横須賀軍港めぐり

横須賀軍港めぐり

日米海軍の施設がある横須賀軍港を巡る「軍港めぐり」は、今まさに日本だけでなく世界の安全を担保している日米現役の軍艦が一度に多く見られる貴重な体験です。横須賀の近くに育った筆者でも海から軍艦や軍港をみる機会は、この軍港めぐりくらいしかありません。

横須賀鎮守府をはじめとした大日本帝国海軍関係施設へのアクセスや、物資輸送を行うため開業されたJR横須賀駅で下車し、海沿いの公園を少し歩けばイオンショッパーズプラザ1階にチケット売り場があり、すぐ前に乗り場があります。

JR横須賀駅
JR横須賀駅

JR横須賀駅。後ろに横須賀軍港が少し見えています。
JR横須賀駅。後ろに横須賀軍港が少し見えています。
軍港めぐりの案内所・チケット売場。
軍港めぐりの案内所・チケット売場。
軍港めぐりの案内所・チケット売場。
軍港めぐりの案内所・チケット売場。
軍港めぐりの案内所・チケット売場。お土産も売っています。
軍港めぐりの案内所・チケット売場。お土産も売っています。

周遊には上部がデッキになった船を利用します。運賃は大人1,400円、小学生700円。周遊所要時間は45分、10時〜15時まで1時間に1本運行の予定となっていますが、時期や曜日により異なりますので、公式HPなどにて事前確認が必要です。また、混み合うこともありますので、予約しておくのが無難です。

軍港めぐり船。
軍港めぐり船。
軍港めぐり船のデッキ。
軍港めぐり船のデッキ。

港内をぐるっと周遊するわけですが、見所は大きく次の7つがあります。艦艇には概ねみえるところに艦名は書いてありませんが、艦番号は見えます。艦番号を覚えておくか、スマートフォンの画面に出しておけば艦名がわかります。

軍港めぐりパンフレットの地図。
軍港めぐりパンフレットの地図。

12号バース

最初に見えてくるのは、全長約410mもある米海軍の原子力空母専用埠頭。現在は全長333m、乗員約5,500名のニミッツ級航空母艦「ロナルド・レーガン」(CVN-76)が入ります。先代の同級航空母艦「ジョージ・ワシントン」(CVN-73)が「キティ・ホーク」(CVA-63)に代わって配備される際にドックの拡張が行われました。

吉倉桟橋の海上自衛隊 第11護衛隊、ゆうぎり(DD-153)。
吉倉桟橋の海上自衛隊 第11護衛隊、ゆうぎり(DD-153)。

ちなみに大きさは、次のようになっています。
「キティ・ホーク」(CVA-63):全長323.8m、全幅39m、吃水10.9m
「ジョージ・ワシントン」(CVN-73):全長333m、全幅76.8m、吃水12.5m

米本国以外に、米海軍の原子力航空母艦の母港となれる国・港は日本しかありません。最先端の技術を詰め込んだ世界最強の艦艇及び多数の航空機を整備・修理等することは、技術力だけでなく信頼に足る国民性も必要となるからです。情報漏えいはもちろんのこと、例えば「朝8:45分に集合」と言われ、仕事のできる状態で定刻に集まるというのは、日本ではほぼ当たり前ですが、世界を見るとなかなか難しい事のようです。

米海軍横須賀基地

12号バースとともにみえるのが米海軍横須賀基地。基地内には居住区、教育施設、郵便局、購買施設、競技場など何でも揃っており、約2万人が生活しています。

後に所属艦艇を紹介しますが、米海軍太平洋艦隊の指揮下にある、第7艦隊の母港です。国際日付変更線以西の西太平洋・インド洋(中東地域を除く)を担当海域としています。旗艦は揚陸指揮官「ブルー・リッジ」(LCC-19)です。地球のほぼ半分を活動範囲とし、戦時には約60の艦艇、350機の航空機、6万の水兵・海兵を動員する能力を持ちます。

米海軍横須賀基地。
米海軍横須賀基地。

吾妻島

自衛艦隊司令部がある長浦港と米海軍第7艦隊基地がある横須賀本港を隔てています。大日本帝国海軍も倉庫として利用しており、現在は日米が共同で利用する倉庫地区となっていますが、米海軍に所属する地域となっています。元は岬でしたが、明治22年(1889年)に水路がつくられ、島となりました。

吾妻島。
吾妻島。

海上自衛隊司令部と護衛艦(船越地区)

乗船場所からいうと港の奥、船越地区には海上自衛隊司令部があります。艦艇約90隻、航空機約200機を要する機動艦隊である「自衛艦隊」の司令部です。海洋国家日本の要ともいえる海軍力のトップがここにあります。

海に囲まれ、世界第6位の海洋面積を持つ日本。周辺には中国や北朝鮮といったならず者国家だけでなく、ロシアや韓国のように日本の領土を不法占拠し続ける輩もおり、一時も気を抜けない状況です。

船越の自衛艦隊司令部。日本の海軍を率いる司令部です。
船越の自衛艦隊司令部。日本の海軍を率いる司令部です。

長浦港

乗り場からみると奥には、自衛隊の施設である長浦港と船越の自衛艦隊司令部があります。

海上自衛隊第2潜水隊群第2潜水隊の「ちよだ(AS-405)」。潜水艦救難母艦です。
海上自衛隊第2潜水隊群第2潜水隊の「ちよだ(AS-405)」。潜水艦救難母艦です。
横須賀地方隊、掃海隊群第1掃海隊の「はつしま(MSC-606)」。平成27年(2015年)に就役したばかりの艦艇です。
横須賀地方隊、掃海隊群第1掃海隊の「はつしま(MSC-606)」。平成27年(2015年)に就役したばかりの艦艇です。
廃棄予定の木造掃海艇。すでに木造軍艦の造船技術は途絶えつつあるとのこと。現在の掃海艇は樹脂を多用します。
廃棄予定の木造掃海艇。すでに木造軍艦の造船技術は途絶えつつあるとのこと。現在の掃海艇は樹脂を多用します。
左は、横須賀地方隊、海洋業務・対潜支援群第1海洋観測隊の海洋観測艦「わかさ(AGS-5104)」。潜水艦の作戦行動には海洋観測が欠かせません。
左は、横須賀地方隊、海洋業務・対潜支援群第1海洋観測隊の海洋観測艦「わかさ(AGS-5104)」。潜水艦の作戦行動には海洋観測が欠かせません。

新井掘割水路

かつて吾妻島は箱崎半島でした。新井掘割水路が掘られたことにより吾妻島となりました。
安政元年(1854年)に公郷村名主永嶋庄兵衛は、半島先端の暗礁が危険であることから、増えゆく海上交通の妨げになると半島前方部に掘割を377m掘り、武蔵国野島浦(現在の横浜市金沢区)から横須賀村への航路を作りました。

さらに、明治19年(1886年)、海底27mの掘割工事が行われ明治22年(1889年)に開通しました。これにより旧掘割は埋め立てられ、周辺は旧海軍時代より現在まで燃料庫地帯になっています。

新井掘割水路。
新井掘割水路。
新井掘割水路の削られた岩盤。
新井掘割水路の削られた岩盤。

吉倉桟橋

海上自衛隊横須賀基地の主たる桟橋です。いつもは海自のヘリ空母「いずも」(DDH-183)など、海自艦艇がずらりと並び壮観なのですが、この日は日米加共同訓練が行われていたため閑散としていました。しかし、舞鶴を定係港とする大型のイージス艦「あたご」(DDG-177)をみることができました。ついてます。

珍しく舞鶴を定係港とする「あたご」(DDG-177)が停泊していました。
珍しく舞鶴を定係港とする「あたご」(DDG-177)が停泊していました。
珍しく舞鶴を定係港とする「あたご」(DDG-177)が停泊していました。
珍しく舞鶴を定係港とする「あたご」(DDG-177)が停泊していました。
別日の吉倉桟橋。いずも( DDH-183)、おおなみ(DD-111)などが並びます。壮観。
別日の吉倉桟橋。いずも( DDH-183)、おおなみ(DD-111)などが並びます。壮観。

横須賀地方総監部

海上自衛隊には4つの護衛艦隊などからなる機動艦隊と、各地方隊があります。横須賀地方隊は岩手県から三重県に至る太平洋沿岸一帯を警備担当区域としています。

海上自衛隊の横須賀地方総監部。
海上自衛隊の横須賀地方総監部。

横須賀港の主な艦艇(海上自衛隊)※平成29年(2017年)3月22日現在

第1護衛隊群第1護衛隊
いずも(DDH-183)はたかぜ(DDG-171)、むらさめ(DD-101)、いかづち(DD-107)

第4護衛隊第6護衛隊(司令部:横須賀)
きりしま(DDG-174)、たかなみ(DD-110)、おおなみ(DD-111)、てるづき(DD-116)

第2潜水隊群第2潜水隊
ちよだ(AS-405)、うずしお(SS-592)なるしお(SS-595)たかしお(SS-597)

第2潜水隊群第4潜水隊
ずいりゅう(SS-505)こくりゅう(SS-506)やえしお(SS-598)せとしお(SS-599)

第11護衛隊
やまぎり(DD-152)ゆうぎり(DD-153)

横須賀地方隊
ちちじま(MSC-605)、えのしま(MSC-604)、えんしゅう(AMS-4305)、はしだて(ASY-91)

横須賀港の主な艦艇(米海軍)※平成29年(2017年)3月22日現在

第7艦隊
ロナルド・レーガン(CVN-76)、第7艦隊旗艦ブルー・リッジ(LCC-19)、アンティータム(CG-54)チャンセラーズビル(CG-62)シャイロー(CG-67)、ベンフォールド(DDG-65)、カーティス・ウィルバー(DDG-54)、ジョン・S・マケイン(DDG-56)、フィッツジェラルド(DDG-62)、ステザム(DDG-63)、バリー(DDG-52)、マクキャンベル(DDG-85)、マスティン(DDG-89)、潜水艦

横須賀港の歴史

古くは三崎水軍の拠点であった三浦半島。江戸時代の享保5年(1720年)には浦賀に奉行所が、天保13年(1842年)には江戸湾防備の命を受けた川越藩(松平家)により大津陣屋が置かれました。陣屋は慶応4年(1868年)に取り壊されました。

嘉永6年(1853年)、浦賀沖にマシュー・ペリー率いる米海軍が訪れ、強引に開港を迫ります。

慶応元年(1865年)、横須賀製鉄所が開かれ、慶応2年(1866年)、江戸幕府により横須賀造船所への施設拡張が始まり、明治新政府により明治4年(1871年)に横須賀造船所が完成。翌明治5年(1872年)工部省から海軍省の管轄となり、明治17年(1884年)横須賀鎮守府直轄、明治36年(1903年)横須賀海軍工廠となりました。

栄えある大日本帝国海軍の主要造船所として活躍した横須賀海軍工廠。明治初期には唯一の官営造船所として軍艦を建造、昭和期は航空母艦建造の責任工廠でもありました。

大東亜戦争敗戦後は、昭和20年(1945年)8月30日に米軍が上陸、横須賀港を含めしない軍事施設を全て管理下に置き、米海軍横須賀基地司令部が発足しました。以後は、基地部分の多くを米海軍が基地として、田浦駅に近い船越地区と吉倉桟橋など内陸側を海上自衛隊が使用しています。一日でも早く日本海軍が復活し、米軍基地部分も含め、日本海軍横須賀基地となることを願っています。

運用者
主要なバリエーション
生産数
スペック型式
全 幅
全 長
全 高
翼面積
自 重
総重量/最大離陸重量
発動機
最大速度
実用上昇限度
戦闘行動半径
航続距離
乗 員
初飛行
就 役
退 役
兵 装

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