.93m
全 長13.56m
全 高4.54m
翼面積21.63㎡
自 重5,764kg
総重量/最大離陸重量10,970kg
発動機J87-P-5(2,880kg/AB 3,970kg)×1
最大速度1,030km/h
実用上昇限度15,670m
戦闘行動半径1,300km
航続距離2,050km
乗 員2名
初飛行1949年4月16日
就 役1949年12月
退 役1959年
兵 装

ノースロップP-89スコーピオン

Northrop P-89 Scorpion
ノースロップP-89スコーピオンNorthrop P-89 Scorpion

米空軍初の制式採用全天候型ジェト戦闘機

安定した性能と長い航続距離

※文頭写真:機動性はそこそこの性能でしたが、初の全天候型ジェット戦闘機であり、大きな兵装搭載量と主翼両端に裝備された大型増槽による長大な航続距離を誇ったF-89スコーピオン。PHOTO USAF

ノースロップP-89スコーピオン(1948-1969)は、アメリカ空軍が初めて制式採用した全天候型ジェット戦闘機です。大きく重い機体であり、機動性には優れなかったものの、長大な航続距離と高い上昇限度、大きな兵器搭載量を誇り、北米大陸の防空という重責を果たしました。

P-89が初飛行した昭和23年(1948年)8月の1年後、昭和24年(1949年)12月には同じく全天候型戦闘機であり最新の電子機器を搭載した単座型のF-86Dが初飛行していますが、こちらは肝となった最新の電子機器に由来する問題が続出し早々に退役したものの、本機P-89は安定した性能と運用性から長く使用されました。

機体を一見して目につくのは愛称「スコーピオン」どおりのサソリのような全体と主翼の端に付けられた大きな部品。これは増槽といって燃料を搭載するためのポッドであり、ミサイルなどの兵器が取り付けられます。

この増槽によって2,200kmという優れた航続距離を実現し、北極海という広大な範囲を守備するアラスカの部隊では大変に重用されたといいます。

編隊飛行するF-89D。PHOTO USAF
編隊飛行するF-89D。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションXF-89 最初の試作機
XF-89A 試作機
F-89A 最初の量産型
DF-89A 標的機
F-89B 量産型。アヴィオニクス改修。40機製造
DF-89B 標的制御機
F-89C 量産型。エンジン換装。164機製造
YF-89D F-89D試作機
F-89D 主力量産型。燃料増加、増槽大型化、レーダー・電子装置換装など。682機製造
YF-89E エンジン試験機
F-89F 改修型。計画のみ
F-89G 改修型。計画のみ
YF-89H F-89Hの試作機
F-89H 改修型。156機製造
F-89J F-89Dの改造型。350機製造
生産数1,050
スペック型式-
全 幅18.41m
全 長16.40m
全 高5.33m
翼面積56.29㎡
自 重11,428kg
総重量/最大離陸重量16,869kg
発動機J35-A-33(2,470kg/AB 3,720kg)×2
最大速度1,022km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径-
航続距離2,200km
乗 員2名
初飛行1948年8月16日
就 役1951年2月
退 役1969年
兵 装

ノース・アメリカンF-86Dセイバー

North American F-86D Sabre
ノース・アメリカンF-86DセイバーNorth American F-86D Sabre

F-86の全天候型

良くも悪くも肝となった先進の火器管制装置

※文頭写真:全天候型へと進化したF-86Dセイバー。レーダーを収めるために突き出したノーズコーンの様子から、セイバードッグと呼ばれました。PHOTO USAF

ノースアメリカンF-86Dセイバーはアメリカ空軍のジェット戦闘機。ジェット戦闘機史上の傑作F-86セイバーを基本として開発された単座の全天候型戦闘機です。

第2次世界大戦が終わると東西の覇権争いが生じ、ソ連が開発する長距離爆撃機はアメリカの新たな脅威となっていました。これらに対処するためアメリカ本土を守る全天候型の戦闘機が必要になります。

本機は名機F-86セイバーを基本にするとはいえ共通部品は約20%にとどまったため、計画はYF-95Aという新しいナンバーで始まりましたが、途中からYF-86Dに変更されています。F-86の発展型とすることで議会の予算承認を円滑に進めるためだと思われます。

試作機は1949年12月に初飛行し1952年に就役しています。試作機初飛行から就役まで間が空いているのは、全天候型ならではの火器管制システム(FCS)の開発に手間取ったためです。

この時代の全天候型戦闘機は操縦士とは別にレーダーの操作員が登場するため、2名が搭乗する複座型が普通でしたが、F-86Dは火器管制システム(FCS)の自動化を計り単座型としていました。そのため、当時としては格段に複雑なシステム開発に挑んでいました。

このシステムはE-4と呼ばれ、AN/APG-36全天候型レーダーを中心にAPA-84コンピュータ、ロケット弾照準器などを総合的に運用し、自動攻撃能力を付与されていました。最大捜索距離は約56kmといわれています。

F-86Dセイバー。PHOTO USAF
F-86Dセイバー。PHOTO USAF

F-86と本機F-86Dの共通部品は約20%しかありませんから、全体のフォルムも異なっています。最も特徴的なのはセイバードッグという愛称の由来となった犬の鼻のような機首です。F-86の空気取入口(インテイク)だった部分に出っ張っている部分にはレーダーが収められ。空気取入口はその下に配置されています。

胴体はF-86よりも太くなり、エンジンはF-86A型のJ47-GE-13からJ47-GE-17に換装されています。上空を飛ぶソ連の長距離爆撃機からアメリカ本土を守る迎撃機という性質上、強力な上昇力と高速性能が必要であったためです。

アメリカ空軍の戦闘機としては初めて機銃が取り外されたことも大きな変更点です。爆撃機を撃墜するために武装は24連式の空対空ロケット弾であるマイティ・マウスのみとなっています。これを火器管制システム(FCS)により制御・発射します。

F-86Dは配備後も肝といえる複雑な電子機器やエンジンに関するトラブルが頻発し、整備にとても手間と金のかかる機体でした。それでも重要な機種と位置づけられていたため、改修や整備は続きました。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
デンマーク空軍
フランス空軍
ドイツ空軍
ギリシャ空軍
ホンジュラス空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
フィリピン空軍
トルコ空軍
タイ空軍
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーション-
生産数2,847
スペック型式-
全 幅11.31m
全 長12.27m
全 高4.57m
翼面積26.75㎡
自 重6,132kg
総重量/最大離陸重量9,060kg
発動機J47-GE-17B(2,460kg/AB 3,400kg)×1
最大速度1,115km/h
実用上昇限度15,163m
戦闘行動半径450km
航続距離1,238km
乗 員1名
初飛行1949年12月22日
就 役1951年3月
退 役1967年
兵 装

ノース・アメリカンF-86セイバー

North American F-86 Sabre
ノース・アメリカンF-86セイバーNorth American F-86 Sabre

歴史的傑作機

アメリカ初の後退翼ジェット戦闘機

※文頭写真:USAF

ノースアメリカンF-86Fセイバー(1947-1967)は世界で初めて試作機が初飛行したアメリカ空軍の後退翼ジェット戦闘機。傑作戦闘機との呼び声高い名機であり、約1万機もの生産数を誇り、日本の航空自衛隊も使用しました。

戦闘機の動力は第2次世界大戦後期〜朝鮮戦争の時代、レシプロエンジンからジェットエンジンに移行しつつあり、それにともない最高速度はレシプロ機の時速約750kmから超音速へと向かっていました。

朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF
朝鮮戦争に参加するF-86。北の高性能機MiG-15はF-86セイバーと同等以上の空戦能力を持っていましたが、優れたパイロットの技量や充実した整備により、最終的には792機のMiG-15を撃墜し、落とされたF-86セイバーは76機でした。PHOTO USAF

速度が高速化すると機体設計が変わってきます。第2次世界大戦においてレシプロ戦闘機最大の生産国であったアメリカもジェット戦闘機開発においてはドイツとイギリスに先行されていました。

第2次世界大戦の最高レシプロ機といってもいいP-51マスタングを開発したアメリカのノースアメリカン社は、大戦の行方がほぼ定まっていた1944年後半、ジェット戦闘機の開発を開始します。

これが後に傑作機F-86となりますが、当初の試作機は性能的に競合していたXP-84(後のF-84)に及びませんでした。しかし、折しも1945年5月にドイツが敗れ、連合軍はその進んだジェット機開発の技術を収奪したため、膨大な資料がアメリカにもたらされます。

1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF
1951年(昭和26年)6月、出撃準備中のF-86セイバー。PHOTO USAF

ノースアメリカン社は、アメリカにもたらされたドイツの先進技術の中でも特に主翼に角度をつけた後退翼に関する研究データをF-86の開発に取り入れます。後退翼はジェット戦闘機の高速性能を画期的に引き上げる技術でした。そしてその高速化にともなって低下する低速性能を補うための揚力装置(自動スラット)などの技術もあわせてドイツの資料から取り入れます。

空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF
空対地ロケット弾VVARを発射するF-86セイバー。PHOTO USAF

F-86の試作機XP-86の1号機は1947年10月に初飛行します。後退翼を搭載した初めてのジェット戦闘機としては、「ミグショック」といわれ朝鮮戦争でアメリカを恐怖させた高性能機MiG-15が有名ですが、初飛行は1947年末でありこの点ではF-86の方が3か月ほど早いことになります。

XP-86はいくつかの改良を経ながら期待通りの高性能ぶりを発揮し、1948年にはエンジンをGE35からより強力なJ47に換装した最初の量産型が初飛行します。また、時速1,079.49kmという世界速度記録も打ち立てています。

1950年に朝鮮戦争が勃発しますが、当初北朝鮮の空軍力は無いに等しく、F9FパンサーP-80シューティングスターF-84Gサンダージェットといった直線翼のジェット戦闘機で充分な状態でした。しかしすぐに中国が参戦、中国経由で後退翼を採用したソ連の高性能戦闘機MiG-15が出現すると、上記の直線翼戦闘機では分が悪くアメリカの制空権は一挙に脅かされることとなりました。

慌てたアメリカ軍は就役したばかりのF-86セイバーを極東を派遣し、ここに史上初の後退翼ジェット戦闘機による空戦が勃発。上昇力や高々度性能などはMiG-15の方が優れていたものの、エース級を投入したことによる優れたパイロットの技量とレーダー性能によりF-86は損失78機に対して800機のMiG-15を撃墜しました。

朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF
朝鮮戦争におけるアメリカのエース、ジョセフ・マッコーネルJr.と搭乗機F-86セイバー。PHOTO USAF

F-86はその後も数々の派生型を生み、艦載機型も造られました(FJ-3フューリー)。アメリカでは1950年代後半〜60年代にかけて超音速機が配備されるようになると前線から姿を消していきますが、1990年代まで世界各国で使用され続けました。

2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF
2004年(平成16年)、アメリカの航空ショーでデモフライトするF-86セイバー。PHOTO USAF

航空自衛隊では、エンジンをJ47-GE-27に換装したF-86F 435機が主力戦闘機として使用されました。さらにF-86を全天候型とした発展型のF-86Dも122機配備されています。航空自衛隊曲技飛行隊ブルーインパルスの初代使用機であり、航空自衛隊では「旭光(きょっこう)」と呼ばれていました。1964年の東京オリンピックで大空に五輪旗を描いていた機体はこのF-86です。

運用者アメリカ空軍
航空自衛隊
アルゼンチン空軍
ベルギー空軍
ボリビア空軍
カナダ空軍
コロンビア空軍
デンマーク空軍
エチオピア空軍
ドイツ空軍
ホンジュラス空軍
イラン空軍
イラク空軍
ノルウェー空軍
パキスタン空軍
ペルー空軍
フィリピン空軍
ポルトガル空軍
台湾空軍
サウジアラビア空軍
南アフリカ空軍
スペイン空軍
タイ空軍
チュニジア空軍
トルコ空軍
コンゴ
ベネゼエラ空軍
ユーゴスラビア空軍
韓国空軍
主要なバリエーションXF-86 試作機。3機製造
YF-86A 試作機。エンジン換装。3機製造
F-86A 量産型。554機製造
DF-86A 無人標的機
RF-86A 偵察機
F-86B 改良型
F-86C 侵攻戦闘機型に大幅改修。後にYF-93Aに名称変更
F-86D 大幅に改修された全天候戦闘機型。機種の形状が特徴的。航空自衛隊でも使用された
F-86G D型のエンジン換装
F-86K 主にNATO向け輸出型
F-86L D型の改修型。電子装置など
F-86E 全誘導水平安定尾翼導入型
QF-86E 標的機
F-86F エンジン換装など。航空自衛隊でも使用された
QF-86F 標的機
RF-86F 偵察機。航空自衛隊でも使用された
TF-86F 複座練習機
生産数9,860
スペック型式F-86F
全 幅11.28m
全 長11.53m
全 高4.52m
翼面積29.11㎡
自 重5,046kg
総重量/最大離陸重量8,234kg
発動機J47-GE-27(2,680kg)×1
最大速度1,106km/h
実用上昇限度15,100m
戦闘行動半径730km
航続距離2,454km
乗 員1名
初飛行1947年10月1日
就 役1949年2月
退 役1967年
兵 装