「サンダーバーズ」タグアーカイブ

サンダーバーズ(Thunderbirds)は、米空軍曲技飛行隊です。昭和28年(1953年)に前身のスカイブレーサーズを引き継ぐ形で発足。米国ネバダ州のラスベガスにあるネリス空軍基地を本拠地にしています。米国スタイルの6機編隊での曲技飛行を行い、米海軍ブルーエンジェルスのライバルとして高い技量を誇ります。曲技飛行隊に採用される機体は、運動性能の高いものであり、現在の使用機はF-16ファイティング・ファルコンです。

ロッキード・マーチンF-16ファイティング・ファルコン

Lockheed Martin F-16 Fighting Falcon
ロッキード・マーチンF-16ファイティング・ファルコンLockheed Martin F-16 Fighting Falcon

最新鋭の軽量級戦闘機

アメリカ空軍のベストセラー

ジェネラル・ダイナミクス(現 ロッキード・マーティン)F-16ファイティング・ファルコン(1974-)はアメリカ空軍にとってF-86以来のベストセラーとなった軽量級戦闘機です。最新のテクノロジーとコストカットを両立させた傑作戦闘機として世界各国で運用されています。日本のF-2戦闘機はこのF-16を母体として開発されました。

アメリカ空軍は、1972年(昭和47年)に最強の制空戦闘機F-15の初飛行に成功し、1974年(昭和49年)から部隊配備を開始していました。本来であれば、F-15を必要数揃えられればいうことなかったわけですが、全てに最高・最強を目指したF-15の価格は、現在の感覚でいえば概ね1機あたり100億円以上と大変に高額です(飛行機の価格は比較が難しいためあくまで感覚的な参考価格)。

下からF-15、F-16、P-51マスタング。
下からF-15、F-16、P-51マスタング。

ベトナム戦争の影響によるアメリカ国内のインフレやいつもながらの議会のコストカット要求も相まって、アメリカ空軍の希望は叶えられそうにありません。
そこで、機能を絞った小型軽量の優秀な戦闘機を開発し、不足分を補おうということになりF-16の開発が始まりました。F-15を「High」、F-16を「Low」として「ハイ・ロー・ミックス」と呼ばれる戦力構築を目指したわけです。開発発注における選考では後のアメリカ海軍艦上戦闘機F/A-18と争い、F-16が勝利しています。

イスラエル空軍の独自改修型F-16Dブラキート(複座型)。ワイルド・ヴィーゼル(敵防空網制圧)機です。単座型はF-16Cバラクと名付けられています。PHOTO USAF
イスラエル空軍の独自改修型F-16Dブラキート(複座型)。ワイルド・ヴィーゼル(敵防空網制圧)機です。単座型はF-16Cバラクと名付けられています。PHOTO USAF

自身満々、最高級の重量級戦闘機を揃えて失敗したベトナム戦争の教訓

常に考えうる限り最強の戦闘機を目指し続けてきたアメリカ空軍は、過去ほとんどの戦闘機において、最新の電子機器やミサイルなどを裝備し、多大な燃料を搭載した大型の機体を大出力のエンジンで引っ張るという開発方針でしたから、軽量級戦闘機を敬遠する傾向にありました。

イラクで作戦中のF-16。PHOTO USAF
イラクで作戦中のF-16。PHOTO USAF

ところが、それぞれが得意分野において最高の性能を発揮していたセンチュリーシリーズやF-4ファントムⅡといった、超がつく高級重量級ファイターを配備して自身満々でのぞんだベトナム戦争において、大きくつまづくことになりました。

アメリカ空軍の最高級&重量級ファイターに比べれば、貧弱といってもいい電子裝備や旧式な機体構造で軽快な運動性能だけが頼りの、ソ連製MiG-17/19/21といった戦闘機を相手に1.5:1もしくは2:1という程度のキルレシオ(撃墜被撃墜比率)しか残せなかったのです。

ファイター・マフィアのボス、ジョン・ボイド少佐

この反省から、いかなる状況においても敵機を圧倒し制空権を確保する最強の制空戦闘機としてF-15が開発されたわけですが、「有視界の格闘戦に勝利する小型軽量の戦闘機」があれば制空権は確保できると主張する「ファイター・マフィア」と呼ばれる空軍の一派がありました。

ベトナム戦争や中東戦争をみても、マッハ2で戦闘機が戦い合うということは少なく、ほとんどは音速以下、かつ昼間に有視界で行われていました。ならば、空戦に影響の少ない機体の大型化は避け、最高速度は下げて電子裝備を簡易にしても、機動性が高ければ空戦に勝利できるというわけです。

イラク上空でKC-135ストラトタンカーから空中給油を受けるF-16C。PHOTO USAF
イラク上空でKC-135ストラトタンカーから空中給油を受けるF-16C。PHOTO USAF

ファイター・マフィアのボスは空戦理論家としても著名だった、ジョン・ボイド少佐でした。アメリカ海軍戦闘機兵器学校(FWS)の戦闘機教官を務めた後、ジョージア工科大学に物理学と熱力学を学び、後に画期的な航空機の機動性を導き出す、エネルギー機動性理論(E-M理論)を構築します。

これは、航空機の機動性は機動エネルギーと運動エネルギーの総和であるというもので、Ps(航空機の比エネルギー)=(T[推力]ーD[効力])V(速度)/W(機体重量)という公式で表されます。

後には世界の兵法家やその戦史を研究し続け、戦闘・軍事理論を壮大なスケールで構築し、アメリカ空軍のみならず、アメリカ陸軍や海兵隊にも大きな影響を与え、退役後はアメリカ国家機関のコンサルタントとして活躍しました。

アメリカ空軍の伝統的な重量級戦闘機路線と闘ったように、官僚機構との衝突を辞さなかった気骨の人だったようです。国家機関コンサルタント時代、質素な家に住み、周囲から揶揄されても意に介さず、少額の給与しか受け取らなかったという行動からも、その片鱗が伺えます。

F-16が導入した革新的テクノロジー

安価な軽量級戦闘機というと安物のように聞こえますが、そうではありません。F-16は無駄をそぎ落とし、有視界の格闘戦に勝利するための革新的なテクノロジーを備えた戦闘機です。

F-16は機体形状とコンピュータ制御による4重もの飛行制御システム(フライ・バイ・ワイヤ)によって高い運動性を発揮しています。これは、静安定性緩和(RSS)もしくは操縦性優先形態機(CCV)と呼ばれ、実験機ではなく実用機で採用されたのはF-16が初めてです。

飛行するということは一方向の安定性(静安定性)が必要とされますが、空中で機動するということは反対に不安定性が必要とされます。要するに運動性を確保するためには、わざと静安定性を崩さなくてはなりません。静安定性を崩すということは失速や墜落と同じ延長線上にあるということです。

静安定性を崩せば崩すほど、急な機動が可能になるわけですが、その分、人の能力ではまともに真っ直ぐ飛ぶこともできないということになり、失速や墜落のリスクは高くなります。このアンバランスなバランスをコンピュータによって制御することでリスクをカットし、機動性を向上させたのがフライ・バイ・ワイヤと呼ばれる飛行制御システムです。

フライ・バイ・ワイヤと人との最大の接点である操縦桿は、F-16ではジョイスティックとなっています。戦闘機の操縦といえば、股の間にある操縦桿を操作するイメージがあり、実際F-16以前はそうでした。しかし、F-16はパイロットの右側に置かれたジョイスティック(デジタル式操縦桿)によって操縦を行います。

F-16Cのコクピット。PHOTO USAF
F-16Cのコクピット。PHOTO USAF

機体構造には、ブレンデッド・ウィング・ボディが採用されています。主翼と胴体は美しくなだらかに融合されており、全体がまるで一つの翼のようです。この構造は飛行特性は向上させ、構造の単純化により重量軽減ともなっています。

ケンタッキー空軍州兵基地のF-16。PHOTO USAF
ケンタッキー空軍州兵基地のF-16。PHOTO USAF

コストカット

F-16では最新技術を導入すると同時にコストカットも徹底して行われました。1950年代からアメリカの戦闘機に多く使われてきた高額のチタン合金をF-15の10分の1程度に減らし、進化してきた複合素材を多用することで材料費を軽減しています。

既存部品の活用と小改造を合わせると全体の80%にも及び、生産工程の簡易化もあわせて進められました。エンジンはF-15と同じプラット&ホイットニー社製F100を採用し、量産効果による取得価格低下を図っています。

ベストセラー

高性能と取得しやすい価格を実現したF-16はアメリカ軍で2,200機以上が導入された他、現在に至るまで4,500機以上が生産され、ベストセラー戦闘機となっています。F-16A型とC型は米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機となっています。A型が昭和58年(1983年)〜平成3年(1991年)、続いてC型が平成4年(1992年)〜現在まで使用されています。ジェット戦闘機の開発サイクルが長くなったとはいえ、30年以上に渡り使用され続けいることはF-16の高い飛行性能を物語っています。

採用した国はアメリカを始め、トルコ、シンガポール、イスラエル、台湾、エジプト、ベルギー、オランダ、ノルウェー、ギリシャなど世界20か国に及び、数多くの派生型、発展型をうみながら、現在も生産が続いています。

2003年に初飛行した発展型のF-16E/Fデザートファルコン。コクピットはグラスコクピットとなり、液晶ディスプレイが並びます。他にも多くの改修が行われ戦闘力が強化されています。PHOTO USAF
2003年に初飛行した発展型のF-16E/Fデザートファルコン。コクピットはグラスコクピットとなり、液晶ディスプレイが並びます。他にも多くの改修が行われ戦闘力が強化されています。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
アメリカ海軍
ベルギー空軍
デンマーク空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
ギリシャ空軍
イタリア空軍
ポーランド空軍
ポルトガル空軍
バーレーン空軍
エジプト空軍
イスラエル空軍
イラク空軍
ヨルダン空軍
オメーン空軍
トルコ空軍
アラブ空軍
モロッコ空軍
インドネシア空軍
パキスタン空軍
シンガポール空軍
台湾空軍
韓国空軍
タイ空軍
チリ空軍
ベネゼエラ空軍
ブルガリア空軍
コロンビア空軍
フィリピン空軍
ルーマニア空軍
主要なバリエーションYF-16 試作機。YF-17と争った
F-16FSD 量産テスト機
F-16A/B 最初の量産型。Bは複座型
F-16A/B ADF 空軍州兵向け迎撃戦闘機
F-16AM/BM NATO4か国向け改修型。電子機器全般を改修
F-16CCV YF-16を改修した試験機
RF-16 偵察機
F-16C/D ブロック25以降。1984年から配備。電子機器や機体を改良。途中からエンジンも換装
F-16CG/DG 夜間作戦能力向上型
F-16N 米海軍のアドバーサリー機(仮想敵機)
F-16E/F 電子機器、エンジン改修。胴体両側に張り出した箱型が特徴
F-16V 近代化改修型。電子機器などを改修
生産数4,540
スペック型式F-16C
全 幅9.96m
全 長15.06m
全 高4.88m
翼面積27.87㎡
自 重8,570kg
総重量/最大離陸重量19,200kg
発動機F110-GE-100(7,781kg/AB 12,972kg)
最大速度2,120km/h
実用上昇限度15,240m
戦闘行動半径1,520km
航続距離4,220km
乗 員1名
初飛行1974年2月2日
就 役1978年12月
退 役-
兵 装

マクドネルF-110スペクター

McDonnell F-110 Spector
マクドネルF-110スペクターMcDonnell F-110 Spector

F-4ファントムⅡの空軍型

アメリカ空・海軍双方に大量採用された初めての例

※文頭写真:アメリカ海軍のF-4ファントムⅡはその優秀さ故に、メンツを超えてアメリカ空軍にも採用され、F-110スペクターとなりました。PHOTO USAF

マクドネルF-110スペクターは、アメリカのマクドネル社が開発したアメリカ空軍の戦闘機です。
F-110はF-4ファントムⅡの別名。F-4ファントムⅡは船の上(航空母艦)という制約からジェット戦闘機開発に苦しんできたアメリカ海軍が、苦難の末に手にした傑作艦上戦闘機です。初飛行は1958年(昭和33年)5月27日、1960年(昭和35年)から就役し1996年(平成8年)まで活躍しています。

1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF110スペクター。PHOTO USAF

1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF
1960年代のF-110スペクター。PHOTO USAF

アメリカの空軍と海軍は、ご多分に漏れずメンツをかけて何かにつけて競い合ってきました。その空軍が、花形の戦闘機採用において海軍の開発した艦上戦闘機を大量に採用するなどということは、前代未聞でした。それほどにF-4ファントムⅡは高性能であったわけですが、理由はそれだけではありません。ロバート・マクナマラという国防長官の存在が大きな要因を占めています。

ロバート・マクナマラはハーバード出身でアメリカ陸軍航空軍の統計管理局で活躍し、戦後はフォード一族以外では初めてフォードの社長となり、1960年にジョン・F・ケネディが大統領選に勝利すると国防長官として白羽の矢が立ちます。

システム分析や統計学を駆使するマクナマラは、それまで空軍・海軍それぞれが独自に行っていた戦闘機開発を統合を企図し、その手始めとして開発中であったハイコストのF-106デルタダートの代わりに、海軍が開発していたF-4ファントムⅡを採用させようとします。

1961年(昭和36年)、空軍が開発していたF-106F-4の飛行試験が行われます。速度、上昇限度、航続距離、レーダー性能、爆撃能力、整備性など多くの面でF-4F-106を上回りますが、最新鋭のハイテク防空システム、半自動式防空管制組織(SAGE=Semi-Automatic Ground Environment)の装置が搭載できないということで、F-106の生産は続行されます。

1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF
1966年(昭和41年)5月のサイゴン、ベトナム戦争中のRF-4C(偵察機型)。PHOTO USAF

SAGEはソ連の爆撃機(原爆搭載)を発見、迎撃するためのコンピュータシステムです。F-106はSAGEとデータリンクしており、SAGEからの命令や敵機の情報を直接、自動操縦装置が受け取ることができます。

しかし、アメリカ空軍がF-106に続く次期戦闘機として開発していたF-111アードバーグの開発が遅れており、その穴埋めとしてF-4が採用されることとなり、名称を空軍名F-110スペクターに変更しました。その後1962年(昭和37年)にアメリカ三軍の呼称統一が施行され、F-110スペクターから再びF-4CファントムⅡに変更されました。

空軍型F-4シリーズの決定版ともいえるF-4E型は1967年(昭和42年)6月30日に初飛行、各国へと供与され1,389機が生産されました。マクドネル社は、艦載機として開発したF-4ファントムⅡが空軍機として採用されたことで、より生産数を伸ばし西側戦闘機としては史上最多の5,000機以上が生産されました。

最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF
最新鋭ステルス戦闘機F-22(左)と飛ぶF-4ファントムⅡ。PHOTO USAF

F-4Eは1966年(昭和41年)、日本の第2次F-X(主力戦闘機)選定によりF-86Fの後継として選ばれました。日本の航空自衛隊向けF-4EはF-4EJとして154機が調達され、そのうちのほとんどがライセンス生産されました。そして1980年(昭和55年)にF-15Jが採用されるまで日本防空の主軸を担いました。F-15Jに主役の座を譲ってからも現役にとどまり、平成28年(2016年)のいまも活躍し続けています。

航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊
航空自衛隊のF-4EJ改。写真:航空自衛隊

運用者アメリカ空軍
McDonnell F-4 PhantomⅡの項参照
主要なバリエーションF-4C 海軍のF-4Bを空軍用に改修。空軍F-4最初の量産機
EF-4C 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
RF-4C 写真偵察機
F-4D C型の改良型
EF-4D D型を改装した敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
F-4E 空軍型F-4の決定版。1,389機製造
RF-4E 偵察機
F-4G 敵防空網制圧機(ワイルド・ヴィーゼル機)
生産数5,195
スペック型式F-4E
全 幅11.71m
全 長19.20m
全 高5.02m
翼面積49.2㎡
自 重13,757kg
総重量/最大離陸重量27,970kg
発動機J79-GE-17A(5,356kg/AB 8,119kg)×2
最大速度2,370km/h
実用上昇限度18,975m
戦闘行動半径1,200km
航続距離2,600km
乗 員2名
初飛行1958年5月27日/1963年5月(F-110)
就 役1963年11月
退 役1996年4月
兵 装

リパブリックF-105サンダーチーフ

Republic F-105 Thunderchief
リパブリックF-105サンダーチーフRepublic F-105 Thunderchief

爆撃能力の高い戦闘機

多大な兵器搭載量を誇る

※文頭写真:1960年代のF-105Dサンダーチーフ。PHOTO USAF

リパブリックF-105サンダーチーフ(1955-1983)は、リパブリック社が開発したアメリカ空軍の戦闘爆撃機です。軽爆撃機顔負けの爆弾搭載量を持つ戦闘機であり、当時の大型核爆弾を胴体内に収容することも可能でした。

この機体は1966年(昭和41年)ベトナム戦争において撃墜されたF-105D。PHOTO USAF
この機体は1966年(昭和41年)ベトナム戦争において撃墜されたF-105D。PHOTO USAF

1951年からリパブリック社の自社プロジェクトとして始まり、1952年にアメリカ空軍より開発の発注を受け、1955年に初飛行に成功しました。この初飛行は本命とされていたJ75エンジンが間に合わず、1956年の試作機YF-105Bに搭載されました。YF-105BではJ75エンジンの他、エリアルールやアフターバーナー可変ノズルを導入するなどしてマッハ2を記録しています。

F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF
F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF

F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF
F-105D、1970年代初頭。PHOTO USAF

戦闘機というより爆撃機では? といわれるように、最大離陸重量は23,967kgもあり、F-104の12,630kg、F-106の15,670kgと比べるとその搭載能力がわかります。胴体内に当時の大型核爆弾を搭載できるということは、一番のポイントでしょう。

ベトナム戦争中のF-105D。戦闘機というよりも爆撃機ではないかといわれる程、爆撃能力の高かったF-105。写真の機体はM117、750lb爆弾を満載して対地爆撃任務についています。PHOTO USAF
ベトナム戦争中のF-105D。戦闘機というよりも爆撃機ではないかといわれる程、爆撃能力の高かったF-105。写真の機体はM117、750lb爆弾を満載して対地爆撃任務についています。PHOTO USAF

ベトナム戦争(1960-1975)では空爆のメイン機として活躍しながらMiG-17の撃墜記録を残しています。戦争中に385機が失われており、危険な任務にあたっていたことがわかります。

戦闘機でありながら多くの爆弾を搭載し、敵戦闘機を撃墜するという点では現在主流のマルチロール戦闘機の先駆けといいたいところですが、爆撃任務の途中で敵戦闘機に遭遇し空戦となると爆弾を投棄せざるを得ず、爆撃任務は遂行不能となってしまいます。

F-105Dのコクピット。PHOTO USAF
F-105Dのコクピット。PHOTO USAF

昭和39年(1964年)の2か月間、F-105Bがアメリカ空軍曲技飛行隊サンダーバーズに採用されます。しかし、機体が大きすぎ機動性にも曲技飛行には不向きであった上に、事故が発生したことから再び以前の使用機であったF-100スーパーセイバーに戻されました。

敵防空網制圧(SEAD)任務を遂行するワイルド・ウィーゼル機であるF-105Gは1980年代まで活躍しました。

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションYF-105A 試作機。2機製造
YF-105B 試作機。4機製造。エンジン換装など
F-105B 初期量産型。AN/APN-105レーダー装備。71機製造
JF-105B 試験機。RF-105Bを改造
RF-105B 偵察機。オーサーのみでキャンセル
F-105C 複座の練習機。計画のみ
F-105D 主力となった量産型。主に電子装備を強化し全天候能力と爆撃精度を向上
RF-105D F-105Dの偵察機型。計画中止
F-105E F-105Dの複座練習機。計画中止
F-105F F-105Dの複座型
EF-105F F-105Fを改装した敵防空網制圧(ワイルド・ヴィーゼル)機。54機をF-105Fから改装
F-105G F-105Fの敵防空網制圧能力を強化した複座型
生産数833
スペック型式F-105D
全 幅10.64m
全 長19.63m
全 高5.99m
翼面積35.77㎡
自 重12,475kg
総重量/最大離陸重量23,967kg
発動機J75-P-19W(7,800kg)×1
最大速度2,237km/h
実用上昇限度15,544m
戦闘行動半径1,500km
航続距離3,550km
乗 員1名
初飛行1955年10月22日
就 役1959年6月
退 役1983年
兵 装

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー

North American F-100 Super Sabre
ノース・アメリカンF-100スーパーセイバーNorth American F-100 Super Sabre

世界初、実用超音速戦闘機

名機F-86の後継

※文頭写真:傑作機F-86セイバーの後継、世界初の実用超音速戦闘機として華々しく登場したF-100スーパーセイバー。PHOTO USAF

ノース・アメリカンF-100スーパーセイバー(1953-1979)はノース・アメリカン社が開発したアメリカ空軍の戦闘機。世界初の実用超音速戦闘機として知られるアメリカ空軍センチュリーシリーズのトップバッターです。

センチュリーシリーズとは、アメリカ空軍の100番台の型番がつく戦闘機を総じていいます。全て超音速戦闘機であり、以下の6機を指します。本機F-100スーパーセイバー、マクドネルF-101ブードゥーコンベアF-102デルタダガーロッキードF-104スターファイターリパブリックF-105サンダーチーフコンベアF-106デルタダート

超音速ジェット戦闘機が実用化し始めた時期であり、第2次世界大戦が終わり東西冷戦が日に日に熱くなっていた時代です。戦闘機の開発もいけいけどんどんといった様相で、F-100が初飛行しのが1953年5月、センチュリーシリーズ最後のF-106は1956年12月に初飛行しており、その間わずか3年半ほどしかありません。

アメリカ海軍でも同時期に試作機を含め6機が開発されていますから、アメリカ空・海はこの3年半の間に12機もの戦闘機を初飛行させているということになります。

F-100はスーパーセイバーという愛称が示すように、初めて後退翼を採用したアメリカ空軍の傑作機F-86セイバーの後継機として開発されました。

F-86は当初直線翼のそれまでと基本的に変わらない戦闘機として計画されましたが、ドイツの敗戦によりジェット戦闘機の先端技術を連合国が収奪しアメリカにもそれがもたらされると、急遽ドイツの技術を取り入れた最先端の後退翼機として開発され、大成功を収めました。

F-86の成功体験を得たノースアメリカン社は、自社資金でF-86の発展型を研究し1949年2月から開発が始まりました。写真をみればすぐ感じられるように、後継といっても形状はあまり似ていません。

朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF
朝鮮戦争においてアメリカの制空権が危機にさらされたミグショックは、F-86セイバーの活躍によって乗り越えられた。PHOTO USAF

F-100スパーセイバー。PHOTO USAF
F-100スパーセイバー。PHOTO USAF

主翼の後退角はF-86の35度から45度になりエンジンはプラット&ホイットニー社製J57を搭載しました。この案を空軍が採用し1951年11月には制式に発注を得て、1952年5月には試作機が初飛行に成功します。年末には時速1,215kmという世界速度記録を打ち立てています。

F-100C型からは空中給油能力が付与され、その他、徐々に対地攻撃能力が強化されていきました。最も多く製造されたF-100D型は、低高度爆撃装置(LABS)を装備し爆撃能力を強化した戦闘爆撃機であり1,274機が製造されました。各型総じての生産数は2,294機でした。米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機として、C型が昭和31年(1956年)〜昭和38年(1963年)まで、D型が昭和39年(1964年)〜昭和43年(1968年)、D型は昭和34年(1959年)の極東ツアーにも使用されました。

冷戦が日々熱くなる軍拡時代、そして超音速ジェット黎明期、続々と米ロともに新型機が開発される中、1960年のベトナム戦争に参戦した際にはすでに旧式化しており、ソ連のMiG-17を撃墜することはできませんでした。また、挑戦的な機体が災いしてか889機という多数が事故によって失われています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-100A 試作機。2機製造
YQF-100 9機製造された無人標的機
F-100A 最初の量産型。203機製造
生産数2,294
スペック型式-
全 幅11.81m
全 長15.2m
全 高4.95m
翼面積37㎡
自 重9,500kg
総重量/最大離陸重量13,085kg
発動機J57-P-21/21A(4,544kg)×1
最大速度1,390km/h
実用上昇限度15,000m
戦闘行動半径1,300km
航続距離3,210km
乗 員1名
初飛行1953年5月25日
就 役1954年9月
退 役1979年
兵 装

リパブリックF-84Fサンダーストリーク

Republic F-84F Thunderstreak
リパブリックF-84FサンダーストリークRepublic F-84F Thunderstreak

F-84の進化型

F-84を後退翼化

※文頭写真:USAF

F-84Fサンダーストリーク(1950-1971)は、F-86A〜E、Gサンダージェットの発展型として開発された米空軍のジェット戦闘機です。直線翼から後退翼となったことが大きな特徴です。

F-84A〜E、Gサンダージェットはスマートな胴体と兵器搭載量の多さ、航続距離の高さから7,500機以上が生産されました。初期にみられた主翼の脆弱性も改良され、信頼性の高い機体として活躍しました。

F-84を後退翼化したF-84F。PHOTO USAF
F-84を後退翼化したF-84F。PHOTO USAF

F-86A〜E、Gを後退翼化したF-84Fは、当初YF-96Aとして計画されていましたが、内容的にはF-84Eの設計や部品を使用するF-84Eの発展型でした。一旦はテストの不調から計画は頓挫しそうになりす。

しかし、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、F-86A〜E、Gの発展型として兵器搭載量と航続距離、高速性能に優れた機体となりそうな本機は戦闘爆撃機として米空軍に期待されます。

ロケットポッドを搭載して出撃するF-84Fサンダーストリーク。PHOTO USAF
ロケットポッドを搭載して出撃するF-84Fサンダーストリーク。PHOTO USAF

空軍の本機への期待から計画名もYF-96Aから予算の通りやすい発展型であることを強調したF-84Fに変更されます。試作機は1951年2月には初飛行し、まずまずの成功を収めます。特に当時のジェット戦闘機の弱点であった航続距離に優れていたことは空軍の期待どおりでした。

本機の航続距離は3,400km(12,701kg)もあります。元となったF-84Gの3,200km(10,590kg)に比べても優れ、P-80の1,330km(7,645kg)、F-86セイバーの2,454km(8,234kg)、P-89(16,869kg)の2,200kmと比べると格段に優れていることがわかります。

航続距離数字の( )内は最大離陸重量です。これを比べてもF-84Fは優れた数字を示しています。航続距離と兵器搭載量が優れているということは、空対空の戦闘もこなしながら爆撃任務を遂行できる戦闘爆撃機として高性能です。さらには核兵器も搭載可能ですからその幅は広がります。

駐機する約100機のF-84F。1961年(昭和36年)のベルリン危機に展開する部隊です。PHOTO USAF
駐機する約100機のF-84F。1961年(昭和36年)のベルリン危機に展開する部隊です。PHOTO USAF

F-84Fは空軍の期待を受けて約2,000機という大量発注を得たものの、イギリスのアームストロング・シドレー社からライト社がライセンス生産していたJ65エンジンがうまくいきません。当時はジェットエンジン先進国はイギリスでありアメリカはまだまだといった状況でした。

結局、本機の配備は朝鮮戦争に間に合いませんでしたが、約3,500機が生産され1971年まで飛び続けました。昭和30年(1955年)の1シーズンだけですが、米空軍曲技飛行隊サンダーバーズの使用機となっています。

運用者アメリカ空軍
台湾空軍
デンマーク空軍
フランス空軍
ドイツ空軍
ギリシャ空軍
イタリア空軍
オランダ空軍
ノルウェー空軍
トルコ空軍
主要なバリエーションYF-96 試作機
YF-84F 2次試作機
RF-84F 偵察機型
XF-84H ターボプロップ+超音速プロペラの複合試作機
生産数3,428
スペック型式-
全 幅10.25m
全 長13.23m
全 高4.39m
翼面積30.19㎡
自 重6,260kg
総重量/最大離陸重量12,701kg
発動機J65-W-3(3,280kg)×1
最大速度1,119km/h
実用上昇限度14,000m
戦闘行動半径1,304km
航続距離3,440km
乗 員1名
初飛行1950年6月3日
就 役1952年11月
退 役1971年
兵 装

リパブリックF-84A〜E、Gサンダージェット

Republic F-84A〜E,G Thunderjet
リパブリックF-84A〜E、GサンダージェットRepublic F-84A〜E,G Thunderjet

初めて核兵器/空中給油装置を搭載

本格ジェット戦闘機を目指したF-80の後継

※文頭写真:オハイオ州デイトンのアメリカ空軍博物館に展示されているF-84。時代の雰囲気が匂い立ってきます。かっこいい。PHOTO USAF

リパブリックF-84サンダージェット(1946-1958)はリパブリック社が開発したアメリカ空軍のジェット戦闘機です。リパブリック・アビエーション社は第2次世界大戦後期、アメリカ陸軍航空隊の主力戦闘機であり15,660機もの生産数を誇ったP-47サンダーボルトを開発した実績ある会社です。

アメリカ空軍は第2次世界大戦中の1944年1月にロッキードP-80シューティングスターを初飛行させ、1945年2月に就役していました。P-80はアメリカ最初の実用ジェット戦闘機としては成功作といえる出来でした。

P-80は初期のジェット戦闘機としては優秀な機体でしたが、開発開始からわずか半年という超特急で開発されたため詰めの甘い部分もありました。そこで、P-80を超えるジェット戦闘機を目指してアメリカ空軍がリパブリック社に開発を要求したのがF-84サンダージェットです。P-80が就役した1945年2月から1年後の1946年2月、F-84サンダージェットは初飛行に成功しており、史上初めて核兵器を搭載し、空中給油装置を備えたことは大きな特長といえます。

F-84は小径にもかかわらず大きな流量を扱えることに特長がある軸流エンジン、J35を搭載していたため、機体全体がとてもスマートで流麗な形状になっています。初期のジェット戦闘機に多く見られるように、機首に空気取入口(インテーク)が配され主翼はレシプロ時代と変わらない直線翼を採用していました。

1954年(昭和29年)1月9日、極東に配備されたアメリカ空軍のF-84サンダージェット。PHOTO USAF
1954年(昭和29年)1月9日、極東に配備されたアメリカ空軍のF-84サンダージェット。PHOTO USAF

エンジンの推力は2,450kgと不足していたものの、スマートなフォルムから高速性能は高く、当時の世界速度記録にも挑戦しています。そこでは時速983kmを記録しアメリカ機としては最高記録を軽々と塗り替えたものの、1946年にイギリスのグロスター・ミーティアが記録した最高記録、時速990.8kmにはわずかに及びませんでした。

1950年に朝鮮戦争が勃発するとF-84も参戦し主に対地攻撃に活躍しています。これは「ミグショック」といわれる程の衝撃であったソ連の高性能後退翼ジェット戦闘機MiG-15の存在があったためです。MiG-15が突如出現し、F-84も含め当時のアメリカ軍機では空中戦において太刀打ちできず、制空権を脅かされます。アメリカは同じ後退翼の高性能機F-86を投入してこの危機を乗り切りますが、F-84としては搭載量の多さ、長い航続距離を活かして主に対地攻撃に従事したというわけです。

F-84は本編のテーマである直線翼を持つA〜E、G型の他に発展型として後退翼化したF-84Fサンダーストリークがあります。F-84Gはアメリカ空軍曲技飛行チーム、サンダーバーズの初代使用機、発展型F-84Fサンダーストリークは2代目使用機に採用されています。

F-84Eコクピット。レシプロ時代の雰囲気を色濃く残しています。PHOTO USAF
F-84Eコクピット。レシプロ時代の雰囲気を色濃く残しています。PHOTO USAF

運用者アメリカ空軍
主要なバリエーションXP-84 試作機。2機製造
XP-84A 試作機。エンジン換装など
YP-84A 量産試作機。15機製造
P-84B(F-84B) 最初の量産型。226機製造
F-84C エンジン換装。燃料・電気系統改良。191機製造
F-84D エンジン換装。各部を改良。154機製造
F-84E 胴体延長、レーダー式ガンサイトを初めて搭載。初の戦時下空中給油。843機製造
EF-84E テスト機
F-84G 戦闘爆撃機型
EF-84G ゼロ距離発進のテスト機
F-84KX 無人標的機。80機製造
RF-84G 偵察機型。
生産数7,524
スペック型式-
全 幅11.1m
全 長11.6m
全 高3.84m
翼面積24.15㎡
自 重5,200kg
総重量/最大離陸重量10,590kg
発動機J35-A-29(2,540kg)×1
最大速度770km/h
実用上昇限度12,350m
戦闘行動半径800km
航続距離3,200km
乗 員1名
初飛行1946年2月28日
就 役1948年2月
退 役1958年
兵 装